サンタが街にやってくる


「雪だ……」
 車のドアに手を掛けながら、俺は空を見上げて呟いた。
 鈍色の雲から舞い落ちる、白いかけら。

 天気予報じゃ寒くなるとは言ってたけど、まさか雪になるとはね。
 この辺は比較的暖かいから、滅多に降らないし積もることも無い。クリスマスを間近に控えての、都会の方に比べたら、ずっと遅い初雪。
 この分だと、久々のホワイト・クリスマスになるだろうか。

「……ま、関係ないけどね」
 独りごちて、俺は車に乗り込んだ。


 助手席に乗せるぬくもりも無く、ひとり車を走らせる。
 クリスマスという一大イベントを一ヶ月前に控えながら、俺は付き合ってた女のコに振られちゃったわけで。
 彼女いわく、『本気で愛してくれない人は要らない』だそうで。
 俺は本気のつもりだったけど、少なくとも彼女にはそう見えてなかったらしい。

 さらにショックなことに、そういうことを言われたのはこれが初めてじゃなかったりする。
 というか、何回もある。
 正直「ああまたか」って思っちゃうくらいに。

 俺は基本的に、女性に対して奉仕するのが好きなんであって、自分のものにしたいとか独占したいって欲望があまり無い。それは自分でも自覚してる。
 何て言うか……執着より先に尊敬が来ちゃうのかな。「愛してる」と言うよりは「好き」に近い感情。
 女性が持つ母性とか、そういう自分に無いものに憧れてるって部分は、かなりあるかも知れない。
 俺としては遊びのつもりは全く無くて、いつでも至って本気なんだけど……俺の女性に対するそういったスタンスが、女性から見ると本気で愛されて無いように思えてしまうみたいだった。

 長続きしない恋愛。繰り返す、出会いと別れ。
『貴方って、常に私じゃない他の誰かを探してるみたいに見えるの』
 そんな風に言われたこともあったっけ。
 今になって思えば、その言葉は正しかったんだろうなって気もする。

 愛は惜しみなく平等に……ただし女性限定。
 そうやって生きていくのが、俺には一番合ってるのかも知れない。
 最近、そんな風に考えるようになってきた。


 車は賑やかな街を通り過ぎ、山道の中を走っていた。俺の住んでる住宅街に通じる近道なんだけど、意外と知られてないらしくて車通りはほとんど無い。
 雪はいつになく酷くなり、ワイパー越しの視界を白く煙らせる。

 隣の席が空いただけで、何だか寒くてやってられない。
 エアコンの設定温度を上げようと、片手を伸ばして視線を動かしたその瞬間。

 トン。

 衝撃と共に、何かが屋根にぶつかる音がした。
「……?」
 木の枝でも落ちてきたのかと思ったけど、風なんてほとんど吹いてないし……それにしては音が重かったような。
 バックミラーを覗いてみても、白く吹雪いている雪が見えるだけ。
 気のせいで済ませればいいことかも知れないけど、何となく気になった俺は路肩に車を停めて外に出た。

 後部座席に放り込んであった傘を取り出して、雪の中を音のした地点へと戻る。
 雪はますます強くなり、振り返ればほんの数メートル先にあるはずのシルエットが浮かんで見えた。
 慎重に近づいてみると、徐々にそれの輪郭がはっきりしてくる。

 ……何コレ?

 目の前にあるそれは、今やはっきりとその姿を現していたけど、それが何なのかがさっぱり解らない。
 半ば雪に埋まりかけた、人が乗れそうなくらいの四角い箱……に見える。
 もっとよく見ようと手を伸ばした時、俺の視界にもっと驚くべきものが飛び込んできた。

 箱の向こう側に――人!?

「おい、大丈夫か!?」
 俺は慌てて謎の物体を回り込み、うつ伏せに倒れている身体を抱え起こした。
 ぱっと見、体格も年の頃も俺と同じくらいの若い男。

 ……まさか、俺が轢いた……なんてことはないよな?
 さっきの衝撃を思い出し、背筋が寒くなる。
 あれがもし、人を撥ねた時のものだとしたら……。

 いやいや、そんなはずはない。
 さっきの音は、確かに屋根から聞こえてきた。人を轢いてしまったのなら前からショックが来るはずだし、フロントガラスから何も見えないなんて事はありえない。
 最悪の予想を必死に打ち消しながら、俺は改めて抱えた男を見る。

 さすがに、こんな雪の中に放置しておくわけにもいかない。
 とりあえずは自分の車に運ぼうと、俺はいったん傘を置いてその身体を背負った。

 数メートル先の車にたどり着くと、後部座席のドアを開け、背負った身体を下ろす。
 トランクに放置してあった薄い毛布を掛けて、ついでに傘も放り込んで、ドアを閉めて無事完了。
「はー、疲れた……」
 運転席のシートに身体を預け、俺は深々と息をついた。
 エアコンの温度を最大にまで上げてから、改めて後部座席を覗き込む。

 意識の無いまま横たわる彼は、見たところ外傷などは負ってなさそうだった。
 あの雪の中に倒れていたにしては、顔や唇の血色も悪くない。
 念のためにと、身を乗り出して手首の脈も調べてみたけど、特に異常は感じられなかった。
 素人目には、全くの健康体……ただ単にぐっすり寝てるだけに見える。

