予定していたデータ入力が完了したことを確認し、丹恒は一息ついた。
 ずっと同じ姿勢で端末に向かっていたおかげで、身体のあちこちにこわばりを感じる。両腕を挙げ、ゆっくりと伸びをした。
 視界に映る、資料室の天井。この列車に乗ってから、大半の時間をここで過ごしている。サーバーの駆動音、ファンが回る音。積み上げられた紙の本から漂う、微かなインクと埃の匂い——いつもと全く変わらない。

 ふと、ピノコニーへ降りた仲間達のことが頭をよぎった。
 定時連絡以外の通信が無いことから、今のところ大きな問題は起こっていないようだ。
 姫子とヴェルトが同行しているからには、余程の事態でない限り大丈夫だろうと丹恒は考えていた。三月と穹は……上手くやっているだろうか。調子に乗ってやらかしていなければいいが、と別方向の懸念を抱きつつ、再びコンソールに向き直った時。

 コンコン、と扉がノックされる。
 今、列車内にいる者は彼と車掌の二人だけ。ずいぶんと低い位置から聞こえたノックも、その主が誰であるかを裏付けていた。青年は席を立ち、部屋の入口へと歩み寄る。

「おお、丹恒。起きておったか」
 予想に違わず、扉の前でパムが小さな身体を目一杯ふんぞり返らせていた。徹夜などしておらんじゃろうな? と睨んでくる車掌に、丹恒は首を振った。
「大丈夫だ。昨夜は十分に寝た」
「うむ、ならばよし!」
 列車で迎えた最初の朝、朝食の時間に寝過ごして叱り飛ばされたことが、何だかずいぶん昔のように思える。不思議な感慨を覚える青年をよそに、車掌は満足げにうなずくと、背後に置いてあった台車を示した。

「お前宛てに荷物が届いておったぞ」
「荷物?」
 訝しげに眉を寄せ、丹恒は台車に視線を向ける。パムの体格に合わせた特注のキャリーには、両手で持てるくらいの大きさの箱が載せられていた。
「これは、俺宛てなのか?」
「そうじゃ。ほれ、そこに名前が書いてあるぞ」
 促されるまま長身を屈め、箱を取り上げる——さほど重くはない。その天面に記された送り先は、間違いなく彼の名だ。

「では、確かに渡したぞ!」
 空になった台車を押しながら、ぴょんぴょんと跳ねるような足取りで車掌が去っていく。その後ろ姿を見送った後、丹恒はひとり室内へと戻った。

 手の中の箱に視線を落とす。誰が、何を自分に送ってきたのか。
 伝票を確かめれば、宛先の下にあった送り主の名は——『親愛なる善良なナナシビト』。

 丹恒の表情に、ほんのわずか呆れの色が浮かんだ。店員も配送担当者もさぞかし困惑したことだろう、と同情すらよぎる。
 こんなことをする相手といえば、思い当たるのは一人だけ……分析するまでもない。もっとも、自分宛ての荷物と聞いた時点で、既に候補は絞れていたけれど。

 一応警戒は怠らぬまま、梱包を解く。簡素な箱の中から現れたのは、どこかの店のロゴらしき意匠が印刷されたパッケージ。
 開封すると、透明なケースに詰めこまれた色彩の渦が目に飛び込んでくる。飾り付けのリボンが巻かれた姿から、明らかに贈り物として仕立てられたものであろうことがうかがえた。
 顎に手を添え、わずかに首を傾けてそれを眺める。いずれにせよ、開ける前にまず送り主に確認を取るべきだろう。青年は懐からスマートフォンを取り出し、メッセージ画面を開いた。

『プレゼントが届いたんだが、お前が贈ってくれたのか』
 穹のアカウントに連絡すると、即座に返信が来た。
『留守番チームへのプレゼントだ。お疲れ様』
 送られてきたその文を目にして、やはりお前かと呆れつつも、少しだけ穏やかな心地になる。
『気にするな』
 居残りを選んだのは、賑やかな場所を好まない自分の意向でもある。負い目を感じる必要はないとの意を込め、そう返した。
『アーカイブでお前が興味を持ちそうな項目をいくつか見つけた。戻ってきた時に見てみるといい』
 ほぼ挨拶代わりになっている定型句を送ると、会話を切り上げる気配を察知したかのように、速攻で追撃のメッセージが来た。

