fetish


 嫌な予感は――したのだ。


「なあカイル、ちょっと頼みがあるんだけどな」
 愛用のカンバスを片手に、朗らかな笑顔で近づいてきた親友に、カイルは思わず胡乱な視線を向けた。
この青年がこういう表情で寄って来た時には、大抵ろくなことが無い。
 付き合いが長いだけに、今までの経験からそれを嫌と言うほど知っているカイルは、自然と警戒態勢になる。
「……一体何だ」
 仏頂面で答えた彼に、相棒の青年――フォルデは「相変わらず愛想が無いな」と肩をすくめてから切り出した。


「大したことじゃない。
 ちょっと、モデルになってくれないかと思ってな」
「…………は?」

 たっぷり十秒間は沈黙してから、カイルは心底胡乱げな声を発した。
 思わず耳を疑う彼に、相変わらず笑顔のフォルデ。


「いや、実はな――」

 フォルデが語ったところによれば、何でも近日ルネス王城の中庭の改装が行われるらしく、その際に新しく飾るための像を、以前から城に出入りしていた彫刻師に発注したということだった。
 芸術という共通の話題を持つフォルデは、普段からその彫刻師と親しくしていた。そのよしみで、今回の仕事を請けるに当たって、彼から自身のイメージする像の下絵を起こしてもらえないかと依頼があったという。


「何でも、以前から庭にある女性像と対になるような男性像が欲しいらしいんだけどな」
 一応黙って説明を聞いているカイルを横目で見つつ、フォルデが続ける。
「俺としては女性像の方がいいんだがなあ。けど、エフラム様からも念を押されちまったし……」
「……ひとつ確認したいんだが」
 滑らかに続く相棒の口舌を遮り、カイルが半眼で問いかける。
「その像は、具体的にどんなデザインなのだ?」

 この男が無駄に饒舌になる時は、大抵言いにくいことを先延ばしにしていると相場が決まっている。

 カイルの言わんとするところを察したのだろう、フォルデがわざとらしく笑い声を立てる。
「大丈夫だって、描くのは上半身だけだから」



 ――眩暈がした。



「断る」
「あ、おい、待てって!」
 くるりと背を向けて去ろうとするカイルに、フォルデが慌てて追いすがる。

「そもそも、何故俺なのだ。フランツにでも頼めばいいだろうが!」
「それも考えたんだけどな、あいつの体格じゃちょっとイメージに合わないんだよ。
 俺が知ってる中じゃ、お前が一番頼まれたイメージに近いんだ」
「だからと言って……!」
 裸を描かせろとはどういう了見だ――続けようとして、カイルは言葉を飲み込んだ。
 さすがに、大声で口に出来る内容ではない。

 まあ、それだけなら百歩譲って良しとしよう。
 だが、練習で描くとかいうのならまだしも、王城に飾られる石像のモデルにされるなど!
 想像しただけでもぞっとしない。

「頼むよカイル。今更無理でしたなんて言えないしさあ。
 一度受けたものを断ったら、エフラム様に何て言われるやら……」
「自業自得だ。専門家でも無いのに安請け合いをするな。
 ――そもそも貴様、人物画は描かないはずではなかったのか?」
「あー……それは、まあ……何だ」
 冷淡な口調で返したカイルに、フォルデはばつの悪そうな顔で頭を掻きつつ言葉を濁した。

「……風景ばっかり描いてるのも飽きたからな。最近は少しずつ描くようにしてるのさ。
 なあ、頼むよ。お前しか頼める奴がいないんだ」
 顔の前で手を合わせ、拝むように頭を下げるフォルデ。
 その碧の双眸に、邪な意図は微塵も無く――いや、そんなものがあったら困るわけだが――ただ本気で自分を頼ってきているらしい様子だけは窺えた。

 心底困っているらしい親友の態度に、カイルは返答を迷う。
 いつもふざけて掴み所の無い男だが、こう見えて実は存外負けず嫌いなのだ。
 悩みや困りごとがあったとしても、決して表には出さず、出来うる限り自らで解決しようとする――そんな親友の一面を、付き合いの長いカイルは知っていた。
 そんな彼が、親友であり長年の好敵手でもある自分に正面きって助けを求めてきたのだから、余程のことだ。
 言葉通り、本当にこれ以上打つ手が無いのだろう。


「…………解った」

 長い沈黙の後、カイルは溜息と共に言葉を吐き出した。
「ここで貴様がしくじれば、エフラム様にも迷惑がかかる。
 今回だけは、彫刻師の方の顔を立てると思って協力してやる」
「そうか、ありがたい」
 ほっとした表情で笑うフォルデに対し、苦虫をまとめて10匹くらい噛み潰したような顔のカイル。
「貸しだからな」
「解ってるって。今度酒でも奢るさ。ホント感謝してる」
 意気揚々と歩き出す背中に向けて、カイルは再び重苦しい溜息をついた――。



