秋風舞う璃月の街を、悠然と歩む青年がひとり。
 これといった事件もなく、いつも通りの一日が過ぎてゆく。平穏な日々は退屈だと人は言うけれど、それがどれほど貴重で尊いものか、彼はよく知っている。

 風に運ばれてきた葉が肩をかすめていって、鍾離はふと足を止めた。
 金色の双眸を細め、朱色の街並みと、その向こうに広がる空を見上げる。

 まもなく、月逐い祭が始まる時期だ。
 思い返すのは、去年の祭での一幕。七星肝いりの催しに沸く中で、かつての友と思いがけない再会を果たした。久方ぶりに旧交を温める自分達を、我が事のように嬉しそうに見守っていた旅人の姿を思い出す。

 空が隣国スメールへと発ってから、一月あまりが過ぎた。
 本人からの便りは特に無い――いつものことだ。その地の神に会うという目的を達成しない限り、彼はどんな形であれ接触を図ってはこない。それはきっと、本人なりのけじめなのだろうと鍾離は察していた。
 いずれ、隣国での活躍も風の噂に聞こえてくるはずだ。そしてまた、金の髪の英雄はこの世界にいっそう名を轟かせるだろう。あの少年は、そういう星の下に在る。

 今年の月逐い祭にも、彼は顔を出すだろうか。
 何かと多忙な身の旅人だが、鍾離には不思議と確信めいたものがあった。
 万民堂の香菱は、今年も祭りに向けて新たなメニューを考えているという。彼女の新作とあらば、旅人もその相棒も、きっと興味を示すことだろう。
 語らいの時に出す茶葉も見繕っておかねばなるまい。祭りの時期となれば、普段は見られない特別な菓子も市場に並ぶ。茶請けにすれば、彼は喜ぶだろうか――?

 つむじ風が足元を吹き抜けて、石畳に散った落葉と上衣の裾を舞い上げる。
 ふと我に返り、鍾離はひとり苦笑した。

 穏やかに過ぎる日々の中、折に触れて彼のことを思い出す。
 まるで、恋を覚えたての生娘のようではないか。そう自嘲してから、似たようなものかもしれないな、と思い直す。
 彼と出会い、想いを告げられて、初めて恋というものを知った。
 人ならぬ身に、人の子が教えた感情。ただ一人の相手と想い合うこと、触れ合わせる肌のぬくもり――彼が与えてくれる全てが、新鮮で甘美な悦楽となって、幾千の時を重ねた磐岩の心を震わせる。

 少し冷たくなった風が、却砂の葉をざわめかせる。
 揺れる山吹色に、記憶の中で跳ねる金の髪が重なった。

 何にも縛られない、自由な煌めき。悠久の時を重ねた黄金に、それはこの上なく眩しいものと映った。
 叶うならずっと見ていたいと、らしくもない願いを抱いてしまうのは、まさに「恋をしている」からなのだろう。
 浮ついた心持ちを自嘲するも、その表情は明るく。


 「鍾離」という凡人の人生に、またひとつ、新たな喜びが加わった。
 こうして再会を待つ時間も、悪くはない。

 口元に穏やかな微笑みをたたえて、青年は商店の立ち並ぶ中心街へと足を向けた。




 知恵の国、スメール。
 璃月から西へと進めば、そこは草の神の領域。赤茶けた岩が林立する風景から一転、見渡す限りの豊かな緑が旅人を出迎える。
 その中心地たるスメールシティは、香辛料の香りと活気に満ちあふれていた。研究者に傭兵、商人、異国からの客人と種々雑多な人間が行き交う通りを、小さな相棒を連れた金髪の少年が歩いてゆく。

 道の両脇に立ち並ぶ露店を横目に、軽やかに進んでいた足がつと止まる。
 水の入った桶に生けられた、色とりどりの切り花。その中のひとつに、空は目を留めた。

(この花、先生が気に入りそう)
 ふと、そんな考えが頭をよぎる。
 誕生日に贈った花束を、あの人はとても嬉しそうに受け取ってくれた。抱えた花に負けないくらい艶やかな微笑みが、今でもありありと思い出せる。
 異国の地に咲くこの花を、鍾離が知っているかはわからないけれど。
 今度会う時に持っていったら、彼は喜ぶだろうか。あの柔らかな笑顔を、また見せてくれるだろうか――?

「なぁ空、あっちに屋台があるぞ。行ってみようぜ!」
 パイモンの呼ぶ声で、少年は我に返った。
 彼女の後を追いながら、気づかれぬようひそかに苦笑する。

 テイワットを巡る旅は、新鮮な体験の連続だ。
 見たこともない風景に目を奪われ、初めて口にした料理に舌鼓を打つ。そんな時、この体験を鍾離と共有できたらいいのにと、心の片隅によぎる思いがある。

 魔神であり、仙人であり、そして人であろうとしている――そんな彼に恋をした。
 端正な容姿に、気品ある立ち居振る舞い。豊富な知識を持ちながら、それをひけらかすことのない謙虚な態度。完璧かと思いきや、浮世離れした金銭感覚にとぼけた言動と、何とも抜けた一面を見せてくる。
 まだ秘密を隠しているとわかっていても、その人柄は憎めなくて。
 気づけば、いつの間にか魅了されていた。

 ただ美しいだけならば、これほど心を奪われはしなかっただろう。
 一国の神、人の庇護者として立ち続けた歳月。無数の出会いと別れ、喜びと哀しみ、希望と絶望――それら全てを受け入れて、今を生きる「鍾離」という人に、きっと自分は惹かれたのだ。
 深く穏やかな光を宿して、こちらを見つめる黄金の瞳を思い返し、少しだけ感傷的な気分になる。


 そう言えば、と空は思い出した。
 璃月では、もうすぐ月逐い祭が開かれる時期ではなかったか。
 この国で調べたいことはまだあるが、草神に会うという当面の目的は達成できた。この辺で一度、璃月に戻ってみるのもいいだろう。

 テイワットを旅する最大の目的は、半身との再会。そのために各国を巡り、七神に会って情報を得ること。
 その目的のために動いている間は、どんな形であれ鍾離との接触はしない。それは自分なりのけじめのようなものだった。妹の捜索と彼への想い、両方とも大切だからこそ、どちらもおろそかにはできない。
 こちらの都合に付き合わせているようで、後ろめたい気持ちが無いわけではない。ふらりと現れて、触れ合って、また旅立つ。鍾離からすれば、実に勝手な話だろう。
 彼の寛容さに甘えている自覚はあるけれど、拒絶されない限り、その手を放しはしないと決めていた。

 彼はきっと、祭りを見に来る自分を待っている。自惚れでなく、そう確信があった。
 あの人のことだから、自分に振る舞うために選り抜きの茶葉を準備していることだろう。となれば、こちらも手ぶらというわけにはいかない。

 次に璃月へ戻る時には、さっき見かけた花を手土産にしよう。
 再会の想像に胸踊らせながら、空は遠くに霞む岩の山並みを眺めた。


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遠距離恋愛・スメール編。
ゲーム内では描かれなくとも、きっと空鍾は今年も月逐い祭を一緒に過ごすはずだと信じたい。



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