 少なくとも、俺が轢いたって可能性は無さそうだな。
 そうと解って、ようやく相手を観察する余裕が出てきた。

 最初に思ったとおり、年は俺と同じくらい。明るい金茶の髪は短く、きちんと整えられている。
 鼻筋の通った顔立ちは人目を惹くに十分そうだけど、街へ行けば普通に歩いていそうな感じの奴だ。少なくとも、こんな山道で雪の中行き倒れているようにはとても見えない。
 服装も、ごく地味な臙脂のセーターに黒いスラックス。コートの一枚も着ていないなんて、こんな雪の日に外を出歩くにはちょっとばかし軽装過ぎやしないだろうか。

 何だって、あんなところに倒れていたのか。
 考えるほどに解らなくなる。

 とりあえず、病院に連れて行くべきだよな……。
 俺から見るとどこも異常は無いように思えるけど、所詮は素人判断だから過信は出来ない。

 この雪だし、救急車呼ぶより俺が運んだ方が早そうだ。
 持っていた携帯電話をダッシュボードに戻すと、俺はハンドルを握ってアクセルを踏み込んだ。


******

 山道を抜け、閑静な住宅街が並ぶ区画に出る。
 何か異常が無いか診てもらうだけなら、そんなに大きな病院でなくても大丈夫だろう。比較的家から近い、小さな診療所へ向かうことにした。
 赤信号の間に後ろの様子を見ようと、何気なくバックミラーを傾け――

 こちらを見つめる鏡の中の目と、バッチリ視線が合ってしまった。

「!」
 慌てて後ろを振り向く。
 後ろのシートで眠っていたはずの青年が、目を覚まして俺を見ていた。

 閉じていた瞼の下から現れたのは、金赤っぽい琥珀の目。
 凪いだ水面みたいに静かな光を湛えて、ただ真っ直ぐに俺を見ている。


 今まで見てきた誰とも似ていない、透徹した眼差し。
 静かな、それでいて強い印象を感じさせるその瞳。

 視線だけでなく、意識まで釘付けにされてしまう感覚。
 言い訳する余地も無く、俺は同性であるはずの相手に見とれてた。

 ――綺麗だ、と思った。


 どのくらいの間、目を奪われていたんだろう。
 俺をじっと見つめていた相手が、すっと毛布から手を出して俺の背後を指差した。
 我に帰って振り向けば、見事に青に変わった信号。

「うわ、やばっ」
 慌てて車を発進させる。
 後続車のけたたましいクラクションが、俺を嘲笑うかのように後ろから追いかけてきた。


 この自他共に認める女のコ好きの俺が、よりにもよって同じ男に見惚れちまうなんて……一生の不覚。
 そんなことを思いつつ車を走らせてると、背後でもそもそと起き上がる気配がした。

「……ここ、は」
 やや掠れた、低めの声。

「山道に倒れてたんだよ。雪降ってるし、さすがにそのままにはしとけないから、とりあえず連れてきたんだけど」
 前を見たまま答える俺。いやに饒舌なのは気にしないことにする。
「……そうか……私は、あそこで……」
 しばしの考えるような沈黙の後、記憶を辿っているかのように小さく呟く。
 状況が理解できるところを見ると、頭を強く打ってたりとか言うことは無さそうだ。
「貴方が、助けてくれたのか。すまない……迷惑をかけた」
 礼儀正しくそう告げる、ミラーの中の瞳は本当に申し訳無さそうで、俺は何故か妙に焦った。
「ああ、気にしない。家に帰るついでだったしね」
 ……俺が轢いたかも知れないと思ったなんて、口が裂けても言えやしない。

「とりあえず、いま病院へ向かってるから」
 そう告げると、ミラーに映った顔がふっと曇ったように見えた。
「……気遣いはありがたいが……もう大丈夫だ。
 これ以上迷惑はかけられない。すまないが、ここで停めてもらえるだろうか」
「え? けど一応、念のために診てもらっといた方が……」
「構わない……大丈夫だ」
 丁寧だけど、その言葉には取り付く島がまるで無い。
 伝わってくる、穏やかながらも絶対的な拒絶の気配。

 病院に行きたがらない……か。こいつはますます、何かありそうだね。
 持ち前の好奇心がさっそく騒ぎ出す。
 こうなったら、とことん事情を訊くまでは引き下がれないってもんでしょ?

「――了解。でもまだ休んでた方がいいと思うから、うちに連れてくよ。
 まさか、それまでイヤだとは言わないよね?」
 そう言った俺に、ミラー越しに驚いたような目が向けられる。
「しかし……」
「ああ、部屋の心配ならしなくていいよ。一人暮らしでスペース余ってるんだし」
 そういうことを言いたいんじゃないってことは解ってたけど、わざと先回りして畳み掛けた。
 案の定、相手は困ったような顔をしながらも口を噤む。これ以上強硬に拒絶して、不審を抱かれても困ると思ったんだろう。

「なあ、名前教えてよ。俺はセイン」
「――ケント、だ」
 躊躇いがちながらも、はっきりと告げる声が耳に心地好い。


 ――何か、面白いことになりそうな予感がするね。
 久々に胸が躍るようなワクワク感を抑えつつ、ハンドルをゆっくりと右に切る。

 この出会いが、俺の未来を変えることになるなんて、この時点ではまだ予想もしていなかった。


 2

「どーぞ。誰も居ないからさ、遠慮しないで上がってよ」
 部屋のドアを開け、背後に立ってる青年を招じ入れる。躊躇いがちに玄関へ上がる彼に奥へ入るよう促して、俺は後ろ手にドアをロックし靴を脱いだ。

