You may dream


 午前の部の乱闘を終え、アイクは控え室から宿泊棟へと続く回廊を歩いていた。
 今日はもう試合の予定は無く、この後の時間は完全にフリーだ。
 しかし特にすることがあるわけでも無い彼にとっては、暇を持て余し気味というのが正直なところだった。

 遊びたい盛りの少年達などは、試合の無い時には飽きもせず様々な遊びに興じているようだが、流石にそこへ混ざるような年頃は過ぎている。
 日々の生活の中で、彼が乱闘と食事と睡眠以外でやっていることと言えば、同じ得物を扱うという接点で比較的親しくしている2人の剣士との手合わせくらいのものだった。

 そのうちの一人、メタナイトは午後から試合が入っていると言っていた。
 では、もう一人――マルスはどうだろうか?
 ほぼ毎日のように付き合わせていて悪いと思わないではなかったが、結局他にすることも浮かばないわけで……。
 とりあえず誘ってみるかと、かの青年の居そうな場所をいくつか想像していた時。

(……ん?)
 考えながら歩いているうちに、試合関係の施設がある建物とファイター達が生活するゲストハウスとを繋ぐ渡り廊下に差し掛かっていた。
 中庭の真ん中を突っ切るように通っているこの廊下からは、白亜の石畳や手入れの行き届いた樹木、石造りのベンチに瀟洒なテーブルと、完璧に整えられた憩いの空間が一望できる。
 その一郭で談笑しているグループの中にちょうど探していた人物の姿を見つけ、アイクは青藍の双眸を細めた。

 アイクの立つ廊下から5メートルほど離れた所に居るマルスは、2、3人の少年達に囲まれ、いつもの穏やかな笑顔を浮かべながら時折相槌を打っている。
 おっとりとした性格で面倒見も良い彼は、周囲の人間関係というものにあまり関心の無いアイクから見ても、誰からも好かれているように思えた。特に子供達からの支持は絶大で、本人も世話好きなのかよく遊び相手になったりしている光景を見る。
 育ちの良さから来る気品ある立ち居振る舞いと、それを全く鼻にかけない人の好さが、見る者を惹きつけるのだろう。王侯貴族というものにおおよそ良い感情を抱いていなかったアイクですら、マルスに対しては好ましい印象を持っていた。

 また、その剣の腕にも興味を惹かれた。
 男性にしては華奢な、ともすれば中性的とも言われそうなその体躯から繰り出される剣技は、重さでこそアイクに一歩譲るものの、速さでは確実に上回っている。2度の戦乱を生き抜いてきたというその経歴は、伊達では無いということか。

 だが。
 「人柄が良い」「剣の腕が優れている」――ただそれだけだったなら、ここまで親しくはならなかっただろう。

 マルスと初めて相対した時、アイクは「似た世界から来た者」というマスターハンドの言葉の真意を直感的に理解した。
 ――戦いに臨んだ際の、貫くように真っ直ぐな眼差しを見た、その瞬間に。
 剣質、性格、外見、血筋――全てが真逆と言っていいほど異なっていながら、本質的な部分で通じ合う「何か」が、彼と自分にはある。
 だからこそ、出会ってさほど経っていないにも関わらず、ずっと以前から友人であったかのように親しくできるのだ。


 ……とは言え。
 あまり場の空気というものを気にしないアイクと言えども、さすがに子供達と談笑している最中のマルスを「手合わせに付き合え」と引きずり出すのは憚られた。
 それでなくとも、ここに来てからは毎日のように2人で組み手を行っているのだ。人の好いあの青年はまず口には出さないだろうが、内心では他のことに時間を割きたいと思っている可能性は大いにある。

 ――声をかけようか、かけるまいか。
 一瞬迷ったものの、結局声をかけないことにして、アイクは再び渡り廊下を歩き出す。

「あっ、アイクさんだ!」
 グループの中に居たネスが、こちらに気づいて無邪気に手を振ってくる。
 それに軽く片手を挙げ返して、アイクはその場を去った。


「……アイクさんって、僕らと一緒に居るのイヤなのかなぁ?」
 去っていく青年の背中を見送りながら呟いたポケモントレーナーに、慌てたようにマルスが問う。
「え、どうしてそう思うんだい?」
「だって、マルスさんと2人でいるのはよく見るけど、僕らがいると近づいて来ないよね?」
 同意を求めるように、トレーナーは傍らのリュカを見る。その視線を受け、金髪の少年は困ったように眉尻を下げた。