 ******


 ごく普通の調度品とイーゼル等の画材とが共存し、独特の空間を作り上げているフォルデの自室。
 扉をくぐると、絵の具と油の匂いが鼻腔をくすぐった。

「そこの窓際に立ってくれ。あ、服はその辺に適当に引っ掛けといていいから」
「ああ」
 棚やら机やらを探って用具を引っ張り出しているフォルデを尻目に、カイルは指示された位置に立った。

 ここまで来たら、今更躊躇っても仕方が無い。
 ひとつ溜息をついてから、カイルは胴衣に手を掛け一気に脱ぎ捨てた。
「散々文句言ってた割に、いざとなるとあっさり脱ぐんだな」
「うるさい。無駄口叩いてないでさっさと済ませろ」
 いつの間にやら準備を終えて座っていたフォルデの軽口に、傍らの椅子に脱いだ服を引っ掛けたカイルが眉を吊り上げる。
「はいはい。仰せの通りに」
 ひらひらと片手を振って戯けると、フォルデは木炭を右手にカンバスに向かう。
 デッサンの全体像をイメージするようにしばし手を彷徨わせた後、やがて紙の上を木炭が滑る音が響き始めた。

 作業が始まってしまえば、モデルのすることはひとつ――なるべく動かないでいることだけだ。
 手持ち無沙汰とも所在無いともつかぬ心地で、カイルは壁にもたれて視線を窓の外へ遣る。



 よく晴れた午後の空は、たなびく雲と相まって爽やかな色合いを見せていた。
 裸の背に、冷たい木の壁の感触。


 ふと横目で窺うと、こちらとカンバスと視線を忙しなく往復させながら、慣れた様子で手を動かしている親友の姿が見える。
 戦場に出た時と同じ――否、それ以上に鋭い光を宿した翡翠の双眸が、自身の体の線を仔細になぞっていく気配を肌で感じ、どことなく居たたまれない気分になった。

 普段はへらへらしていていまいち締まりのない美貌も、絵を描いている時だけは紛れもない真剣味を湛える。
 日頃からこのくらい真面目にしていれば、自分を含めた周囲の評価も大分違うのだろうに、とカイルは思った。


 ――同時に、その姿に半ば圧倒されている自身にも気づく。

 知らなかった。
 これほどまでに真摯で、鬼気迫るほどの気迫を露わにした親友の姿を。
 鋭い双眸に見据えられるたび、まるでそのまま喰いつかれそうな圧迫感すら覚える。
 そんな目をこの親友から向けられたのは、初めてのことで。


 ――知らなかった。
 この男が、これほどまでに激しい一面を秘めていたことを。


 獲物を狙う肉食獣にも似た、静謐かつ攻撃的な眼差し。
 鋭くも美しい翡翠の双眸に、カイルは我知らず見入っていた。




「終わったぞ」

 相棒の一声で、カイルは我に帰った。
 いつの間にか手を止めたフォルデが、怪訝そうな表情でこちらを見ている。
「どうかしたか?」
「――いや。何も」
 親友の真剣な姿に見惚れていた自身に気づき、カイルは焦りと照れ臭さを鉄面皮に押し隠して首を振った。

 即座に椅子に掛けた服を手に取る親友に、フォルデが笑う。
「そんなに急がなくても。今更恥ずかしがる様な仲じゃないだろ?」
「馬鹿か。妙な言い方をするな」
 そう突き放しながらも、カイル自身ここまで性急に行動している自分に困惑していた。
 理由は解らない。ただ、親友の視線に肌を晒しているのが無性に照れ臭く感じた。
 軽い冗談にすら、過剰に反応している自身を自覚する。

 何故だろうと自問する。
 ――先刻相棒が見せた、常ならぬ表情のせいかも知れない。
 今のカイルには、そうとしか思い当たらなかった。



 ******


「こいつはちょっと、他人には見せられそうにないな……」
 描き上がったスケッチをひとしきり眺め、フォルデは我知らず苦笑した。
 文字通り「一肌脱いでくれた」彼には申し訳ないが、これは使えそうに無い。

 いくら取り繕ってみても、絵は正直だ。

 確かに、ぱっと見は何の変哲も無いデッサン画だし、その線から何を感じることもないだろう。
 しかし、絵に造詣の深い者が見れば、おそらくは気づくに違いない。

 ――この絵を描いている間、自分がどんな気持ちでいたのか。


(あいつが知ったら、怒るだろうなぁ)
 いつも不機嫌な表情ばかり浮かべている相棒の姿を思い出し、フォルデはもう一度苦笑する。
 そして画板からデッサンを丁寧に剥がし、机の引き出しにしまい込んだ。

 とりあえずは、新たな下絵の構図を考えねばならない。
 散歩でもしながら考えようと、フォルデは独り部屋を出た。



 数ヵ月後、ルネス城の改装が完了した。
 そこに無事、新しい男性像は飾られたのかどうか……それはまた、別の話である。


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「A picture〜」の後のエピソード。
芸術を言い訳にいろいろ出来るフォルデ兄さんは美味しいと思います。



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