 俺の住んでいる部屋は、1階が店舗になっている建物の2階にある。
 元々ここは、母方の叔父が家族で住んでいた場所だった。結構前に叔父さんが喫茶店の経営を辞めてから空き部屋になっていたんだけど、ちょうど俺がこっちに出てくるってことになったんで貸してもらってるってわけ。
 家族で住めるくらいだから、元々俺一人には広すぎるくらいの家だ。この上に一人居候が増えようが、大した問題にはならない。

「こっちの部屋、自由にしていいよ。いま全然使ってない所だから」
 俺が主に使ってる以外の2部屋の一方に、ケントを案内する。叔父さん達が残していった家具があるから、少しの間暮らす分には困らないだろう。
「すまない……何から何まで、迷惑をかけてしまって」
「いいってこと。まあそこらに座って休んでて」
 そう言い置いて、俺はいったん部屋を出た。


 インスタントのコーヒーを2つ持ってキッチンから戻ってくると、ケントは部屋中央のソファに所在無げに座っていた。
「ありがとう」
 カップを手渡すと、琥珀の瞳が少し柔らかくなったように見えた。
 自分のコーヒーをテーブルに置き、俺は向かいにある一人用のソファに腰を下ろす。

「……で、何だってあんな所に倒れてたの?」
 何の前振りも無く単刀直入に訊くと、カップを口元に運ぶ手が止まった。
 こういうことは、下手に回りくどく訊かない方がいいってもの。
 どこに住んでいるのかとか、職業は何なのかとか、訊きたいことは他にもたくさんある。だけど、とりあえずは一番気になるその部分を訊かなきゃならない。

「……聞かない方がいい」
「どうしてさ」
「聞いても、きっと信じられないと思う」
 琥珀の瞳を僅かに伏せて、ケントは緩やかにかぶりを振った。
 変化に乏しい表情から感じ取れる、柔らかくも明確な拒絶――他者を認めながらも自己への介入を許さない、真綿みたいな壁が彼の周りにはあるような気がする。

 確かに、必要以上に他人に干渉するのは俺も好きじゃない。
 ――けど、自分の興味や好奇心がそれを上回る場合は別だ。
 でもって、一度介入を決めたからには、最後までおせっかいを焼き通すのが俺のモットーなわけで。

「でも聞きたいなぁ。ダメ?」
「……」
 恩着せがましくなるのがイヤだから、軽い感じで言ってみる。
 助けてやったんだから事情くらい、なんて言うつもりは無い。純粋に、俺が知りたいだけ。
「信じるか信じないかなんて、そんなの話してみなきゃわかんないだろ?
 これでも図太さと頭の柔らかさには自信があるつもりよ? 男も女も度胸に愛嬌、ってねー」
「だが……」
 困ったようにケントが言いよどんだ、その時。

「やーっと見つけた! もーやんなっちゃう、こんな遠くまで探し回る羽目になるなんて!」
 突如として割り込んできた甲高い声。
 ぎょっとして振り向くと、いつの間にか扉の前に一人の女のコが仁王立ちしている。

 ……待てよ。俺、玄関のカギかけたよな? どっから入ってきたんだ??
 あっけにとられる俺の耳に、ケントの声が届いた。
「ああ……セーラ殿」
 え、何? お知り合いですか?

 彼に説明を求めようとした俺の前に、つかつかと女のコがやってくる。フワフワした白いワンピースに、両耳の上で結んで垂らしたピンクの髪と、何だかやたら目立つ格好だ。可愛いけどね。
 ケントの彼女? ……んなわけないか。
「ちょっと貴方っ! 連れてくなら連れてくで、ちゃんとわたしも助けなさいよ!
 あんな雪の中に女の子置き去りにするなんて、信じらんないっ!」
 腰に手を当て、可愛らしい声でまくし立ててくる。
 諸々の疑問はとりあえず横に置いといて、まず相手の話に耳を傾けることにした。女のコを宥めるには、まずじっくりと話を聞いてあげないとね。

「ってことは、貴女もあそこに居たんですか?」
 思い返してみても、それらしき記憶は全く無い。
 おかしいな……自慢じゃないけど、女のコがいたなら絶対に男より先に気づくはず。そもそも、こんなに目立つ格好してる人を見逃すなんてありえない。
 首を傾げる俺に、彼女は胸を張って言った。
「そうよ。落ちるのヤだから飛んで上に逃げてたんだもの」
「って、そりゃ気づかないでしょ!?」
 思わず反射的に突っ込んでしまってから、俺は激しく違和感を感じた。

 ……『飛んで上に逃げていた』?

「……ええっと……セーラさんっておっしゃいました?」
「そうよ」
「とりあえず、貴女の詳しいプロフィールも含めて事情をご説明願えたらーとか思うわけですが」
「あら何、それって口説いてるの? まあ仕方ないわよね、こんな可愛い子が目の前にいたら。
 でもごめんね、わたし人間には興味ないからぁ」
 俺の提案に、彼女は頬に手を当てて可愛らしく首を傾げる。
 確かに、端々に聞こえる不穏な発言と先刻の不法侵入が無ければ、俺は一も二も無く速攻で口説き始めてただろうけど。てか『人間には』ってどういう意味デスカ?
「それは残念ですけど、とりあえず事情説明だけでもしてもらえたらなーとか」
「もう、面倒ねー」
 彼女は可愛く唇を尖らせると、再び腰に手を当てて息を吸い込む。

「だから要するにね、わたしとケントが橇(そり)で飛んでる時に荷物が下に落ちちゃって、それを取りに降りてったらあなたの車とぶつかっちゃって、バランスを崩して落っこちちゃったってワケ。わかった?」
「……すいません全然解んないです……」
 一気にまくし立てた彼女に、俺は思わず諸手を挙げる。
 ――ケントがあそこで倒れてたのが、やっぱり俺のせいだったってのは何となく解ったけど。そもそも解説しなきゃいけない大前提が抜けてないか、今の説明?

