絶対デートじゃない


「依頼?」
 湯気をたてる茶器を手に、鍾離が石珀色の瞳を瞬く。
「うん、先生に頼みたいことがあって」
 テーブルの対面に座る空は、手振りを交えて説明する。璃月周辺の地域を探索するにあたって、鍾離の力を借りたいのだと。
「先生なら、ここの土地に精通してるし、遺跡の仕掛けなんかにも詳しいだろうし。
 良ければ、手の空いてる時に同行してくれないかなって」
「ふむ」
 差し出された提案を吟味するかのように、青年はしばし思案して。

「……つまり、新しい『契約』ということだな」
「え?」
 不意に呟かれた言葉に、空は虚を突かれた顔になる。
「えっと、別に仕事とかじゃなくて……ただ、もし手伝ってもらえるならありがたいかなってだけなんだけど……」
 もしかしなくても、何やら大事に捉えられていないだろうか。少年の不安をよそに、鍾離は至って真面目な表情で続ける。
「だが、探索となれば費用もかかるし、戦利品の分配もある。そういったことは予め取り決めておいた方が、円滑に進むと思わないか?」
「た、確かに……」
 さすが元契約の神、と空は鼻白みつつ感心する。もしかして、軽い気持ちで頼み事をしてはいけない相手だったのでは——などと、一抹の不安が頭を掠めた。
 とは言え、彼の言うことにも一理ある。それに、「契約」という形を取る方が、彼にとってはやりやすいのかもしれないと、空は思った。

「……先生がそう言うなら、いいよ。契約しよう」
「了解した。では、そうだな……」
 ふむとしばし考え込んだ後、青年は再び口を開いた。
「同行に関して、俺への報酬は必要ない。探索で得た戦利品も、全てお前のものでいい」
 その代わり、と続ける。
「道中の経費は、お前の方で持ってもらう。この条件でどうだろうか」
 提示された条件を、空はしばし検討する。元より手伝ってもらうのだから、こちらが必要経費を負担することに否やはない。特に問題は無いだろう——この青年に買い物を任せたりしない限りは。
「うん、じゃあそれで」
「よし。契約成立だな」
 返答を受け、鍾離が満足げに頷く。その表情が心なしか嬉しそうに見えたのは、己が目の錯覚だろうかと空は思った。



 「契約」を交わしてからというもの、空が璃月の探索に出かける時は、しばしば鍾離が同行するようになった。
 期待した通り、彼の存在は大いに助けとなった。遺跡に潜れば難解なからくりを解き明かし、魔物との戦いにおいては槍術と岩元素を駆使して脅威を退ける。休息を取っている時も、役に立つ・立たないを問わず様々な話を語って聞かせ、少年を退屈させなかった。
 そうして日を追うにつれ、空が鍾離に同行を依頼する回数は次第に増えていった。最初は二週に一回程度だったものが、週一回になり、最近に至っては三日と空いていない。
 送仙儀式に端を発した、かつての神と異邦の旅人を結ぶ奇妙な縁。それは、今となっては友情と呼んで差し支えないものとなっていた。


「やっぱり、先生が居てくれると助かるなあ」
 璃月入口の門をくぐったところで、空はひとつ伸びをして同行者を見上げた。
「役に立てたのなら僥倖だ」
 涼やかな目元が、弧を描くように細められる。取り澄ましていれば芸術品のごときその美貌が、最初の印象ほど表情に乏しくはないことを、空は既に知っていた。
(案外わかりやすいんだよね、先生って)
 並んで歩く横顔を盗み見て、少年がひっそり笑みを浮かべたその時。

「やあ、お二人さん。今日も連れ立ってお出かけかい?」
 背後から聞こえた軽妙な声に、空と鍾離は揃って振り返る。視線の先で、見知った人物がひらひらと片手を振っていた。
「おい、三人だぞ! オイラを無視するなよな!」
「おっと、悪い悪い。おチビちゃんも含めてお三方、だったね」
 パイモンの抗議を、人を食ったような笑顔でさらりといなす青年。その姿を一瞥して、鍾離が呟く。
「『公子』殿か」
 「公子」タルタリヤ。スネージナヤから訪れた、ファデュイの執行官の一人。
 先の璃月での騒動もあり、本来なら敵対的な立場の相手……のはずなのだが、当人は何食わぬ顔でこうして親しげに近づいてくる。空の方も警戒は解いていないものの、この不思議と人好きのする雰囲気の持ち主を、どうしても無碍に出来ないでいるのだった。

