call my name
「よ、ここ空いてる?」
生徒達でごった返す、訓練学校内の食堂。
テーブルにつき、独り昼食をとっていたケントは、頭上から降ってきた声に内心溜息をついた。
視線を移すと、料理の載ったトレイを片手にこちらを見下ろす少年の姿。
ちょうど物を口に入れたところだったため、とっさに返事できないでいるケントをよそに、その少年は器用に足で隣の椅子を引っ張り出して座る。空いているかと訊いておきながら、ケントの返事を待つ気はさらさら無いようだった。
確かに空いてはいるし、拒む理由も無いわけだが……かと言って、さもそれが当然のように隣に座られると、ケントの方としては少々釈然としないものがあったりする。
「……足で物を動かすのは感心しないな」
咀嚼を終えた口内の物を飲み込んでから、ケントは開口一番そう呟いた。
「手が塞がってんだから仕方ないだろ? 必要に迫られてってやつだよ」
能天気に返してくる彼は、既にトレイの上の昼食に取りかかっている。その健啖ぶりといったら、細身の体躯からは想像もつかないほどだ。
「……左手は空いていたように見えたんだが」
「気のせい気のせい。目の錯覚」
いかにも適当な返事で誤魔化され、ケントは深々と溜息をついた。
「セイン」
「んー、何?」
ちぎったパンを片手に振り向く少年――セインに、困惑と苛立ちが微妙に混じり合った琥珀の双眸が向けられる。
「私は空いていると言った覚えは無いんだが?」
告げれば、さも意外そうに見開かれる灰緑の瞳。
「え、ダメだった? どうせ空いてるもんだと思ったから、返事聞く前に座っちゃったけど」
「いや、結論から言えばそうなるんだが……」
それにしたって、質問に対する返答を聞かずに行動に出るのはいかがなものだろうか――と、内心ケントは思う。
「大体、ここでなくとも席はたくさん空いているだろう」
「一人で食べたってつまんないだろ。せっかく仲間がいるのにさ」
パンのかけらを口に放り込みながら、セイン。
確かに、それは紛れも無い本音なのだろう。常に友人達に囲まれているのが日常の彼にとって、一人で食事をするということがどれほど物足りないものであるか、想像に難くない。
だが、とケントは思った。
それなら何故、向こうの席にいるクラスメイトの一団に混ざらなかったのか?
お前がこの席まで歩いてくる間、向こうでお前を呼んでいた声に、気づかなかったはずはないのに。
マイペースに料理を頬張るルームメイトの横顔を、ケントは複雑な思いで眺めた。
※
「おーい、ケント!」
背後から飛んできた声に、ケントは思わず顔をしかめる。
振り返れば、廊下の向こうからこちらへ駆けて来る少年の姿があった。
「はぁ、やーっと追いついた」
「……セイン。廊下を全力疾走するのは規律違反だぞ」
膝に手を突いて大袈裟に肩で息をしている彼に、ケントがしかめつらしく釘を刺す。
「お前が先に行っちゃうからだろ、薄情だなぁ。
ルームメイトなんだから、食事に行く時くらい誘ってくれればいいのにさ」
恨めしげに見上げてくる灰緑の双眸に、ケントは肩をすくめた。
「それはすまなかった。てっきり、他の皆と行くものだと思っていたから」
「うん。今日の夕飯は外でって、あいつらと言っててさ。
てことで、ケントも来いよ」
脈絡の無い会話運びに、一瞬言われた意味を見失う。
数瞬の間をおき、相手の言葉を理解したケントはまず思い浮かんだ疑問を口にした。
「……もしかして、それを言うためにわざわざ追ってきたのか?」
「追いつくの大変だったよー。いや、そこまで大変じゃなかったけど」
どっちなんだ、と突っ込みそうになるのを我慢して、ケントは代わりに溜息をついた。
「あまり人を待たせるものではない。早く行って来い」
行くつもりは無いと暗に示唆した台詞に、セインが大きめの瞳をくるっと回して首を傾げた。そういう表情をすると、どことなく大人になりかけの猫に似ている。
「行かないのか?」
「いや、私は……賑やかな場所は苦手なんだ」
歯切れの悪いケントに、彼はふぅんと顎に人差し指を当てて考える仕草をした。
そしてしばし思考した後、唐突に呟く。
「じゃ、俺も止めとくかなぁ」
その唇から零れた呟きに、慌てたのはケントの方だ。
「待て、何故お前まで止めるんだ? それでは皆に……」
「なら、お前も行くだろ?」
ニッと笑ったその顔に、思わずがくりと肩を落とす。
――負けた、と思った。
「……解った……付き合う」
「そう来なくっちゃ! ほら、行くぞ!」
嬉々としてセインがケントの手を掴む。
