「状況はどうだい?」

 いつもの癖でそう訊ねる。
 ここには居ない、相棒に向けて。


『順調だ。だが油断は出来ないな』

 生真面目に答える声が、今にも聞こえてきそうな気がする。



 俺があいつの下を去ってから、そろそろ三ヶ月が過ぎようとしてる。
 この広い世界も、あいつが隣にいないだけでこんなにも味気なく見えるんだな。
 見渡す限りの草原、異国の華やかな祝祭……叶うなら、あいつと共に見たかった景色。



 望んでその手を離したわけじゃない。
 ただ、今はそれが必要だと思っただけ。


 あいつはキアランに必要な人間だし、あいつ自身も故郷の地を心底から愛してる。そんなあいつを、あの国から引き離すことなんでできるワケがない。


 かく言う俺も、ずっとあいつの隣で相棒として過ごすつもりだった。
 生まれこそ別の土地だけど、俺にしても騎士として青春時代を過ごしたキアランは、第二の故郷とも思う国だから。



 けど――世の中、皆が同じ考えを持ってるわけじゃない。




 俺があそこに居続けると、いろいろと面倒なことが起こりそうな予感がした。

 オトナの世界ってのは、とかく理想だけじゃ成り立たないもんなんだな。



 2人揃って騎士になった日、あいつに内緒でこっそり立てたもう一つの誓い。

――あいつのためなら、何だってやってやろうって決めたんだ。




 それに従って、俺は国を去った。

 あいつの寂しげな表情が、胸に痛かったけれど。



 懐に手を入れ、指先に触れた鎖を引っ張り出した。
 生まれ育った家を出る時、年の離れた兄貴に貰った古めかしい懐中時計。


 10年近く経っても、変わらず時を刻み続けてたタフな奴だったけど、ある時を境にその針は動かなくなってしまった。


 そう――あいつに別れを告げた、ちょうどあの日から。


 俺の心も、きっとこの時計と同じだ。
 あいつの傍を離れたその瞬間から、俺の中で流れる時間は止まったまま。


 けど、それは進まないんじゃない。敢えて進めないんだ。
 いつか必ず、俺はあいつの傍へ帰る気でいるから。
 あいつと出会ってから俺が過ごしてきた時間は、あいつと再び共に暮らせるようになった時に、また再び動き出すだろう。
 それまで、独り別の地で別の時間を体験してみることにした。
 少しの間だけ、お別れだ。


 今はいろいろとしがらみもあって、それぞれ遠く離れた地で生きているけど。

 このままずっと分かれ道を行くなんて、そんな気は毛頭無いわけで。
 脇道抜け道何でも使って、いつかあいつと合流してやろうって、虎視眈々とその機会を窺ってるんだ。




 ――なあ、ケント。


 これからもずっと傍にいるって言ったのに、約束破っちまってごめんな。

 けど、いつか絶対、お前の隣へ戻ってくるよ。

 知ってると思うけど、俺って往生際悪いからね?
 例えどんなに離れようと、お前を諦めるつもりなんてこれっぽっちも無いんだから。

 だから、一番の親友で相棒っていうポジションは、ちゃんと空けておいてくれよな。



 また、隣で一緒に笑い合える日が来るまで。

 俺はもう少しだけ、お前のいないこの時間を生きてみるよ。


 独りきりの旅路の果てに、再び会えることを祈りながら――

 世界でたった一人の、俺の大切な相棒へ。




「状況はどうだ?」

 いつもの癖でそう訊ねる。
 ここには居ない、相棒に向けて。


『順調も順調、任せときなさいって!』

 どんな時でも明るさを失わないその声が、今にも聞こえてきそうな気がする。



 彼奴がこのキアランを去ってから、そろそろ三ヶ月が過ぎようとしている。
 この美しい故郷の地も、彼奴が隣にいないだけでこれほど色褪せて見えるものなのか。
 賑やかな街並み、人々の笑い声……叶うなら、ずっと彼と共に守っていきたかった景色。



