コンフィデンシャルスマイル


「ふぅ……こんなところかな?」
 手頃な大きさの石を組み上げ、野営用の火を熾すための場所を作っていたマルスは、作業を一段落させて額の汗を拭った。

 彼の『原型』は、過酷な戦乱の中を生き抜いたとは言え、元は一国の王子である。野営の経験も決して少なくはなかったが、他の同行者2人に比べるとサバイバル能力が劣っていることはさすがに否めない。
 結局、彼が野営の場を調え火を熾す役を、他の2人が食料を調達する係を担当することとなった。

 連れの一人・メタナイトは飛行能力を生かし、木の上の果実を集めてくると森の奥へ入っていった。
 そしてもう一人の仲間・アイクはと言えば――。

 腰を上げ、マルスは背後を振り返った。
 5メートルほど離れた先、川べりに座って水面に釣り糸を垂れる背中。


 「魚を捕る」と宣言するやいなや、呆気にとられるマルスをよそに、アイクはさっさと行動を開始。そこら辺に生えていた、よくしなる枝を切って葉を落とし、どこからか取り出した細い糸と釣り針とを繋げ、あっという間に即席の釣竿を完成させてしまった。
 釣り用の糸と針を持ち歩いているとは……とマルスは半ば呆れつつ感心したが、「普通だろう」と当然のようにしれっと言い切られた。
 そうか、彼の世界では傭兵は釣り道具を常備しているのが普通なのか。マルスは軽いカルチャーショックを感じて額に手を当てた。

 それから1時間弱。

「――アイク、調子はどうだい?」
 呼びかけながら歩み寄ったマルスは、青年の座る斜め右後方の地面に目を留めた。
 魚籠に丁度良さそうな代用品が見当たらなかったのであろう、地面に穴が掘ってあり、大き目の葉を重ねて敷いた底で数匹の魚が跳ねている。
 深さは20センチにも満たないだろう。魚が逃げなければそれでいい、と言わんばかりの無造作な造りに、制作した人物の性格が表れている。
(これじゃ、ちょっと跳ねたら外に出ちゃうじゃないか……)
 しばし考えてから、マルスは竈を作った際に余った石を持ってくると、穴の周囲に隙間無く並べる。これで、少しは魚の逃亡確率を下げられるだろう。

 よし、と頷いてから、青年は再度アイクの方へと歩み寄る。
 彼の手にした釣竿は、今は微動だにしていなかった。

「……意外だな。てっきり獣を捕まえるつもりだと思っていたけど」
 笑みを含ませた口調で言うと、傍らから淡々とした返事。
「別に肉ばかり食っている訳じゃないからな。魚も好きだぞ」
 冗談めかした言葉にも、真面目に答えが返ってくる。
 全般的に言動はぶっきら棒であるものの、どんなに些細でも自身に向けられた言葉は無視しない。
 最初は何となく近寄りがたく感じていたが、端々に垣間見える妙な生真面目さと人の好さに、マルスは次第に親近感を覚え始めていた。

 そんなことを考えていた青年に、アイクが初めて顔を向けた。
「あまり足音を立てるな。魚が逃げる」
「あっ、ごめん」
 慌てて数歩後ずさりして、マルスは釣竿を持つ青年と川面とを交互に見やる。


 祖国滅亡後、亡命していた所は周りを海に囲まれた島国だったから、人々が釣りをする光景は幾度となく目にしていた。
 たった1本の竿で、次々と魚を釣り上げていくその様はとても面白そうで……でも、危ないからと世話役達に止められ、結局一度もやらせてはもらえなかったっけ。

 それは元の世界に存在する「マルス」の記憶。
 ――だから懐かしく想う気持ちも『原型』と同じ。


 ぱしゃ、と水の跳ねる音に、マルスは我に帰る。
 見ると、5匹目を釣り上げたアイクが魚の口から針を外しているところだった。
「うわ、凄い。また釣れたんだ?」
 感嘆の声を上げるマルスをよそに、濃紺の髪の青年は無造作な手つきで魚を穴に放り込み――

「……え?」
 ずい、と目の前に突き出された釣竿を、マルスはきょとんと眺める。

「やってみたいんだろう」
「え……どうして?」
「そんなキラキラした目で見つめられていれば、誰だって気づく」
「うっ……」
 本音がしっかり顔に書いてあったことをずばり指摘され、マルスは言葉を詰まらせ赤面した。

 素直に認めるか、遠慮しておくか――
 結局、相手が差し出した手を引っ込める様子が無かったことも手伝って、最終的には好奇心が勝った。
 遠慮がちに釣竿を受け取ってから、マルスは数瞬迷った後、アイクの傍らにそっと腰を下ろす。

 何となく気を遣い、微妙な間を空けて座った青年に対し、彼は特に何の反応も示さなかった。ベルトの後ろから小さなナイフを引き抜くと、傍らに積んであった木の枝を無造作な手つきで削り始める。
 大きさからして、魚に刺す串でも作るつもりなのだろう――普段から無駄な動作の少ない人ではあるけれども、食べることにかけてはそれがいっそう顕著になるなぁ、とマルスは思った。

 作業に集中する青年から視線を外し、その背後で跳ねている魚を横目で眺める。
 マルス自身はごく平均的な食事量だし、メタナイトに関してはそもそも食事しているところ自体見たことが無い。が、数回ほど食事を共にして判明したアイクの健啖ぶりから逆算して、おそらくあの数では足りるまい。
 もう2、3匹、頑張って釣り上げる必要がありそうだ、とマルスは急ごしらえの竿を握り、ゆらゆらと揺らしてみる。