「……セーラ殿」
 それまで黙って俺達のやり取りを見ていたケントが、咎めるようなニュアンスの声を発した。
「……あ。そっか、ちょっと喋りすぎちゃったかもね。
 でもいいんじゃない? この人、軽そうだけど悪い奴には見えないし」
 初対面の女のコにまで「軽そう」とか言われちゃってるし俺。って今はそれどころじゃなく。
「で……そうやって橇で飛んでたアナタ方はいったい何者なんですか?」
 言いながら、俺は頭に浮かんだ考えを反芻していた。
 橇に乗って空を飛ぶなんて、まるで――。


「サンタクロースみたい、って?」

 俺の考えを読んだかのように、セーラがくすくすと笑いながら言う。
 その背後で、ケントが渋い顔をしていた。秘密にしていたかったことを暴露されてしまったといった感じの表情。


「――まさか」
 にわかには信じられなかった。
 適当な嘘を並べられて、かつがれてるだけなんだと思った。

「……だから信じられないと言っただろう」
 ぼそりとケントがそう呟いた。
 その表情からは「言いたくなかった」って気持ちがありありと窺える。

「ま、信じるも信じないもあなたの自由。
 今の人間って、何でもカガクノチカラとやらで説明つけちゃうんだし」
 一抹の皮肉を混ぜ込んで笑う彼女の足が、まるで重さを失ったみたいにふわりと床から離れた。
 目を見張る俺の前で、彼女は何も無い空中に座り、足を組んでみせる。

 トリックさえあれば、不可能なことじゃない。
 人体浮遊は、マジックショーでもよく行われてる芸なんだから。
 けど、わざわざ一民間人である俺を、そんなトリックを使ってまで騙そうとする理由が残念ながら見当たらない。
 唇が乾いてくるのを自覚しながら、俺は二人を交互に見比べて言った。

「本物……?」


******

 ベランダの手すりに上半身を預け、遠くに見える街の明かりを眺める。
 雪は既に止んでいたけれど、身を切るような風の冷たさは変わっていない。

 変化の無い日常に紛れ込んできた、突然の闖入者。
 その二人から聞かされたことは、さすがの俺でもにわかには受け入れがたい話だった。
 とにかく冷静になりたくて、俺はいったんベランダに出て頭を冷やすことにした。

 ケントの方は、これ以上迷惑をかけたくないと出ていきたがっていたけれど、もう夜だからとりあえず今夜一晩はここに居るようにということで話をつけている。
 正直、こんな中途半端な状態で出て行かれたら、俺の方が困るわけで。


「サンタクロース……ねぇ」
 風に煽られる髪を掻き上げ、俺は独りごちる。
 そんなものが存在するなんて、考えたことも無かった。
 物心ついた時から、サンタクロースはおとぎ話の中の存在であり、自分の親がその真似事をしているんだって知っていたからだ。
 サンタクロースなんていない――誰に教わることも無く、社会で育っていく中で子供はその事実を知る。
 夢を失くしてしまったと言えばそれまでだけど、そうしないとこの世界では生きていけないんだから。

 だけど、本当にサンタクロースが存在するのだとしたら――。
 俺の脳裏に、初めて視線を交わした時のケントの瞳が蘇る。
 あんなに真っ直ぐで、澱みを何も含まない目を見たのは初めてだった。
 あいつを見ていると、本物のサンタクロースだって言われても、何だか信じられそうな気がしてしまう。

「サンタクロースなんていない。でしょ?」
 頭上から降ってきた声に、俺は振り返って視線を上げる。
 ベランダのすぐ上にある屋根に、白いフワフワしたシルエットが座っていた。

「自分で確かめたわけでもないくせに、さも見てきたようなことを言うのね」
 ふわりと俺の傍らに降りてくると、セーラはベランダの手すりに腰掛けた。
 普通なら危なくてそんな真似は出来ないだろうけど、恐れ気も無くやってのけるのはやっぱ本当に飛べるから、なんだろうか。

「コレ、貰っちゃった」
 彼女が示した右手には、キッチンに置いていたリンゴがあった。
「どうぞ」
 俺の言葉を聞くまでもなく、彼女は嬉しそうにそれに齧りついている。

「なあ、セーラさん」
「何?」
「もう少し詳しく、教えてくれません? あいつの……ケントのこと」
「信じられないなら、聞いても同じことじゃない?」
 シャリ、とリンゴをひとくち齧って、彼女はそう言い放った。
「信じてますよ。これでも頭の柔らかさには自信がありますからね」
「調子がいいのね」
 面白そうに笑うその表情には、先程までの毒は無い。

「あの人は、今ではこの国でただ一人のサンタクロースなの」
 その言葉を皮切りに、セーラはケントについて話し始めた。

 彼女によれば、サンタクロースというのは元々妖精の一族であるらしい。
 ずっと北の方に不老不死の長老が居て、その他世界の各地にサンタクロースがいるのだという。
 ケントも、この国に住んでいるサンタクロースの一族の生まれ。セーラ自身は、サンタクロースの仕事を手助けする妖精の一族ということらしかった。

「結構前から、サンタクロースの数は目に見えて減っているの。
 人間達がサンタを必要としなくなって、その存在を信じなくなったから」
 経済的に豊かになってくると、人間達は何でも欲しいものを手に入れられるようになった。
 サンタクロースが年に一度もたらしてくれるささやかな贈り物など、必要ないと思えるだけの富を。

