ラビング・フォーカス


 嫌な予感は――したのだ。


 ばたどたばた……


「ケントさんっ、セインさーん!」


 どさっ。

「うぉわっ!?」

 出入り口へ向かう兵舎の廊下。何やら騒々しい足音がしたと思った瞬間、突如背中に圧し掛かってきた重みに、セインは思わず妙な声を上げていた。
 不意打ちを受けて僅かに傾いだ上体を立て直すと、セインはいきなり背後から体当たりをかましてくれた相手を肩越しに振り返る。

「何だよウィル、いきなり……びっくりするだろ」
「いきなりじゃないですよ。ちゃんと声かけたじゃないですか」

 後輩にあたる見習い騎士の青年ウィルは、セインの言葉に悪びれない表情で答えた。邪気の欠片も無いダークブラウンの双眸と、素朴で天真爛漫な笑顔がどこか人懐こい仔犬を思わせる印象だ。
 この、年齢の割に素直で子供っぽい青年が、今のように文字通り体当たりのコミュニケーションを試みるのは日常茶飯事だった。日頃、よくその標的にされるセインには嫌というほど解っている。
 何故自分ばかりが……とは思うものの、隣にいる相棒に今のようなことをやろうものなら、間違いなく小一時間は説教を食らうだろうから、致し方ない選択なのだろう。セインは横目で、呆れた表情を浮かべている親友を見ながらそう独りごちた。


「――ウィル、廊下は走らないように。この前も言っただろう」
 沈黙のまま2人の様子を見ていたケントが、生真面目な表情で後輩をたしなめる。
「あ……ごめんなさい、ケントさん。うっかりしてました」
 叱責も即座に受け入れる素直さは、この青年の長所だ。ウィルは神妙な表情になって、事実上の上司にあたるケントに向かって頭を下げた。
「そうそう。騎士たるもの、常に礼節を忘れずにだね……」
「でもこの前、セインさんだって廊下走ってたじゃないですか?」

 ウィルが何気なくぽろっと零した台詞に、調子良く喋っていたセインが一瞬にして青ざめる。
「あっ、こらっ……」

 止めようとしても、既に後の祭り。
 悪戯を見つかった子供のような表情で、おそるおそる横を見るセインの視界には――予想と寸分違わぬ、相棒の剣呑な視線があった。

「セイン……」
「いやほら、あの時は急いでたもんだから……そうしないと朝礼に間に合わなかっ……」
「言い訳はいい。それに、だ……そもそも朝礼に遅れるほど寝坊する奴があるか!」
 思わぬところで相棒の説教を食らう羽目になってしまったセインは、横目でウィルに恨めしげな視線を送りつつ、大人しく頭を下げた。

「解った解りましたっ俺が悪かった! もうしないから!」
「……いまいち信用は出来ないが……まあいいだろう。二度と同じ事を言わせるな」
 琥珀の目を細めて相棒を睨むと、ため息混じりに小言を締めくくるケント。キアラン騎士隊の内部では名物とまで言われている、いつもの光景だ。

 ――傍らでそのやり取りを羨ましげに見つめる青年の様子には、おそらく気づいてはいないだろう。



「――ところでお2人とも、どこか行くんですか?」
 セインもケントも、いつも訓練の時に身に着けている鎧は外しており、あまり見慣れない外套を羽織っていた。そんな先輩騎士の姿を交互に見て、ウィルが自然な疑問を口にする。
「ああ、たまにはどっかの店で夕食でも……って思ってな」
 珍しく早く上がれたしな、とセインが視線を振ると、ケントも頷いて同意を示した。

「ええっ、いいなあ……俺も行きたいです、連れてってくださいよ!」
「ダーメダメ。お子様は大人しく食堂でも行ってろ、ってね」
 せがむようにつま先立ちしたウィルの額を、セインがからかうような笑みを浮かべてぴんと弾いた。反射的に額を押さえ、口を尖らせて抗議するウィル。

「お子様って……酷いですよ! そんなに年違わないじゃないですか!」
「そうやってすーぐ突っかかってくるところがお子様だっての。大体酒も呑めない子供が、夜の街に出ようなんて十年早いね」
「俺だって酒くらい呑めます!」
「ああ、ジュース同然の甘ーいやつだろ? それじゃあまだまだ、酒が呑めるとは言えないね」
「うーっ……」

 返す言葉に詰まる青年を見て、セインがふふんと勝ち誇ったように笑う。そのやり取りを呆れながら見ていたケントが、見かねて横から口を挟んだ。
「……セイン、いい加減にしないか。行きたいと言うのだから、別に連れて行っても構わないだろう」
「ホントですか!? やった!」
 その言葉にセインが何か言うより早く、ウィルが即座に反応して歓声を上げる。

「何、連れて行くの? お子様の面倒見るのはごめんなんだけどなぁ……」
「だから、俺はお子様じゃないですって!」
 顔をしかめて渋るセインに、再びむきになったウィルが噛みつくように言った。助けを求めて、しがみつくようにケントの腕に手を掛けながらその顔を見上げる。
「ケントさんがいいって言ってくれたんですから。ケントさん、一緒に行ってもいいですよね?」
「……ああ」
 どこか困ったような、辟易したような表情のケントが微かに頷く。


