Blue umbrella


 この世界にも、現実と同様に天候の変化がある。
 創造主であるマスターハンドのこだわりで、日時によってランダムに天気が変わるシステムを構築してあるらしいのだが、どうせならずっと晴れにしておいてくれれば面倒が無くて済むのに、とマルスは思う。


 それに。

 ――雨の日は、あまり好きではなかったから。


 所用を済ませて店を出てみれば、あたりは薄暗くなっており、様々な店舗が軒を連ねる商業エリアはそぼ振る雨に煙っていた。

「雨か……ついてないね」
 目を伏せ、溜息混じりに呟く。
 そんな青年を余所に、傍らの同行者は至って普段通りの無表情で、鈍色の空を見上げている。
「どうする、アイク。
 どこかで雨宿りしていくかい?」
「……空模様を見る限り、これからさらに酷くなりそうな気がするな。
 今のうちに戻った方が良いんじゃないか」
 厚い雲が重なった空を指し、アイクはそう言った。
 傭兵にとって、天候は戦局を左右しかねない重要なファクターだ。そういう職業柄なのか天性の勘なのか、この青年が天気の変化を予測すると妙に当たることをマルスは承知していた。

「解った。それじゃ急いで帰ろうか」
 頷いた後、マルスはあ、と何かを思い出したように手を打ち、雨の中歩き出そうとしていた友人を呼び止めた。
「待ってアイク。良いものがあるんだ」
 振り返って首を傾げた青年に、マルスは提げていた荷物の中から細長いものを取り出して示した。
「……それは?」
 問うた彼に意味深な笑みだけを返し、「それ」を開いて見せる。

 灰色の景色の中に、ぱっと咲く鮮やかな青の華。

 驚いたように軽く眉を上げた青年に、マルスはどこか得意げな表情で笑いかけた。
「この前ネスから貰ったんだ。傘っていうんだって。
 こうやって――ほら」

 大きく円形に開いたそれを、マルスが頭上に掲げて雨の中へと一歩踏み出す。
 ぱたぱたと布を叩く雨音と共に、たくさんの雫があっと言う間にその表面を濡らしていった。
「ね、便利だろう?
 これをこうやって持って歩けば、雨の中でも濡れないんだよ」

 それぞれ全く異なる文化を持つ者達が集まっているこの世界では、彼らがこれまで目にしたことも無いような道具が当たり前のように存在している。
 最初こそ、魔法としか思えないようなそれらに何となく警戒心を持っていたが、一度便利さを享受してしまうと、全く気にならなくなるのだから不思議なものだ、とマルスは思った。

 一方のアイクは、友人の持っているそれを物珍しげに眺めていたが、ふと何かに気づいたように眉を寄せる。
「……だが、これでは片手が塞がってしまうな」
「? ……まあ、そうだね」
 いまいち発言の意図が掴めず、要領を得ない表情のマルス。
 そんな友人の様子に気づいたのか、アイクはがしがしと髪を掻き上げ、ぼそりと付け足すように呟く。

「……戦場では使えんな」

 一瞬ぽかんとしたマルスだが、ややあって彼の言わんとするところを理解し、思わず吹き出した。
「……そんな心配しなくても。
 もう亜空軍は去ったんだし、いきなり敵に襲われたりはしないよ」
「……まあ、そうだが」
 笑われたことに対してか、やや憮然とした表情の青年。


 どこまでも武骨な彼の性格に、微笑ましさと愛しさが募るのを感じながら、マルスは再度荷物を探る。

「はい。
 アイクの分もあるから、使うと良いよ」
 差し出された傘をしばし見つめ、しかし青年は首を横に振った。
「……いや。
 気遣いは有り難いが、俺はいい」
「大丈夫だよ、そんな警戒しなくても。
 大体、君なら片手でも十分戦えるし、もしもの時はすぐ手放せばいいじゃないか」
「いや、それは別としてだ。
 ……両手を空けておかないと、どうにも落ち着かなくてな」

 大袈裟だなぁとマルスは思ったが、彼の気持ちも解らないでは無かった。
 戦場での生活が長ければ長いほど、常に気を張る癖がつく。戦争の最中においては、例え自軍のテリトリーに居る間であろうが、一瞬の油断が命取りとなることもあるからだ。
 まして、軍を率いるトップなればなおさら。

 友人ほどでは無いにしろ、マルス自身も常に得物を帯びていなければ不安な部分があり、かつて戦いの中に在った頃の習慣が抜けないということについては共感できた。


 しかし、だからといって彼が雨に打たれながら歩いている横で、自分だけが傘を差すわけにもいかない。

「うーん……」
 困り顔で考え込んでいたマルスだったが、ややあって何か思いついたような風で顔を上げた。

「それじゃ、こうしようか」
 そう言うなり、彼は自分が持っている傘の片側半分をアイクの頭上へと差しかける。
「こうすれば、君は両手とも自由に使えるし、濡れないから良いだろう?」
 名案を思いついたといった表情の彼と、自分の上に差しかけられた傘とを交互に見て、アイクが軽く眉を寄せた。
「だが、あんたの方は両手が塞がってしまうぞ」
「だから心配ないってば」
 くすくすと笑って、マルスはそれに、と言葉を続ける。


「その時は――君が守ってくれるんだろう?」

 せっかく、両手を空けてあるんだから。


 にっこりと微笑んだマルスに、アイクは面食らったとも呆れたともつかない表情を浮かべた。

「……俺が、あんたを?」
「む。守ってくれないのかい?
 せっかく君が濡れないようにしてあげてるのに」
「……いや。
 守れと言うなら、善処する」
「ふふ。頼りにしてるからね」

 いまいち釈然としない顔の青年を促して、マルスはさっさと歩き出す。



 アイクの予想通り、雨足は徐々にその強さを増し、青い傘の表面を容赦なく叩いていた。
 その音と、二対の脚が地面を踏む度に立てる水音だけが、鈍色のカーテンに閉ざされた世界を静かに満たす。

 コンパクトに折り畳めるように作られた傘は小さく、なるべく濡れないようにと思えば、自然、傍らを歩く相手に寄り添う形になる。
 密着した肩から伝わってくる、やや高めの体温。


 急いで帰ろうと、そう言ったのは自分なのに。

 今は、この時間が少しでも長く続けばと願っているなんて。


(現金なものだね、人間って)
 内心で独り苦笑して、マルスはそっと隣の青年を窺う。
 その横顔は、いつも通り愛想の欠片もない無表情だけれど。

 ――少しは自分と同じような感情を抱いていることを、期待しても良いのだろうか?


 周囲に人通りが無いことを確認した上で、マルスはそっと傘を左手に持ち替えた。
 そして、無防備に垂れ下がった傍らの左腕に、己が右手を静かに絡ませる。
 咎められるかと思ったが、青年は片眉を上げて彼を一瞥しただけで何も言わず、振り解こうとする素振りも見せなかった。

(――手が塞がるのは嫌なんじゃなかったっけ?)

 そうからかってやりたい気もしたが、それを告げて離れろと言われても困るので、黙っておくことにする。



 ――雨の日には、嫌な思い出しかなかったけれど。

 少しだけ、雨が好きになれそうな気がした。






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