1

 とある昼下がり。往生堂の客卿を務める鍾離は、仕事のために軽策荘を訪れていた。
 予定していた仕入れを終え、一息つく。最近、モラの扱いにも少しは慣れてきた……と自負しているが、隣にいる友人の認識はいささか異なるようだった。
「ちゃんと予算内に収められた?」
 鍾離の手にした契約書を指す、金髪の旅人。あどけなくも整った顔には、苦笑半分、心配半分といった表情が浮かんでいる。
「ああ、大丈夫だ」
 信用がないな、と苦笑いすれば、少年は肩をすくめた。
「目移りしすぎだよ、先生は」
 商談の間、関係ない品に気を取られていると見るや、彼は横からさりげなく注意を促してきた。その軌道修正のおかげで、予算を超過することなく仕入れを終えられた事実は、鍾離も認めざるを得ないところだ。

 普段はのどかなこの村も、月逐い祭が近い今は心なしか浮足立っているように感じられる。
 活気ある璃月港とは異なる風景を、ゆったりと楽しみながら歩いていた青年の視線が、ふとある一点で止まった。
 屋外に設えられた卓に、少女がひとり座っている。その手元から伸びる、いくつもの色鮮やかな糸。たどたどしい手付きでそれらを編む姿に、鍾離は懐かしさを覚えて足を止めた。
「先生、どうかした?」
 訝しげな声とともに、旅人が隣に並んだ。こちらの視線の先を追いかけ、首を傾げる。
「組紐を編んでいるんだ」
 淡黄の瞳に浮かぶ疑問を汲み取って、鍾離は少女の手元を目線で指しながら説明する。
「ああやって様々な糸を使い、飾り紐を編む。昔からよく作られている工芸品だ」
「そう言えば、璃月港の露店で見たかも」
 旅の記憶を思い返すように、空は口元に手を当てた。その横顔を見ながら、青年はもっとも、と付け足す。
「この時期に作るのであれば、特別な意味合いのあるものだろうな」
 疑問を宿した視線を受けて、鍾離は続けた。
「璃月に古くからある習わしだ。
 手ずから編んだ組紐を切り花に結び、月逐い祭が終わるまでに思いを寄せる相手に渡す」
「受け取った側は、応じるならば組紐を自身の腕に着ける。紐に触れず花を返したなら、その思いには応えられないという意味だ」
「へー、何だかロマンチックだなあ!」
 話を聞いていたパイモンが感嘆の声を上げる。その隣で、組紐を編む少女をじっと見つめていた空が、ぽつりと呟いた。

「俺も、作ってみたい」
「ほう」
 金の双眸を軽く見開き、鍾離はかたわらの少年を見やった。
「お前も、渡したい相手が居るのか?」
 問いかければ、しばしの沈黙の後。
「——秘密」
 意味深な笑みと共に、彼はその一言だけを返してきた。詮索が過ぎたと、青年は先程の発言を自省する。
「無粋だったな」
 呟く自嘲に、気にしないでと朗らかな声が答えた。

「でも、何だか難しそうだぞ……今から作って間に合うのか?」
 お前が器用なのは知ってるけどさ、と心配顔のパイモンに、鍾離は大丈夫だと請け合った。
「なに、旅人のことだ。方法さえ覚えれば、さほど苦労はしないだろう」
 そう評すれば、くすぐったそうに視線をそらす姿が視界の端に映る。こういう時、褒めすぎだと彼はよく言うけれど、鍾離としてはただ事実を述べているに過ぎない。むしろ、己の言葉ではこの少年の傑出した資質を評するには足りていないとすら思っていた。
「作ってみるか?」
 俺で良ければ教えるが、と水を向けると、旅人とパイモンがそろって意外そうな表情で彼を見た。
「先生、作れるの?」
「なんだ。意外か」
「そうじゃなくて」
 上目遣いに、探るような視線を投げられる。
「先生も、誰かに作って渡したことがあるのかな、って」
 問われているところをしばし考えてから、鍾離は答えた。
「それはないな。何せ、作ったのは遥か昔のことだ。当時、そのような風習はまだ存在しなかった」
「そっか」
 安心した、と少年が笑う。そのやり取りに若干の噛み合わなさを感じたものの、取り立てて追及するほどでもないかと流した。