 何とかフォローを入れようと、マルスは必死に言葉を選ぶ。
「ほら、アイクは此処に来たばかりで、まだ慣れていないから。
 きっと戸惑っているだけなんだと思うよ?」
「でも来たばかりなのは、僕やリュカだってそうだし……」
「それは……」
 言葉に詰まるマルスに代わって、リュカが遠慮がちに口を開いた。
「でも、マルスさんの言う通りだと思うよ。
 僕もネスさんにトレーナーさん、他のみんなが優しくしてくれるから、こうして楽しく過ごせているけど……。
 最初は、やっぱりどうしていいかわからなかったから」
「そうだね。いろんな世界のひとたちがこれだけたくさん集まっているんだもの。
 どう接していいか、困っちゃうのも仕方ないと思うなあ」
 隣のネスも同意する。

「あ、でも確かに乱闘の時はちょっと怖いかも……」
「だよね! あの大きな剣で突撃してこられた時はさすがに怖かったなぁ〜」
「そうそう、傍から見てて何か怒ってるのかと思っちゃったよ」
「えーっと、いや、あの!」
 せっかく良い方向に進んでいたはずがまたしても怪しくなる雲行きに、マルスは慌てて口を挟む。

「――アイクは見た目怖そうに見えるけれど、とても優しい人だよ。
 乱闘となれば手加減しないけれど、普段は至って穏やかだし」
 ここに居る者達の中では比較的親しくしているとは言え、マルス自身もかの青年と出会ったのはつい最近のことだ。
 だが、決して長くはない付き合いの中で、その無骨ながら真っ直ぐな人柄を知った。
 一国の王子として人を動かす立場に居たこともあって、人を見る目にはそれなりに自信があるつもりだ。
 乱闘となれば少年達が相手でも容赦しないというのは、裏を返せば子供だからと侮らず、一人前のファイターと認めて正面から向き合っていることの証でもある。
 だから、しばらく触れ合ってみれば、この少年達にもきっと解るはずなのだ――彼の人となりが。

「彼は自分から人の輪に入るのが苦手だから、君達から声をかけてあげてくれないかな?
 遊びでも何でも良いんだ。時間さえあれば、きっと快く応じてくれると思う」
 マルスの頼みに、少年達が顔を見合わせる。
「でも、迷惑じゃないかな?」
 懸念を表すリュカに、青年は笑顔で頷いて見せた。
「大丈夫。試合の無い時なんかは、彼も結構暇を持て余してるみたいだからね。
 むしろ、誘って貰えたら喜ぶんじゃないかな?」
 顔には出さない……と言うか出ないだろうけれどね、と言葉には出さずに付け加える。

「オーケイ、じゃあ誘ってみようよ!
 野球のメンバーに入ってもらうっていうのはどうかな?」
 明るい調子でそう提案したネスに、他2人の少年も頷く。
「それはいいかも。
 あ、でもルールとか知らないかな……」
「それは僕らが説明してあげれば大丈夫だよ。ねえマルスさん?」
 ポケモントレーナーに同意を求められ、マルスは首肯した。
「うん、そうだね。良い考えだと思うよ」

(アイクの方にも、話を通しておいた方が良いかな……)
 賑やかに相談する少年達を見ながら、マルスは独りあれこれと考えを巡らせていた。


 ******

 荒野に聳え立つ、石造りの物々しい砦。
 その天辺で、アイクは独り座り込み、愛剣ラグネルの手入れをしていた。

 乱闘時は投石や火矢が飛び交う危険な戦場と化すこの舞台だが、普段は極めて静かである。
 アイクやマルスの記憶を元に構築されたというこのステージは、この世界にあってはおおよそ平和とは言えない雰囲気であったが、彼にとってはむしろ嗅ぎ慣れた空気という感じでかえって落ち着くのだった。

