その蒼に誓って


「オスカー!?」
 潜んでいた伏兵により、雨あられと射かけられる無数の矢。全てを躱しきるのは無理とみて、多少の手傷覚悟で突破を選択した瞬間、それは風のような速さで視界に割り込んだ。その姿を認めると同時に、アイクは愕然とその名を呼ぶ。
 青年の前に立ち塞がった騎士を、矢の雨が襲う。手にした槍で降り注ぐ矢を弾き散らすが、全てを防ぎきるには至らない。槍で弾けなかった数本を左の籠手ではたき落とし……それでもすり抜けた2本が、防具に守られていない上腕部を貫通した。
 馬上の青年は僅かに顔を歪めたのみで、刺さった矢を抜く事もせずに槍を構え直す。袖にじわりと血が滲むのを目にして、アイクは叫ぶ。
「オスカー、下がれ! 無理はするな!」
「大丈夫、深手じゃない。今はここを突破するのが優先だろう」
 冷静な声が返る。反論しかけた言葉をぐっと飲み込んだ。彼の言う通り、今は言い合いをしていられる状況ではない。
「――すまん」
 そう一言だけ告げて、アイクは駆け出す。
 視界の隅で、気にしなくていいと微笑む顔を見た気がした。



 別動隊の奇襲をかわし、アイク率いるクリミア解放軍は辛くも勝利を収めた。
 戦局が自軍有利に傾いたのを確認した後、前線から下がって手当てを受けていたオスカーは、近づいてくる気配に顔を上げ――微かに苦笑を浮かべた。
「……傷の具合はどうだ」
 正面に立った青年の顔は、鉄面皮と言えどもはっきりと分かるほど不機嫌だった。ああ、これは怒っているな、とオスカーは内心で苦笑いする。
「大したことはないよ。キルロイに治癒の術もかけてもらったしね」
 術のおかげで傷は塞がっていたが、念の為にと清潔な包帯の巻かれた腕を示す。それを目にして、アイクの表情に微かな安堵の色が差した。しかし、その眉間には相変わらずくっきりと縦皺が刻まれたままだ。
「――何故、あんな無茶をした」
「無茶、ね」
 オスカーは微苦笑する。
「私としては、至極当然の行動だと思っているんだけれど」
「……」
 無言。だが納得していない事は、さらに深くなった眉間の皺を見れば明らかだった。
「将が敵に害されれば、軍の士気は落ちるし、指揮も滞る。軍の要たる将を優先して守るのは、配下の兵として当たり前の行動だろう?」
「だからと言って……」
 反論しかけて、言葉を探しあぐねた風に押し黙る。彼とて理性ではわかっているのだ――それが正論であると。
「……俺は、自分と他の皆の命に差があるとは思わん。同じ戦場に在るならば、命の価値は誰しも等価だ」
 唸るように低く、アイクが呟く。そんな青年を見上げて、オスカーは唇に微笑みを留めつつも表情を引き締めた。
「……君のそういう考え方は、私個人の感情としてはとても好ましいと思っているよ」
 けれど、と続ける。
「軍隊とは、それを率いるとは、そういうことなんだよ。
 小さな傭兵団とは違う……今の君は、クリミア王女を擁する正規軍の指揮官なんだ」
 真摯に説いた後、もっとも、とオスカーは笑う。
「君が軍の指揮官であろうが、傭兵団の長であろうが、私の取る行動に変わりはないけれど、ね」
「……」
 沈黙が落ちる。何かを言おうとして、また口を噤む――そんな彼らしくない仕草を繰り返し。
 その時、遠くから彼を呼ぶ声がした。反射的に背後を振り向く青年に、オスカーは穏やかに語りかける。
「……さあ、もう行くといい。
 君が気に病む必要は何も無いよ。私がそうしたいと思った、ただそれだけのことだ」
 アイクは向き直り、口を開きかけて――結局何も告げることなくその場を後にした。
 遠ざかる背中。蒼穹の色のマントが翻る様を目で追って、オスカーは無意識に腕の包帯を撫でた。