『夢の中から持ち帰ったピノコニーの特産品なんだ』
『開けて食べてみてくれ!』
 その返信から、彼の感情がこれでもかと伝わってくる——すなわち「早くお前の感想が聞きたい」。
 無機質なメッセージ画面の文字ですら、ここまでわかりやすいとは。スマホを見る青年の唇に、呆れとも微笑ましいともつかない苦笑が浮かんだ。
 夢の中から持ち帰った、の部分はよく意味がわからなかったけれど、今それを問う必要もないかと流した。彼がこちらに戻ってくれば、訊ねるまでもなく語ってくれるだろうから。

 わかった、と返してから、丹恒はパッケージを開けた。適当に一個、親指の先程度の球体をつまみ上げる。包み紙を剥がすと、外装に負けないくらい赤いキャンディが現れた。
 それを無造作に口へと放り込んで——絶句する。

 不味くはない。ないのだが……とにかくひたすらに甘い。
 甘すぎる、という言葉では到底追いつかないくらいの甘ったるさ。元々あまり甘いものを口にしない身には、衝撃的ですらある。何を混ぜたら、ここまで強烈な味を出せるのだろう。丹恒には見当もつかなかった。
 姫子のコーヒーと足して割れば、ちょうど良い塩梅になるかもしれない——いささか失礼な感想が脳裏をよぎって、青年は反射的に頭を振った。

『この味、俺には複雑すぎる』
 かろうじて浮かんだ感想を画面に入力した。実際不味いわけではなかったし、せっかくの贈り物を悪く言いたくはない。しかし、褒める言葉が思いつかなかったのもまた事実。
『まあ、お前の好みと違うよなーとは思ってた』
 そんな苦笑めいた返信の後、迷っているかのような間があって。

『けど、ピノコニーの特別なお土産だからさ』
『お前に食べてほしかったんだ』

 ピコン、と音を立てて届いたメッセージを目にして、丹恒は思った。
 ——彼のこういうところが、周囲の人間を惹きつけるのだろうと。

『……そうか。ありがとう』
 灰緑の目を細め、心に浮かんだ言葉をそのまま画面に打ち込んだ。
 仲間への差し入れか、恋人への贈り物か。彼の意図がどちらであろうとも、わざわざ現地から土産を届けてくれた、その心遣いを嬉しく思った。


『たくさんあるから、パムにも分けてあげてくれ』
『ああ、そうする』

 メッセージのやり取りを終えて、丹恒はスマホの画面から顔を上げた。視線の先には、ほぼ手つかずのキャンディ達。そこからいくつか取り分けた後、元通りにケースを閉じた。
 後でパムのところに持っていくつもりで、封をしたボックスをコンソールの端に置いた後、ミネラルウォーターのボトルを手に取る。水を飲んでも口の中の甘ったるさは残ったが、その後味は決して不快なものではなかった。

 ボトルの蓋を閉めながら、青年はふと考える。
 贈り物を受け取ったからには、何かしらの「お返し」をすべきだろう。しかし、今は列車で留守を預かる身、返礼品を調達しに行くのも難しい。
 何か、出来ることは——さまよわせた視線が、資料室の片隅にある机の上で止まった。
 無造作に置かれた、淡い緑の便箋。ここの棚を整理していた時、本の合間から出てきたものだ。特に使い道も無いため、そのまま放っておいたのだが……。

 ふと思いついて、丹恒は机の前に座った。便箋を手に取り、しばし黙考する。
 発達した通信技術によって、距離を問わず意思疎通ができる時代。感謝の言葉ひとつくらい、スマホのメッセージがあれば事足りる。だからこそ、たまには手書きで気持ちを伝えてみるのも悪くないのではないか。
 少々感傷的に過ぎるだろうかと思いつつも、彼はわずかに凹凸のある紙面へさらさらとペンを滑らせた。

『プレゼントをありがとう。気に入った』



 ——数システム時間後。

「ううむ……ピノコニーのご当地グルメは実に前衛的じゃのう……」
 列車のラウンジにて、難しい顔でぶつぶつと独り呟く車掌の姿が目撃されたというが、それはまた別のお話。

OFUSEで応援 Waveboxで応援


「『気に入った』はさすがに嘘だろ」
ピノコニーグルメフェス完了後の展開にニヤニヤした勢いで書きました。二人とも可愛いが過ぎる。

2024.04.03 公開




PAGE TOP