Dear my Lord


 静まり返った修練場に、ぴんと張り詰めた空気が満ちる。

 その中央、馬上で弓を構える騎士が一人。
 きりりと弦を引き絞り、透徹した眼差しで壁に掛かる的を見据える。その緑の髪を、そよと吹いた風が微かに揺らして過ぎた。

 そして、全ての風がぴたりと止んだ――その刹那。

 青年が動く。
 狙い澄ました最初の一本。すぐさま二の矢をつがえて二本、鮮やかな動作で三本。くるりと騎馬を旋回させる間に矢筒から引き抜き四本、少しも重心を揺るがす事なく、五本。

 ――その間、おそらくは三呼吸分も無かったであろう。
 緑の騎士が射た計五本の矢は、それら全てが的の中心から一つ外側の円までの範囲内に命中していた。


「――素晴らしいわ、オスカー。文句のつけようが無い腕前よ」
 深く息を吐いて弓を下ろした青年に、少し離れた後方でその試技を見守っていた赤毛の女騎士が、感心した表情で手を叩きながら歩み寄る。
「前から修練を積んでいるとは聞いていたけれど、これほどまでになっているとは思わなかったわ」
「有り難うございます、副長」
 ほっとしたような笑みを浮かべ、馬から下りるオスカー。その正面に立ち、女騎士は笑顔で口を開いた。

「これなら申し分無いわね。
 この私、騎士ティアマトの名において――オスカー、貴方を聖騎士に推薦するわ」
「……有り難うございます」
 深々と頭を下げ、感謝の意を表する青年。
 しかし面を上げた時、その顔にはどこか迷うような色があった。それに気づいた女騎士が怪訝な表情を浮かべる。
「……どうかした?」
「いえ。
 ――ただ、私が先に聖騎士の叙勲を受けても良いものか、と」
 躊躇いながらも、オスカーは冷静な口調で己が懸念を告げる。
 その言葉は肝心な部分を伏せていたが、ティアマトはすぐにその言わんとするところを悟ったようだった。

「……アイクの事ね?」
「――はい」
 団長である青年がまだ叙勲を受けていないにも関わらず、その下につく自分が先に昇格を果たしても良いものか。長の体面を潰すことになりはしないか――。
 そんなオスカーの気懸かりを察し、ティアマトは笑う。
「ふふ、貴方らしいわ、オスカー。
 ――確かに、今やアイクはこの団の長。でも、経歴からすれば貴方はあの子の先輩なのだから、何も遠慮することは無いのよ?」
「……それは、そうなのですが」
「それに、貴方が叙勲を受けることで戦力が増強されれば、結果的にはアイクを助けることに繋がるわ。
 少しでも団長の力になれるのなら、団員としてはそれがベストな選択じゃないかしら?」
 そこで一旦言葉を切り、ティアマトは慈母めいた笑みを湛えた。
「――貴方がそんな風に遠慮していると聞いたら、アイク本人はどう思うかしら。
 喜ぶ? 感謝する? ……いいえ、むしろ余計な気を遣ってくれるなと言うでしょうね」
 団の長たるかの青年を、一番長く傍で見てきた彼女は、その気性を良く理解している。そして、この団で過ごした時間で言えば彼女には遠く及ばないオスカーでも、それは容易に想像のつく未来であった――アイクという青年は、即ちそういう人物なのだ。

「そう、ですね。彼ならきっと……」
「でしょう?
 だから貴方は、何ら臆することなく胸を張って、昇格の儀を受ければ良いの。
 あの子もきっと――それを一番望んでいるはずだから」
 背中を押すような彼女の言葉に、オスカーはようやく常の穏やかな微笑みをその面に戻した。
「解りました。団の為に、出来うる限りの力を尽くします」
「ん、よろしい。
 それじゃあ早速、この件を私からアイクとエリンシア様に伝えるわね。追って連絡するから、それまで待機していて頂戴」
「有り難うございます。宜しくお願いします」
 鮮やかな赤毛を翻して去っていく女騎士の背中に、オスカーは感謝の意を込め深々と頭を下げた。



 一時は王宮騎士団に所属した身とは言え、現時点で既に除隊しているオスカーは、本来ならばクリミア王家からの叙勲を受けることは出来ないはずだった。
 しかし、ティアマトの打診を受けたエリンシアはこれを快諾。翌日、晴れて叙任式が執り行われる運びとなった。