 ――この世界に来てからというもの、アイクは乱闘以外の時間はこの場所で過ごしていることがほとんどだった。
 多くの者は、乱闘に参加するファイター達のために設えられたゲストハウスで生活している。そこには全員分の個室ばかりでなく、食堂から娯楽施設まであらゆる設備が揃い、乱闘以外の時間も不自由なく過ごせるようにと工夫が凝らされていた。
 だが、中にはそのゲストハウスの自室を使わず、自身に縁ある場所で時を過ごす者も居る。独りの方が落ち着く、馴れ合いを嫌う、必要に迫られて……等々理由は様々だが、他ならぬアイクもそのうちの一人であった。

 別に、他の参加者達と共に居るのが苦痛というわけでは無い。
 自分から進んで踏み込もうとは思わないだけで。
 この世界で一番最初に出会った仲間で、しばらく行動を共にしていた蒼髪と仮面の2人の剣士とは、互いに手合わせを申し出たりなど少なからぬ交流がある。
 特に人間の青年の方は、年も近く互いの故郷の文化が似ているなど共通点が多かったせいか、何くれとなく声をかけてくる。自分が少しでも此処に馴染めるようにと、いろいろ心を砕いてくれていることも知っていた。
 そんな彼には悪いと思いつつ、結局今日もこの場所に来ている。

『――アイクは、大勢で居るのは嫌いかな?』
 そう訊かれ、別にそんなことは無いと答えた。
 それは嘘ではない。元の世界では傭兵団の仲間に囲まれて過ごしていたし、人嫌いでも交流を避けているわけでも無いのだ。

 ただ――。

 手入れの終わった愛剣を傍らに置き、アイクは地平線へと視線を移す。
 静かに流れる雲と、風にはためく真紅のフラッグ。


 ――この世界は、平和過ぎる。


 渾身の力を込めて斬りつけても、血がしぶくことも無ければ首が落ちることも無い。
 本気で殴り合っていても、数分過ぎたらそれで終わり。
 終了の合図が響けば、皆戦いを止めて握手で健闘を称え合って、全ての結果を水に流す。決してルールの範囲を逸脱しない、安全の約束された乱闘。

 そもそも、この世界には死が無い。
 跡形も無く壊れたところで、翌日には全てが元通り。
 まあ、あの手に言わせれば、そもそも人では無い「人形」に死が無いのは当然のことなのだろうが。

 誰も死なない。誰も憎み合わない。誰も悲しまない。
 それはきっと、彼の故郷の者達すべてが夢見ているだろう、素晴らしき理想の世界に違いない。

 だが、あまりにも理想的過ぎて――アイクは未だ、手放しでその平和を享受することに躊躇いを覚えてしまうのだ。
 死があるからこそ、人は懸命に生きようとするのでは無いのか。
 今までの人生で――それは厳密に言うと『彼』自身のものでは無いが――培ってきた自分なりの価値観が、根底からひっくり返された気分だった。

 かつて、自身とよく似た境遇にあったと思われる蒼髪の青年に、この疑問をぶつけてみたことがあった。
 すると彼は、綺麗な顔に柔らかい微笑みを浮かべて答えた。
「その気持ち、凄く良く解るよ。僕もそうだったからね。
 僕らにとって、平和は努力の末に勝ち取るものであって、それが最初から用意されている世界なんて想像の範囲外だった」
 言葉足らずな自身の説明を埋める、的確な台詞に頷く。

「でも、思ったんだ。
 誰だって平穏に過ごす権利がある。ただ、僕らが今までそれを享受できていなかっただけなんじゃないかなって」
 だから、と彼は続けた。
「今までの人生で得られていなかった分を、これからこの世界で受け取るんだと思えばいいんじゃないかな。
 僕は、そう考えることにしたんだ」

 そういうものかとその場は納得したが……やはりすぐには慣れない。
 戦乱の中で生きるか死ぬかの戦いを繰り広げてきた青年にとって、あまりにも平和な此処のルールは理解の範疇を超えていて。
 あまりにも平和過ぎる世界を前に、彼は珍しくも――途方に暮れていたのだ。



