たとえ話をしよう


 例えばの話だけどさ。

 男が男を好きになったとしたら、どうなるんだろうな?
 友情だと思ってた関係が、実はもっと別のものだったとしたら?


 なあ。
 お前だったら――どう思う?



 ******

 薄暗い倉庫の中には、埃を被ったまま放っておかれた武具が所狭しと並んでいる。

 手の空いた時期を見計らい、現在使われていない旧兵舎の点検に着手してみたはいいものの――正直ここまで酷い状態だとは、さすがのケントも予想していなかった。
 独特の黴臭さに内心辟易しながらも、生来の真面目さでケントは黙々と武具の状態をチェックしてはリストに書き込んでいく。

 背後では、半強制的に手伝いに駆り出してきた相棒が小さく口ずさむ歌が聴こえていた。
 昔の民話を題材にした組曲の一節――特に音楽に詳しいわけでもないケントにも、容易に題名が思い出せるほど有名な古い歌だ。
 先刻、手ではなく口の方をひっきりなしに動かしていたのをケントに怒鳴られて以降、しばらくの間は静かにしていたのだが……どうやらこの青年は、言葉だろうが鼻歌だろうが、とにかく何か声を発していないと落ち着かない性質らしい。
 そんな相棒の作業の進行状況を不安に思うケントだが、歌声の方は特に気にはならなかった。
 彼の声は不思議と耳に心地好く、窓から吹き込む風のような自然さがある。
 それは歌っている本人が、無意識に旋律を発しているからかも知れない。この青年にとって、声を紡ぐことは呼吸も同然の自然な動作なのだろう。言葉ひとつ発するのにも酷く気を遣う、自分のような人間とは違って。

 ケントがそんなことを考えていた時、後ろの歌声がぴたりと止んだ。
 まるで自分の考えを読まれたようなタイミングに、ケントは独りひそかに動揺する。
 だが、当の青年は特に考えがあって歌を止めたわけではないようだった。

「――なあ、ケント」
 とんとんと指でリズムを取る音に重ねて、セインが呼びかけてくる。
「何だ」
「この歌ってさぁ、あれだよな。エトルリアかどっかの昔話が元だっけ?」
 単調な作業に飽きたのか、またぞろ唐突な話題を振ってくる。
「……確か、そう聞いたことがあるな。詳しくないからよくは知らないが」

「――異国に流れてきた一人の娘が、その国の侯爵サマに恋をした。
 身分違いの恋なれど、せめて傍に近づきたいと、男のなりをして侯爵に仕えた。
 ところが当の侯爵は、とある美しい貴族のご令嬢に夢中。
 しかも侯爵の恋文を届けた男装の娘に、何とその令嬢が恋してしまったからさあ大変!」
 それこそ歌うようにすらすらと諳(そら)んじてみせたセインに、親友の青年は呆れたように琥珀の双眸を瞬く。
「……よく覚えているな。それだけ知っているなら人に訊かずとも良いだろうに」
「いやー、もしかしたらどっか間違って覚えてるかもしんないだろ?」
 へらりと笑ってみせてから、セインは再び言葉を継いだ。

「男のふりをしているために、侯爵に想いを伝えられない女のコ。
 女性と知らず、その娘に懸想するご令嬢。
 娘の想いも正体も知らず、令嬢に熱烈アタックをかけ続ける侯爵サマ」
「……どこぞの誰かによく似た侯爵殿だ」
 ぼそりと呟かれた的確な突っ込みは聞こえないふりをして、セインはさらに続ける。
「その上に娘の双子の兄貴まで出てきて、事態はさらに泥沼化するんだけど。
 ま、結局は娘と侯爵、双子の兄貴とご令嬢が無事くっついて、大団円おめでとうーってな話だったっけな」
 セインの雑談を、ケントは手にした紙の束をめくりながら聞いていた。
 説明されるまでも無い。この大陸に住む者ならば大概あらすじを知っている、有名な喜劇だ。


「でもさぁ、ケント」
 他愛の無い雑談そのままの口調で、セインが言う。

「例えばの話だよ。
 もし、その娘が女のコじゃなくて、正真正銘の男だったとしたら――
 このお話、一体どうなってたろうね?」

「…………何?」
 振り向いて眉を寄せるケントの前、緑の青年は不思議な表情で笑っていた。
 謎めいた色を見せる、深い灰緑の双眸。


「主人公がそもそも、男装した娘なんかじゃなくて、ホンモノの少年だったら。
 報われるはずのない恋と知りながら、それでも侯爵に近づいたんだとしたら。
 このお話は、無事ハッピーエンドで終われたのかな――?」

 謎めいた問いかけ。
 どこか切なさをも感じさせる、狡猾な静寂。


 笑い飛ばせばいい。何を馬鹿なことをと。
 単なる冗談だ。悩む必要などあるはずもない。

 だが、ケントは一瞬答えに窮していた。
 ただの戯れに過ぎない。あくまで、そういう話だったらどんな結末になっていたかという例え話――それ以上でも以下でも無いはずなのに。

