「ーーこの続きは、またの機会に」
 お決まりの台詞と共に一礼した少年へ、鍾離が拍手を贈る。その惜しみない称賛に、空は安堵と達成感のにじむ笑顔で応えた。

 鍾離の誕生日を祝うのは、これで二回目。今回は何を贈ろうか、パイモンとアイデアを出し合った結果、岩王帝君にまつわる講談を彼の前で披露することにした。
 常日頃から講談を愛聴している青年に、素人の真似事で満足してもらえるのかという懸念は、幸いにして杞憂だったようだ。

「上手くいったな! 鍾離、どうだった?」
 要所で合いの手を入れる役割を担ったパイモンが、やりきった顔で胸を張る。パフォーマンスへの感想を求める彼女に、たったひとりの見物人は笑顔でうなずいた。
「実に良いものを聴かせてもらった。礼を言うぞ」
「だってさ。へへっ、練習したかいがあったな!」
 パイモンから話を振られ、空は屏風の前を離れた。着慣れない璃月式の長衣の裾をさばきながら、青年へと歩み寄る。
「先生からしたら、もう聞き飽きてるかもしれないけど」
「いや。一流の物語は、何度聴こうと色褪せないものだ」
 まして、と鍾離は朱金の双眸を細める。
「俺のためにと、友がわざわざ語り聴かせてくれたのだからな。これほどの特別な体験は、そうそう味わえないだろう」
 心からの感謝と親愛が込められた言葉に、少年はわずかに面映ゆげな表情で金の髪を掻き上げた。

「もう着替えるのか?」
 一旦その場を離れようとした旅人に、鍾離が声をかけた。その整った面には、少々残念そうな色がにじんでいる。
「そのつもりだけど……」
 贈り物を渡した後は、共に街を散策する予定だった。当然のように着替えようとした空に対し、青年はしばし黙考する素振りを見せ。
「ーーお前が良ければ、そのままで出かけてみないか」
「え?」
 相手の顔と、自分の出で立ちとを交互に見る旅人。その幼さの残る面には「予想外」とはっきり書いてあった。
「璃月式の衣装を着る機会など、そう無いだろう? それで街を歩けば、いつもとは違う景色が見えるかもしれないぞ」
 それに、と青年は続けた。
「俺も、お前のその姿をもう少し見ていたい」
 言われた空は一瞬、驚いたように目を見開く。珍しくも返事に窮した様子で、うろうろと目線をさまよわせた後、最終的に旅の相棒を見た。
「オイラもいいと思うぞ。たまにはその国の服を着て歩くのも面白いだろ?」
 オイラにもサイズの合う服があればなあ、と嘆くパイモンに、少年はわずかに呆れた表情を浮かべた後、再び鍾離の方へと向き直った。

「……わかった」
 ふう、とひとつ息をついて、空は青年の長身を見上げた。
「誕生日だからね。そのお願い、聞いてあげる」
「感謝する」
 嬉しそうにうなずいてから、彼は一計を案じるようにふむ、と顎に手を添える。
「となれば、俺も相応の装いに替えるべきだな」
 少し待っていてくれるかと言い残し、鍾離は別室へと消えていく。流れるようなその言動に疑問を差し挟む隙もなく、旅人は所在なげにパイモンと顔を見合わせた。



「待たせたな」
 しばらく経って現れた鍾離の姿を見て、パイモンがおお、と声を上げる。
 普段のすらりと細身なシルエットとは違う、ゆったりと裾の長い衣。今の旅人と同様、璃月の伝統的な衣装に身を包んだ青年がそこにいた。

 頭の上から足の先まで、その長身をしげしげと眺め回し。
「なんか、新鮮」
 空は一言、そう口にした。
「そうだろう?」
 くくっと喉を鳴らし、目配せをして見せる鍾離。
「新鮮と感じるのは良いことだ。人生に刺激を与えてくれるからな」
 しみじみと呟かれたその台詞に、空は何かを言いかけて。
 結局、何の言葉も紡ぐことなく口を閉じた。

 パイモンと連れ立って玄関に向かおうとした旅人を、鍾離が呼び止める。
「もうひとつ、提案がある」
 そう告げて、鍾離が旅人の前に左手を差し出した。その掌中には、細かい文様が彫り込まれた蓋付きの容器が収まっている。
「それは?」
 いたずらっぽく微笑み、青年は自身のまなじりを指す。その動きにつられ、空の視線が彼の目元をなぞった。白皙の肌に映える唐紅。
「せっかくの装いだ。仕上げに紅を差してやろう」
「え、俺に?」
 楽しげな鍾離とは対照的に、困惑の表情で翡翠色の容器を見る少年。
「気が進まないか? 似合うと思うのだがな」
 しばし、迷うような沈黙があって。
 注がれる期待の眼差しに根負けした風情で、空はため息交じりに首肯した。
「じゃあ、お願い」

 椅子に腰掛けた少年の前に、鍾離が立つ。容器の蓋を開け、中に詰まった紅を薬指ですくい取った。
「少しの間、目を閉じていてくれ」
 言われるままにまぶたを閉ざした空の目元に、長身を屈めた青年の指が触れる。慣れた動きで、目尻をすいとなぞる指先。その陰で、触れていないはずの頬にも、わずかに朱が差していた。
「よし。もういいぞ」
 声に従い、目を開ける旅人。思いのほか近くにある顔に驚いたように、視線をそらして椅子から降りた。

 棚の上に置かれた鏡へと歩み寄り、のぞき込む。右、左と角度を変えながら、己が顔をしげしげ見つめるその様は、まるで知らない者を見るかのよう。
「変じゃない?」
「全然だぞ!」
 隣に寄ってきたパイモンに問えば、至って明快な答えが返ってきた。磨き込まれた鏡面が、背後に立った青年の姿を映し出す。
「ああ。よく似合っている」
 鏡の中の美貌は、そう告げて穏やかに微笑んだ。

「これで鍾離とおそろいだな!」
 パイモンの無邪気な感想に対し、二人の態度は。
 かたや照れ隠しめいて視線を逸らし、かたや上機嫌な笑みを浮かべるという、実に対照的なものだった。


「では、行こうか」
「うん」
「よーし、出発だ!」
 普段とは違う装いに身を包んだ二人と、いつも通りの一人と。
 三人は連れ立って、新たな年の訪れを待ちわびる街へと消えていった。

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2021年の公式誕生日イラストの、先生のために講談を披露する旅人の図から妄想をふくらませました。

2023.12.31 公開



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