君と見る最初の夜明け


 新たな年が明けた。
 普段は夜半前には静かになる傭兵団の砦も、この夜ばかりは深夜まで賑やかだった。酒を飲む者、談笑する者、ゲームに興じる者……その行動は様々なれど、皆揃って新年最初の夜を楽しんでいた。

 丑三つ時も過ぎた頃、明日が非番なのを良いことに飲み明かそうとする一部の人間を除き、団員達はそれぞれの部屋に引き上げる事となった。
 徹夜組の為に酒の肴を準備してやった後、少し遅れて自室に戻ったオスカーは、静かに扉を閉めて大きくひとつ息を吐いた。手で首元を軽く扇ぐその顔は、ほのかに赤い。
 新年を祝う開放的な空気に乗せられて、少々杯が過ぎたかも知れない。あまり酒に強くない自覚があるが故に、飲む量は節制しているつもりだったのだが、と青年は独り苦笑を浮かべる。
 灯の無い室内を照らすのは月明かりのみだったが、勝手知ったる狭い部屋、不自由は無かった。どうせ後は床に就くだけなのだから、わざわざ灯りを点けることも無い。襟元を開けて風を送りながら、オスカーは暗闇の中で器用に靴を脱ぎ、寝台に滑り込んだ。シーツの冷たさが、火照った身体に心地好い。
 どこか遠くで、花火の鳴る音が聞こえたような気がした。





 ――コツ。コツコツ。

 小さな、しかし妙に神経に障るその音で、オスカーは目を覚ました。
 寝返りをうち、窓の方を見る。カーテン越しの外はまだ暗く、夜明けには遠い時刻である事が察せられた。
 寝台の上で半身を起こし、闇に沈んだ部屋の中を見渡す。――特に不自然な点は見あたらない。気のせいか、とオスカーが首を傾げた時。

 コツ、コツ……カツッ!

 今度ははっきりと聞こえた。気づかない部屋の主に業を煮やすかのような、先程よりも強い音。
 窓の外に、何者かが居る。青年は警戒しながら手を伸ばし、おもむろにカーテンを引いた。

 バサバサッ。
 西へ傾いた月を背にして、逆光に浮かび上がるは流線型の翼。
 窓の傍に張り出した樹の枝に止まっていたのは、明らかに野生のものとは違う、人間と同程度の体長を持つ鷹だった。

 瞠目して窓を開けた彼の前で、その鷹は羽音と共にふわりと宙へ浮かび。
 空中で鮮やかに一回転した次の瞬間、それは小柄なヒトの姿へと変わっていた。

「よっ。新年おめでとさん! ……って、ベオクの世界ではそう言うんだろ?」
「……ヤナフ殿? どうされたんです、こんな時間に」
 身軽に樹の枝へ着地した相手に、オスカーは疑念の眼差しで問いかける。その視界の端で、数枚の羽根がひらひらと夜風に舞っていた。
 その相手は、彼にとっては確かに見知った人物だった――鳥翼族のヤナフ。フェニキスの『鷹王』ティバーンの片腕を務める、実力ある鷹のラグズ。
 彼のオスカーに対する当初の心証は最悪――だったはずが、どういうわけか今では妙に気に入られているらしく、こうして何かにつけて傭兵団の砦を訪ねてきてはちょっかいをかけてくる。とは言え、こんな夜中に、しかも窓から訪問された事はさすがに一度も無い。
 そんな物問いたげな青年の視線を受け、ヤナフは不敵に笑って胸を反らせた。
「せっかくだし、良いもの見せてやろうと思ってな」
「……良いもの?」
 ますます怪訝そうな表情になるオスカーに、ラグズの青年はニッと悪戯小僧のような笑みを浮かべ、立てた親指で自身の背中を指してみせた。
「乗れよ。とっておきの場所へ連れてってやる」
「今から、ですか?」
 青年がそう問いかけるより早く、ヤナフは再びくるっと宙返りして鷹へと化身する。早く乗れと促してくる目線に、オスカーは深々とため息をついた。
「拒否権は無い、というわけか……」
 言いたい事、訊きたい事は山程あるが、化身されてしまってはもはや人語による会話は成立しない。それを承知の上で――むしろ狙ってやったのだろうと踏んだオスカーは、半ば諦めの心境で椅子の背に掛けてあった外套に手を伸ばした。





