友達のままで
「実は、結婚することになったんだ」
一瞬。
何を言われたのか、理解できなかった。
「……そう、なんだ。
良かったね、おめでとう」
とっさに祝福の言葉を紡ぎ出せた自分を、この時ばかりは褒めようと思った。
ありがとうと答える彼の傍らで、幸せそうに微笑む人。
――自分はどうだろう。
彼らのように、ちゃんと笑えていただろうか。
「それで、相談なんだけれど。
式は身内だけで挙げようと思ってるんだが、神父役を君に頼みたいんだ」
「……え?」
言葉に詰まる自分に、彼はいつも通り、穏やかに微笑みながら告げる。
「――君は、私にとって最も信頼する親友だからね。
私達の門出を、ぜひ君に見届けて貰いたいんだ」
親友。
何よりも嬉しいはずのその言葉が、胸の奥を抉る。
「…………。
……勿論だよ。僕で良いのなら、喜んで」
精一杯微笑んで、そう答えた。
答えざるを、得なかった。
※
どこをどう通って来たのか、自分でも解らない。
気づけば、真っ暗な闇の中をただひたすら走っていた。
『結婚することになったんだ』
あの時。
彼の言葉を聞いた瞬間、自分の中で何かが壊れる音がした。
足下にぽっかり穴が空き、そのまま奈落に引きずり込まれていくような錯覚。
膝から崩れ落ちそうになる身体を、最後の理性で何とか支えた。
長きにわたる戦いが終わって、ようやく訪れた平穏な日々。
居場所があって、仲間が居て――そして、想いを寄せる相手が居て。
そんな時間が、いつまでも続いていくと思っていた。
けれど、それは所詮自分の願望――泡沫の夢に過ぎなかった。
それを思い知らされた。他ならぬ、愛しい彼の手によって。
時は残酷に流れ、全てを変えていく。
人も、大地も……神ですらも、それに逆らう術は無い。
いつかはこんな日が来ると、本能で知っていたはずなのに。
それでも、拒絶を恐れ、安寧に逃げ込む事を選んだのは自分自身だ。
だからこれは、当然の帰結。
にも関わらず、絶望に打ちひしがれ、結果を受け入れられずにいる自分――何て、愚かな。
涙は出ない。その資格も無い。
ただ、声にならない声で、愛しい人の名を叫んだ。
不意に、足元の地面が消失した。
そのまま真っ直ぐに、底の見えぬ闇へと落ちていき――
飛び起きる。
夏用の薄い上掛けが、その勢いでばさりとベッド脇に落ちた。
しばし呆然とした後、ぎくしゃくと辺りを見回して、そこが自室だということをようやく認識する。
「……夢、か……」
ぽつりと、自分に言い聞かせるかのように呟く。
今まで見ていた光景が、悪い夢であったことに安堵して。
だが数瞬の後には、それが現実に起こりうる未来であることに気づくのだ。
もしかしたら明日にも、彼から夢と同じ言葉を告げられるかも知れない。
遠からず来るであろうその時に怯えながら、それでも彼への恋心を思い切ることも出来ず、また想いを告げる勇気も無い――悪夢から目覚めた自分を待っていたのは、さらに残酷で愚かしい現実だった。
夜も明け切らぬ薄闇の中、一人ベッドで膝を抱えうずくまる。
やがて朝の光が部屋を照らし始めるまで、そのまま動けなかった。
※
「あ、ボーレ! ちょっと棚からお皿取って!」
「へいへい。お前最近人使い荒くなってきてねぇか?」
「おはよう。あら、今朝の料理も美味しそうね」
食堂の扉をくぐった瞬間、賑やかに会話する声と香ばしい匂いに包まれる。
まもなく朝食の時間とあって、食堂には既に傭兵団の仲間達があらかた顔を揃えていた。普段はルーズな面子も、こと食事の時間にだけは妙に正確なのだった。
集まった仲間達の中、無意識にある姿を探す。
――程なくして見つけたその背中は、厨房の中にあった。
「オスカー、ちょっとこのスープ味見してみてくれない?」
「……うん。美味しいよ、上手く出来てる」
「本当? 良かったあ! オスカーが教えてくれた通りに作ってはみたんだけど、ちょっと自信が無くて……」
照れたように笑う少女と、それを受けて穏やかに微笑む長身の青年。
その端正な横顔を見た瞬間、胸の奥に喜びと、微かな痛みとが交錯した。
――彼に恋したと自覚してから、もう何年になるだろう。
決して知られてはならない、道ならぬ想い。
本人に告げることを考えなかったわけではない。けれど、自分と彼の立場を鑑みれば、打ち明けたところで先が無いのは解りきっている事だ。
何より、それで彼が幸せになれるとは思えない。彼ほどの男性ならば、伴侶にふさわしい女性はいくらでも見つけられるだろう。見合う女性と一緒になって暮らす方が、彼にとって幸福なのは明らかだった。
けれど。
彼が誰かと結ばれても、自分はきっと――この想いを捨てられはしないのだろう。
鈍く痛む胸をそっと押さえた時、厨房から出てきた青年と目が合った。
一瞬臆した自分に対し、彼はふわりと穏やかな笑みを浮かべ、こちらに歩み寄ってくる。
「おはよう、キルロイ」
「あ……、おはよう」
微妙に目線をそらして挨拶を返すと、彼――オスカーは顔を覗き込むように軽く首を傾げた。
「――元気が無いようだけれど、体調が悪いのかい?」
「ううん、そんな事無いよ。大丈夫」
気遣わしげな色を刷いた細い目に、精一杯の笑顔を返す。
いつも通り――仲間として、良き親友として。
彼の後について席に向かいながら、気づかれぬようそっと目を伏せる。
――そう、これで良い。
こうして傍から彼を見守り、想い続けられるだけで。
彼への恋心は、胸の奥底に閉じ込めたまま、この身が朽ちるその時まで持っていく。
誰に知られなくても構わない。ただ自分だけが知っていればいい。
こうして何気ない挨拶を交わし、共に過ごし、笑い合える。
今の関係を壊すくらいなら、ずっとこのまま……友達のままで。
――ああ、けれど。
言葉にはしないから、どうかこれだけは言わせてください。
(――貴方が、好きです)
切ない片思い→実は両思いでした☆のコンボは大好物です。