「……お前は」
 数瞬の後、喉の奥から押し出した言葉は、自分でも呆れるほど逃げを打ったとまる解りの問い返しだった。
「お前なら、どんな結末を用意するのだ?」
「そうだなぁ……」
 うーんと唸ってしばし考えた後、セインは人差し指を一本立ててニッと笑った。

「――少年の気持ちを知って、侯爵の驚くまいことか。
 けれど、健気で忠実な少年を憎からず思い始めてた侯爵サマ、その一途な想いに心を打たれる。
 そうさ、愛はすべからく平等なもの! 身分も年齢も、性別だとて関係があるものか!
 そうして最後、真実の愛に目覚めた侯爵サマは、自ら婚礼用のドレスを着て少年の前に現れる……
 なんちゃってね。どうかなぁ?」
 まるで自分が演じているかのごとく大袈裟な身振りを交え、豊かな想像力を遺憾なく披露するセイン。
 途中まで真面目に聞いていた分、結末のくだりでケントは思わず吹き出していた。
「……何だ、それは。それでは全くの笑い話になってしまうぞ」
「いいだろ、そもそもが喜劇なんだから。こーいうのは最後にどっと笑えてこそだよ!」
 妙な力説をするセインに、ケントは喉の奥で小さく笑いながら言った。
「確かに、斬新な発想だ。
 いっそ、物語のひとつでも書いてみたらどうだ。才能があるかも知れないぞ?」

 珍しくも冗談めかしたケントの言葉に、セインは一瞬沈黙し――
 そして、いつものあっけらかんとした表情で笑った。
「ま、例えばの話だけどな。
 もしそうだったらなーって、ふと思っただけだしさ」

 そーいうのも、あったら面白いじゃない?
 そう言って笑う相棒に、ケントは肩をすくめてみせた。
「――そうだな」


 ******

 書類を片手に、自室へ戻る廊下の途中。
 ケントはふと足を止め、窓の外に広がる青空を振り仰いだ。

 ゆるりと流れる白い雲に向けて、ひとつ溜息を吐き出す。


 あの時。
 相棒の始めた例え話に内心動揺したことは、果たして悟られただろうか?


 ――そうだ。
 本当は、全て解っていた。

 彼が何故、突然あんな話をしたのか。
 他愛ない冗談のはずが、何故あんなに真剣な目をして意見を求めてきたのか。
 軽く冗談で返した言葉に、何故一瞬沈黙したのか。

 そして。
 ――彼が、自分にどういう感情を抱いているのかも。


 親友の気持ちに気づいたのは、いつの頃からだったろうか。
 他人の機微に疎い自分がそれを悟ったのには、相手との付き合いの深さもあったかも知れない。だが、おそらくは相手が、そうと解るほど言動の端々に気持ちをほのめかしていたからこそ気づいたのだろう。
 洞察力に欠ける自分に対し、感情のコントロールに長けた彼が本気で隠そうとしていれば、絶対に気づくことは無かったと思うから。
 ――おそらく、気づかせようとしているのだ。彼としては。
 そして、告白しているにも関わらず自分に理解されていないのだと、彼は思っている。

 彼の言う「好きだ」という台詞を、呆れながら聞き流していた。
 やや過剰気味な接触にも、うるさがるだけで特に反応も見せなかった。
 どんなに気持ちをちらつかせようが気づかない――そんな徹底した鈍さを、装った。
 全て解った上での行動だと、彼がどうして思うだろう?

 けれど、あの時。
 冗談で流そうとした自分に、彼が無表情に沈黙を返したあの一瞬。


 ――そういうことじゃないんだよ。
 笑っているように見えて、その実まったく笑っていなかった灰緑の双眸。

 ――知ってるくせに。もう気づいてるくせに。
 彼の目が、そう言っているような気がしてならなかった。


「私は――卑怯だな」
 空を仰ぎながら、ケントは小さく独りごちた。

 まだ、彼に応える勇気が無い。
 自身が最善と思う答えを、未だ見つけられていない。
 彼が向けてくれる真剣な想いに、どう応えれば良いのかが解らなかった。
 だからこうして、彼の気持ちを本気にしていないふりをして、だらだらと時間稼ぎを続けている。 全くもって本末転倒だと、自分でも思う。


 すまない、と呟く。

(あと、もうしばらくの間だけでも……)
 琥珀の双眸を細め、ケントは苦しげな表情で蒼穹の彼方を見据えた。

 もう少しだけ。
 あと少しでいいから、考える時間が欲しい。


「すまない――あと、もう少しだけ」
 考えさせてくれないか。

 もうしばらくしたら、必ず納得のいく答えを見つけるから。
 そうして――お前に、はっきりと自身の意思を伝えよう。

 先刻のたとえ話に出てきた、大昔の喜劇の結末のように。

 心から2人で笑い合える日が、再びやってくるように。
 澄んだ蒼穹に願いをかけて、ケントは再び陽の当たる廊下を歩き出した。


 ******


『例えばの話だけどさ。
 男が男を好きになったとしたら、どうなるんだろうな?
 友情だと思ってた関係が、実はもっと別のものだったとしたら?』


「そう、私だったら――……」



寓話の元ネタはシェイクスピアの「十二夜」より。



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