ハッピー・バースデイ



 それは、この男の唐突な一言から始まった。


「なあ、贈り物で貰って嬉しいものって何だと思う?」

「……は?」
 ケントは思わず、心底訝しげな声を発していた。
 先ほどから考え込んでいたかと思えば、一体いきなり何を言い出すのかこいつは。
 思い切り不審な顔で振り返れば、そこには存外真剣な顔で頬杖をつく親友――セインの姿があった。

「食べ物は後に残らないし、服とかだとサイズ違ったりしたら無駄だし……
 うーん、こーいうのって結構悩むもんだなぁ。なあケント、そう思わないか?」
 何やら一人でぶつぶつ呟いていたかと思えば、突然話をこちらに振ってきた。
 そのマイペースな会話運びを何とかしろ、と内心舌打ちしつつも、律儀にケントは返事をする。

「品の問題ではないと思うが。気持ちが込められているのなら、それだけで価値があるだろう」
「はぁ、さっすが。朴念仁のお前らしい答えだねぇ」
 呆れを含んだからかいの台詞に、ケントが不機嫌に眉を寄せた。
「……どういう意味だ」
 問い返すと、セインはぴっと人差し指を顔の前に立てて見せた。この男が自分流の演説をぶる時の癖だ。

「気持ちは大事だけど、それでALLオッケーってワケじゃないってこと。例えばお前、真心込もってたとしても、蠢き叫ぶサボテンの鉢植えとか贈られて嬉しいか?」
「……何だ、その面妖な例えは……」
 頭を抱えるケント。
 そんな代物が存在するなら、ある意味お目にかかりたいというものだ。

「まあそれについての追求は無しだ。要するに、どうせ贈るなら相手に相応しいか、喜んでもらえるかどうかってのを、よく考えて選んだ方がいいだろって話」
「確かに、それはそうだが……」
 頷いてから、ケントは親友の発言の意図について考えを巡らせてみる。


「……また、目当ての女性に贈り物でもするつもりか?」
 会話の脈絡から想像するだに、何をどう考えてもそれしか思い浮かばない。

「んー? ん、まぁ、そんなトコかなぁ……」
 曖昧な返事をする相棒に、ケントの眉間の皺は心もち深くなる。こと女性に対する相方の節操の無さを、生真面目で潔癖な彼は日頃から快く思っていない。
 しかも最近は、以前にも増して相棒の軽薄な行動が気に障るようになってきた。親友が女性に気安く話しかけているのを見るにつけ、神経を内側から掻き毟られるような、感情に直接手を突っ込まれてかき回されるような――とにかく、無性に苛立って仕方が無い。
 今だって、自分がその手の方面に疎いことを知っているくせに――平然と、色恋の相談を持ちかけてくる。


 正直……何なのだ、と思う。
 私はお前の親では無いんだぞ。お前が誰とどんな付き合いをしようが、私には関係の無い話だ。


「そんなことはわざわざ私に訊かずとも、お前の方がよほど詳しいだろう」
 台詞の端々にまぶされた棘に気づいたのか否か、セインは軽く肩をすくめて見せる。
「まぁ、そりゃそうかも知んないけどさ。一応、参考意見ってやつ」
「私は、そういったことはいまいち解らないんだ。……お前ほど器用に節操無しにはなれないからな」
「……褒めるかけなすか、どっちかにしろって」
 あからさまな皮肉に、さすがのセインも今度は憮然とした表情になる。

 そんな友人をよそに、ケントは手入れを終えた剣を足元に立て掛けてから、足首から脛にかけてを保護する脚甲を外すために身を屈めた。
「装飾品などにすればいいのではないか?」
 椅子に座り背を折った状態でのくぐもった声に、セインはうーんと首を捻る。
「それも考えたんだけど……そーいうの貰って喜ぶタイプでも無いんだよねぇ、その相手がさ」
「なら、無難に花か」
「……なるほどねぇ」
 女性への贈り物と言えば花――この青年の恋愛常識は、同じ年代の男性と比べて稚拙と言ってもいいほどに前時代的だ。そのあたりからも、色恋沙汰に不慣れな親友の純朴さが窺えた。
 セインは身を屈めている青年に気づかれぬよう、喉の奥でくくっと笑う。

「まぁ確かに、花を貰って喜ばない女性はいないって言うけどね」
 言いながらセインは頭の後ろで手を組み、椅子の背にもたれかかった。


「――喜んでくれるかな、あいつ」


 独り言のように呟かれたその言葉を、ケントは聞かなかった振りをした。

 無性に苛立つ……なのに、その原因が何なのかは解らない。
 ただこれ以上、彼の恋愛相談に乗っていたくはなかった。





「ケーントっ」
 早朝、ケントはいつものように厩で愛馬の世話をしていた。その背に、能天気な声とともにどさりと荷重が掛かる。
「……セイン。邪魔だ、離れろ」
 いくら鍛錬を積んでいる身でも、同じくらいの背格好の青年――しかも鎧つき――に圧し掛かられればかなり重い。ケントは邪険に手を振って、首に腕を回ししがみついてきた親友を追い払おうとした。

「ちぇ、冷たいなァケント君てば。ほんの軽い愛情表現じゃないですかァ」
 相変わらずの茶化したような物言いに、ケントは少なからぬ苛立ちを覚える。
 愛情表現? する相手を間違っているんじゃないのか。

「ふざけるのも大概にしておけ。大体貴様は……!」
「はいはい、朝からそんなに目くじら立てて怒らないの。そんなことより、ほら」
 肩に回った手が鼻先に差し出したものを、ケントは反射的に受け取っていた。
 視界で揺れる、鮮やかな色彩。

「……何だ、これは」
 手の中の物体をしげしげと眺めてから、心からの疑問符を込めて呟く。あまりにもこの場に……と言うか、自分たちに不似合いな代物の登場に、怒りも引っ込んでしまっていた。
「見りゃ解るでしょ。花だよ、花」
「そんなことは解っている。訊きたいのはそういうことでなく……」
 何故、これを私に渡すのだ?