「ありがとうございます! やっぱケントさんは優しいですね!」
 それに比べて……と、ケントの顔から視線をスライドさせながらウィルが口を尖らせる。

「セインさんは意地悪ばっかり……俺よりセインさんの方がよっぽど子供っぽいですよ」
 聞こえよがしに呟いたウィルの台詞に、セインの柳眉がぴくりと跳ねた。
「何、今のは聞き捨てならないよ? 誰が、誰より子供だって?」
「だから、俺より……」


「……先に行くぞ」
 飽きもせず同レベルで言い合いを続ける2人に、いい加減うんざりした様子でケントがすたすたと歩き出す。ため息をついてこめかみを押さえるその顔には、「面倒をかけられる相手が2人に増えた」と如実に書いてあった。



「おい待てってばケント!」
「あ、ケントさん待ってくださいよー!」

 傍から見れば限りなく似た者同士な台詞を口にして、置き去りにされた2人は慌てて先を行くケントの背中を追った。





 いつだったか、彼は自分に向かってこんなことを言った。


「ケントさんとセインさんって、ホント仲良いですよねぇ」
 羨ましいなあ――。

 その言葉と、無邪気な瞳の奥に灯った熱っぽい輝き。
 敢えて気にしないように努めたその裏で、確かに焦燥を覚えた自分自身がいた。





「――で、何? いきなり改まって相談、だなんて」
 外を出歩いている時間の方が格段に長いせいで、極めて生活感の薄い自室。
 そこに珍しくも客を伴って戻ってきたセインは、一脚しかない椅子を相手に勧め、自分は寝台に腰掛けてからそう切り出した。


「え、っと……ですね……」

 彼の正面に腰掛けた来訪者――ウィルは、闊達で物怖じしない性格の彼にしては珍しく、セインの言葉に言い淀む気配を見せている。
 緊張のためか、はたまた別の要因か……ほのかに赤みの差したその顔を一瞥して、セインはひそかに眉を寄せた。

 そんな相手の様子には気づく気配も無く、しばらく言葉を濁していたウィルだったが、やがて独り言のような口調でぽつりと言った。


「……ケントさんって……
 好きな人とか、いるんですかね……?」


 ――やっぱり、な。
 セインはポーカーフェイスを装いながら、内心でそう呟いた。
 事情を知らぬ者が聞いたなら、ウィルの台詞にはまるで脈絡というものが無いように思えただろう。あまりにも唐突過ぎるその呟きを、しかしセインはこれ以上無いほど納得して聞いていた。



 ――何となく、予想はついていたのだ。

 常に一緒にいる自分達のことを、この青年はしばしば羨ましがるような台詞を口にしていた。
 自分にはよく突っかかってくるのに、ケントの言うことは素直に聞く。相棒と2人でいるのを見つければ、即座に会話に入ってくる……。
 数え上げれば、それらしい素振りはキリがないほどあった。


 だからこそ、自分は焦っていた。
 ――この青年が、自分と同じ想いをケントに対して抱いていると気づいたから。


 秘めた感情の動きを気取られぬよう、セインは自制心を総動員して余裕の表情を保ち続ける。

「さあ――多分、いないと思うけどね」
「じゃあ……セインさんは?」
「俺? 俺は……」
 何故そこで自分にまで話が振られるのか疑問だったが、おそらく単に会話を繋ぐためだろうと、セインは特に気にもとめず答えた。
「俺はほら、全ての女性に平等に愛を注いでるからね。
 俺にとっては、女性全部が『好きな人』なのさ」
 持ち前の陽気な軽さを発揮して、セインはおどけた仕草で肩をすくめた。嘘でもなく、されど真実を表してもいない言葉は、彼の最大の防御策でもある。
 ――余裕の無い素の姿を見られることが、彼にとっては一番嫌なことだったから。


 普段のウィルであれば、真剣に発した質問に冗談めかした態度で答えるセインに膨れっ面のひとつも見せただろう。だが、今の彼はそんなことなど気にも留めていないかのように、黙って床に目を落としていた。



「……好きな人が、いるんです」

 相槌も打たず、黙って聞いている自分を時折窺うブラウンの双眸。
 彼が次に言う台詞を想像して、セインは上目遣いの視線から逃れるように心もち顔を俯けた。

 聞きたくは無い――だが、聞かねばならない。


「俺……」

 一度言葉を切ったウィルは、ためらいを振り切るかのように息を吸い込み、ぱっと一気に顔を上げた。

 刹那の後、その唇から発せられた言葉は。



「俺――セインさんが好きですっ!」


「………………は?」



 たっぷり数秒は沈黙した後、セインは思わず自分の耳を疑う。
 何を言われたのやら皆目解らない――耳には入っていても、その内容を理性が理解しようとしない。

「だから――俺の好きな人っていうのは、セインさんなんです」
 冬に外を駆け回ってきた子供のように、頬を紅潮させたウィルが真摯に訴えかけてくる。その表情に、ようやくこの事態が紛れもない現実であることを認識した。


 ――ウィルの想っている相手は、ケントではなかったのだ。
 自分達2人が共に居る時、間に割って入ってきたのも、自分達のことを羨ましいと言ったのも……全部。

(全部、俺が目当て……だったのか!?)