 ――その時、背後に何者かの気配を感じた。


「……誰だ」
 亜空軍の脅威が去った今、背後からの奇襲などまず無いと解ってはいたが、つい警戒してしまうのは記憶に刻まれた癖か。
 ラグネルの柄を握り締め、青年は低く誰何しながら振り向く。

 濃藍の双眸が見据えた、その先には――
 この荒涼とした世界には全くそぐわない存在が居た。

「お前は……」
 鋭く細めた双眸を和らげ、アイクは安堵と疑念の入り交じった表情で呟く。
 ピンク色の丸いボールに手足が生えたような、可愛らしい生物。
 確か名を――カービィといったか。

「……何か、俺に用か?」
 握りしめていたラグネルを下ろし、低く訊ねる。
 この場に居るだけでも素晴らしく違和感を感じる存在である上、そもそもこの相手とは競技上で接点があったのみで、わざわざここまで自分を訪ねてくる理由が全く思い当たらない。
 ……一体、何の目的で?
 そんなアイクの疑問もどこ吹く風、にこにこしながら跳ねるように歩み寄って来たカービィは、短い両手を精一杯伸ばして何かを差し出す。

 その先には――可憐な一輪の花。

 自分に向けて差し出されたそれをたっぷり10秒は見つめた後、アイクは戸惑い顔で己を指し、訊ねた。
「……俺に?」
『はぁい!』
 可愛らしい声と共に、早く受け取れとせかすかの如く、花を持った手を上下に振る彼。
 いつまでも差し出したままで居させるのも悪い気がして、反射的に手を伸ばしてしまった。

 グローブに包まれた無骨な手の先で、おおよそ似つかわしくない可憐な花が揺れている。
 自分がそんなものを持っているのが不自然で可笑しくて、でも胸のどこかで、ほっと暖かい灯が灯ったような気がして。
 ――アイクは知らぬうちに、微かな笑顔を浮かべていた。

 花を手に苦笑めいた表情をする青年を、どこか満足げに見ていたカービィが、不意に行動を起こす。
「おい、何を……」
 戸惑う青年を他所に、カービィはよいしょとばかりに彼の膝へよじ登ると、その上にちょんと腰を落ち着けてしまった。
 そして、おもむろに体を丸めたかと思うと、そのまま目を閉じる。どこからどう見ても、完全に眠りの体勢だ。
「…………」
 あまりにも自然な一連の動作に、口を挟む間も無かったアイクは所在無げに辺りを見回す。
 勝手に寝床にされた身としては文句のひとつも言いたいところだが、こうも幸せそうな顔で寝られると、無理矢理退かせるのも悪い気がしてしまう。

 大体、コイツは何故ここへ来たのか?
 何故花など渡してきたのか?
 何故自分の膝の上で寝ているのか?

 ――結局、疑問は何一つ解けないままだけれど。

(……まあ、いいか……)
 膝の上の幸せそうな寝姿を見ていると、そんな疑問や、先程まで自分が考えていたこと全てがひどく些末なことに思えてきて、アイクは考えるのを止めた。
 贈り物を貰って嬉しくないはずも無いし、カービィの様子からして、おそらくは新入りの自分を気遣い贈ってくれたものなのだろう。その推測が当たっていなくとも、わざわざここまで持ってきたその行為に悪意があるとは思えなかった。

 花を貰い、自分はそれを嬉しいと思った。
 その事実だけで十分ではないか。


 ――こんな平和すぎる世界で一人憂えたところで、一体何の意味があるだろう?


 貰った花を今一度眺め、アイクは傍らに置いてあった愛剣の柄に、彼にしては丁寧な手つきでそれを結びつけた。折れないよう、大事に。
 そして、体を動かさないように注意しつつ、上体を後ろに倒して仰向けに寝転がる。
 目を閉じる寸前に見た空は、抜けるような青さだった。


