「うーん……?」
寝台に腰掛け、しげしげと自身の手を眺め回す少年に、湯浴みを終えた鍾離が声をかけた。
「どうかしたのか」
何となくだけど、と前置きしてから、空が続ける。
「先生と、その……した後は、元素の力がいつもより強くなってるような気がする」
いまいち歯切れ悪く答える空の顔は、心なしか赤い。先刻まで交わしていた行為を、直截的に表現するのがはばかられたのだろうか。
もう何度も逢瀬を重ねているというのに、未だに慣れないのだな、と鍾離はひっそり笑う。
「気のせいだよね、多分」
「ふむ」
顎に手を添え、青年は思考を巡らせる。
「あながち、そうとも言い切れないぞ」
「え?」
きょとんと見つめてくる蜂蜜色の双眸に視線を合わせ、鍾離は持論を口にする。
「お前は神の目を持たないが、七天神像に触れることで、その神が司る元素力を行使できるという」
「で、あればだ。
神本人と接触することで、お前の中の元素力に何らかの影響を及ぼす可能性は十分あると、俺は考える」
「そういうもの、なのかな」
半信半疑と顔に書いて、手のひらを開いては閉じる少年。その様子を横目に、鍾離は何やら考えにふけっている。
「元素の共鳴による増幅か、あるいは粘膜接触により元素力が融通されたのか。
ふむ……なかなかに興味深い知見が得られたな」
「……先生って、そういうとこあるよね」
色気より知識欲、みたいな?
頬に朱をのぼらせながらも呆れ顔の空に、鍾離は首を傾げた。
※
「荒星!」
凛とした声を合図に、岩元素の結晶が敵の只中へと落ちた。衝撃で弾き飛ばされる怪物たち。体勢を立て直す暇も与えず、地面を蹴って少年が迫る。
小柄なヒルチャールを叩き伏せ、振り下ろされる斧はひらりとかわし、剣を一閃。この集団の頭目とおぼしき巨体のヒルチャールは、くぐもった呻き声を残してその場に崩れ落ちた。
「見事だ」
背後を警戒していた青年が、危なげのない戦いぶりに惜しみない賞賛を贈る。旅人は剣をひと振りすると、わずかに照れたような色を浮かべ、ありがとうと答えた。
「一度、休憩を取るか?」
相手の疲労を気遣う提案に、空も同意する。
「そうだね。ちょうどお昼時だし」
「おおっ、そうこなくっちゃな!」
食事の話題が出た途端、パイモンが目を輝かせて手を打ち合わせる。あまりに現金なその態度に、二人はそろって微笑ましげな苦笑を浮かべた。
鍾離は野営の準備を担当し、旅人とパイモンは二手に分かれて周辺で食材を探すことになった。
ひととおり場を整えた後、そろそろ火をつけておくべきかと独り思案する青年の背中に、聞き慣れた声がかかる。
「鍾離先生」
「戻ったか。早いな」
振り向けば、抱えていた袋を足元に下ろす少年の姿。こちらへ歩み寄ってくる気配を感じながら、前方に視線を戻した瞬間、不意に右手を取られる。
訝しむ鍾離の視界に、一計を案じた表情でこちらを見上げる淡黄色の瞳が映った。
「こっちに来て」
手を引かれ、二人して崩れた外壁の陰へと回り込んだ。彼の意図をつかみかね、鍾離は内心で首を傾げる。
「ね、先生」
壁を背にして立つ青年の顔に、己の顔を近づけて、そっと囁く。
「キス、してもいい?」
「唐突だな」
不意の申し出に、鍾離は少々面食らう。
「ほら、前に言ってたでしょ。
先生と触れ合って、元素力が強まるのは気のせいじゃないかもって」
「ああ」
だから、と少年はほのかにコケティッシュな笑みを浮かべ、言葉を継ぐ。
「さっき使ったぶん、先生から元素力を分けてもらおうかなって」
「……なるほど」
どこまで本音なのだろうな、と鍾離は内心で苦笑する。
とは言え、方便でも別にかまわなかった。どちらにせよ、することは同じだ。
了承の返事の代わりに、上体を屈めて顔を近づける。
首に腕が巻き付いて、ぐいと引き寄せられたと同時に、唇を塞がれた。
するりと侵入してきた舌が、じっくりと味わうように口内を動き回る。上顎、歯の裏側と、自身でもそう触れない箇所をなぞられた後、舌を絡め取られた。互いの熱を混ぜ合わせては吸い立てて、そのまま融け合おうとするかのように。
粘膜から直接欲望を送り込まれ、鍾離の背をぞくぞくと波が這い上がる。神であった頃には知る由もなかった——彼に教えられた、悦び。
思うさま口内を蹂躙した唇が、名残惜しげに離れていく。閉じていた瞼を上げると、熱に浮かされた蜂蜜色の瞳がすぐ目の前で笑っていた。
二人ほぼ同時に、吐息を零して。
「ごちそうさま」
ぺろりと唇を舐め、少年は満足げに微笑んだ。幼さの残る顔立ちとは裏腹な、蠱惑的ですらあるその表情に、鍾離は視線を惹かれる。
先程まで絡めあっていた舌の感触が、まだ粘膜に残っている。身体の奥で、埋み火のように鈍く灯る熱の気配は、まだ人の欲に慣れきっていない青年を戸惑わせた。
うっすらと色づいた白皙の頬を、旅人の指が滑るようになぞっていく。
「どうしたの、先生」
もっと欲しい? と、無邪気に問われて。
——とっさに否定できなかった時点で、認めたようなものだと悟る。
無言で眉をしかめる仕草から何を読み取ったのか、空は嬉しそうにくすくす笑った。
「俺もまだ足りないけど、今はお預けだね」
また夜に、と。
耳元で囁かれて、半ば無意識にうなずいていた。
「空ぁー、取ってきたぞー!」
崩れた石壁の向こう側で、パイモンの声がした。それを聞いて、少年が名残惜しげに身体を離す。
「行こう、先生」
促すその顔は、もう既に普段通りの旅人で。
身体を重ねる時は未だ恥じらう様子を見せるのに、一方でこうして大胆な行動に出ることもある。
果たしてどちらが、彼本来の性質なのだろう。
(不思議なものだな)
あるいはその両方か、と鍾離は独りごちる。
戸惑うこともあれど、それら全てを引っくるめて、鍾離は今の状況を楽しんでいた。
かの旅人の見せる全てが、自身にとっては新鮮で、得難い未知であるがゆえに。
与えられた熱の残る唇を、指先でそっとなぞって。
鍾離は金の双眸を細め、小走りに駆けていく背中をゆったりと追いかけた。
互いに押したり押されたり、いろんな顔を見せて欲しい。
2023.06.03 公開