1

「丹恒、いる~?」
 資料室の扉が開くと同時に、能天気な声が部屋中に響いた。その乱入を事前に察知していた青年は、わずかに眉を寄せながらため息をつく。
「三月……」
 何度目かの苦言を呈したところで、おそらくこの少女は次もノックなしで突入してくるに違いない。もはや諦め半分で、何の用だと先を促す。

「ほら見て見て、穹が動画に出てる!」
 スマートフォンを突き出しながら、見つけた宝物を自慢する子供のような表情で胸を張る少女。何故お前が得意げなんだ、と思いつつも指摘はせず、丹恒は画面に視線を落とした。
 映っているのは、ネットワーク上にアップロードされた動画のようだった。燃えるような赤毛を結い上げた少女が、カメラに向けてやや大仰な仕草で喋っている。その後ろに見切れている灰色の髪の人物は、確かに自分たちと共に旅をしている青年に間違いなかった。

「この女の子、羅浮で大道芸とかやってるインフルエンサーなんだって。その子と一緒に動画を配信してるらしいよ」
 なのかの言葉を受け、丹恒はわずかに眉を寄せた。
「……何のためにそんなことを?」
「ウチも詳しいことはわかんないけど、なんか……『怪異退治隊』? の活動? みたいな?」
 疑問符の多すぎる説明から得られたのは、三月も詳細を知らないという情報だけだった。彼女から事情を聞くのは早々に諦め、青年は動画に視線を戻す。

「もー、こんな楽しそうなことやってるなら、ウチらも呼んでくれたらいいのに。
 リンク送るから、丹恒も見てみなよ!」
 必要ない、の一言を差し挟む間もなく、懐からメッセージ着信を知らせる電子音が鳴る。話したいだけ話して嵐のように去る後ろ姿を見送って、丹恒はため息交じりに自身のスマートフォンを取り出した。
 今しがた送られてきたばかりのメッセージを見つめ、小さく首を振る。普段ならそのまま放っておくところだが——今回は、わずかながら興味が湧いた。

 最小限の動きで端末を操作し、中空にディスプレイを出現させる。そこに表示されたウェブサイトには「羅浮雑俎」とあった。ざっと全体を眺めてみて、どうやら怪談や出所の怪しい噂などをシェアする場のようだ、と丹恒は推測した。
 先程三月が見せてきた動画の投稿者は「けいちゃんGuinevere」というらしい——おそらくは、画面の手前に映っていた少女の名か。
 流し見ていて気づいたが、この投稿者の動画には、穹の他にもうひとり見知った顔がいた。仲間を追って羅浮に潜入した際、しばし行動を共にした雲騎軍の剣士だ。名は素裳と言ったか。
 そう言えば、と青年は思い返す。少し前に、彼女と協力して金人港の復興計画を手伝ったと穹から聞いた。今回の件も、顔見知りがいたから首を突っ込んだのかもしれない。人の好い彼ならありそうな話だ、などと考えつつ、端末に指を滑らせる。


 ——ふと、ある動画が目に留まった。
 他の動画と比べて尺の短いそれは、記念配信と銘打ってある。何となく気になって、一瞬ためらった後に再生ボタンを押した。

『ハロー、みんな見えてる? いつも応援してくれてありがとう!』
 画面に現れた紅毛の少女が、明るい笑顔で手を振る。彼女の説明によれば、自身のコミュニティに登録した視聴者が一定数に達したことを記念して、寄せられた質問に回答するという企画を考えたらしい。
 こういったインフルエンサー界隈では、この登録者数というものが評価軸のひとつになる、とは聞いたことがあった。彼女たちのような芸人にとっては、こういった配信も労働の一環というわけだ。
 自分には縁遠い世界だと思いながら、動画を止めようと指を走らせた瞬間。

『最近、けいちゃんと背の高い灰色の髪のイケメンが一緒に映っているのをよく見ます。このイケメンに恋人はいますか?』

 停止ボタンを押そうとした手が止まった。
 カメラが切り替わり、少女に代わって別の人物が映し出される。わずかに困ったような微笑みを浮かべるその顔を、彼はよく知っていた。