「――汝、オスカー。
 クリミア王女、エリンシア=リデル=クリミアの名において、この者に聖騎士の位を授けるものとする」
 正面にひざまずく騎士の肩に、手にした儀礼用の剣をそっと乗せ、エリンシアが静かに宣言する。その透明な声は、さほど大きくない聖堂の壁に反響し、澄んだ空気を柔らかく震わせた。
 見守っていた仲間達が祝福の拍手を送る中、青年は片膝をついたまま王女の手を取り、その甲に恭しく口付ける。聖騎士の名に恥じぬ、洗練された完璧な所作だった。

 ――そんな彼の背中を、少し離れた位置からじっと見守る青年。
 その濃藍の双眸には、一言で形容できぬ複雑な色が蝋燭の炎のように揺らめいていた。



 叙勲に関わる諸々の手続きを済ませた後、オスカーは単身、王都シエネ郊外にある小さな丘へと向かった。
 ――アイクが神殿の外へ出たと聞き、行き先としてまず思い浮かんだのがここだった。ベグニオンに来てからというもの、この国の気風に馴染めない彼が、しばしば滞在する神殿を抜け出してはここで独り鍛錬に勤しんでいるのを知っていたから。

 今回の叙勲に際し、アイクとは式の開始前に二、三の言葉を交わしたきりだった。
 現在のオスカーにとって直属の主に当たる彼は、式の中で特別な序列に配されておかしくはなかったし、実際エリンシアを始め周囲はそう提案していた。しかし、彼はそれらを全て断り、あくまで観衆の一人として参列する事を選んだ。
 そんなアイクの行動に対し、オスカーもまた何も言わなかった。彼がそうするであろう事は予想出来ていたし、その心情も察せられたからだ。
 だから、後で改めて話す時間を取ろうと思い、式の前後はあえて接触しなかった。

 クリミア王女から絶大な信頼を寄せられているとは言え、アイク自身はあくまで身分を持たぬ一介の傭兵で、彼の傭兵団は王女に雇われているに過ぎない。内実がどうあれ、外部から見た彼らの関係はそれが全てだということを、アイクは先日のベグニオン神使との謁見で思い知らされている。
 だからこそ、エリンシア主導で執り行う儀式において、自身が特別な位置を与えられる必要は無い――そうアイクは考えたのだろう。
 そもそも彼は、グレイル傭兵団の長という以外の身分を得るつもりは毛頭無いのだろうから。

 勿論、これらはあくまで推測に過ぎない。けれど、おそらくは彼が実際に考えていることと大きく差異は無いだろうとオスカーは踏んでいた。
 この傭兵団に入ってからの三年間、それなりにアイクという人物を近くで見続けてきたという自負はある。それで彼の全てを理解したと称するのは傲慢に過ぎるだろうが、その心情を推し量れる程度には親交を重ねてきたと思いたかった。

(まあ、私の願望も多分に入ってはいる、かな)
 内心でそう呟いて、オスカーは独り苦笑する。

 ――例えどれほど輝かしい功績を挙げようとも、アイクにはずっと「グレイル傭兵団」の「団長」のままで居て欲しい。
 そして、彼の率いる傭兵団の一員として、ずっと共に在りたい。
 誰一人欠けることなく、いつまでも大切な「家族」と共に――それが、自分の望む未来。

 勿論、それはあくまでオスカー個人としての希望であり、他者に押しつける気は毛頭無い。
 グレイル傭兵団の行く末は、団長であるアイクによって決められるべきだ。
 彼の選択した道ならば、それがどんなものであれ受け入れる。それは、彼が団長になった時から心に決めていた事だった。


 不確定という名の霧に包まれた未来に思いを馳せながら歩いていた、青年の足がつと止まる。
 ――自然に在るものとは明らかに異なる、風切りの音を耳にして。

 幾分傾いた陽の光を受け、きらきらと揺れる草の波。
 まるで海のようにうねるそれの向こうに、真っ直ぐ大地を踏みしめて立つ人影があった。

 透徹した鋭さを湛え、無心に虚空を見据える青藍の双眸。
 手にした剣を振るう度に、切り裂かれた風が唸りを上げる。
 技術に関してはまだ荒削りで、洗練されているとは言い難い。それでも、その剣には他者を圧倒し魅了するだけの力が確かに宿っていた。