 先程アイクは、どんな風にこれを扱っていたっけ?
 確か、少し後ろに振ってから……

「……あれ?」
 背中側に行った針が戻ってこない。
 糸を摘まんで引くと、重い手応えと共に、微かに服が引っ張られるような感触があった。

 ――嫌な予感。

 どうやら竿を後ろに揺らした拍子に、針がマントに引っかかってしまったらしい。
 慌てて外そうとするも、見えない場所であることに加え、釣り針の「かえし」の部分がしっかり食い込んでいるらしく、一向に外れる気配は無かった。やはり、見よう見まねでは無理があったということか。
 このままでは外せないと判断したマルスが、マントの留め金に手をかけたその瞬間。


 くつくつと喉を鳴らす音が聞こえた。
 反射的に、その発生源と思しき方へと振り向いて……マルスは我が目を疑う。

 アイクが、笑っていた。
 最初は声を出さずに肩を震わせているだけだったのが、堪え切れなくなったのかついに声を立てて笑い始める。
 初めて目にする光景に、マルスは半ば呆然とその様子を眺めていたが、彼の笑いは一向に収まる気配が無く――流石に、だんだん憮然たる気分になってきた。

「……アイク、少し笑いすぎじゃないかな?」
「わ、悪い……」
 マルス本人には解らないが、どうやら針を服に引っ掛けて悪戦苦闘していた彼の様子が、アイクの笑いのツボに見事嵌まり込んだらしい。
 すまなそうに謝ってはいるものの、その笑いは未だに収まる気配が無い。笑い過ぎて涙が滲んだのか、拳でぐいと目の端を拭う仕草まで見せている。
 そこまで笑うことだろうか、とマルスはむくれるのを通り越して半ば呆れてしまう。
 しかし、笑われたことに対する恥ずかしさなど諸々よりも、爆笑するアイクに直面した驚きの方がよほど大きかった。

 彼は、とにかく愛想が無い。
 知り合ったのはつい最近で、その人となりが掴めたとは到底言えない状態だが……そんなマルスでも確信を持って断言できるほどに、アイクという人物は無愛想だった。何しろ、笑うところなど一度も見たことが無いのだ。
 もっとも、真っ直ぐで嫌味の無い人柄だというのは会った時にすぐ解ったから、単に愛想を振り巻く必要性を本人が感じていないだけなのだろうが。

 それが、こんな些細なことでこれほどの大爆笑を見せるのだから、人間というものは解らない、とマルスはぼんやり思った。


「悪かった……ほら、外してやるから後ろを向け」
 とん、と右肩を軽く突かれる。
 憮然としつつも素直に背を向けたマルスの、青いマントに引っ掛かっていた釣り針をアイクがひょいと摘み取った。
「取れたぞ」
「有難う……」
 向き直ると、彼の顔はまだ笑っていた。

「いや、悪かった。怒るな」
「……別に、怒ってはいないけれど」
 笑い声は収めたものの、まだ喉の奥でくっくと押し殺した笑いを響かせながら、アイクは片手で拝むような仕草をする。
 そういうどこか冗談めかした振る舞いを見るのも初めてだなあ、とマルスは思った。

「あんた、意外とそそっかしいんだな。見た目に似合わず」
「……どういう意味かな、その『見た目に似合わず』って……」
 唇を尖らせながら、マルスは群青の髪を掻き上げて気恥ずかしさを誤魔化す。
 けれど、照れ臭さや恥ずかしさはあったものの、不思議と嫌な気持ちにはならなかった。
 それは多分、彼の笑いに馬鹿にする響きが全く無かったからだろう。
 ただ純粋に、可笑しいから笑った――そんな感じだ。

 だからきっと、こんなにも……魅力的に見えるのだ。

 その笑顔を目にしたことで、アイクと最初に会った時に感じた近寄り難さは完全に霧散し、代わりに親近感がいっそう強くなるのをマルスは感じ取っていた。
 先刻見せた爆笑の、ほんのひとかけらで良い。
 日常の中で浮かべて見せれば、きっと周囲の評価は格段に変わるのだろうに。

「……勿体無いなぁ」
「何がだ?」
 訝しげに訊いてきた青年に、ただ微笑んでかぶりを振った。


 ――まあ良いか、とマルスは思う。
 他の誰も知らない彼の希少な笑顔を、自分だけが見たと思えば。
 それは、まるで隠された宝物を見つけたみたいに珍しくて貴重で……とてもドキドキすることじゃないだろうか?

 うん、と独り満足気に頷く青年の背後で、ばさばさっと音がした。
「何を騒いでいたのだ……森の中からでも丸聞こえだったぞ?」
 訝しげな声と共に、自身の体ほどもありそうな袋を提げたメタナイトが舞い降りてくる。
「ああ……いえ、すみません」
 曖昧に笑ってお茶を濁し、マルスは傍らの青年を振り返る。
 再び枝を削る作業に戻ったその精悍な面は、既に先刻の笑顔の片鱗すら無く、いつも通りの無表情。

 (――これから親しくなれば、またあんな顔が見られるかな?)
 見られるといいな、などと思いながら、マルスは改めて手にした釣竿を川へと振った。


 投げた釣り針に餌を付けていなかったことが判明し、マルスが図らずも再びアイクの爆笑を引き出すのは、それから約10分ほど後の出来事である。




アイクの ばくしょうに そうぐうした!
めずらしいこともあるもんだ。



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