カサノヴァはご機嫌斜め
「よ、ウィル……」
「あ、セインさんおはよーございますっ! それじゃあ!」
愛想良く手を挙げたセインの横を、ウィルは笑顔で駆け抜けていった。
挙げた右手もそのままに、セインは上半身だけ振り返ってその背中を見送る。
――解っている。
失恋した相手の側になど、寄りつきたいわけもない。
彼は今、その心に受けた傷を癒そうとしている最中なのだから。
最近の彼はと言えば、見た目には普段と全く変わりがない。
強面で陰のある傭兵と楽しそうに話してみたかと思えば、無口で無表情な遊牧民の青年と弓の訓練をしてみたり。
最近では、あの男性恐怖症と名高いフロリーナ嬢とも、なかなか親しげだと聞いている。
人なつこく、天真爛漫な彼ならば、次の恋のお相手にはきっと困らないだろう。
他の誰かと恋をして、いつかふさわしい相手と幸せになるように。
――他ならぬ、セイン自身が望んだことだ。
なのに、何故だろう。
何となく……面白くない。
「セイン。…どうかしたのか」
慣れた声と気配に振り向けば、傍らにやってきたケントが怪訝そうな顔で見ている。
「ん?や、別に」
そう告げて、セインは今や恋人となった親友に、いつものように笑いかけた。
不思議そうに首を傾げるその仕草に、自分が本気で焦がれているのはやはり彼なのだと改めて思う。
他の誰も代われない、自身にとっての「特別」――恋情をも含めて、最高のパートナーとして隣に望むなら、それはきっと彼しかいない。
真に欲しいのは、一人だけ。
だからこそ、ウィルが向けてくれた想いに応えなかった。
彼は可愛い弟分だし、いい奴だとも思う……が。
恋愛の相手として見る気は、更々無いというのが正直な本音だった。
けれど。
自分を追いかけなくなった彼に、何か物足りなさを感じている自分がいる。
彼が自分でない誰かに熱い視線を向けるのを、何となく気にしている自分がいる。
恋ではない――と、はっきり断言できるのに。
憧れを秘めた瞳を向けられるのが、あれほど心苦しかったのに。
恋人になる気は無いくせに、いつまでも彼の中の「特別」でいたい。
過去に恋をした中の一人として、自分の存在が彼の記憶の片隅で色褪せていくのが許せない。
それは、傍から見ればどれほど身勝手な我儘に思えるだろう。
生まれつき、贅沢な性格なのは解っていたけれど。
(勝手なもんだね、俺ってば)
諦めるように仕向けたのは、他ならぬ自分の方。
一方的に突き放しておきながら、今更こんなにも気にしているなんて。
彼に対して抱く、軽い執着やちょっとした嫉妬心といったもの。
それは世に言う恋情ではなく、また愛情でも無い。
けれどある意味では、これもひとつの愛のカタチかも知れなくて。
(まいったよ……完敗だ。お前には)
※
「セインさん、おはようございます! それじゃ!」
今朝もまた、同じ廊下で同じ言葉を交わしてすれ違う彼。
片手を上げて通り過ぎ――ようとして、セインはふと足を止めた。
振り返れば、跳ねるように駆けて行く子犬のような背中。
「おい、ウィル!」
呼び止めた声に、癖のある栗色の髪が振り向いた。
きょとんと見つめてくる瞳に、セインは唇の端を持ち上げてニッと笑って見せる。
自分でも知らぬ間に、その視線の前でだけするようになっていた、歳相応に艶めいた不敵な表情で。
「……また時々は、面倒かけに来いよな」
びっくりしたように、ダークブラウンの双眸が一瞬見開かれ――
次の瞬間、ふわりと明るい笑顔へと変わる。
「――はい!」
返事とともに大きく手を振って見せて、ウィルは再び廊下の向こうへと走り去っていった。
その背中が消えるまで見送ってから、セインもゆっくりと踵を返す。
彼が消えたのとは反対の方向へと歩き出すその面に、どこか柔らかく嬉しそうな微笑みが浮かんでいることに、果たして本人が気付いていたかどうかは定かではない。
それは恋でも無く、愛でも無く。
だが、これもまたひとつの――
ウィルセイ3部作完結編。
多分、これもひとつの愛のカタチ。