明霄の灯は落ちて


 祭りが終わった後は、決まって少し寂しい気持ちになる――少し前にパイモンが言っていたことだが、実際その通りだと空は思う。
 裏を返せば、宴の終わりを惜しいと感じるのは、きっと楽しい時間を過ごすことができた証しなのだろう。

 これから会いに行くあの人も、今年の海灯祭を満喫できただろうか?
 晴れの日を終え、日常へと戻った街。仕事終わりの人並みを縫って進む少年の足取りは、心なしか弾んでいた。


「来たか」
 呼び鈴を鳴らして程なく現れた青年は、空の姿を見て微笑んだ。
 通された客間にはすでに茶器の用意がしてあって、蒸らした茶葉の良い香りが立ち込めていた。
 勝手知ったるなんとやら、ここに来るのも慣れたものだ。空はいつものように、家主と向かい合う席につく。

「今年の海灯祭はどうだった?」
 たちのぼる湯気ごしに訊ねれば、鍾離は一口茶を含んだ後に答える。
「例年に劣らず、良い祭りだった」
「祭りの間は、多くの旧友と語らう機会を持てた。それに……」
 そこで一度言葉を切り、青年は笑みを含んだ視線を旅人へと投げた。
「思いがけず、珍しい客人とも交流できたしな」

 空の脳裏に、音楽祭の打ち上げと銘打った食事会の光景がよみがえる。
 胡桃が連れてきた仙人に、脈絡もなく乱入する吟遊詩人――実に、珍客の多い宴だった。

「こっちは笑いを堪えるの大変だったんだからね」
「はは、なかなかの演技だっただろう?」
 冗談まじりに唇を尖らせる少年に対し、鍾離もおどけた風に片目を瞑ってみせた。
「俺だけじゃない。降魔大聖もあの詩人も、いい役者ぶりだった」
「ウェンティはともかく、魈はすごく困ってたよ」
 さも初対面という体で、皮肉という名の棘を笑顔のテクスチャにくるんで刺し合っていた旧知の神ふたりを前に、どうにも身の置きどころがない様子の少年夜叉。ただでさえ慣れない場に連れてこられた上、突然あんな腹芸を求められては、あまりにも酷というものだ――同じく全てを知っている身として、空は彼に同情せずにはいられなかった。

「なに。少々荒療治ではあったが、自身の在り方を考えるいい機会になっただろう」
 その状況を作り出した当事者の一人は、至って涼しい顔でそんなことをうそぶく。
「スパルタだね」
 苦笑半分、呆れ半分で告げれば、青年はそれに、と言葉を重ねた。
「お前が同席していたからな。フォローを任せて大丈夫だろうと思った」
「信頼してくれてる、って思うべきなのかな」
 何だか都合よく使われた感がなくもないが、鍾離から信を置かれていることは素直に嬉しいと空は思った。


「お前には、気を遣わせてしまったな」
「別にいいよ。俺も楽しかったし」
 魈にはいい迷惑だったかもしれないが、諸々のハプニングを含め、空自身はあの宴を心から楽しんでいた。正直にそう告げると、青年はいや、とかぶりを振った。
「その件もだが――」
 いたずらめいた笑みを収め、真面目な色を刷いた金の瞳が旅人を見据える。

「海灯祭の間、俺を訪ねてこなかったのは、気を遣ってくれたのだろう?」
「……別に、そういうわけじゃないけど」
 考えを見透かされていたことに少々気恥ずかしさを覚えて、空は青年から視線を外した。一口、二口と茶を飲み下し、再び言葉を紡ぐ。
「璃月の人にとって、海灯祭が大切な行事だってこと、知ってるから。
 先生も、会っておきたい人はたくさん居るだろうし」
 ただ、邪魔したくなかっただけ。
 半ば独り言のように、少年がつぶやく。

 しがらみのない旅人の自分は、会いたければいつでも会いに来られる。だからこそ、新年を祝う祭りという機会は、普段なかなか顔を合わせない相手との旧交に費やしてほしい。
 頼まれていた品を届けに行った際、仙人たちと和やかに食膳の支度をしていた鍾離の姿を見て、そう思ったのだ。
 彼は多くの者から慕われる存在だ。古くからの友もたくさんいる。
 恋仲だからといって――否、だからこそ、優先や特別扱いはしてほしくない。それぞれの旅の途中、互いの道行きが交わった時に想い合えるならそれでいい、と。

「相変わらず謙虚なことだ」
 あえて言葉にしなかった部分も、彼は読み取ったのだろうか。
 人の機微に疎いかと思えば、変なところで鋭いのだから始末に負えない――楽しげに微笑む美貌を横目に、空はがしがしと金の髪をかき回す。
「お前のそういうところも、俺は好ましいと思っている」
 そこで一旦言葉を切り、鍾離はしばし何事か考えるような仕草を見せた。わずかな沈黙の後、だが、と口を開く。
「俺としては、こうも思うんだ」
「お前はもっと、自身の望みに忠実になってもいいのではないか、と」
 特に、俺の前ではな。

 彼の言わんとするところを、空はすぐに理解した。
 喜びと、気恥ずかしさと、プライド。入り混じる複雑な感情たちは、ミルクを落としたばかりの紅茶のよう。
 飛び上がるほど嬉しいのに、素直にそうと認めたくなくて。
「それじゃまるで、俺が先生に構ってほしいみたいじゃない」
 つんとそっぽを向く空に、青年はふふ、と笑った。

「ならば、こう言おう――『俺が、お前に構ってほしかった』」
 どうだ? と言わんばかりの視線を向けられて。
 心にもないことを、などと思いつつも、彼からそんなふうに言われれば嬉しくないはずもなく。
「じゃあ、そういうことにしておいてあげる」
「ありがたいな」
 機嫌を取るように、目の前に器が差し出される。焼き菓子を盛った白磁の向こうには、微笑ましげに細められたふたつの黄金。

 言質は取った。少なくとも今日は、自分が彼を独り占めしてもいいだろう。
 つまんだ菓子を半分に割って、片方を口に放り込む。今宵の過ごし方を考えながら味わうそれは、いつもより甘く感じられた。


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いろんな意味で衝撃の海灯祭イベントでした。



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