『それじゃ本人に訊いてみよう! ほら、みんなに答えてあげて』
 丹恒が見つめる中、画面の向こう側の青年が苦笑交じりに口を開く。

『いないよ』
『へえ、ホントかな~?』
『ほんとほんと』

 無難な回答を選んだな——冗談めかしたやり取りを聞きながら、丹恒はそう思った。
 彼の普段の行いからして、真っ正直に「いる」と言い放つのではないかと一瞬危惧したが、杞憂に終わったようだ。
 丹恒にしてみれば、事実を言わなかった彼の判断はありがたいものだった。誰が見ているかもわからない配信で、恋人がいるなどと言ってしまえば、相手が誰か探ろうとする輩が出ないとも限らない。十中八九、まずは三月が彼を質問攻めにすることだろう。誤魔化してくれて助かった、と丹恒は心の底から思った。

 動画を最後まで見たものの、結局彼が何に巻き込まれているのかはわからないままだった。
 とはいえ急ぐことでもなし、本人が列車に戻ってきた時にでも訊けばいいだろう。そう結論づけて、丹恒は中断していたアーカイブの整理作業へと戻ることにした。


 2

 翌日。

 アーカイブ項目を分類する作業に集中していた青年の耳に、コツコツと扉を叩く音が届く。
「丹恒、いるか?」
 昨日も同じことがあったな——入室前のノックの有無という決定的な差異はあるが——と、丹恒は既視感を覚えた。
 返事をして数秒後、資料室の扉が開く。現れた人物は丹恒の姿を認めると、人懐こい笑顔で右手を挙げてみせた。

「羅浮に行ってきた」
 ほら、と差し出された物を反射的に受け取る。乳白色の液体を満たしたガラス瓶から、手のひらに熱が伝わってきた。
「この前のお返しだ」
「気にするなと言ったのに」
 穹は事もなげに笑って、自身の分の瓶を開けた。礼を述べてから、丹恒も渡された熱浮羊乳に口をつける。ほのかな甘みと温かさで、蓄積した頭の疲労がいくらか和らいだ気がする。冷めないよう帰る直前に買ってきたのだろうと想像がついて、その心遣いを嬉しく思った。

「三月から聞いたが、また何かに首を突っ込んでいるようだな」
 そう水を向けると、彼は苦笑いしながら頭を掻いた。
「まあ、な。ちょっと厄介な事が起こってて……乗りかかった船ってことで手伝ってるんだ」
「なるほど。動画に出るのも、その厄介事とやらを解決するための一環か」
 何気なくそう言った瞬間、穹の顔色が変わった。

「もしかして……観たのか⁉」
「ああ」
「全部?」
「いや、一部だけだ。何かの記念と書かれていた——」
 言い終える前に、物凄い勢いで両肩を掴まれた。何事かと見張った目に、必死の形相を浮かべた穹の姿が映る。

「ちがっ……あれは違うからな‼」
「……何の話だ?」
 話が見えない。彼は何を焦っている?
 面食らう丹恒をよそに、青年はさらに言い募る。
「正直に答えたら、お前に迷惑がかかるかもって……隠したいとか、知られるのが嫌とかじゃないんだ!」
 肩を掴む力がさらに強くなり、丹恒はわずかに眉をひそめる。それに気づいたのか、相手は我に返った様子で慌てて両手を離した。

「わ、悪い」
「いや……」
 謝罪に首を振りながら、丹恒は彼の言わんとするところを理解しようと試みる。
「あれは、見ない方が良いものだったか?」
「えーっと、そういうわけじゃない……こともない、けど……」
 いまいち歯切れ悪く口ごもる様子は、この青年にしては珍しい。そんなに言いづらい内容なのか、と丹恒は疑問に満ちた視線を向ける。
「お前が見た動画って、あれだろ? 恋人いるかって質問のやつ」
「ああ」
 肯定すると、青年は天井を振り仰いでしばらく唸った後、意を決したように向き直って。

「気悪くしたよな……ごめん!」
 勢いよく頭を下げられ、丹恒はあっけに取られてしまう。
「……何故、謝る?」
 先程から、わけのわからない話ばかりだ。青碧の瞳を困惑に染め、相手のつむじを見つめる。
 気を悪くした——誰が。自分が?