引っ張られるままに歩き出しながら、ケントは内心でやれやれと溜息をついていた。
※
どちらかと言えば、人付き合いは苦手な性質だった。
年頃の少年にありがちな、背伸びした好奇心というものもほとんど無く、街へ遊びに行くのも誘われてたまに、という程度。
自由時間はだいたい自室で本を読んでいるか、講義の予習復習をしているかだった。
先輩や教師からの覚えは悪くなかったが、同年代の友人達には敬遠されていただろう。
感情が表に出にくく、自己表現も下手だったことも相まって、周囲に親しい友人は少なかった。
彼はと言えば、その明るくひょうきんな人柄で、学友達からの人気も高かった。
周りには常に人がいて、見かけるたびに会話やゲームで盛り上がっていた。
また、年相応以上に好奇心が強く遊び好きで、よく街へ出ては女の子に声をかけたりしていた。
ルームメイトになったのは、全くの偶然。
だが、騎士学校に入学した当初から、何故か彼は自分によく話しかけてきた。
戸惑う自分に、彼は悪びれない笑顔でこう言ったのだ。
「お前と友達になりたいんだよ」――と。
最初は、からかわれているのだと思った。
お世辞にも、傍にいて面白い人間では無いという自覚がある。そんな自分に、見るからに誰からも好かれる人気者の彼が興味を持つことなど、何もあるはずがなかった。
友達になりたいというのも、単なる社交辞令か冗談だろう――そう思っていた。
けれど。
兵舎の渡り廊下を歩いていた時、中庭で賑やかに会話する一団が目に入ってきた。
5、6人の、見知った顔の集団。
その輪の中心には、当たり前のように笑顔のセインがいた。
静かに立ち去ろうとした瞬間、彼がふとこちらを見た。
一瞬、目が合う。
私を認めた彼は、嬉しそうに笑いながら手を振って見せた。
「おーいケント! お前も来いよ!」
――いつだってそうだ。
どんなに私が素っ気無くしても、彼は私に話しかけることをやめない。
どんなに私が避けようとしても、彼は笑顔で私の名を呼ぶのだ。
私がいたら、お前の邪魔になる。
人付き合いが下手で、場を盛り上げる術も知らない私が輪に混じっても、どうしていいやら解らない。
ただ黙っているしか出来ない人間は、歓談の場には迷惑なだけだろう。
お前だって知っているはずだ。
お前の友人達が、私のことをどう見ているのか。
明るく人気者のお前が、対照的な存在の私に何くれとなく話しかけるのを、皆よく思っていない。
それが解っているからこそ、お前が他の仲間と居る時には、出来る限り離れようとしているのに。
ルームメイト以上の付き合いにならぬよう、気を配っていたというのに。
どうして、お前は気にしない?
何故そうやって、平然と私の名を呼ぶ?
動かない私に痺れを切らしたのか、セインが輪を離れ駆け寄ってきた。
「何ぼーっとしてるのさ。ほら、来いよ!」
逡巡する私の手を掴み、引っ張っていこうとする。
「あ……私は……」
行ってはならない。
これ以上彼と親しくなれない。
踏みとどまろうとする私に気づき、手を引く力が弱くなった。
それを寂しいと思う心と、仕方のないことなのだと諦める気持ちとが交錯する。
「ケント」
不意に、セインが静かな声を発した。
驚いてその顔を見ると、どこか怒ったような表情をしている。
「変な遠慮はナシだよ。
みんな、お前のことをよく知らないだけ。
俺はケントが好きだよ。だから、みんなにもお前を好きになってもらいたいんだ」
そう言って、彼は笑った。
つまらない拘りも、ちっぽけな遠慮も、全てどうでもよくなってしまうような笑顔で。
――彼は、全て解っていた。
解った上で、私と親しくなろうとしていた。
自分のどこにそれほど興味を惹かれたのかは、今でもさっぱり解らないが。
彼が本気だということだけは、信じられるようになった。
全くもって、物好きな奴だと思う。
その感想は、数年経った今でも変わらない。
互いの関係が、友人とは別のものへ変化したその後でも。
「ほら、行くぞケント!」
彼に手を引かれ、私は躊躇しながらも仲間達の輪の中へ入っていった。
本当は、お前に名を呼ばれることが嬉しかった。
本当は、お前ともっと親しくなりたかった。
それを言葉にして告げることは、おそらくこの先も無いだろう。
「ケーントっ」
「何だ」
「ケント君ってばー」
「……だから何だ。さっきから何回呼べば気が済む」
その代わり。
お前が名を呼んだなら、私は必ず応えるから。
――誰かに名を呼ばれるのは、とても幸福なことなのだと。
私に教えてくれた、あの日の礼として。