天邪鬼な交差線の行方


「ありがとうございました、マルス様。おかげで助かりましたわぁ」
「いえ、こちらこそ。良い気分転換になりました」

 厨房を出てすぐの廊下で、和やかに微笑みながら会話を交わしているのは、おおよそこの場所には似つかわしくない高貴な佇まいの男女。
 砂糖菓子の香りが漂う中、それと同じくらい甘い雰囲気をまとった金髪の女性が、手にしていた小さなバスケットを差し出す。
「よろしかったら、こちらも召し上がってくださいな。
 ご自分でお作りになったものの方が、きっと美味しいとは思いますけれど、ほんのお礼ですわ」
「そんなことはありません。ピーチ姫手作りのお菓子はいつだって絶品ですから。遠慮なく頂きますね」
 マルスは笑顔で差し出されたバスケットを受け取り、軽く頭を下げた。


 事の発端は、単なる偶然だった。

 マルスがたまたま食堂に立ち寄ったところ、厨房に居たピーチ姫から、料理に必要な素材を運びたいが一部重い物があり、男手が必要なので手伝ってもらえないかと頼まれたのだ。
 そしてその流れで、良かったら菓子作りを一緒にやってみないかと誘われ――前々から、ティータイムに出される彼女お手製の菓子が如何にして生み出されるのか、その工程に興味を持っていたマルスは、その申し出に乗ることにしたのだった。


「――でも、マルス様は筋がよろしくて驚きましたわぁ。
 少し練習すれば、きっと美味しい料理が作れるようになりましてよ?」
 ふわふわとした笑顔で、ピーチ姫が賞賛の言葉を述べる。天真爛漫で裏表の無い彼女だから、それはお世辞ではなく真実なのだろう。マルスは面映ゆい気分で苦笑した。
「いえ、そんな……料理は難しいものなんですね。
 見よう見まねでやってはみましたが、姫に手伝ってもらって、ようやくこのレベルですから」
 言いながら、青年は最初から手にしていた方のバスケットを示してみせる。その中には、いささか不格好な形のパウンドケーキと、少々焼きすぎた感が漂う色のクッキーが詰めてあった。

「うふふ、最初からそれだけ出来れば凄いことですわ。自信をお持ちになって」
「ありがとうございます。
 ……でも、調子に乗って少し作り過ぎてしまいましたね」

 ケーキの方はともかく、バスケット一杯のクッキーとなると、さすがに自分一人で片づけるのは骨が折れる。
 かと言って、こんな不格好な代物をティータイムのお茶請けとして振る舞うわけにもいかない。
 こっそり子供組にでも分けてあげるかな……などと、マルスが思案を巡らせていると。

「どなたかとご一緒に召し上がればよろしいのに。
 ――そう、アイク様とか」

 悪気のカケラも無さそうな彼女の唇から突然出た名前に、マルスは危うく笑顔を消しそうになり、顔面の筋肉を総動員して取り繕う。
「……どうして、そこで彼の名前が出てくるんです?」
 その声に込められた複雑な感情を知ってか知らずか、ピーチ姫はにこにこと答える。
「だって。
 お二人は、とても仲がよろしいように見えますから」
「…………はい?」
 笑顔を保つことも忘れてぽかんとした青年に、ピーチ姫は小首を傾げた。
「あら、違うのですか?」
「……違いますよ。
 彼とは同じ剣士同士、何かと行動を共にする機会はありますが……個人としては、特に仲が良いわけではありませんから」
 むしろ、顔を合わせれば皮肉の応酬をする仲だ、とマルスは内心で独りごちた。
 ……そうなるのはほぼ自分が一方的に突っかかっていくのが原因だという事実には、とりあえず目を向けないでおく。

 そんな青年を、ピーチ姫は大きなサファイアの瞳でじっと見つめていたが、不意に小首を傾げて問う。
「――マルス様は、アイク様のことがお嫌い?」
「嫌い、と言うか……」

 マルスが言い淀む。
 こちらの目をじっと覗き込んでいる青の双眸は、まるで彼の内心を全て見透かしているかのようだった。

「私から見ると、お二方はとても仲がよろしいと思いますわ。そう、羨ましいほどに」
「……そうでしょうか?」
「ええ」
「そうは言われますが、一体どの辺りがそう見えるのでしょう?
 彼とは顔を合わせれば口喧嘩ばかりで、仲が良いとは到底思えませんが」
「あら、笑顔で会話しているばかりが親しさの表現ではありませんよ?
 ――それに」
 桜色の可憐な唇が、どこか謎めいた微笑みを浮かべる。
「お二人とも、さほどお付き合いの無い相手と口喧嘩をなさるような方ではないでしょう?」
「――!」

 息を呑み、マルスは思わず相手の顔を見つめる。
 その美しい顔は、普段通り天真爛漫で裏表のないお姫様そのもので。
 にっこり微笑んだその表情からは、彼女が何を考え、どこまで知っていて先の発言をしたのか、全く読めなかった。

(……少し、この人を甘く見ていたかも知れないな)