 サンタクロースが減ったことによって、贈り物を貰える家は少なくなった。
 彼らが訪れなかった家の親は、代わりに自分達で物を買い与えた。
 それが次第に広まっていき――親達がサンタクロースの贈り物と称して高価な玩具を子供に与えるという慣習が定着してしまったのだという。
 そして、そのことが余計にサンタクロースの減少に拍車をかける……完全な悪循環だ。

「サンタクロースは、人間の信じる力を糧として生きる種族なの。
 人間がその存在を否定したから、彼らは生きられなくなってしまったのよ」
 そう言って彼女が俺に向けた視線には、少なからぬ険が込められていた。
 夢を見ることをやめてしまった人間達に対する、無言の非難。

 俺が住んでいるこの国は、世界でも特に大きな経済的発展を遂げている。
 きっとそれに伴って、サンタクロースの数も激減していったんだろう。

「そして……この国で残っているサンタクロースは、彼一人だけになった」
 また一口リンゴを齧って、セーラは空を見上げた。
 曇っているのか、星の輝きも見えない夜空。


 同胞の居ない土地で、たったひとり与えられた役目をこなし続ける。
 ――あいつはどんな思いで、今までの時間を生きてきたんだろう?


「ケントはたった一人になった今でも、毎年役目を果たし続けてるわ。
 まあ、クリスマス近くには可愛くて優秀な私が助手として助けに来るんだけど。でも、それは今の時期だけだし」
「じゃあ、あいつはこの時期以外、ずっと一人で暮らしてるんですか?」
 俺の問いに、セーラは返事をする代わりに肩をすくめた。

「お望み通り、ケントのことは教えてあげたわよ。
 ――でも、知ってどうなるの? あなたが彼のために、何かしてあげられるとでも言うわけ?」
 淡々としたその言葉は、俺に容赦なく現実を突きつける。
「あなただって、サンタクロースなんていないって思ってた口なんでしょ?
 少しくらい詳しい事情を知って、それで同情してみたって、彼が喜ぶとでも思ってるの?」

 確かに、ケントたちサンタクロース滅亡の原因を作った人間である俺が、彼に関わろうとするのは迷惑なことなんだろう。
 だけど。
 罪滅ぼしとか償いとか、そんな高尚な理由じゃなく……ただ純粋に、あいつのために何かしてやりたかった。
 これまでもこれからも、ずっと一人で生きていくなんて――そんなの、寂しすぎるじゃないか。


「俺は人間を代表できるほど、偉い奴じゃありませんよ」
 肩をすくめながら、俺は紅玉の瞳に向かって笑ってみせた。
「ただ、あいつのことが気に入ったから。
 何か面白そうだって思ったから、おせっかいのひとつでも焼こうかなってだけですよ」

「……変な奴ね。あなたって」
 胡散臭そうな視線でじろじろ眺められ、俺は苦笑する。
「いやぁ、よく言われますけどね」
 軽く笑ってそう返すと、セーラは呆れたように鼻を鳴らして溜息をついた。

「――でも、正直だわ」
 嫌いじゃないわよ、そういうのって。
 セーラはくすりと笑って、齧りかけのリンゴを手の中でお手玉した。


「――ケントはね。
 妖精だけど、半分は人間だから」

 ぽつりと呟かれたその言葉に、俺は瞠目する。
「半分は、って……」
「半妖精半人間。彼が生き残ってるのも、そのおかげかもね。
 魔法の力も限られたものしか使えないし、生活も人間みたいなのよね」

「――確かにわたし達より、彼はあなたに近いかも知れない。
 でも、半分は妖精であることには変わりないから。
 ちょっかい出そうとするなら、それなりの覚悟しといた方がいいんじゃない?」
 そう言って、セーラはまたリンゴを口元に運ぶ。

 ケントが妖精と人間の合いの子だなんて、そんな大切なことを俺に教えてくれたってことは。
 これは信用してもらってると、そう思っていいのかな?

「ご忠告、ありがとうございます」
 丁寧に頭を下げる俺に、セーラは呆れたのと感心したのが半々の表情で言う。
「ふーん、それでも見て見ぬ振りはしないんだ?
 本当、物好きね。あなたって」
「それは、褒めてもらってるんだと解釈しときますよ」
「ま、せいぜい頑張ってみれば?」
 再びふわりと舞い上がり、屋根に腰を下ろした彼女に向かって、丁寧に一礼して見せる。
「仰せのままに」
 放り投げられてきたリンゴの芯を空中でキャッチして、俺はベランダを後にした。


 俺が部屋に戻ると、ケントは窓際に立って外の闇を眺めていた。
 後ろ手にドアを閉めると同時に、背中を向けたままの彼から声をかけられる。
「――考えは、まとまったのか」
「ん、まあね」
 どさりとソファに腰を下ろしながら、俺は意図的に軽い返事をした。
「頭冷やして、考えたけどさ。
 サンタクロースがいないって誰も確かめたわけじゃないから、いてもおかしくないよなって思った」
「そうか」
 短い答えの後に、沈黙が落ちる。

「サンタクロースって、随分と若いんだな。
 俺はてっきり、白髭の爺さんだとばかり思ってたけど。全身赤ずくめでさ、帽子被ってて」
 冗談めかして言った俺に、だけどケントは笑わなかった。
 至って真面目な顔で、僅かに肩をすくめている。