「君も毎日忙しそうだね。冒険者協会からの依頼かい?」
「そんなところかな」
「おう。一日走り回って、もうお腹ぺこぺこだぞ!」
 頷く空とパイモンを見やって、タルタリヤはそれなら、と人差し指を立てた。
「俺もちょうど夕食にしようと思ってたところでね。せっかくだし、一緒にどうだい?」
 鍾離との顔合わせの席以来、この四名で食事をするのは既に珍しくもなくなっていた。おそらく断らないだろうなと思いつつも、空は一応確認を取ろうと傍らの同行者を振り仰ぐ。
「どうする、鍾離先生?」
「ああ、俺は構わない」
 お前は? と訊ねる視線に、先生がいいならと頷く。
「よし、決まりだね」
 明るい声に促されるまま、一行は歩き出す。食事代が浮いたな、としたり顔で耳打ちしてくるパイモンに、空は苦笑を浮かべた唇に人差し指を当ててみせた。


 タルタリヤの先導で訪れたのは、それなりに値の張りそうな食事処だった。
 彼なりに気を遣っているのか、それともただの好みなのかは判然としないが、少なくとも鍾離と三人だったらまず入らなかったであろう店には違いない、と空は思った。

 ほどなく料理が運ばれてきて、香ばしい匂いと食器の触れ合う音が食卓に満ちる。テーブルいっぱいに並んだ皿は、三名の健啖家によってあっという間に片付けられていった。
「そう言えば、最近は週イチくらいで先生とデートしてるらしいじゃないか」
「ぶはっ」
「わぁ!? 大丈夫か、空!?」
 何気なく発せられたタルタリヤの言葉に、空は思わず飲んでいた茶を吹き出しかけた。むせて咳き込む少年を、パイモンが案じる。
「ごほっ……ちょっ、な……デー……!?」
 涙目で意味をなさない文字列を発する空を、向かいに座る青年が面白そうに眺める。
「そんなに慌てなくても。仲が良いのはいいことだよ」
「ちっ、違……デートとかじゃなくて!」
「そうだぞ、公子殿」
 少年の右隣に座り、優雅に食後の茶を嗜んでいた鍾離がおもむろに口を開く。
「少なくとも、週二回は行っている」
「訂正するところそこじゃないでしょ先生!?」
 反射的に突っ込んでから天を仰ぐ空に、明らかに笑いを堪えている様子のタルタリヤが追い討ちをかける。
「じゃあ、二人で出かけた時は何をしてるのさ?」
「何って……」
 空は一瞬口ごもった後、宙を睨みながら指を折り始めた。

「遺跡を見に行ったり」
「うんうん」
「食料や素材を採ったり」
「ほうほう」
「あと、一緒に食事したりとか……」

「なんだ、やっぱりデートじゃないか」
「違う!!」
 力一杯否定する少年とは対照的に、もう一方の当事者はと言えば。
「ふむ、言われてみればそうとも見えるな」
「ちょっ、先生ー!?」
 こちらが必死で否定しているというのに、何故そこで納得してしまうのか。空は再び天を仰ぐ。
「いやぁ、相変わらず君達は面白いなぁ。見てて飽きないよ」
 遠慮会釈なしに爆笑するタルタリヤ。その横っ面に一撃入れてやりたい気分で、空は彼の方を睨んだ。



 店を出ると、璃月港はすっぽりと夜の帳に包まれていた。商店の軒先に掲げられた提灯の明かりが、朱塗りの街並をより華やかに温かに彩る。
 満腹でご満悦のパイモンは、眠くなったと言って早々に姿を消してしまった。それを汐に、タルタリヤもそれじゃあねと手を振る。
「俺はここで。お二人の『デート』を邪魔するのも悪いからね」
「まだ言う!? だから違うって……!」
 少年の抗議を尻目に、「公子」は人懐こい笑みを残してその場を立ち去っていった。反論するタイミングを完全に逃し、空はがっくりと肩を落とす。
「公子殿の言うことをいちいち真に受けない方がいい。彼は人をからかうのが好きだからな」
 黙ってやり取りを見守っていた鍾離が、見かねたように声をかける。
「わかってる、けど」
「ここ最近、俺達がよく一緒に行動していることは事実なのだし、そこまで気にせずとも良いだろう」
 全く気にも留めていないといった風情の青年を、空はじとりと半眼で見上げた。
「あのさ、先生……デートってどういう意味かわかってる?」
「ああ、知っている。狭義としては男女の逢引を指す言葉だな」
 なんだ、わかってるんじゃないか。空は内心で呟いた。元神様とはいえ、流石にそこまで朴念仁ではなかったらしい。
「わかってたんなら、否定してくれればよかったのに」
 ぼそりと、ため息交じりに呟く。
 知った上でこの反応なのだから、本当に何とも思っていないということで——実際のところ、気にしているのは自分だけなのだろう。少年は思う。

 ——本当は、否定なんてしたくない。
 鍾離と過ごす時間は、とても楽しい。知られざる歴史を、実用的とは言えぬ雑学を、時に忘れられた詩歌を、心底楽しそうに語るその声をずっと聞いていたい——共に出かけるたびに、そんな想いが空の中でゆっくりと、しかし確実に膨れ上がっていく。
 あの時間を彼との逢引と呼べたなら、どれほど素敵なことだろう?