 空の青と草木の緑を背景に、仄かに赤を帯びた逆光に縁取られたシルエット。
 まるで一枚の絵画のような光景に、思わず目を奪われる。

 さながら彼自身が、一振りの剣そのものだとオスカーは思った。
 刃を向ける者を一刀の下に斬り伏せる強さの反面、ともすれば自分自身すらも傷つけかねない危うさ。
 だからこそ――従いたくなる。守りたくなる。
 圧倒的な強さに畏敬の念を抱く一方で、同時に傷つくのを避けようともせず突き進むその背中を、無性に庇ってやりたい気持ちにもさせられるのだ。

 相反する感情と、その狭間に潜む想い。

 それは仲間や家族への親愛かと、もしも問われたとしたならば。
 今の自分は、果たして迷いなく是と答える事が出来るだろうか――?


 規則正しく続いていた風鳴りが、不意にぴたりと止んだ。
 我に返った青年を、剣を止め振り向いた蒼の双眸が真っ直ぐに捉える。

「――あんたか」
 特に驚いた風も無く、彼はそう一言呟き、剣を握る手を下ろした。
「……すまない、鍛錬の邪魔をしてしまったね」
 その瞳に射すくめられた一瞬、覚えた焦りは完璧に包み隠して、オスカーは謝罪の言葉を述べる。別段それを咎める素振りも無く、彼――アイクは風に棚引くバンダナを無造作に払って肩をすくめた。
「気にしなくて良い。そろそろ切り上げようと思っていたところだったしな」
 そう言って剣を鞘に収めると、彼は自らオスカーの方へと歩み寄った。

「……昇格の件は、もう全部片付いたのか」
 頭一つ分ほど低い位置から見上げてくる青藍の瞳に、オスカーは笑顔で頷き返す。
「ああ、おかげさまでね。
 これで晴れて、聖騎士を名乗れるようになったよ」
「そうか。おめでとう」
 唇の端を微かな笑みの形に歪ませ、アイクは祝福の言葉を述べた。無愛想な彼にとって、これは最大級の笑顔に等しい。そうと判別できる程度には、彼を理解しているオスカーである。
「有り難う。ちゃんと式を見届けてくれたこともね」
「当然だろう。世話になった相手が昇格するって時に、立ち会わない理由が無い」
 真面目な表情でそう返してから、青年はふと首を傾げる。
「……そう言えば、何でわざわざ此処に? 何かあったのか?」
「いや、用と言うほど大した事じゃないんだけれど……」
 躊躇うような沈黙の後、オスカーは再び口を開く。

「――式の前後は、慌ただしくて話す時間も無かったからね。
 昇格を果たしたところで、改めて君に挨拶しておきたかっただけなんだ」
「……挨拶?」
 怪訝な表情で首を傾げるアイクに、オスカーは苦笑しつつ言葉を続ける。
「挨拶と言うと、少し語弊があるけれども。
 まあ、これからもグレイル傭兵団の一員として働かせてもらうつもりだから、引き続き宜しくという事で、ね」
 堅苦しくならないよう、努めて軽い口調で告げられたその言葉に、アイクは微かに片眉を持ち上げた。
「何だ、いきなり他人行儀な事を。
 別に、昇格しようがどうしようが、あんたがうちの団員って事には変わりないだろう」
「はは、ごめん。
 ただ私の中で、一定の区切りをつけておきたかっただけの事だから。聞き流しておいてくれ」
「……そういうものなのか」
 いまいち理解できていないという表情の相手を、青年は慈しみを湛えた瞳で見やった。


 さらさらと、風が草を凪ぐ涼しげな音。
 しばし訪れた静寂を、低く問いかける声が唐突に破った。

「……逆に訊きたいんだが」
「うん?」
 景色を眺めていた視線を正面に戻すと、珍しくも躊躇するような色を刷いた真剣な顔がそこにあった。
「あんたはこの先――王宮騎士に戻るつもりは無いのか?」
「……え?」
 予想外の問いに瞠目する先輩騎士を、アイクは正面から見据えて淡々と言葉を紡ぐ。
「あんたが騎士団を辞めてうちの団に来たのは、弟達の傍で面倒を見ながら働く為だろう?
 今は団の皆が居るし、何よりもうボーレもヨファも立派に団の一員として働いてる。
 ――この戦が終わってクリミアが再興すれば、騎士団には多くの人手が必要になるだろう。そうなった時、騎士団に戻るって選択肢もあるんじゃないか?」
「……今から戦に勝った後の算段とは、なかなか豪気な話だね」
 そう冗談めかしてみても、アイクの真剣な表情は僅かほども崩れなかった。

