ワープポイントにて


 その不可思議なオブジェが何なのか、テイワットに住む者は誰も知らなかった。

 その来歴を知ろうとした者はいた。古代文明の遺物だとか、名もなき芸術家の作だとか、果ては天空の神の島から落ちてきたオーパーツまで、様々な仮説が立てられた。しかし、長きにわたる研究も一向に実を結ばず、未だそれは人々にとって「謎のオブジェ」であり続けている。
 テイワットにおける神——「俗世の七執政」最古の一柱であった鍾離も例外ではなく、それが如何なる用途を持つものかについては知識を持ち合わせなかった。
 そう、この日までは。


 急ぐから転移を使おう、という少年の言葉に、鍾離は首を傾げた。疑問符を浮かべたままついていった先は、あの謎の建造物。
 微かに蒼い燐光を放つ柱の傍に立ち、旅人が手招きする。
「先生、こっちこっち」
「待ってくれ、空……お前はその建造物が何か知っているのか?」
 戸惑いと興味が半々といった表情で、青年が問う。珍しくもはっきり感情を表した精緻な面に、空はきょとんと視線を向けた。
「え? 先生もこれのこと、知らないの?」
 意外そうな少年の言葉を、パイモンが引き継ぐ。
「神様だった鍾離が知らないなら、誰もわかんないよなー。ホントに使えるのはお前だけなんだな、空」
 そうだねと頷いて、少年は彼の身長と同程度のオブジェを指しながら説明する。
「これを使うと、離れた場所へ転移できるんだよ」
「転移……?」
 にわかには信じがたいといった表情の青年に、空はあははと笑ってみせる。
「まあ、言われてもわからないよね。この装置、テイワットの人達には使えないみたいだし」
 だから、実際にやってみよう、と。
 提案と共に差し出された右手を、鍾離は訝しげに眺める。
「先生、手を。
 俺に掴まってないと、置いていかれちゃうから」
 彼の言うことには、手を繋いでいれば同行者も共に移動できるらしい。半信半疑ながら、青年は差し出された掌に己が右手を乗せた。
 どこか気恥ずかしげな表情と共に、きゅ、と軽く握り込まれる手。高めの体温が、手袋越しにも伝わってくる。
「よーし、いつでもオッケーだぞ!」
 既に少年の左肩にちょこんと掴まっているパイモン。二人の様子を確認してから、空はオブジェへと左手を伸ばし触れた。
「じゃあ、少しだけ目を閉じてて」

 ——一瞬の浮遊感。

 もういいよという声に目を開けると、眼前には流れる雲の合間に林立する岩山があった。
 つい先程まで天衡山に居たはずなのに、その光景はどう見ても違う場所……ここが絶雲の間であると、鍾離にはすぐ解った。背後を振り返れば、そこには同じ意匠の柱が鎮座している。
「本当に、移動したのか……」
 青年は呟き、思考する。つまり、この「謎のオブジェ」の本来の用途は移動装置であり、かつテイワットの外から来た者にしか機能させられない仕組みであるようだ。
 だとすれば、異邦の旅人のための専用設備が、遥か神代の昔からこの地に用意されていたことになる。まるで、旅人が訪れることを予期していたかのように。
 果たして、それが意味するところとは——?

「あの、先生……?」
 遠慮がちな声と、続けて上がった甲高い声が、思考に没頭していた鍾離を我に返らせた。
「おい、鍾離! いつまで空の手を握ってるんだよ!」
 ここに至り、彼は少年と手を繋いだままだったことを思い出す。
「ああ、すまない」
 手が離れると同時に、空は明後日の方向へ顔をそらした。その横顔が心なしか紅潮していることに、考察に気を取られている青年は気づかない。
「……ふむ、興味深いな。この地で長く生きてきた俺にも、まだ知らない事があるようだ……ん、どうかしたか、空?」
「な、何でもない!」
「おーい空、待てって! 一人で先行ったら危ないぞー!」
 幾分ぶっきらぼうに言い置いて、山道をずんずん進み始める少年。パイモンが慌ててその後を追う。
 さっさと先に行ってしまった華奢な背中を追いかけながら、何か機嫌を損ねることをしてしまっただろうかと鍾離は首を傾げた。


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鍾離先生のおかげで原神沼にはまりました。



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