「……セイン、さん?」
 遠慮がちな声に我に返ると、ウィルが置き去りにされた仔犬のような目でこちらを見つめている。

「あー……悪い。本っ気でびっくりしたもんだから……」
 紛れもない本音を冗談めかして口にしながら、セインは努めて余裕に見えるような苦笑を形作って見せた。


「やっぱり……ダメ、ですか?」
 すぐに答えを欲しがるその様は、やはりまだ心根が幼い証拠だろう。
 真っ直ぐに見てくる澄んだ眼差しを前に、セインは額にかかる柔らかな髪をかしかしと掻き上げながら口を開いた。

「ん……好きって言ってくれる、その気持ちは嬉しいけど。
 俺としては、やっぱ女のコが好きだからさ。悪いけど、同じ男とそういう風になる気は……」

「嘘つきっ!」

 突然投げつけられた言葉に、セインは驚いて灰緑の双眸を見張った。
 セインの言葉を聞いた瞬間、さっと変わった表情――なじるような視線を真っ直ぐに向け、ウィルは続けて決定的な台詞を口にする。

「嘘ばっかり……
 セインさん、ホントはケントさんのことが好きなくせに!」
「なっ……!?」

 動揺を隠す余裕すら忘れ、今度こそセインは完全に絶句した。
 見開かれた灰緑の瞳には、彼が絶対に人前で露わにすることの無かった生のままの感情が揺らいでいる。


 ――誰にも、告げたことは無いはずの想いだった。
 そうと悟らせない自信だって、あったはずだった。

 それなのに。
 まだまだ子供だと思っていた年下の後輩に、見抜かれてしまうなんて。


 何を馬鹿なことをと、笑い飛ばすことも出来た。
 勘違いだと誤魔化して、言い包めることも不可能ではなかっただろう。

 けれど、隠しはしても嘘は吐かない――それがセインの信条でありプライドだった。
 隠し通すことが出来なければ、そこで終わり。だからこそ、冗談めかした掴みどころの無い言動で本音を見えなくすることが、彼の最大の防御なのだ。
 それを突破され、こうして言い当てられてしまった以上――その答えを偽ってまで本心を誤魔化すことは、セインには出来ない話だった。


「他の人は気づかなくても、俺には解りました。
 ずっと見てれば……解りますよ」
 照れたような笑みを浮かべて、ウィルが言う。

 ――つまり、ずっと見られていたことにも気づかないくらい、自分はただ一人の相手しか見ていなかったということか。
 自身の振る舞いを振り返り、セインは内心で一人赤面した。これほどの羞恥を感じたのは、何だかひどく久しぶりのような気がする。

 想いを寄せる親友以外の者に、一瞬でも動揺する姿を見せてしまうなんて、全く思いもしなかった。

(……やられたね。俺としたことが……)
 ――完全に、不意打ちを仕掛けられた構図だ。



「でも――俺、まだ諦める気は無いですよ?」

 セインの内心も知らばこそ、ウィルはどこか吹っ切れたような明るい笑顔で言い放つ。
「セインさん、まだケントさんと付き合ってはいないんでしょう?」
「……そりゃ、ね」
 付き合っている云々以前に、まだ気持ちすら伝えてはいないのだが――。
 言葉少なに頷くという、この先輩騎士には極めて珍しい態度を見て、ウィルは期待と決意にブラウンの瞳をきらめかせる。

「でしょ?
 なら、セインさんがケントさんと両想いになるまで……俺、諦めないです!」
 子供の戯言と笑い飛ばすには、あまりにも真摯で……熱の込められた、その台詞。
 セインはため息をつき――髪を掻き上げ、困ったように笑う。

「……多分、無駄だよ?」
「それでも、です」

 そう言い切って、ウィルは唐突に身を翻し扉へと向かった。
 ドアのノブに手を掛けたところで、肩越しに振り返り――晴れやかな笑顔を見せる。


「だって俺――セインさんのこと、本当に大好きですから!」

 一方的にそう宣言すると、ウィルは扉を開けて部屋から駆け出していった。



 しばし呆然とするセインの耳に、騒々しく廊下を遠ざかる足音が届く。
 それが完全に聞こえなくなると同時に、どさりと背中から寝台に倒れ込んで、セインは吐息混じりに呟いた。



「まいったぁ……もう、心底まいったよ……」


OFUSEで応援 Waveboxで応援


ナンパな男ほど、自分が口説かれるのには意外と慣れてないっていう。
思い切りノーマークだった方向から横槍入れられ、珍しくも動揺するセインは萌える。



PAGE TOP