「だって、嫌だっただろ?
 付き合ってる相手が『恋人いません』なんて言ってて」
 そろりと顔を上げた穹の言葉で、ようやく話が少し見えてきた。頭の中で推論を組み立てながら、つまり、と問いかける。
「事実と違うことを言ったから、俺が気を悪くしたと思ったのか?」
 首肯する青年を見ながら、一般的にはそう感じるものなのだろうか、と丹恒は他人事のように考えた。
 これまでの人生で過ごしてきた環境を思えば、おそらく自分の感覚は世間で言う「普通」の範疇には無いだろう。そもそも彼に想いを告げられるまで、色恋などというものは自身に一切縁がないと思っていたのだから。

「俺は気にしていない。お前の対応は妥当だったと思う」
 むしろ伏せてくれたことに感謝こそすれ、非難するいわれなどなかった。もしあの場で穹が正直に答えていたら、きっと面倒なことになっていただろう。
 そう述べた丹恒を、青年はしばらくじっと見つめていたが、嘘は言っていないと察したのか大きく息をついた。

「まあ、お前ならそう言うだろうとは思ってたけどさ……」
「わかっていたなら、心配する必要などなかっただろう」
 またしても話が見えなくなり、丹恒は訝しげに眉を寄せる。こちらが気にしていないと思っていながら、何故謝ったのか。
 その疑問に対し、穹は上手く言えないんだけど、と前置きしてから答える。

「もしお前が、『自分と付き合ってるなんて言えなくて当然』みたいなこと思ってたら嫌だなって」
「……」
 言葉に詰まったのは、ほんの一瞬。
 にも関わらず、穹はそれを見逃していなかったようで。

「……思ったんだな?」
 半眼で詰め寄られ、丹恒は無言のままわずかに視線をそらした。ほぼ肯定と同義の沈黙に、青年がはあ、とため息をつく。
「お前さ、自己評価が低いにも程があるだろ」
 そんな風に考えるかもしれないから、見てほしくなかったんだ。
 そう言って肩をすくめる穹から目線を外したまま、丹恒はぼそりと呟いた。
「……事実だからな」

 本音を言えば、どうして穹がわざわざ自分などを選ぶのか、未だに理解できない。
 彼に似合いの相手なら、他にいくらでもいるはずだ。人目を忍べとも言わず、周囲から眉をひそめられることもなく、堂々と連れ歩ける恋人。この青年の隣に在るなら、そんな人物こそがふさわしいと思う。
 翻って自分は——と考えれば、自ずとそういう評価に至るのも当然ではないか。

「逆に訊くが、胸を張って周囲に触れ回れる相手だと思うか?」
「思ってるぞ?」
 出来ないわけないだろ? と言わんばかりの顔で即答された。返す言葉を失う丹恒をよそに、彼は拳を固めながら熱弁する。
「むしろあそこで堂々と言いたかった! 『俺は丹恒と付き合ってる』って!」
「……それは絶対にやめてくれ」
 訊いた自分が悪かった、と自省する。わかっていたはずだ——こちらが止めなければ、こいつはそれくらい躊躇なくやる男だと。
 ええー、とあからさまに残念そうな様子に、今後もするなと念入りに釘を刺す。
「まあ、お前が嫌って言うならしないけど」
 渋々といった体で同意した穹が、すっと表情を引き締めた。

「だったら、せめてお前自身は信じてくれ」
 こちらをまっすぐ見つめる整った面に、自然と視線を奪われる。普段の気楽な雰囲気の彼とは、まるで別人のような。
 この顔を知っている、と丹恒は思った。過去に一度、見たことがある。決意と不安をその目に宿し、自身に想いを伝えてきたあの時と、同じ。

「ずっと言ってるだろ。俺が好きなのは丹恒、お前だって。
 他の誰かじゃ駄目なんだ」
 俺に自分がふさわしくない、なんて考えるな——そう訴える薄金の瞳はいつになく真剣で、言葉よりも雄弁に彼の本心を伝えてくる。
 丹恒はしばらく押し黙った後、深々と息を吐いて首を振った。

「……つくづく物好きだな、お前も」
「褒めてくれてありがとう」
「褒めてはいない」

 素っ気なく返すも、彼は真面目な顔から一転、いつも通り嬉しそうに笑う。
 本当に変わった奴だ——そんな恋人を呆れ半分に見ながら、丹恒は夏の日射しを見上げるように、翡翠の瞳を眩しげに細めた。

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怪異退治イベントより。
例の記念配信を見た丹恒がどんな反応をするか妄想せずにはいられなかった。

2024.04.19 公開




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