 街の灯り、ざわめく森、静かな野山。
 それらを遙か眼下に見ながら、風を切って鷹は飛ぶ。
 普通の鳥翼族ならば一寸先の視界すら奪われるであろう夜の闇も、遙か先までを見通せる「千里眼」を持つヤナフにとっては何の障害にもならないようだった。

 視線を上げれば水平線の向こう、僅かに白み始めた空が見える。
 月と星の見え方から計算するに、どうやら砦から東の方角へと飛んでいるように思えた。
 何処まで行くのだろう。オスカーの脳裏に微かな不安がよぎる。あまりにも遠くへ連れていかれた場合、帰還が遅くなって団の仲間に心配をかける恐れもあった。
(……多分、大丈夫だとは思うけれど)
 悪戯な少年のごとき振る舞いで、こんな風にしばしば自分を振り回すこの鷹の青年だが、それでも本当に困るような目に遭わされた事は無い。その辺りは気を遣ってくれているのだろうと、オスカーは何となくそう感じていた。
 だからこそ彼も、何かとちょっかいをかけてくるこの青年の事を突き放す気にはなれないのだ。

 そんな青年の心情を察したように、鷹がピィッと一声鳴く。
 目的地が近いのだろうか。「もうすぐ着く」と言われたような気がして、オスカーは羽毛を掴んでいた手に力を入れ直した。
 その直後、ヤナフがすうっと高度を下げる。風が耳元で鳴り、近くなる大地。
 ふっと体が浮くような感覚を経て、二人――正しくは一人と一羽――は地上へと降り立った。


 そこは、山の頂上付近と思しき場所だった。木々が生い茂る中、僅かに開けた間隙部分。奥には樹に隠れるように、打ち捨てられて久しいであろう小さな番小屋がひっそりと佇んでいた。
 左手後方を振り向けば、遠く宵闇にクリミア王城のシルエットが見える。ぐるりと一渡り見回してみて、おそらくはデインとの国境辺りの山では無いかとオスカーは結論づけた。

「あー寒っ。ま、デインに比べりゃこの辺は雪が降らねえだけマシか」
 その声に振り向くと、化身を解いた青年が倒れた大木に座って身を縮めているのが見えた。彼ら鳥翼族の住むフェニキスは南方の海にあり、一年中温暖な場所だという。慣れない寒さに翼を震わせている様が、さながら羽をふくらませた野鳥のようで、オスカーはくすりと聞こえないように笑った。
「……それで。
 そんな寒い中、わざわざ私を連れてここまで飛んで来た、その目的は何ですか?」
「……まあ、見てなって。もう少しで解るからよ」
 その問いかけにも、ヤナフは何かを企む悪戯っ子のような笑みを浮かべるだけで、真意を教えようとする気配は無い。その反応を半ば予測していたオスカーは、軽く溜息を吐いて外套の前を掻き合わせた。

 手招きされるままにその傍らへ腰を下ろすと、間髪を入れずべったりとくっつかれる。
「いきなり何ですか」
「寒い」
「解っていた事でしょうに」
「解ってても寒いもんは寒いんだよ」
 一方的に密着してくる彼の、その背にある翼はしっかりとオスカーの背中から肩を包み込んでいた。その事に気づいていたから、オスカーは苦笑するだけで身体を離そうとはしなかった。
 ……あわよくばと外套の内側に滑り込んで来ようとした手には、丁重にお引き取り願ったが。


 そうしている間に、空は次第にその色を変え、山際がうっすらと光り始める。
 夜明けはもう間近だと、その目に映る景色が教えていた。

 空の変化に気づいたヤナフが、不敵な笑みの中にも真剣な眼差しを宿し、正面に見える地平線を指さす。
「――ここからが本番だ。
 その細っそい目、かっ開いてしっかり見とけよ?」
「……細いは余計ですよ」
 ぼそりと抗議しつつも、オスカーの視線は自然とその方向へと吸い寄せられる。