「先生が良ければ、教えてほしいな」
「承知した」
 今日は仕入れ以外の仕事は入っていない。旅人の都合を問えば、こちらも今のところ急ぎの用事はないとの返事だった。ならば今からでもと、とんとん拍子に話は進んで。
「となれば、まずは材料と道具がなくてはな」
 今後の段取りを相談しつつ、三者は連れ立って軽策荘を後にした。



 璃月港に戻った一行は、いったん往生堂に立ち寄った後、その足で雑貨屋へと向かった。
 色とりどりの糸巻きが並ぶ棚を前に、空は眉を寄せ考え込んでいる。その横顔は真剣そのもので、彼が本気で組紐の製作に取り組もうとしていることが見て取れた。
 鍾離は少し離れて立ち、しばしその様子を見守っていたが、ずっと見られていては落ち着かないだろうと視線を外した。よく磨き込まれた窓ガラスに、外の景色と重なって自身の顔が映っている。「モラクス」でも「岩王帝君」でもない、凡人の「鍾離」としての姿。
 金の双眸を細め、青年は遠い記憶を回想する。正体を隠し歩いた街角で、組紐を編む娘たちを初めて目にした時のこと。興味を惹かれ見ていた自分に、人々は快く作り方を教えてくれた——鮮明に、まるで昨日のことのように思い出せる。
 かつて覚えたその製法を、今こうして異邦の稀人へ伝えることになるとは。数奇な縁というものを、鍾離は感じずにいられなかった。

 ふと誰かに見られているような気がして、青年は視線を感じた方へと顔を向ける。
 視界に映るのは、相変わらず陳列棚とにらみ合う空に、そのかたわらで何事か喋っている相棒の姿。二人ともこちらを見てはおらず、店内に他の客の姿もない。旅人ではなかったのか、と鍾離はひとり首を傾げる。
「先生、どうかした?」
 釈然としない面持ちの青年に、空が歩み寄ってきた。不思議そうに見上げてくる瞳に、何でもないとかぶりを振る。

「気に入るものはあったか?」
「うん」
 問いかけにうなずくと、彼は熟考の末に選んだいくつかの糸を見せてきた。
「こういうの、どうかな」
 黒に朱色、つや消しの金。品のある仕上がりになりそうな、落ち着いた取り合わせだが——。
「ずいぶんと、渋い色合いを選んだな」
 祭りの日、想い人に贈るものということで、明るく華やかな色を想像していたのだが、彼の考えは違ったようだ。率直に意外だと述べると、空はそうだね、と照れたように笑った。
「多分、こういう色が似合うと思うから」
「そうか」
 彼がそう見立てたのならば、外野たる自分が口を差し挟む必要もない。鍾離はうなずき、それ以上は何も言わなかった。

 オイラもやるぞ! と意気込むパイモンに苦笑しつつ、彼女のぶんの糸もいくつか見繕って、空は会計へと向かった。
 その背を静かに見送る鍾離の心に、言いようのない不可思議な感情が去来するも、それが何なのかは彼自身にもわからなかった。


 2

 購入した材料を携えて向かった先は、旅人が所有する壺中の洞天。その中心に建つ屋敷の一室にて、鍾離による即席の講習が始まった。
「——糸を掛け終わったな。次は、それらを今から言う順に編んでいくんだ」
「こう?」
 いったん準備を終えてしまえば、やることは単純だ。糸を順番通りに編み込むという作業を、ひたすら根気よく続けていく。それだけの手順をいかに過たず積み重ねたか、その精度が最終的な出来栄えに直結するのだ。
 パイモンも最初は嬉々として取り組んでいたが、いくらも経たず白旗を挙げた。この繊細な作業は、彼女の小さな手にはいろんな意味で余ったようだ。
 一方の旅人は、持ち前の飲み込みの早さをいかんなく発揮し、器用に作業を進めている。俺が口を出す必要もなさそうだ、と改めて彼の多才ぶりに舌を巻く鍾離だった。