 訓練用の槍を引き、馬上の青年は左手で額の汗を拭った。しばし呼吸を整えた後、槍を脇に抱えて馬から下りる。
 ――見られていることには、しばらく前から気づいていた。その視線の主が誰であるかも。
 馬の首を軽く叩いて宥めながら、彼はいかにも自然な動作で気配の方を振り返る。建物の陰に佇んでいた少年が、一瞬鼻白んだような表情を浮かべるのが見えた。
「やあ、アイク。どうかしたかい?」
「……気づいていたのか」
 心なしかばつの悪そうな顔の少年に、青年はまあね、と微笑む。
「そう熱心に見られては、流石に気づくさ」
「……悪い。邪魔をするつもりは無かった」
 表情の変化に乏しい面に、すまなそうな色が浮かぶ。オスカーは気にしていない旨を告げ、槍を抱え直した。
「何か、気になることでも?」
 騎士の戦い方が珍しいのだろうか。疑問を呈するオスカーに、少年はかぶりを振った。
「いや……同じ騎士でも、ティアマトとはまた動きが違うと思って見ていた」
「まあ、そうだね。得物の違いもあるけれど、何よりも技量の差かな」
 苦笑と共に、冷静な見解を述べる。そんな彼に対し、アイクは訊きたい事がある、と切り出してきた。
「……以前、ティアマトが言っていた。騎士とは本来、王たる主君に仕える者の称号だと」
「まあ、本来の意味からすればそうだね」
 頷く青年を、蒼の双眸がじっと見据える。
「……あんたも、主に仕えたいと思うのか?」
 意外な質問だった。オスカーは一瞬眉を上げ、そうだなあと視線を中空に彷徨わせる。
「……そういう気持ちが全く無いと言ったら、嘘になるけれどね。
 けれど、今の私にはもっと大切な事があるから」
 脳裏によぎるのは、二人の弟のこと。
「だから、私はここに来た。
 その選択を後悔はしていないし、傭兵として生きることにいささかの不満も無いよ」
 この答えで納得してくれるかい? と問えば、アイクは無言で頷いた。
「悪い。変な事を訊いた」
「そんなことは無いさ。心配してくれたんだろう?」
 この少年なりに、新入りの自分を気遣っての発言だったのだろう。その拙く不器用な優しさを、オスカーは好ましく思った。
「それに、主が居ないわけじゃない。
 この団で働く以上、グレイル団長が私の主君だ」
 もっとも、あの人はそれを良しとしないだろうけれど。オスカーは内心で独りごちる。
「そして、いつか君がグレイル団長から後を任された時には。
 君が、私の主君になってくれるかい?」
「……俺が?」
 驚きと当惑を滲ませるアイクに、青年は悪戯っぽく笑いかけた。

 戸惑いながらも解ったと頷いた、その真っ直ぐな蒼の双眸を、今でもよく覚えている。



 囲まれたことに気づいた時には、既に攻勢が始まっていた。
 向かってくる敵に相対しながら、オスカーは冷静に彼我の戦力差を分析する。数の上ではこちらが不利――無傷とはいかないだろうが、ここで敵を引きつけておければ、その分本隊へ向く攻撃が薄くなる。被弾覚悟で踏みとどまる意味はあると判断し、槍を握り直したその時。
 一陣の風が戦場を駆け抜ける。見る者の目に蒼の軌跡を焼き付けながら、それは一直線に敵陣へと斬り込んでいった。
「アイク!?」
 愕然とその名を呼ぶ。本隊を率いているはずの彼が、何故ここに?
 刃を交えていた敵兵を素早く無力化し、オスカーは急ぎその背を追う。
 こちらを包囲する敵陣の一郭、魔道士部隊が慌てて詠唱を開始するが、術の完成よりも肉薄した青年が剣を薙ぐ方が早かった。あっという間に半数を打ち倒したものの、残りの半数が発動させた術がアイクを襲った。
 炎が服を嘗め、風が肌を裂く。それでも青年は少しも戦意を翳らせることなく、振るうその刃はますます精彩を増してさえいるのだった。
「アイク!」
 追いついたオスカーが手を伸べる。視線すら向けることなくその手を取り、鞍へと身体を跳ね上げる。
 馬上からなおも剣を振るう青年と、その動きに合わせ巧みに手綱を操る騎士と――互いの呼吸を理解しているからこそ出来るその動きは、まるでひとつの生き物のようで。

