「うーん……?」
 寝台に腰掛け、しげしげと自身の手を眺め回す少年に、湯浴みを終えた鍾離が声をかけた。
「どうかしたのか」
 何となくだけど、と前置きしてから、空が続ける。
「先生と、その……した後は、元素の力がいつもより強くなってるような気がする」
 いまいち歯切れ悪く答える空の顔は、心なしか赤い。先刻まで交わしていた行為を、直截的に表現するのがはばかられたのだろうか。
 もう何度も逢瀬を重ねているというのに、未だに慣れないのだな、と鍾離はひっそり笑う。

「気のせいだよね、多分」
「ふむ」
 顎に手を添え、青年は思考を巡らせる。
「あながち、そうとも言い切れないぞ」
「え?」
 きょとんと見つめてくる蜂蜜色の双眸に視線を合わせ、鍾離は持論を口にする。
「お前は神の目を持たないが、七天神像に触れることで、その神が司る元素力を行使できるという」
「で、あればだ。
 神本人と接触することで、お前の中の元素力に何らかの影響を及ぼす可能性は十分あると、俺は考える」
「そういうもの、なのかな」
 半信半疑と顔に書いて、手のひらを開いては閉じる少年。その様子を横目に、鍾離は何やら考えにふけっている。
「元素の共鳴による増幅か、あるいは粘膜接触により元素力が融通されたのか。
 ふむ……なかなかに興味深い知見が得られたな」
「……先生って、そういうとこあるよね」
 色気より知識欲、みたいな?
 頬に朱をのぼらせながらも呆れ顔の空に、鍾離は首を傾げた。



「荒星!」
 凛とした声を合図に、岩元素の結晶が敵の只中へと落ちた。衝撃で弾き飛ばされる怪物たち。体勢を立て直す暇も与えず、地面を蹴って少年が迫る。
 小柄なヒルチャールを叩き伏せ、振り下ろされる斧はひらりとかわし、剣を一閃。この集団の頭目とおぼしき巨体のヒルチャールは、くぐもった呻き声を残してその場に崩れ落ちた。
「見事だ」
 背後を警戒していた青年が、危なげのない戦いぶりに惜しみない賞賛を贈る。旅人は剣をひと振りすると、わずかに照れたような色を浮かべ、ありがとうと答えた。

「一度、休憩を取るか?」
 相手の疲労を気遣う提案に、空も同意する。
「そうだね。ちょうどお昼時だし」
「おおっ、そうこなくっちゃな!」
 食事の話題が出た途端、パイモンが目を輝かせて手を打ち合わせる。あまりに現金なその態度に、二人はそろって微笑ましげな苦笑を浮かべた。

 鍾離は野営の準備を担当し、旅人とパイモンは二手に分かれて周辺で食材を探すことになった。
 ひととおり場を整えた後、そろそろ火をつけておくべきかと独り思案する青年の背中に、聞き慣れた声がかかる。
「鍾離先生」
「戻ったか。早いな」
 振り向けば、抱えていた袋を足元に下ろす少年の姿。こちらへ歩み寄ってくる気配を感じながら、前方に視線を戻した瞬間、不意に右手を取られる。
 訝しむ鍾離の視界に、一計を案じた表情でこちらを見上げる淡黄色の瞳が映った。

「こっちに来て」
 手を引かれ、二人して崩れた外壁の陰へと回り込んだ。彼の意図をつかみかね、鍾離は内心で首を傾げる。
「ね、先生」
 壁を背にして立つ青年の顔に、己の顔を近づけて、そっと囁く。

「キス、してもいい?」

「唐突だな」
 不意の申し出に、鍾離は少々面食らう。
「ほら、前に言ってたでしょ。
 先生と触れ合って、元素力が強まるのは気のせいじゃないかもって」
「ああ」
 だから、と少年はほのかにコケティッシュな笑みを浮かべ、言葉を継ぐ。
「さっき使ったぶん、先生から元素力を分けてもらおうかなって」
「……なるほど」
 どこまで本音なのだろうな、と鍾離は内心で苦笑する。
 とは言え、方便でも別にかまわなかった。どちらにせよ、することは同じだ。

 了承の返事の代わりに、上体を屈めて顔を近づける。
 首に腕が巻き付いて、ぐいと引き寄せられたと同時に、唇を塞がれた。
 するりと侵入してきた舌が、じっくりと味わうように口内を動き回る。上顎、歯の裏側と、自身でもそう触れない箇所をなぞられた後、舌を絡め取られた。互いの熱を混ぜ合わせては吸い立てて、そのまま融け合おうとするかのように。
 粘膜から直接欲望を送り込まれ、鍾離の背をぞくぞくと波が這い上がる。神であった頃には知る由もなかった——彼に教えられた、悦び。

 思うさま口内を蹂躙した唇が、名残惜しげに離れていく。閉じていた瞼を上げると、熱に浮かされた蜂蜜色の瞳がすぐ目の前で笑っていた。
 二人ほぼ同時に、吐息を零して。

「ごちそうさま」
 ぺろりと唇を舐め、少年は満足げに微笑んだ。幼さの残る顔立ちとは裏腹な、蠱惑的ですらあるその表情に、鍾離は視線を惹かれる。
 先程まで絡めあっていた舌の感触が、まだ粘膜に残っている。身体の奥で、埋み火のように鈍く灯る熱の気配は、まだ人の欲に慣れきっていない青年を戸惑わせた。
 うっすらと色づいた白皙の頬を、旅人の指が滑るようになぞっていく。

「どうしたの、先生」
 もっと欲しい? と、無邪気に問われて。
 ——とっさに否定できなかった時点で、認めたようなものだと悟る。
 無言で眉をしかめる仕草から何を読み取ったのか、空は嬉しそうにくすくす笑った。
「俺もまだ足りないけど、今はお預けだね」
 また夜に、と。
 耳元で囁かれて、半ば無意識にうなずいていた。

「空ぁー、取ってきたぞー!」
 崩れた石壁の向こう側で、パイモンの声がした。それを聞いて、少年が名残惜しげに身体を離す。
「行こう、先生」
 促すその顔は、もう既に普段通りの旅人で。

 身体を重ねる時は未だ恥じらう様子を見せるのに、一方でこうして大胆な行動に出ることもある。
 果たしてどちらが、彼本来の性質なのだろう。
(不思議なものだな)
 あるいはその両方か、と鍾離は独りごちる。

 戸惑うこともあれど、それら全てを引っくるめて、鍾離は今の状況を楽しんでいた。
 かの旅人の見せる全てが、自身にとっては新鮮で、得難い未知であるがゆえに。

 与えられた熱の残る唇を、指先でそっとなぞって。
 鍾離は金の双眸を細め、小走りに駆けていく背中をゆったりと追いかけた。


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互いに押したり押されたり、いろんな顔を見せて欲しい。

2023.06.03 公開



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