「お前さ……ずっと、一人で仕事やってたのか?」
「この国には、もう同胞は残っていない。私以外、出来る者はいないんだ」
「そっか」

 短いやり取り。
 一人で暮らしているからか、多くを喋るのは得意じゃないらしい。
 だけど、簡潔で端的なその言葉からは、単なる音の長短だけじゃ測れない感情が込められているように思えた。


「なあ、良ければさ、俺にも手伝わせてくれないかな?」
 唐突にそう告げた俺に、ケントは驚いた顔をして振り返った。
 俺と会ってから、こいつが一番感情を表に出した瞬間かも知れない。

「お前があそこに倒れてたのだって、元を正せば俺のせいらしいし。
 迷惑かけたってことでさ」
「いや……しかし」
 驚愕がいったん引いた後に、その顔には困惑が色濃く現れる。
 まあ、いきなりこんなこと言われたら引くよな……しかも今日会ったばっかの奴に。

「やっぱ、人間の手なんて借りたくないか」
「そういうわけでは無い。私は、別に――人間を憎んでいるわけではないから」
 そっか、そりゃそうだよな。
 人間を憎んでるなら、子供達にプレゼントを配るなんてことが出来るわけ無い。
 だからこそ、俺も手伝ってやりたいって気になったんだろうけど。

「お前さえ良ければ、手伝わせて欲しいんだ」
 これが、俺なりに出した結論。
 クリスマスを間近に控えたサンタクロースに、してあげられることったらコレしかないでしょ?
 ずっとひとりで(セーラがいるけど)仕事してたんだ。今年くらい、隣で一緒に手伝う相棒が居たっていいんじゃないだろうか。

「ダメかな?」
「……いや、そんなことは無い……君がそう言ってくれるのならば、私としてはとても助かる」
 戸惑いの色を残しながらも、ケントは俺の申し出を受け入れてくれた。

「OK、交渉成立ってコトだね。それじゃ……」
「――セイン」
 静かな声で名を呼ばれ、俺の調子いい喋りが止まる。

「ひとつだけ、訊いてもいいだろうか」
「何?」
「何故、私にそこまでしようとしてくれるんだ?
 今日、つい先程会ったばかりなのに……それに、私は」

 人間ではないのに。
 言葉にされず、唇が動いただけだったけど、彼が何を言おうとしたのかは何となく解った。

「そうだなぁ……。
 強いて言えば、お前が気に入ったから、かな?」
 軽いタッチでそう告げたら、ケントは琥珀の目を見開いて固まってる。
 ……そんなに驚くことか、今の台詞?
「そっちの世界にだってあるでしょ?
 気に入った奴と仲良くなりたいから、いろいろしてあげたいっていうの」
 俺にとっては、ケントが人間であろうがなかろうが別段関係ないこと。
 何の打算も無く、掛け値なしにこいつのために何かしてやりたいって思う――その事実だけで、行動理由としては十分すぎるから。
 まさか、男に対してここまで入れ込むとは思ってなかったけどね。

「――変わっているな、君は」
 微かに首を傾げて、ケントがそう呟いた。
 ……ついさっきも、何か似たようなこと言われた覚えがあるんですけど?
「……よく言われるよ」
 何だか釈然としない表情でそう言った俺を見て、ケントが微かな笑い声を立てた。

 笑われたのには、何かイマイチ納得がいかなかったけど。
 初めてこいつがまともに笑うのを見られたから、それでもいいかって気がした。

「まあ、とりあえず。
 短い間だけどよろしく頼むよ、相棒!」
 ソファから立ち上がって窓際に寄り、ニッと笑って手を差し出す。
 戸惑いながらも俺の手を取った手のひらは、ひやりと涼しい冬の匂いがした。


 3

「は〜、寒……」
 手袋を嵌めた両手を擦り合わせながら、俺は呟いた。
 音が白い息となって、ふわりと闇に溶けていく。

 今日はクリスマス・イヴ。
 いよいよ、サンタクロースにとっての本番がやってきたってわけだ。

 あの日以来、俺は今日までの一週間というもの、暇を見てはケントの仕事の手伝いをしてきた。
 サンタクロースの仕事なんてさっぱり想像つかなかったけど、いざ手伝ってみると俺の出る幕なんてほとんど無いと言っても良かった。
 何しろ、サンタクロースは元々妖精の一族なわけで。
 普通にやったらかなりの重労働になる作業だって、妖精の持っている魔法の力を使えば一発。
 思い返してみても、自分があまり役に立ったって記憶が無いあたりがなぁ。
 我ながら情けないですよ、全く。

「セイン」
 空を見上げて溜息なんかついちゃってた俺は、背後からかけられた声に慌てて振り向く。
「あ、ああケントか。早かったな」
 しばらく一緒に過ごしてて解ったけど、こいつは時間に遅れるってことが無い。何事にも本当に真面目そのもので、ルーズと能天気が服着て歩いてるような俺とは正反対のタイプだ。
 でも、嫌だとか息苦しいなんてことは全然無くて――むしろ新鮮で、一緒に居て楽しくなってくる感じ。

 ぴんと張り詰めた冷気の中現れた彼は、普段と変わらないセーターとスラックスの上に深い緋色のコートを羽織っていた。この寒さだというのに、手袋もマフラーも着けていない。
 すっと後方を指し示してみせた手は、透き通るほどに白かった。

 彼について歩いていくと、闇の中に浮かび上がる四角いシルエット。
 それは、大人が余裕で3、4人は乗れそうなサイズの橇だった。
 かけられた魔法の力で空をかける、サンタクロースの乗り物。
 ケントを見つけたあの時、彼の傍で雪に埋もれていた謎の物体はコイツだったってわけだ。

