友達のままで


「実は、結婚することになったんだ」


 一瞬。
 何を言われたのか、理解できなかった。


「……そう、なんだ。
 良かったね、おめでとう」

 とっさに祝福の言葉を紡ぎ出せた自分を、この時ばかりは褒めようと思った。

 ありがとうと答える彼の傍らで、幸せそうに微笑む人。

 ――自分はどうだろう。
 彼らのように、ちゃんと笑えていただろうか。


「それで、相談なんだけれど。
 式は身内だけで挙げようと思ってるんだが、神父役を君に頼みたいんだ」
「……え?」
 言葉に詰まる自分に、彼はいつも通り、穏やかに微笑みながら告げる。

「――君は、私にとって最も信頼する親友だからね。
 私達の門出を、ぜひ君に見届けて貰いたいんだ」



 親友。


 何よりも嬉しいはずのその言葉が、胸の奥を抉る。



「…………。
 ……勿論だよ。僕で良いのなら、喜んで」

 精一杯微笑んで、そう答えた。
 答えざるを、得なかった。





 どこをどう通って来たのか、自分でも解らない。

 気づけば、真っ暗な闇の中をただひたすら走っていた。



 『結婚することになったんだ』



 あの時。
 彼の言葉を聞いた瞬間、自分の中で何かが壊れる音がした。

 足下にぽっかり穴が空き、そのまま奈落に引きずり込まれていくような錯覚。
 膝から崩れ落ちそうになる身体を、最後の理性で何とか支えた。


 長きにわたる戦いが終わって、ようやく訪れた平穏な日々。
 居場所があって、仲間が居て――そして、想いを寄せる相手が居て。

 そんな時間が、いつまでも続いていくと思っていた。


 けれど、それは所詮自分の願望――泡沫の夢に過ぎなかった。
 それを思い知らされた。他ならぬ、愛しい彼の手によって。


 時は残酷に流れ、全てを変えていく。
 人も、大地も……神ですらも、それに逆らう術は無い。

 いつかはこんな日が来ると、本能で知っていたはずなのに。
 それでも、拒絶を恐れ、安寧に逃げ込む事を選んだのは自分自身だ。
 だからこれは、当然の帰結。
 にも関わらず、絶望に打ちひしがれ、結果を受け入れられずにいる自分――何て、愚かな。



 涙は出ない。その資格も無い。

 ただ、声にならない声で、愛しい人の名を叫んだ。



 不意に、足元の地面が消失した。
 そのまま真っ直ぐに、底の見えぬ闇へと落ちていき――




 飛び起きる。


 夏用の薄い上掛けが、その勢いでばさりとベッド脇に落ちた。
 しばし呆然とした後、ぎくしゃくと辺りを見回して、そこが自室だということをようやく認識する。

「……夢、か……」

 ぽつりと、自分に言い聞かせるかのように呟く。
 今まで見ていた光景が、悪い夢であったことに安堵して。

 だが数瞬の後には、それが現実に起こりうる未来であることに気づくのだ。


 もしかしたら明日にも、彼から夢と同じ言葉を告げられるかも知れない。
 遠からず来るであろうその時に怯えながら、それでも彼への恋心を思い切ることも出来ず、また想いを告げる勇気も無い――悪夢から目覚めた自分を待っていたのは、さらに残酷で愚かしい現実だった。


 夜も明け切らぬ薄闇の中、一人ベッドで膝を抱えうずくまる。
 やがて朝の光が部屋を照らし始めるまで、そのまま動けなかった。





「あ、ボーレ! ちょっと棚からお皿取って!」
「へいへい。お前最近人使い荒くなってきてねぇか?」
「おはよう。あら、今朝の料理も美味しそうね」
 食堂の扉をくぐった瞬間、賑やかに会話する声と香ばしい匂いに包まれる。
 まもなく朝食の時間とあって、食堂には既に傭兵団の仲間達があらかた顔を揃えていた。普段はルーズな面子も、こと食事の時間にだけは妙に正確なのだった。


 集まった仲間達の中、無意識にある姿を探す。
 ――程なくして見つけたその背中は、厨房の中にあった。

「オスカー、ちょっとこのスープ味見してみてくれない?」
「……うん。美味しいよ、上手く出来てる」
「本当? 良かったあ! オスカーが教えてくれた通りに作ってはみたんだけど、ちょっと自信が無くて……」

 照れたように笑う少女と、それを受けて穏やかに微笑む長身の青年。
 その端正な横顔を見た瞬間、胸の奥に喜びと、微かな痛みとが交錯した。



 ――彼に恋したと自覚してから、もう何年になるだろう。

 決して知られてはならない、道ならぬ想い。
 本人に告げることを考えなかったわけではない。けれど、自分と彼の立場を鑑みれば、打ち明けたところで先が無いのは解りきっている事だ。
 何より、それで彼が幸せになれるとは思えない。彼ほどの男性ならば、伴侶にふさわしい女性はいくらでも見つけられるだろう。見合う女性と一緒になって暮らす方が、彼にとって幸福なのは明らかだった。

 けれど。
 彼が誰かと結ばれても、自分はきっと――この想いを捨てられはしないのだろう。


 鈍く痛む胸をそっと押さえた時、厨房から出てきた青年と目が合った。
 一瞬臆した自分に対し、彼はふわりと穏やかな笑みを浮かべ、こちらに歩み寄ってくる。

「おはよう、キルロイ」
「あ……、おはよう」

 微妙に目線をそらして挨拶を返すと、彼――オスカーは顔を覗き込むように軽く首を傾げた。
「――元気が無いようだけれど、体調が悪いのかい?」
「ううん、そんな事無いよ。大丈夫」

 気遣わしげな色を刷いた細い目に、精一杯の笑顔を返す。
 いつも通り――仲間として、良き親友として。



 彼の後について席に向かいながら、気づかれぬようそっと目を伏せる。


 ――そう、これで良い。

 こうして傍から彼を見守り、想い続けられるだけで。
 彼への恋心は、胸の奥底に閉じ込めたまま、この身が朽ちるその時まで持っていく。
 誰に知られなくても構わない。ただ自分だけが知っていればいい。


 こうして何気ない挨拶を交わし、共に過ごし、笑い合える。
 今の関係を壊すくらいなら、ずっとこのまま……友達のままで。



 ――ああ、けれど。

 言葉にはしないから、どうかこれだけは言わせてください。



(――貴方が、好きです)


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