 軍の総大将が自ら敵陣に斬り込み、縦横無尽に敵を翻弄する様は、味方の士気を大いに鼓舞した。
 数の上で圧倒的に有利だったはずの敵軍は今や分断され、当初の包囲網など見る影も無い。散り散りに敗走していく敵兵を見ながら、アイクは馬上から号令を下した。
「深追いはするな! 軍をまとめて態勢を立て直す。全員、本隊へ合流しろ!」
 指示に従い、味方の兵達が本隊へ向かって移動を始める。ただひとつを除いて、自身に注がれる視線が周囲に無くなったことを確認した瞬間、アイクの上半身がぐらりと傾いだ。
「アイク……何故、こんな無茶を……!」
 背後からその身体を支え、オスカーは珍しくも声を荒げる。
 味方からは見えないようにしていたが、彼の服から覗く肌にはいくつもの火傷や裂傷が刻まれていた。決して浅いとは言えない傷だ。
「伏兵がいると、報告が入ったからな……前線に戦力を集中させなければ、突破されると思った」
「……そういう事を訊いているんじゃない」
 低く、呻くように告げる。肩に添えた左手に、知らず力がこもった。
「言ったはずだ。指揮官に何かあれば、軍全体の士気に関わる。だから、」
「だから、味方が……あんたが傷つけられるのを、俺に黙って見ていろと言うのか?」
 幾度も口にしてきた正論を、決然とした声が遮った。その語気の鋭さに、オスカーは一瞬気圧される。
「あんたの事だ。もし応援が来なければ、自分が負傷してでも留まって戦っただろう?
 将のいる本隊へ、少しでも敵を向かわせないために」
「……否定はしないよ。それが私の役割だ。兵は将を守るためにいると、私は思っている」
 幾度となく繰り返された問答。深々と溜息をつく気配。
「どうあっても、あんたがそれを曲げないと言うなら――」
 身体を捻り、アイクは背後の騎士の顔を振り仰ぐ。
「俺は団長として、あんたに命令する。
 守るなとは言わん。だが、必ず生き延びろ。自分を犠牲にしようとするな」

 真っ直ぐに。
 揺るぎない信念を宿すふたつの青玉が、見つめてくる。それはまるで、心まで射抜かんばかりに強く。

「あんたは、俺の騎士だろう?
 勝手に死ぬことは、俺が許さん」

「……!」
 瞠目する。脳裏に蘇る、あの日の光景。
 記憶にあるよりも、逞しく大人びた体躯。記憶と全く同じ、ただひたむきに前を見る蒼の瞳。
 覚えて、いたのか。思わず零れた呟きに、律儀にも応えが返る。
「約束したからな」

 木々の葉擦れの音に混じって、遠くから重なり合った人の声が聞こえてくる。自軍の兵達が合流しつつあるのだろうか。
 それを耳にすると、アイクは大きく息を吐き、背後の騎士に背中を預けた。
「……少し休む。本隊まで連れていってくれ」
「はいはい、仰せのままに」
 我が君、と口の中で呟く。耳聡く聞きつけたのか、その呼び方はやめろと抗議する声が背中越しに届いた。



何か前にも似たような話を書いた気がする。
アイクがオスカーに対し「俺の」騎士って無意識に所有格つけてるのが好きなんだ。



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