 コレでプレゼントを配って回るのが、最後にして最大の大仕事。
 それに出発するために、わざわざこんな夜中にこんな場所まで来てるってわけなんです。
 家で待ってられたら楽だけど、さすがに民家の密集している住宅街に、これで降りて来させるわけにもいかないしね。

「もーっ、寒ーい! やんなっちゃーう」
 大袈裟に騒いでる割には、こちらも薄いワンピース一枚だけのセーラ。
「早く行こうってばー。さっさと済ませて帰りたいわあ、もう」
 橇に積んである荷物の脇から呼ぶ声に、ケントが微かに苦笑めいた表情を浮かべた。
「では、行こう。先に乗るといい」
「オッケー」
 余裕っぽく返事しながら、でも内心は結構ドキドキで橇に足を掛ける。
 これが実際に飛ぶところを目にしたわけじゃないから、これからどうなるのかはさっぱり予測できない。
 ここで何も起こらなかったらギャグだよな……いや、実際笑えないけど。

 そんな俺のひそかな不安をよそに、ケントは橇の脇に立ち、ぱちんとひとつ指を鳴らす。
 その瞬間、突然何も無い空間から光の粒子が生まれて、橇の前に集まるとひとつの形を成していく。びっくりしている俺の前に、あっという間に金色の光の粒で出来た2頭のトナカイが現れた。
 なるほど……何か足りないなと思ってたら、こういう仕掛けだったわけね。
「しっかり掴まっていた方がいい。慣れていないとバランスを崩しやすいから」
 俺の隣に乗り込んできたケントが、俺にそう言葉をかける。相変わらず抑揚に乏しい口調だったけれど、その裏にある気遣いはちゃんと読み取れた。
「大丈夫なの? 人間なんかが乗ったら、速攻目ぇ回して落っこちちゃうんじゃない?」
 後ろの荷台からぴょこんと顔を出して、セーラがからかうように言ってくる。
 ――何かと俺に突っかかってきてるのは、実は毎度の指定席だった場所を取られて荷台に追いやられたのが面白くなかったってことらしい。……もっとも、これは後でケントから聞いたことだけど。

「行くぞ」

 ――静かに宣言する声が聞こえたと思った時には、もう空の上にいた。


「うわ……」
 吹きつける風に乱された髪を押さえ、俺は眼下に広がる光景に目を見張った。
 闇を敷き詰めた上に、無数に散らばる眩い光の群れ。
 大小、赤青、強弱……あらゆるコントラストをもって、視線を釘付けにする煌き。

 ――あの光が全て、人の生きている証。

 そう思った瞬間、背中に震えが走った感じがした。
 ただ安穏と日々を過ごしていたら、絶対に見ることは出来なかっただろう景色。
 理屈も何もかもを越えたその美しさに、ただ視線を奪われていた。


「……あまり身を乗り出すな。落ちるぞ」
 景色を一心に眺めてる俺に、ケントが見かねて声をかけてくる。
「やーね、子供みたい」
 けらけらと笑うセーラの声も、どことなく華やいで聞こえた。

「――凄いな」
 言えたのは、その一言だけだった。
 こんなに感動したのって、一体何年ぶりだろう?

「本当、凄い」
 もう一度呟いてケントを振り返ると、彼は流れる金茶の髪の下から静かに笑ってみせた。

「凄いのは、私ではない。――人間だ。
 あの光は全て、君たち人間が生み出しているのだから」


 ――その言葉に、不覚にも何だか泣きそうになった。

 忘れていた、本当の美しさとか感動する気持ちとか。
 失くしかけていた大切な何かを、思い出した。

 知らぬこととは言え、サンタクロースは俺たち人間が消滅させたにも等しい。
 それなのに、こいつは恨みも憎みもせずに人間を凄いと言った。
 これ以上無いほどに純粋で真っ直ぐで……だからこそ、哀しい存在。


 ――その灯を、消してはいけないと思った。


******

 全ての仕事を終えて、俺が自分の家に戻ってきたのは夜が明ける寸前だった。

「うわ、ギリギリだったなー」
「毎年だ。時間が足りないのはいつものことだからな」
 伸びをした後、窓の外の白んだ空を見て言った俺に、ケントは事も無げにそう返してくる。
「ケントってば、早く行くわよ! もうわたしクタクタなんだからー」
 窓枠に腰掛けて急かすセーラに、当の本人は諭すような口調で告げた。
「先に戻っていてくれ。私はもう少し残っている」
「えー? もう、しょうがないわねー」
 特に驚きもせず唇を尖らせると、セーラは不承不承といった感じにふわりと窓の外へ跳んだ。

「橇は持って帰っちゃうからね! 帰りはそっちのナンパ男に送ってもらってよね」
 な、ナンパ男って……何か、だんだん評価が低くなってナイデスカ?
 彼女に対してはまともに口説いた覚えはないのになぁ。ちょっとばかし心外だ。
「ごきげんよう、セーラさん」
「じゃあね、せいぜい頑張りなさいよ物好きクン!」
 ひらひらと手を振る俺に、捨て台詞ともエールとも取れない言葉を投げつけると、ピンクのお下げ髪の妖精は舞い上がって視界から消えた。


「改めて、礼を言う。手伝ってくれて有り難う、セイン」
 セーラを見送った後、俺に向き直ってケントがそう告げた。
「いいってこと。てか、俺って実質ゼンゼン役に立ってなかったしさ」
「そんなことは無い。その、……とても、楽しかった」
 どことなく照れたような表情を浮かべ、ケントはぎこちなく笑って見せる。
 おそらく、そういった台詞を言うのに慣れてないんだろう。友達も無く一人で暮らしているなら、仕方ないことかも知れない。
 だけど、どんなにぎこちなく不器用でも、その言葉は俺にとっては凄く嬉しいものだった。