(……でも、現実はそうじゃない)
 だから少年は、自身の気持ちに嘘をつくことを選んだ。


 表通りの喧騒が、遠く響く。
 石畳に落ちる大小ふたつの影は、示し合わせなくとも自然と同じ方へ向かう。本来ならわざわざ送っていく必要はないのだけれど、空はそうしたかったし、鍾離の方もそれに疑問を呈することはなかった。

「——逆に訊くが」
 不意に、鍾離が口を開いた。
「お前は、何故そこまで必死に否定する?」
「え」
 虚を突かれた表情の空を、青年は腕を組んで見下ろす。
「俺と出かけて、逢引扱いされるのがそれほど気に入らないか?」
 柳眉を寄せ、形の良い唇をわずかに尖らせて。

 なに、その顔。空は声に出さず呟く。
 それじゃあまるで——拗ねているみたいだ。

 もしかして、と頭をよぎる浮ついた期待を振り払う。
「ち、違うよ。嫌なわけじゃなくて」
 紛らわしい振る舞いはやめてほしいと思いながら、空は慌てて首を横に振った。
「ただ、先生に申し訳ないから……」
「俺に?」
 訝しげに片眉を上げる青年から、空は視線を外す。
「先生は、善意で俺の探索に付き合ってくれてるだけなのに。
 それを『デート』なんてからかわれたら……いい気はしないでしょ?」
 前を見たまま、独り言のように言った。
 肯定を予想した上での言葉なのに、是と返されることが怖い——そんな自分を滑稽だと思いながら、相手の反応を待つ。

「……そんなことを気にしていたのか?」
 しかし予想に反して、返ってきたのは呆れを含んだ声。
 そんなこと、と一言の下に切り捨てられて、空は思わず抗議の声を上げかけた。
「空。お前はひとつ、思い違いをしている」
「……え?」
 振り仰いだ先で、真っ直ぐにこちらを見る黄金と目が合った途端、出そうとした声は喉に引っかかってしまった。
 先程の呆れたような口調とは裏腹に、その眼差しは真剣そのもので——全てを見通してしまうような鬱金の双眸から、空は慌てて視線を外す。

「俺がお前と契約を交わしたのは、それだけの価値があると俺自身が認めたからだ」
 頭上から振ってくる言葉は自信に満ち、それでいて諭すように穏やかで。
「お前との旅は、俺にとって得るものが多い。この契約は公平であり、故に俺達は対等であるはずだ」
 善意、などという一方的な押し付けではないのだと。
 静かに語る声の奥底には、かつて契約の神として在った者の矜持が宿っていた。
「お前が負い目を感じる必要など無い。自分を殊更に卑下するのは止すがいい」
「……先生」
 必要なことは言った、と言わんばかりに歩みを進める横顔を、空は息を呑んで見つめた。

 ——思えば、出会った時からそうだった。
 鍾離は、空を決して目下に見ない。契約相手として常に一定の敬意を払い、対等に接してくる。その距離感は、見た目で子供と侮られることも多い旅人にとって実に心地よく、信頼に値するものだった。
 だからこそ、空には解る。今の言葉は、紛れもなく彼の本心であると。

 先に立って歩く背中を、小走りに追いかける。
 鍾離の言葉はとても嬉しかった。けれどその一方で、空の胸にひとつの疑問が湧き上がる。
 ——彼は、自分と過ごす時間にどんな「価値」を見出しているのだろうか。


 あるいは、もしかしたら。
 それは、自分が密かに抱くモノと同じ——?


 視線の先にはいつも通り、凛と背筋を伸ばした後ろ姿。
 先刻彼が見せた、如実に不満だと言わんばかりの顔が脳裏をよぎる。

『俺と出かけて、逢引扱いされるのがそれほど気に入らないか?』

(どこまで解って言ってるのかな、この人は……)
 あまり、期待させないでほしい。
 顔に出さないよう、空は心の中で深く溜息をついた。

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両片思いのモダモダ感が好きです。



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