 作業を始めてから、どれくらいの時間が過ぎただろうか。
 冷めてしまった三人分の茶を淹れ直し、木製の盆に載せる。それを手に鍾離が戻ると、ちょうど旅人の作業が一段落したところだった。
「仕上がったか」
 湯気をたてる茶器をテーブルに並べてから、少年の手元をのぞき込む。半ばうたた寝していたパイモンも起き出し、好奇心もあらわに寄ってきた。
「おおっ、さっすが空だな! ちゃんと出来てるぞ!」
 彼女の言う通り、多少がたついた編み目はあるものの、初めて作ったとは思えないほどそつのない出来栄えだった。鍾離も素直に感嘆したが、当の本人はいまいち納得の行かない顔で完成品を眺めている。

「これ、先生はどう思う?」
 そう訊ねられて、青年は微かに眉を上げた。普段の旅人は非常に決断が早く、迷う姿をあまり見せない印象だが、今回は何かとこちらの意見を求めてくる感がある。珍しいなと思いつつ、口を開いた。
「贈り物にするにも十分な完成度だ。俺が口を出すような点は何もないな」
 しばし黙った後、だが、と続ける。
「お前自身は、そうは思っていないのだろう?」
「……さすが、お見通しなんだ」
 苦笑めいた表情で呟いて、空は手の中の組紐に視線を落とした。

「人に渡すなら、自分で納得いくものにしたい」
 次は、もっと上手く作れる気がするから。
 その言葉を耳にして、口元に添えた手の陰で、青年の口角が自然と上がった。
 決して妥協せず、納得行くまで力を尽くそうとする意志。自身の望むところを目指し歩みを止めないその強さも、鍾離がこの旅人を好ましいと感じる所以のひとつだった。

「そうだな——」
 強いて言うなら、と前置きして、鍾離は続けた。
「この色合いであれば、別の編み方のほうが映えるかもしれないな」
 少年がこれで良しとするのであれば、それ以上何も言わないつもりだった。しかし、彼はさらに先を求めた。ならば自分も、出来る限りの助力をしようと思ったのだ。
「組紐の編み方には、いくつか種類があるんだ。先に伝えたものより、多少難しくはなるが……」
「それ、教えてくれる?」
 言い終わる前に食いついてきた少年を見て、鍾離は目を細めた。
 今の彼ならばそう言うだろうとは思っていたが、予想以上の意欲だ。こちらも相応の姿勢で望まねばならないな、と心のなかで呟いて、青年はうなずいた。
「ああ。出来る限り協力しよう」
「ありがとう、先生」
 感謝の言葉とともに向けられた笑顔に、ほんの少し、くすぐったいような心地を覚える。

 手ほどきを受けた後、少年は再び黙々と作業に取り組み始めた。邪魔にならないよう、少し距離を空けた席に座り、鍾離はそっと茶を含む。
 たちのぼる湯気を透かして見える、真剣な横顔。店で糸を見ていた時と同じだな、と青年は思い返した。
 あの時の彼も、相手にどんな色が似合うのかを真摯に考えていたのだろう。より良いものを生み出そうとする努力の端々から、贈る対象に抱いている好意の深さが見て取れた。
 最終的な出来栄えがどうであろうと、そこに込められた想いの価値は変わらない。その編み目ひとつひとつに、相手を思う彼の心が宿っているのだから。

 視線を感じたのか、ふと手元から顔を上げた少年と目が合った。
「先生、どうかした?」
 どこか間違えてる? と危惧する声に、微笑んでかぶりを振る。
「その組紐を贈られる相手は、幸福だな」
 しみじみと呟いた本音に、淡黄の瞳が一瞬驚いたように見開かれて。

「……そう思う?」
「ああ」
「そうだと、いいな」
「俺が保証しよう。自信を持つといい」

 請け合ったその言葉は、紛れもない本心だった。
 しかし同時に、胸の奥に微かな違和感を覚える。例えるなら、指先にほんの小さな棘が立ったような——痛みと呼ぶほどでもなく、それでいて妙に引っかかる、不可解な感覚。自身でもその正体が掴めず、鍾離はわずかに顔をしかめる。
 その隣で、何か言いたそうな表情のパイモンが二人を交互に見ていたが、自身の内面に気を取られていた青年が気づくことはなかった。