*****

(やっぱり此処に居た)
 アイクの姿を探して、いつも彼が居る攻城戦ステージにやってきたマルスは、視線の先に見慣れた蒼い色を見つけて安堵する。

「アイ……」
 呼びかけようとした声は、途中で止まった。
 足を止め、マルスは予想外の光景に瑠璃色の瞳を丸くする。

 両腕を枕代わりに、仰向けに寝転がってうたた寝をする青年。
 それ自体は特に珍しい姿では無いのだが……彼の腹の辺りに乗っかっている、ピンク色のボールは。

(……カービィ?)
 一体どういう経緯でこうなったのか、マルスには想像がつかなかったが――それは何とも、心和む光景ではあった。

(――これは、またとないチャンスかもね)
 独り微笑むと、マルスは眠る2人を起こしてしまわぬようにそっと踵を返した。
 この光景を見れば、少年達がアイクに対して漠然と抱いていた「怖い」イメージなど、たちどころに霧散してしまうに違いない。
 一計を案じながら、マルスは今度はネス達の姿を探して宿舎の方へと戻っていった。


******

 翌日。
 この日、アイクは終日試合が入っていなかった。
 またマルスかメタナイトにでも手合わせを頼もうかと、欠伸交じりに廊下を歩いていた時。

「あっ、いたいた! アイクさーん!」
 背後から澄んだボーイソプラノで呼びかけられ、反射的に足を止める。
 振り向いた彼の目に、黒髪と金髪、2人の少年が駆けてくるのが見えた。
 その向こう、少し離れた位置にマルスの姿もある。
 何事かと訝しむ青年の前で立ち止まり、ネスとリュカは揃ってその長身を見上げた。

「アイクさん、今日は試合無いんだよね?」
「? ……ああ」
「あの、もしヒマだったら、僕達に付き合って欲しいんだけど……」
「ああ、別に構わんが」
 やった、とばかりに顔を見合わせ、高く挙げた手のひらを打ち合わせる2人。
 さらに疑問符を浮かべるアイクに、ネスが笑顔で説明する。

「あのね、一緒に野球しない?
 人数が足りなくてさ、入ってくれると助かるんだけどなぁ」
「……ヤキュウ? 何だそれは?」
「大丈夫、教えてあげるよ!」
 聞き慣れない単語に首を傾げるアイクをよそに、赤い帽子の少年は相棒に向かって頷いてみせた。
 そしてリュカが手を引き、後ろに回ったネスが背中を押し、と見事な連携プレーで戸惑う青年を誘導する。
「……解ったから引っ張るな」
 辟易しながら、しかし満更でもなさそうな表情で2人に従うアイク。

 手を引かれながら彼は、突然のこの事態がどういう理由から起こったものなのか、頭の中で思いつく可能性を挙げていき……
 やがて、ある一つの原因に思い当たる。

(――あいつの差し金か)
相変わらずお節介な奴だとは思ったが、疎ましく思う気持ちは微塵も湧いてはこなかった。


(――良かった。上手くいったみたいだ)
 そんな彼の背中を、「あいつ」ことマルスは笑顔で見送っていた。

 多感な時期を戦乱の中で過ごしたのは、マルス自身も同じだった。
 だからこそ、似た境遇のアイクには、命を賭けた戦いに神経を磨り減らすことの無いこの世界で、楽しい時間を過ごして欲しいと思うのだ。

 アイクが内に抱える戸惑いを打ち明けられた時、かつて自身が抱いた感情と全く同じそれに、懐かしさと強い共感を覚えた。
 まるで、この世界に降り立ったばかりの頃の自分自身を見ているようで、お節介とは解りつつもつい何かしてあげられないかと考えてしまう。

 今はまだ、育ってきた場所とはあまりにも違う世界に、価値観を覆され戸惑っているのだろう……かつての自分がそうであったように。
 だが、難しく悩むことが嫌いで、前に進み続ける強さを持っている彼ならば、近いうちにきっと受け入れられるはずだ。


――その時、彼もきっと知るのだろう。
心おきなく平和な日々を享受できることの幸福を。


 独り感慨に耽っていた青年のもとに、アイクの連行に成功したリュカが引き返してくる。
「マルスさん、どうしたんですか?
 せっかくアイクさんが入ってくれたんだし、マルスさんも来てくれますよね?」
「ああ、ごめん。すぐに行くよ」
 自身もメンバーに誘われていたことを思い出し、青年はリュカの後について廊下を歩き出した。


昼下がりの広場に、小気味良い音が響く。
歓声と共に、高く上がった白球が青く澄んだ空に吸い込まれていった。





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