 その手を離したくないと、思わなかったと言えば嘘になる。
 それでも、彼奴が望むなら引き留めまいと思った。


 彼奴は私とは違い、元々キアランの生まれではない。本人も周囲もそんなことを気にしてはいなかったけれど、他ならぬ彼奴が出たいと望んだのならば、私達に無理矢理引き留める権利などあろうはずは無かった。

 勝手なことだが、私は彼奴がずっと隣にいてくれるものと信じて疑わなかった。
 騎士の叙勲を受けた時、公女捜索の旅とキアランの内乱、主君に従って戦い続けた日々、そしてキアランの終焉……傍に居ることが自然になり過ぎて、これからもそれは変わらないのだと勝手に思い込んでいた。


 だが――世の中、皆が同じ考えを持っているわけではない。

 私にとってキアランは愛すべき故郷だが、彼奴には別の故郷がある。ああ見えて存外頑固な奴のことだ、自身の信念に添わない形であれば、例え相手がオスティアでも忠誠を捧げることを拒否するだろう。彼が仕えていたのは、あくまでキアラン候爵家だったのだから。
 その必要性を自身の中に認めない限り、無理して此処に居続けることもなかったのだろう。
 もともと彼奴は、何者にも縛られぬ風のような人間……それを一つ処に留め置こうとすること自体、無理があるのだ。

 私には到底持ち得ない、自由と奔放さ。
 戸惑いながら、その実ずっと憧れていた――その、流れ続ける風にも似た在り方に。

 共に行くことも、彼となら吝(やぶさ)かではなかった。
 けれど、去り際にキアランの地を頼むと私に言い置いていった主君のことを思えば、それは許されない話だった。
 私の力が少しでも民に必要とされているのならば、それに背を向けるような真似は出来ない。
 ――彼奴も、きっとそんな選択は望まないだろう。

 自身の信念に従い、私達はそれぞれ違う道へと踏み出した。



 ふと思い立ち、執務机の一番上の引き出しを開けてみる。
 奥から出てきたのは、錆の浮き始めたひとつの鍵。

 騎士隊長であった頃から、私はずっと同じ部屋を使い続けている。その隣は副隊長の相棒が使っていた部屋で、現在は主のいない空き部屋となっていた。
 ここ一年の間に、キアランもこの城も様変わりした。けれど、その一郭だけは今も当時のままだ。

 ――いつか、彼奴がこの地に帰ってきた時のために。


 私の心も、きっとその部屋と同じだ。
 彼奴が去っていったその瞬間から、私の中で流れる時間は止まったままだった。


 進まないのではなく、敢えて進めない自分に気付く。
 いつか必ず、この鍵をもう一度彼に渡す日が来るという確信があったから。
 彼と出会ってから私が過ごしてきた時間は、彼と再び共に暮らせるようになった時に、また再び動き出すだろう。
 その時まで、しばしの別れだ。


 きっと、彼奴は戻ってくる。
 勝手気侭な奴のこと、旅の暮らしに飽きたなら、存外すぐに此処へ舞い戻ってくるかも知れない。

 いつの日か、私達の道行きは再び交わるだろう。
 そうなることを、彼と私の双方が望んでいるのならば。




 ――なあ、セイン。


 必ず帰って来るからと、お前は言った。
 その言葉を、私は信じることにする。
 どんなにふざけていても、お前は不思議と他人を裏切る嘘だけは吐かない奴だったな。

 お前が留守にしている間、私も自分なりに力を尽くしてみるつもりだ。
 私はこの国を――お前と出会い共に過ごしたキアランを、お前の愛した姿のままに守っていくと誓おう。
 来るべき再会の日、お前に誇れるように。
 お前が何の遠慮も無く、此処に戻ってこられるように。



 また、共に同じ道を歩んでいける日が来るまで。

 私も暫く、お前のいない時間を精一杯生きてみよう。


 変わらず移る日常の果てに、再び会えることを祈りながら――

 この世でただ一人の、信頼すべき相棒へ。





「また、いつか」




BUMP OF CHICKIN「ロストマン」を聴きながら思いついた話。



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