 良くも悪くも、浮き世離れしたお姫様だと思っていた。
 今まで彼女を低く見たり侮っていたわけでは決してないが、それでもこの人は自分が考えるより、遙かに頭脳も洞察力も優れているのかも知れない、とマルスは思った。
 もちろん、何も考えていない天然という可能性も無いではないが――それでも、決して甘く見て良い相手ではない。
 何せ、今までの会話で彼女が言ったことは、全て核心に近い部分を突いているのだから。


「――アイク様に差し上げれば、きっと喜ばれると思いますよ」
 にこにこと悪気の片鱗も見えない笑顔のまま、ピーチ姫が言う。
「……彼は、甘いものはそこまで好きではなかったと思いますけど」
 例え好物だったとしても、自分から貰ったところで彼が喜ぶはずも無いだろうし、とマルスはどこか苦々しい気分で思う。
 もっとも、せっかく姫が良かれと思って提案してくれていることを無碍に否定し続けるのも気が引けるので、いつもの優等生らしい笑顔でお茶を濁すことにした。
「まあ、彼に会ったら訊いてみますね。
 気を遣ってくださってありがとうございます」
「うふふ、がんばってらしてね〜」
 ……何を頑張れというのかと内心疑問に思いつつも、ひらひらと優雅に手を振るピーチに見送られながら、マルスはその場を後にした。





 一旦自室に戻ったマルスは、ベッドに腰を下ろしてひとつ息をついた。
 軽く頭を振り、膝の上にあるバスケットを見下ろす。


 先程ピーチ姫に言われた時は、別に仲良くもない彼にこれを分けてやるいわれは無い、と思ったのだが。

 思い出してしまった。
 ――自分が彼に厚意を示さねばならない理由が、ひとつだけあることに。


 というのも、マルスは先日、彼に対して借りを作ってしまっている。
 あれは食事当番に当たっていた日のこと、とあるアクシデントにより大量の食材を一人で運ばねばならない事態に陥った。その際、通りかかったアイクが手を貸してきたのだ。

 自分から頼んだわけではなかったが――むしろ断ろうとしたのだが――、手伝ってもらったという事実に変わりはなく、しかもその行為に対して、自分は彼に礼を述べていない。
 いくら気に入らない相手とは言え、礼を言うべき事柄に対して無言を通すなどという非礼な真似は、王族として厳しく育てられたマルスにはどうしても出来なかった。
 それに、借りを作ったままでいるような気分で、自分としても居心地が悪い。


 ひとつ溜息をついて、マルスはバスケットの中のクッキーを一枚つまみ上げ、ぱきっと半分に割る。
 その一方を口に入れると、微かな苦味を含んだ甘さが、ゆっくりと舌に広がった。

 少々焼き過ぎた感はあるものの、味はまあ普通。
 人にあげたところで、顔をしかめられるような代物では無いだろう。

 礼だけ言って何も渡さないという選択肢もあるはずなのに――そして、それを選ぶのが一番簡単なはずなのに。
 既に彼にあげることを前提として考えている自分自身に、マルスはあえて気づかない振りをした。





「…………」

 廊下の奥まった一郭で、マルスはじっと目の前の扉を睨んでいた。
 その手には、先程持っていたものより幾分小さめのバスケットがある。


 散々悩みはしたものの、結局はここまで来てしまった。

 この扉の向こうは、目当ての人物の部屋。
 ドアをノックして、出てきた相手にあの時の礼を述べて、このバスケットを渡して、それで終わり――実に簡単な話だ。

 それなのに。
 目の前のドアを叩くという最初の動作が、どうしても出ない。


(やっぱり、姫に貰った方を渡すべきかな……)

 形は少々不格好ではあるものの、姫に手伝ってもらったおかげもあり、味は人にあげても全く問題ないレベルだった。
 しかし、男――まして自分が作った菓子など貰ったところで、相手は別段喜ぶまい。
 それならば、料理の上手さにも定評のあるピーチ姫の手作りの方が、彼も嬉しいのではないだろうか?
 ――と、ここまで考えて、マルスははたと我に返る。

(……別に、喜んでほしいわけじゃないけどね)

 マルスとしてはただ筋を通したいだけであって、相手を喜ばせるために贈り物をするわけではない。
 これはあくまで「手伝ってくれたことに対する感謝の品」であって、それ以上でも以下でもないのだ。

 しかしそれならそれで、やはり手製の菓子というのはおかしいのではないか……という思いがますます募ってくるわけで。

 やっぱり別の物を考えよう、とマルスが決めた時。



「……人の部屋の前で何をしている」

 横合いから突然響いたその声に、身体が強張る。
 反射的に振り向けば、そこにはいつの間に来ていたのか、目の前の部屋の主たる青年が立っていた。

「あ、アイク……」
 半ば無意識にその名を呼ぶと、彼は微かに首を傾げてマルスを見た。
「……あんたが俺の部屋を訪ねてくるなんて、珍しいな。何か用か?」
「よ、用事ってほどでも無いんだけど――」

 自分は何故、これほどに動揺しているのだろうか。
 全く心の準備が出来ていない状態で不意打ちを受け、用意していた段取りなどあっさり忘却の彼方だ。

「……っ、その……」
「……?」

 何度も口を開いては閉じる、を繰り返す青年を前に、アイクは怪訝そうな表情を浮かべつつも黙ってその言葉を待っている。

 嫌味や皮肉なら、驚くほどすらすらと口を突いて出てくるのに。
 素直な気持ちを口にするのは、どうしてこんなにも難しいのだろう?