 3

 緋雲の丘の一角、眼下に港を望むテラスで、鍾離はひとり海風に吹かれながら景色を眺めていた。
 最終日の夜まで華やかに盛り上がる海灯祭と比べると、月逐い祭の終わりは実に静かなものだ。璃月七星主導の催事は盛況のうちに幕を閉じ、港に立ち並んでいた露店もひとつ、またひとつと撤収を始めている。夜半を迎えるまでに、街はまた日常へと戻るだろう。

 ——旅人は、上手くやれただろうか?
 金の双眸を細め、友の行く末に思いを馳せる。

 友人として、彼の思いが叶うことを願ってやまない。
 その一方で、不可解な違和感は依然として胸の奥に在る。旅人に組紐の作り方を教えたあの日から、ずっと付きまとうそれは、さながら陽の光が注ぐ地上に出来た影のようで。
 これは一体何なのか。鍾離は自分自身に困惑する。
 糸口を求めて、過去の記憶を手繰った。思い出したのは、天寿を終える友を見送った時の、身の内をすきま風が吹き抜けるような感覚。全く同じではないが、どこか似ている気がする。

 これは——寂しさ、なのだろうか?


 ひとり物思いに沈んでいた青年の意識は、背後から呼ぶ声に現実へと引き戻された。
「鍾離先生」
 出会ってからさほど経っていないにも関わらず、すっかり耳に馴染んだその声。振り向いて、石珀の双眸を見張る。
「ここにいたんだ」
 探したよ、と。視線の先で微笑むその姿は、まさに今しがた案じていた張本人だった。
 その手には、一輪の琉璃百合。夜の間だけ開く蒼い花弁の下、蝶の形に結ばれた組紐がよく映えている。

「まだ、渡していなかったのか」
 何故ここに、と問うよりも先に、その言葉が出た。
 習わしによれば、組紐は月逐い祭が終わるまでに意中の相手へ贈らなければならない。タイムリミットが迫る今、どうしてわざわざ自分のもとへ——青年の疑念をよそに、当の旅人は焦る様子もなく佇んでいる。
「うん。今から渡すところ」
「なら、早く行った方がいい。祭りが終わってしまう前に——」

 背中を押そうとした言葉は、すっと差し出された花に遮られた。
 横たわる沈黙。朱金の双眸に困惑の色を浮かべ、鍾離は眼前の琉璃百合を見やる。
 何かの間違いか、それともからかわれているのか。様々な可能性が脳裏に浮かんでは消えるも、最終的にたどり着く結論はひとつだった。

 ——本気、なのだろうか。
 自身の認識は合っているのかと、花から相手の顔へと視線を移せば。
「受け取って、くれる?」
 微かに笑みを刷いた、それでいてこの上なく真剣な瞳が、瑠璃色の花弁の向こうからこちらを見つめていた。

 何故。問いそうになった声を呑み込み、口をつぐむ。
 彼ほどの人物ならば、もっと良い相手がいくらでもいるだろうに。

 無言で手を伸ばし、差し出された花を受け取る。そこに結んである組紐を解くか、それとも触れずに返すのか。いずれかの答えを選ばなければならない。
 返すべきだ、と鍾離は思った。摩耗に脅かされ、明日をも知れぬ身よりも、未来ある若者の方が彼には相応しい。まして、彼の欲する真実の一端を知りながら沈黙を貫く己に、その思いを受け取る資格などあろうはずもないと。
 長き生の中、訪れた数多の分岐点。「岩王帝君」は常に公正を重んじ、道理にかなう選択をしてきた。今回も同じことだ。
 微かに息を吐き、渡された花を持ち直す。期待と不安を湛える顔をまっすぐに見つめて、そちらへ向けて花を掲げ——

 組紐の端を、そっと引いた。
 ほどけて手の中に収まったそれを、驚きと喜びに見開かれる瞳の前へ差し出して。
「着けてくれるか」
 花開くように、微笑む。

 それが、「鍾離」の選んだ答えだった。
 旅人のためを思うなら断るべきだ。理性はそう言っている。だが、鍾離の「心」が、それを良しとしなかった。
 彼に想いを寄せられている、その事実がただ嬉しかった。道理や正義よりも、その感情こそを大事にしたいと思ったのだ。
 今の自分は神ではなく、人として俗世を生きている。世界にとって正しき道を選ばなければならない義務など、凡人には無いのだから。