 言葉にされなかった疑問に、言葉で答えが返ってくる。
「やるよ、お前に」
「何故」
「誕生日だろ、今日」


 ――誕生日?


 沈思黙考することしばし。やがてケントがぼそりと呟いた。
「……そう言えば、そうだったな」
 冗談にしてはあまりにも真面目なその言葉に、思わずがくっと肩の上に突っ伏すセイン。
「おまっ……自分の誕生日くらい覚えとけよな!」
「忙しくて忘れていたんだ。別に気にするほどのことでも無いわけだし……」
「いや、気にしろって。誕生日は」
 打てば響くといったタイミングで突っ込んでから、セインはふう、と息をついた。

「プレゼントの話とかしても、全然反応する様子が無いから、もしかしてとは思ってたけど……。
 本っ気で当日、言われるまで気づかないとは思わなかったよ」
 その台詞に、ケントは何か言い返そうとして――ふとその内容に引っかかりを覚えた。
「プレゼントの、話……?」


 記憶に引っかかったのは、他愛ないある日の世間話。


「――まさか」
 あの時の『贈り物をする相手』というのは。

「お前だよ、お前。
 まあ実際、贈るものはいろいろ考えてたわけだけども……結局、戦前で準備に追われて買いに出る暇無くってさ」
 その言葉を聞きながら、ケントはじっと手の中の花を凝視していた。
 蝶の羽にも似た、鮮やかな紫色の花弁。
 おおよそ自分には似つかわしくないであろうその花は、だが紛れもなく自分だけのために用意されたもので。


「これくらいしか用意できなくて、悪いけど。
 ――誕生日おめでとう、ケント」


 自分でさえ忘れていた、誕生日。
 そのために、セインは――あんな風に考え込んでいたというのだろうか。



「――私に、花など」
 似合うわけがないだろうに。

 成人した男で騎士の自分が、花なんて贈られるような柄で無いことは解っている。
 それでも――自分の生まれた日を覚えていてくれた上、それを祝うために心を砕いてくれたこと――それ自体が、ケントにとっては嬉しいことだった。
 例え、貰ったものが一輪の花だけであったとしても――それが現実には、何の役にも立たないものだったとしても。

「――見慣れない種類だな」
 紫の花弁に指で触れ、ぽつりと呟いた疑問。実際、今まで目にしたどの花とも、その形状は似ていない。
「何という花だ?」
「クレマチス」
 耳元で花の名を囁く、甘い声が耳に心地良い。

 何となく面映くて、花を見る風を装い目を伏せる。
 思えば、一緒にいるのが当たり前になっていたせいか、この青年との間で何かを贈り合ったりしたことはほとんど無かった。
 ありがとう、と小さく呟くと、照れたような笑い声とともにするりと腕が離れていった。


「しかし、どうしてまた急に誕生日祝いなど――」
 言いながら振り向けば、問いかけられてどこか困ったような笑顔を浮かべるセインの姿。

「花の名前は知らねども 汝が心は伝わらん――ってね」

 独り言のようにセインが呟く。ケントもよく知っている、キアランに古くから伝わる歌の一節だ。
「何?」
「いや、何でもない。
 ほら、お前にはいつも世話ばっかかけてるから。たまにはいいかなって思っただけだよ」
 どことなく取ってつけたような言い方と、先刻呟いた言葉が引っかかり、ケントは追及しようと口を開く。だが、その時には既にセインは彼に背を向けていた。
「ま、そゆことで。じゃまた後でな」

 肩越しにひらひらと手を振って去っていった親友を見送って、ケントは発しかけた疑問を喉の奥に飲み込んだ。
 釈然としなかった表情も、手の中に残された花を見るうちに、小さな微笑みへと変わっていく。

 飾り気の無い紐で束ねられた茎の根元を摘み、くるりと回して目の前に翳す。
 その時初めて、二つの花の陰に隠れるように、別の種類の花が一輪添えられていることに気付いた。

 そっと引き抜いてみると、それはクレマチスよりも幾分小さな白い花だった。その花弁は、どこか蝶が羽を広げている姿を思わせる。
「この花の名前は、訊けなかったな」
 また今度、誰か詳しそうな者に訊いてみればいいだろうと独りごちて、ケントは傍らで草を食んでいる愛馬の手綱の根元に、その二種類の花を丁寧に結びつけた。





 その花の名前を聞いたのは、それから数週間後のことだった。
 クレマチスの陰に隠れるようにして咲いていた、あの純白の花はファレノプシスという。

 そして――それに託された意味も、同時に知ったのだ。


 クレマチスの花言葉は、『高潔なる精神』。

 そして、ファレノプシスの花言葉は――



『貴方を愛しています』


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