(――ああ、もう!)


 大体この青年のために、どうして自分がこんな思いをしなければならないのか。
 一向に進展しない状況に、次第にマルスの内で苛立ちが募ってくる。

 まるで図ったかのようなタイミングで現れ、不意を突いてくれた彼が。
 そんな状況を作り出してくれた偶然が。
 ――何より、まともに言葉が出せないほどうろたえている自分自身が。


 何もかもが苛立たしくて、面倒になってきて。

 王族として叩き込まれた礼節などどこへやら。
 マルスは半ば放り投げるかのように、ついと手に持ったバスケットをアイクへと突き出していた。

「はい、これ」
「……何だ?」
 さすがに面食らった様子の青年に、マルスはつんと顎を上げ、出来る限り素っ気なく聞こえるように告げる。
「余ったからあげるよ。
 自分じゃ処分しきれないから、片づけてくれる人を探してたんだ」
 なかなか手を出そうとしない相手に焦れたように、バスケットが上下に揺れた。
「君なら味にはこだわらなさそうだし、何を食べても平気だろうからね」
「……人を残り物処理係みたいに言うな」
 相変わらずなマルスの物言いに呆れながら、それでも青年は差し出されたバスケットを受け取った。

 それを見届けたか否かくらいのタイミングで、マルスはさっさと歩き出し、アイクの横をすり抜けて階段の方へと向かう。

 と、ふとその足が止まった。


「それと。
 …………この前はありがとう。助かったよ」


 背中を向けたまま発せられたその声は、かろうじてアイクの耳に届いた。
 濃藍の双眸を見張った彼の視線から逃れるかのように、細身のシルエットは下へ続く階段へと早足で消えていった。

 後に残されたアイクは、濃い青の髪をがりがりと掻き上げながら、手の中のバスケットを見る。
 余っただの残り物処理だの散々に言っていたが、先程の言葉と考え合わせると、どうやら彼は礼のつもりでこれを持ってきたらしい、と青年は結論づけた。

「――素直にそうと言ってくれれば、茶ぐらい淹れたんだがな」

 肩をすくめて独りごちると、アイクは自室の扉に手をかけた。





 それから二日後。
 午後の乱闘に参加するため、選手の控え室で準備をしていたマルスは、ステージの方から誰かが戻ってくる気配を感じて顔を上げた。

「……あ」
「……」

 乱闘ステージへと続く通路側の扉から姿を現したのは、得物を肩に担いだアイクだった。
 部屋の中に居たマルスを認めると、無言で軽く片手を挙げる。

「……君か。さっきの試合に出ていたのかい」
「ああ」
「ふぅん。負けたの?」
「……普通、そこは勝ったかと訊くものじゃないのか」
 相変わらず舌鋒鋭いマルスに、呆れた表情で答えるアイク。

 彼とのこんなやり取りが、いつの間にか自分にとっての「日常」となっていたことに、マルスは気づく。
 ――そして、それをどこかで楽しみにしている自分自身にも。


 日課となった皮肉混じりの応酬を交わした後、マルスは再び試合の準備に戻り、アイクは自身の荷物を取って控え室の出口へと向かう。


「――ああそうだ、マルス」
「何?」

 呼ばれて振り向いたマルスに向かって、アイクが何やら四角い物を投げて寄越す。
 放物線を描いて飛んできたそれを反射的に受け止める――それは、他ならぬ彼が先日アイクに渡したバスケットだった。

「あれは、あんたが作ったのか?」
「……どうして?」
「――何となく、そんな気がした」
「……たまたまだよ。
 ピーチ姫に誘われたから、付き合っただけで」

 我ながら答えになっていない回答だなとマルスは思ったが、アイクにはそれで伝わったらしい。
 軽く頷くと、彼は口元に微かな笑みを浮かべた。


「美味かった。ありがとな」

「――!」


 一瞬、言葉を失うマルス。
 その間に、アイクはマントを翻して控え室から出ていってしまった。

 後に残されたのは、バスケットを手にしたまま立ちすくんでいる青年ひとり。

 決まりが悪いのを誤魔化すかのように、手の中のバスケットを振ってみる。かさりとも音がしない。
 ――結構な量を詰めたはずだが、全部平らげたのだろうか? 彼が、一人で?



「…………もう。
 容れ物を空で返して寄越すなんて、やっぱり礼儀がなってないね」

 マルスは一人、既に居ない相手へと文句をつける。

 しかし呟く言葉の内容とは裏腹に、ほんのりと朱を上らせたその顔には、穏やかで幸せそうな微笑みが浮かんでいた。



 それからというもの。
 厨房で菓子を手作りするピーチ姫の傍らに、真剣そのものの表情で作業に参加する細身の青年の姿が頻繁に目撃されるようになったというのは、また別のお話。


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