A picture on my mind


「……絵というのは、存外難しいものなのだな」


 右手に木炭、左手に紙を張った画板を持ったカイルが唸った。
「ん? そんなに難しいか?」
「ああ。いつもお前が容易く描き上げるのを見ていたが、これほど精神力を使うものとはな。
 ……どうも、俺には向いていないようだ」
 渋い顔で彼が示した紙の上には、数時間にわたる試行錯誤の後がくっきりと残っている。その様子を見て、フォルデが笑った。
「大丈夫、筋は悪くない。俺だって描き始めたばかりの頃はそんなんだったさ」
「どうだかな」
 肩をすくめながら、カイルは半ば諦め顔で手の中の木炭を玩んだ。


 世界の命運を賭けた戦いから、そろそろ1年が過ぎようとしている。
 今は無きグラド帝国に滅ぼされたルネス王国は、王子エフラムの統治の下で復興への道を歩み始めた。周囲の国々、そして多数の者の援助により、通常なら数 年はかかる国の再興を、ルネスはたったの1年足らずで形にするまでに至っている。

 カイル、フォルデの両名も、ルネス騎士団の一員として祖国の復興に力を尽くし、多忙な日々を過ごした。
 目まぐるしい変化と矢のように過ぎ去る時間を経た後、彼らの身辺は最近になって徐々に落ち着きを取り戻しつつある。


 そんなある日に思い出したのは、戦いの最中で交わした何気ない会話。

 この戦いが終わったら、自分にも絵の描き方を教えて欲しいとカイルは言い、フォルデはそれを二つ返事で快諾した。
 それから1年余りの時が経ち――この日、ようやくその約束は実現に至ったのだ。


「……まあ、そんなに難しく考えるなって。
 戦場じゃないんだ、上手くやろうなんて考えないで、好きなように気楽にやればいいのさ」
「相変わらず能天気だな。確かに気分転換の一環として始めたことだが……やるからには真剣に取り組むべきだ」
 至極真面目な顔でそう言ってのけたカイルに、フォルデはあくびを噛み殺しながら肩をすくめる。
「相変わらずお堅いことで……さっきは、自分には向いてないとか言ってた気がするけどな」
「……」

 カイルは無言で画板から絵の残骸をむしり取ると、不機嫌な手つきで紙を張り替えて目の前のイーゼルに立てかけた。昔、絵を描くことが好きな兄のために、 器用なフランツが自作して贈ったのだというそれと向かい合い、改めて木炭を握り直す。
「頑張るねぇ。さすがは天性の負けず嫌い」
「うるさい」
 眉間にくっきりと縦皺を刻み、カイルはぶっきらぼうに言って真新しい紙面を睨みつけた。
 そんな相棒に吹き出しそうになるのを辛うじて抑えつつ、フォルデは窓の外を見ながら大きく身体を伸ばした。

 しばしの間、固まってしまった筋肉をほぐした後に振り返ると、カイルが紙に向かって静かに手を動かしているのが見えた。
 窓枠にもたれ、フォルデは親友の姿を眺める。
 その横顔は真剣そのもので、真っ直ぐに紙面を見据える視線はさながら戦場で敵に相対している時のように鋭く、厳しかった。


 こうして静かに親友の姿を見つめるたび、彼に浅からぬ執着を抱いている自分が居ることに、フォルデは気づかざるを得なかった。

 自分に無いものだからこそ、美しいと思う。
 自身と正反対であればあるほど、魅力的に映る。

 それは芸術の持つ美しさに似ている、とフォルデは思った。
 逞しき英雄を写し取った写実的な彫像の、力強く潔い美。
 不器用で飾らず、ただ自然のままに在ることによって、それは見る者に感銘を与える。

 ぎこちない仕草で絵を描く、骨ばった武骨な指先。
 睨むように白いカンバスを見据える、鋭い緑柱の双眸。
 そこには花のような繊細さも無ければ、宝石のような華やぎも無い。
 それでも、その無骨で真っ直ぐな姿を、フォルデは何よりも美しいと感じた。

 横顔に注がれる視線にも気づくことなく、カイルは一心に絵を描き続けている。
 フォルデは無言で自分のカンバスを取り上げると、静かに紙面へ木炭を滑らせ始めた。


 紙の上を木炭が滑る音だけが、しばし室内を支配する。
 フォルデが右手の動きを止めたとほぼ同時に、カイルも紙から視線を外して伸びをした。
「ふう、先程よりはマシに出来たか。
 ……フォルデ、お前は何を描いていたのだ?」
 そう問われ、フォルデは唇を吊り上げて笑った。
「それは秘密、ってことで」
「何だそれは。珍しく失敗でもしたか?」
「さあ、どうだろうな」
 怪訝そうな親友の視線を曖昧にかわし、フォルデはカンバスを小脇に抱えて席を立つ。


「――他人に見せるほどの出来じゃない。描きたいから描いた、ただそれだけの絵さ」

 このスケッチは、誰にも見せるつもりはなかった。
 もちろん、そのモデルとなった当人にも。


 母を喪って以来取らずにきた、生きた人を描くための絵筆。
 それを再び取らせたのは――誰よりも近しい親友の、ただ真っ直ぐに前を見つめる横顔だった。




フォルデ×カイルの支援A会話が好きなんです。



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