 旅人の手によって、青年の左手首に紐が結ばれる。外灯の明かりにかざすように掲げれば、黒と紅の合間に編み込まれた金糸が微かにきらめいた。
「うん、思った通り」
 よく似合ってる、と笑う少年を見て。
 これを作ると決めて以降、彼が何かと自分に意見を求めてきたその理由を、鍾離はようやく理解した。

 左手に視線を落とせば、組紐を作っていた空の姿が脳裏によみがえってくる。
 真剣に糸を選んでいた横顔。初めての完成品に納得していない表情。他の編み方も知りたいと願った瞳の鮮烈なきらめき。ひとつひとつ、丁寧に糸を編み込む指先。
 彼をそこまで突き動かした原動力が、一体何であったのか。それを知った今、この贈り物を受け取る側となったことを誇らしく思う。

「——ありがとう、先生」
 少し照れたように笑う彼へ、こちらの台詞だと返して。
「大切にしよう」
 指先でそっと、組紐に触れる。胸を満たすあたたかな感覚に、鍾離は自然と笑みを浮かべ——そして気づいた。
 先程まで身の内に巣食っていた不可解な違和感が、いつの間にやら消え失せていることに。



 この日の往生堂は、いつにもまして静かだった。
 意図的に採光の抑えられた室内で、鍾離はひとり装飾用の生花を整える。こういった美的感覚が重視される作業について、雇用主は彼に全幅の信頼を置いているようだった。少し離れた位置から活け終えた花を一渡り眺め、これで良し、とうなずく。
 いつもここで黙々と事務仕事をしている「渡し守」も、今は所用で外出中だ。そういえば彼女に渡さねばならないな、と溜まった請求書の束に思いを巡らせていた時。

「たっだいまー! ってあれ、鍾離さんだけ?」
 ばたんと玄関の扉が開き、現れたのは黒衣の少女。およそ葬儀屋には似つかわしくない賑やかさだが、いつものことだ。青年は眉ひとつ動かさず、帰還した主を出迎える。
「ああ。皆、ちょうど出払っている」
「なるほどねー。仕事熱心でよろしい!」
 そう言いつつも、あどけない顔には若干がっかりした気配が見て取れる。彼女が期待していたであろうことを何となく察して、鍾離は身を翻した。
「茶を用意しよう」
「淹れてくれるの? ありがたいなぁ~、三十分以内でお願い!」
 さらりと付け加えられた条件に、鍾離は苦笑いする。ここに来て日が浅い頃、茶を振る舞うのに三時間かけてからというもの、往生堂の者は極力自分に茶を淹れさせぬよう立ち回っている節がある。心配するなと言い置いて、奥へと移動した。

 茶器が並ぶ卓の前に立ち、手袋を外す。茶葉の入った容器を取ろうとして、ふと自身の左手首に視線を落とした。琥珀の双眸を柔らかく細め、手袋の下から現れたそれをしばし見つめる。
「あれ? 鍾離さん、組紐なんて付けてたっけ?」
 歌を口ずさみながら寄ってきた胡桃が、横合いから青年の手元を覗き込んだ。興味津々といったその顔に、ああとうなずいて見せる。
「贈り物だ」
「へえ~。いいセンスだね」
 青年の左手に巻かれた装飾品を、感心しながら眺める少女。その深紅の瞳が、不意に何かを思いついたようにぱちりと見開かれる。
「あ。もしかして~……月逐い祭でもらったの⁉」
「さて、な」
「やっぱそうなんだ! ねえねえ、誰から? 誰からなの?」
 好奇心に目を輝かせて追及する少女に、鍾離は軽く肩をすくめて見せて。

「——秘密だ」
 一言、悪戯めかした微笑みとともに囁くのだった。

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こういう風習ありそうだな、あったらいいな、で捏造しました。

2023.07.27 公開



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