「あんたほどの実力なら、復帰はむしろ歓迎されるだろう。
 昔の同僚に、騎士団に戻れと説得されているのも何度か見かけたしな」
「ああ……まあ、あれは……」
 自らの「永遠の好敵手」を自称する騎士を思い浮かべて、オスカーは苦笑いする。

「俺が言うのも何だが、こんな貧乏傭兵団で仕事をこなすより、王宮騎士に戻る方がずっと稼げるし、あんたの力も生かせるんじゃないか?
 うちの団にとって、あんたの存在は大きいが……無理してここに居続ける必要は無い。自分にとって一番良い選択をしてくれ」
 そこで言葉を切り、アイクはふっと視線を逸らした。橙に染まりゆく地平線を見据えたまま、小さく付け加える。
「……あんたはどうも、自分のことより他人に気を回し過ぎるからな。
 余計な世話と思うが、一応言っておきたかった」

 それまで言葉を挟まず聞いていたオスカーが、その言葉に軽く眉を上げる。そしてふっと柔らかい微笑みを浮かべ、ゆっくりと口を開いた。
「……有り難う。気を遣ってくれるのは嬉しいよ。
 でも私は、この団を出る気は全く無いんだ」
 そこで一旦笑みを潜め、真剣な表情で言葉を続ける。
「傭兵として戦う中、今まで知りえなかった現実を知って……思ったんだよ。
 王宮騎士として国のために戦うよりも、一傭兵として市井の人々を助ける方が、自分の性には合っている、とね」
「……オスカー」
 驚いたように見るアイクの視線を受け、オスカーはどこか照れたような、苦笑めいた表情を浮かべて頬を掻く。
「いやまあ、そんな高尚な理由じゃないんだよ。
 本音を言えば、ただ単にこの団を離れたくないだけだから」
 遠く何かを思い出す風で、彼は目を細めて青年の肩越しに広がる空を見た。さながら、かつて自身が傭兵団に来た頃の記憶をなぞるかのように。
「――私は、グレイル傭兵団の一員として過ごす今の生活を幸せに感じている。
 弟達と、家族も同然の仲間達が居る……この傭兵団が私の居場所であり、帰る家なんだ」
「……そうか」
 しばしの沈黙の後、アイクは納得したように頷いた。
 その顔を覗き込むように、僅かに背を屈めてオスカーが問いかける。

「……アイクは、私に居座られたら迷惑かい?」
「それは無い。
 あんたに居なくなられたら――困る」
 即座にその答えが返ってきた事が、とても嬉しくて。
 つい、訊くつもりの無かった事まで口にする。
「……それは、団長として? それとも君個人として?」
「……両方だ」

 一瞬、間があって。
 余計な問いを発した自身を取り繕うかのように、冗談めかした口調で青年が笑う。
「――それを聞いて安心したよ。
 暗に出て行けと言われているのかと思った」
「いや、違う。そういう意味で言ったわけじゃない」
 即座に否定したアイクに対し、オスカーはにっこり笑って珍しく追い打ちをかける。
「私としてはずっとこの団に居たいと思っているけれど……団長の意向に逆らってまで居座ることは出来ないしね?」
「……すまん。言い方が悪かった。
 そんなつもりは全く無かったんだが……」
 申し訳なさそうに眉尻を下げたアイクを見て、流石にやり過ぎたと思った青年はいやいや、とかぶりを振った。

「大丈夫だよ。君が私の事を案じてくれているのは、ちゃんと伝わった。
 意地悪い言い方をしてすまなかったね」
 ぽんぽん、と軽く肩を叩かれて、一瞬首を傾げるアイク。やがてからかわれたのだと気づいたか、その眉間に皺が寄る。
「……あんた、解ってて言ったのか?」
 憮然とした表情の青年に、オスカーはくすくすと笑いながら片目を瞑ってみせた。
「はは、ごめん。
 一瞬不安にさせられたのは事実だし、これで痛み分けって事で良いだろう?」


 既に陽が傾き始め、辺りは夕暮れの色に染まりつつあった。
 神使の客という名目で招かれている以上、与えられた部屋をあまり長い間空けるのも望ましくない。そろそろ引き上げ時と促す意味を込めて、相手に背を向けたその瞬間。