 樹の幹の合間から見える地平に、ゆっくりと朝陽が昇る。
 赤みがかった光が空と大地を染め上げ、新たなる一日――新たなる年の訪れを告げる。

 永遠とも思える、悠久の時間の中。
 目の前に広がる世界はただ白く、きらきらと輝いていた。


 眩しげに目を細め、青年は知らず溜息をつく。
 先程まで吐いていたものとは違う、純粋な感嘆から出たものだった。
「――どうだ。見事なもんだろ。
 俺しか知らないとっておきの場所なんだからな。感謝しろよ?」
 太陽が地平線の上に姿を現しきったのを見届けてから、ヤナフはニッと笑って胸を張る。
「……ええ。本当に、素晴らしい眺めでした」
 それをわざわざ自分に見せてくれようとした彼の心が、何よりも嬉しいとオスカーは思った。


 今年初めての夜明けが終わり、朝がやってくる。
 美しい光景だったけれど、いつまでも余韻に浸っているわけにもいかない。意識を現実へと引き戻し、オスカーが立ち上がろうとした時。


 ぐいと身体が抱き寄せられ、至近距離で視線がぶつかる。
 頬に触れる手、捕らえるようにこの身を囲い込む翼。

「――せっかくこんな所まで来たんだ。
 もう少し、ゆっくりして行こうぜ?」
 不敵に微笑むその目に、野生の獣の鋭さ。
 彼が何を望んでいるのか、言葉は無くともオスカーにははっきりと汲み取れた。
「……本当の目的は、それですか?」
「ま、否定はしない。
 けど、この景色を見せたかったってのも本当だぜ?」
 飄々とした、それでいて嘘のない真剣な言葉。
 オスカーはしばしの沈黙の後、くすっと微笑むと己が身体に回された腕をそっと押した。
「……そろそろ、団の皆が活動を始める時間ですから」
 明確に告げなくとも、その言葉だけで彼もまた察するだろうと確信していた。暗喩のような会話も、全ては相手を信頼しているからこそ。
 果たして、鷹の青年は渋々といった体ながらも、彼を捕らえる手を離した。
「……ちっ、わかったよ」
 お前に期待した俺が馬鹿だったよ、とむくれるヤナフ。その横顔を見ながら、オスカーはしばし逡巡の色を見せた後、すっと長身を屈める。
「――代わりに、と言っては何ですが」
「んだよ?」
 不機嫌な表情で振り向いた青年の唇に、オスカーは自らのそれを静かに重ねた。
「……これで、許してもらえませんか?」
 ほんの一瞬、掠めるように触れていった温もりに、ヤナフは呆気に取られる。しかしぎこちなく目線を逸らす青年を見ているうちに、その頬は次第に緩んでいった。
「……しょうがねえな。今日はこれで我慢してやるよ!」
 先程までの機嫌の悪さはどこへやら、一転鼻歌でも歌いそうなほど上機嫌になった彼に、オスカーはほのかに朱を上らせた頬に穏やかな苦笑を浮かべた。


「今度会った時にはきっちりツケ払ってもらうから、覚悟しとけよ?」
「……考えておきます」
 その一言を残して鷹へと化身したヤナフに、オスカーは微かに照れたような色の混じった苦笑いで答えた。

 今日から始まる新しい年は、果たしてどんな一年になるのだろう。
 この気まぐれで、それでいて優しい鷹の青年は、相変わらず突然訪ねてきてはこうして自分を振り回すのだろうか。
 半ば確信めいた予感を覚えて、オスカーは我知らず微笑む。
 こんな日々も悪くない――むしろ心待ちにしている自身に気づいたから。


 新たな一年の始まりを告げる光の中、一人を乗せた一羽の鷹は風を切って西へと飛んでいった。


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公式で支援があるにも関わらず、あまり見ない組み合わせ。
ショタジジイな攻め×冷静敬語受けとか美味しいと思うんですけど!
実は老練なヤナフがオスカーを振り回したり甘やかしたりして欲しいですね。



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