「セイン……君は、何か欲しいものはあるのか」
「え? 俺?」
 唐突にそう訊かれ、俺は思わず自分を指しながら訊き返した。
「私に出来る範囲ならば……何か、礼がしたい」
「お礼かぁ。俺、イイコじゃないけどプレゼント貰えるのかな?」
 冗談めかしてそう言うと、ケントの口元が少しだけ可笑しそうに緩む。
「私の力の及ぶ範囲であれば、な。……何かあるか?」
「うーん……欲しいもの、ねぇ」

 俺の欲しいもの、か。
 そりゃ、大して懐具合もよろしくない若者の身分とあれば、欲しいけど手が届かないものってのはいろいろとある。

 でも。
 せっかくサンタクロースが直々にくれるって言うんだ。そんな現実味溢れるものじゃなく、何かもっとこう……夢みたいなものを望みたい。
 常識で考えたら、絶対に手が届かないようなモノ。


 俺が、いま欲しいもの――。


「――お前、かな」
「……え?」
 何を聞いたか理解できないといった表情で首を傾げたケントに、俺は悪戯っぽく――でも真剣に、繰り返した。

「俺は、お前が欲しいな」

「……私、を?」
 戸惑い顔で見つめてくる彼の手を取り、自分の方に引き寄せる。ひやりと冷たい、雪のような手のひら。
 驚いたように見開かれる瞳に見ない振りをして、そのまま抱き締めた。

「セイン――」
 掠れた声で名を呼ぶ唇に、自分のそれを静かに重ねる。


 本当は、最初から解ってたのかも知れない。
 女のコ大好きなはずだった俺が、理屈抜きで、掛け値なしに――コイツに惚れてしまったんだってこと。

 欲しいのはと訊かれて、思いついたもの。
 それは、数日前に雪の中で出会った「本物のサンタクロース」だった。


 傍のベッドに身体を沈め、繰り返し唇を触れ合わせる。その間隙を縫って、微かに甘い吐息が零れた。
 唇を離して見つめた琥珀の瞳は、真っ直ぐに俺を見ていた。困惑の中にほのかな熱を潜ませた視線に、拒絶や嫌悪の色は無い。
 こいつは、何も知らないんだ――罪悪感に少し胸が痛んだけど、それ以上に強く押し寄せる衝動と欲望に呑み込まれ、それはあっさりと消えてしまった。

 そこからは、もう夢中だった。
 互いを隔てる布を剥ぎ取り、ベッドに縫い止めた身体の至る所に口接ける。戸惑うばかりだった呼吸には次第に熱が混じり出し、溜息が微かに空気を震わせた。
 シーツの上に投げ出していた腕を取り、俺は自分の首に回させた。困惑するように肩甲骨の辺りを彷徨っていた指が、確かな意思を持って首筋へと巻きつく。室内にいても冷ややかさを失わなかったその指先も、熱を帯びてきているように感じる。
「ケント……」
 名を呼ぶと、ケントは微かに声を上げて身体を震わせた。
 抱き締めたその肌は相変わらず白いが、よく見ると氷みたいに現実感の無い透明さは徐々に薄れてきていた。

 半分は妖精だからなのか、彼にはどこか現実離れした浮遊感のようなものが常に付きまとっていた。俺と同じくらいの体格なのに、抱えた時さほど重いとは感じなかったし、人間にあって当然の生々しい温もりみたいなものが薄いように思えていた。
 だけど、こうして腕の中にいるケントは、確かにそこに存在しているという現実味と温度とを持っている。冬の具現のようだった身体は次第に熱を灯し始め、確かな重みと肉の質感とが触れる手に伝わってきていた。

 妖精よりも人に近い存在になりつつある彼の変化を、俺は本能的に感じ取っていた。
 それが、ケントにとっていいことなのかどうかは解らない。それでも、俺はこの行為を止める気は無かった。

「ごめんなケント。ちゃんと責任は取るからさ」
 耳元でそう囁くと、その身体がぴくりと反応した。
「――、……なら、いい」
「ん? 何?」
 弾む息の下から呟かれた言葉を聞き取れなくて、俺はもう一度訊き返す。


「セインが……共に、居てくれると言うのなら、いい……」
 微かに潤んだ琥珀の瞳の奥に、俺は隠しきれない寂しさと哀しみを見たと思った。

 やっぱり、こいつは寂しかったんだ。
 いや――こいつも、と言うべきか。
 寂しいのは、きっと俺も同じことだったから。

 ずっと、隣に居てくれる存在を求めてた。
 それが人間でないからって、その事実に何の意味があるだろう?


 来年は、もう少し手際よく手伝えるようにならないとね。
 恋人がサンタクロースならぬ、サンタクロースの恋人。
 本物のサンタクロースを恋人にしてる奴なんて、世界中探しても俺だけだろうなぁ。


 今日はクリスマス。

 窓の外では、砂糖菓子のような雪が冬の風に舞い始めていた。



「――やれやれ。なーんかおかしなことになったもんねー」
 屋根に腰掛けていた少女が、肩をすくめてそう独りごちる。

「ま、これで一応、めでたしめでたしってやつなのかしら?」
 お手玉していたリンゴを一口齧って、彼女はふわりと雪降る空へ舞い上がっていった。




昔書いたクリスマスSSを再掲・第2弾。
私こういう好き勝手な捏造パロ大好き!(バァァァァン)



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