 背後からぐいと肘を掴まれ、引き留められる。
 反射的に振り向いたオスカーの視界に、鋭く強い――それでいて、どこか置き去りにされた子供のような色を湛えた瞳が飛び込んできた。


「……俺に断り無く、勝手に抜けたりしたら許さんからな」

 ぼそりと呟かれた、短い一言に。
 どくん、と心臓が跳ねた。


 ああ、とオスカーは内心密かに苦笑する。
 意趣返しをしたつもりが、あっさり返り討ちにされてしまった。

「――勿論だ。そんな真似は絶対にしない。
 そんなに私が信用できないかい?」
「……いや。すまん」
 すぐにかぶりを振り、掴んでいた腕を離した青年に、オスカーは先刻から抱いていた違和感を言葉にして問いかける。
「そもそも、どうして突然騎士団に戻るかどうかなんて話を?
 私の言動に、何か引っかかる点でもあったかい?」
「……別に、そういう訳じゃない」
 首を横に振ったアイクは、やや躊躇するような間を置いた後、独り言のように呟いた。
「――式で、エリンシア姫から叙勲を受けているあんたを見て思った。
 傭兵より王宮騎士の方が、あんたには相応しいんじゃないかって、な」

 洗練された所作に、完璧な礼節。
 叙勲の儀で青年が見せた立ち居振舞いは、傭兵団に在ってもなお彼が「騎士」である事を、アイクに改めて知らしめた。
 騎士とは本来、自らが主と定めた王に忠義を尽くし戦う者の称号――だが、王侯貴族でも無く一介の傭兵に過ぎない自分は、彼にとっての「主君」にはなり得ない。主無き騎士のままで、彼自身は果たして満足なのか。

「……俺じゃ、あんたを聖騎士にしてやる事は出来なかったからな」
 ぽつりと呟かれたその言葉に、オスカーは一瞬瞠目し――やがて事も無げに笑った。
「……何だ、そんな事かい」
 そして、おもむろにその場に跪くと、訝しげな青年を前に頭を垂れる。


「――『グレイル傭兵団団長、アイク。
 聖騎士の名において、我が槍と忠誠を貴方に捧げます』」

 厳かに口上を述べると、騎士は主の右手を取り、グローブに包まれた手の甲に恭しく唇を触れた。
 それはまるで――先の儀式を再現するかのような。


「……おい、何の真似だ」
 されるがままで固まっていたアイクは、我に返ったように取られていた手を引っ込める。憮然とそっぽを向いたその頬は、斜陽を受けているせいか微かに赤く見えた。
 その横顔を、オスカーが片膝を突いた姿勢のまま見上げる。
「私の意思を、見える証として示しただけだよ。
 こうすれば信じてもらえるかと思ってね」
「……また、そうやってからかうつもりだろう」
「心外だな。こちらは至って真剣なつもりだよ」
 半眼で低く問う青年に苦笑を返し、オスカーは穏やかな面をすっと引き締めた。
 それは、彼がアイクの前で初めて意図的に見せる「騎士」としての顔。

「いま現在、私が騎士として忠誠を捧げる主は、君ただ一人だ。
 ――私の騎士の誓い、受けてくれるかい?」

 その言葉に、アイクはしばし考えるように沈黙し――おもむろに右手を差し伸べた。
「――俺はただの平民で、傭兵だ。
 王侯貴族の堅苦しい儀礼は理解できんし、必要ない」
 手を取れと目線で促し、それに従ったオスカーの腕を引いて立ち上がらせる。
 再び頭一つ分高くなった相手の顔を真っ直ぐに見上げて、アイクはだから、と言葉を継いだ。

「忠誠など誓ってくれなくて良い。
 俺と、共に肩を並べて戦ってくれ。
 そして今まで通り、傍で俺を支えて欲しい」

 ああ、これだから。
 従いたくなる――守りたくなる。

 敵わないな、とオスカーは胸の内で苦笑した。
 これまでも、そしてこれからも――こうして彼に魅せられ続けるのだろう。
 きっと当の本人は、自覚など全く無いに違いないけれど。


「――ああ、解ったよ。
 貴方の為に全力を尽くしましょう、我等が『団長』殿」
「……だから、そういうのを止めてくれと言っているんだが」
 うんざりした表情を浮かべる青年を、オスカーは慈しみに満ちた目で包み込むように微笑んだ。



2011年発行のアイク受小説アンソロジー「Bonds.」に寄稿した作品。
#オスアイは私の騎士の誓い



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