シュガーキャンディとブラックコーヒー
Side:Sugar Candy
「どうしよう……」
傭兵団が暮らす本拠地の前で、青年――キルロイは途方に暮れたように佇んでいた。
その瞳が見上げる空は、日が傾きかけて仄かに赤く染まりつつある。
「――キルロイ。どうかしたのか?」
背後から声をかけられ、彼は振り向いた。
砦の門から出てきたのは、目の覚めるような蒼い髪が殊更に目を惹く青年。
「あ、アイク」
「こんな所で突っ立って、何かあったのか」
「うん……実は……」
見上げてくる紺青の瞳に、キルロイは躊躇いながらも事情を語った。
曰く、両親に仕送りの手紙を出すつもりだったこと。
曰く、いつも配達を頼んでいる馴染みの商人がさっきまで砦に来ていたらしいのだが、入れ違いになってしまったこと。
「今ならまだ、最寄りの街に居るだろうから、すぐ追いかければ間に合うと思うんだけど……。
でも、今から街に出たら、帰りには日が暮れちゃうから……一人で行くのはまずいかなと思って、悩んでたんだ」
困った表情でそう語る青年に、アイクはなるほどと頷いた。
「解った。
なら、俺が一緒に街までついて行けばいいか?」
「えっ? で、でも……」
願ってもない申し出ではあるけれど――鳶色の瞳に期待と戸惑いを浮かべ、彼を見つめる。
「砦と街を往復するくらいなら、二人でも十分だろう。
……まあ、まだ戦場に出たことも無い見習いじゃ、護衛には心許ないかも知れんが」
「そ、そんな事は無いよ!
……でも、迷惑じゃないかな?」
「訓練も終わったしな、別に構わん」
事も無げにそう述べてから、アイクはキルロイの顔を見て微かに目元を和らげた。
「……仕送り、急ぐんだろう。
これを逃したら、次の機会まで一ヶ月は待たなきゃならん。
金を預ける以上、ある程度信用のある馴染みの人間以外には頼めないだろうしな」
「あ……」
口には出さなかった事情をずばりと言い当てられ、キルロイは言葉を失う。
まさしく、彼の言う通りだった。自分の仕送りが遅れれば、その分両親の生活に支障が出る。だからこそ、時間が遅いことを覚悟で街まで商人を追いかけるつもりだったのだ。
無愛想で直情な言動が目立つけれど、その実他者の機微に聡く、仲間を気遣う優しさを持っている。彼が周囲の人々を惹きつけるのは、ふとした時にそんな性質が垣間見えるからなのだろう――キルロイはそんな風に思った。
「……ありがとう、アイク」
「すぐに出るぞ。晩飯に間に合わなくなるからな。
誰かに言付けてくるから、少し待っていろ」
そう告げるが早いか、アイクはさっさと身を翻して砦の中へ戻っていく。その背中を、キルロイは尊敬と感謝の念を込めて見送った。
※
「――良かったな、間に合って」
街はずれから傭兵団の住処へと続く山道を歩きながら、アイクはそう言って口元に微かな笑みを浮かべた。その言葉に、傍らを歩くキルロイも笑顔で頷く。
「うん。アイクのおかげだよ、本当にありがとう」
「別に、俺は付き添いをしただけだしな」
すぐに行動を起こした甲斐あって、キルロイは無事に街で馴染みの商人に会うことが出来た。仕送りの手紙を渡し、その礼代わりに幾ばくかの買い物をしてから、二人は砦への帰途についた。
砦へ続く帰り道は、緩やかな登り坂になっている。そこまで勾配はきつくもないが、体が弱くあまりスタミナの無い青年にとっては割と重労働だった。
「……大丈夫か?」
少し遅れ始めた青年に気づき、アイクが振り返る。
「うん……ごめん。急がないといけないのにね」
「無理はするな。あんたの負担にならない速度で構わん」
申し訳なさそうな表情を浮かべるキルロイに、彼は緋色のマントを翻し左手を差し伸べてきた。
流石に手を貸してもらわねばならないほどの負担では無い。そう断っても、その手は引っ込まなかった。
「アイク、大丈夫だよ……そこまで疲れてはないから」
「念の為だ。暗くなってきたし、もし転びでもされたら困る」
至極真面目な顔でアイクがほら、と促す。彼としてはそんな意図は全く無いのだろうが……正直、これではどっちが年上なのか解らない。
年長者としての矜持と葛藤の末――結局、キルロイは好意に甘えることにした。
そっと重ねた手を、しっかりと握り込まれる。
革のグローブに包まれた掌は、まだキルロイの手よりも若干小さい。けれど、ごつごつとして力強いその感触は、確かに彼が少年から大人へと変わりつつある事を感じさせた。
「何なら、背負っていっても構わないが」
「流石にそれは……僕にも一応、見栄はあるから」
「それは悪かった」
苦笑の中に一抹の抗議を混ぜ込んだキルロイの返事に、アイクは肩をすくめた。
やがて、薄闇の中に砦のシルエットが見えてくる。
門の前に着いたところで一旦足を止め、繋いでいた手を離した。
「――本当にありがとう、アイク。助かったよ」
「ああ」
礼を述べるキルロイに、彼はいつも通りの無表情で頷きを返す。
こうして他者の為に労力を使う事も、この青年にとっては殊更に感謝されるような行為では無いのだろう。こういった振る舞いが自然に出来る、その器量はまさに人の上に立つ者として相応しいとキルロイは思う。
さっさと砦内に入ろうとする背中を見て、キルロイはあ、と思い出したように荷物を探る。
「アイク」
「ん?」
呼ばれて振り向いた青年に、キルロイは手荷物の中から取り出した物を後ろ手に持ちながら、珍しく悪戯めいた笑顔で告げた。
「良い物をあげる。
少し目を閉じて、口を開けて」
「……何だ?」
「良いから、ほら」
唐突な提案に面食らいつつも、彼はあっさりと従う。
こんな意味の解らない要求に対しても、疑う素振りを全く見せない。外見と態度から誤解されやすいが、アイクはとても素直な心の持ち主なのだ。
大人びている彼から一瞬垣間見えた、年相応の少年らしさ。
それを微笑ましく思いながら、キルロイは後ろ手に持っていた包みを素早く開けた。そしてその中身をひとつ摘んで、アイクの口にぽんと放り込む。
「……?」
突然口内に入ってきたものに、青年は訝しげに目をしばたたかせ――
「…………甘い」
至極当然の感想を口にした。
くすくすと笑いながら、キルロイは手の中の物を彼の眼前に差し出す。
「……さっき、あの商人から買っていたのはそれか?」
「正解だよ」
それは、小さな硝子瓶に詰まった砂糖菓子だった。
半透明の氷砂糖に、色の帯を入れてアクセントをつけたもの。
キルロイは瓶の栓を元通り嵌め直すと、アイクの手を取ってそれを握らせた。
「はい。これはアイクの分」
「……俺に?」
驚いたように眉を上げた青年に、キルロイが笑いかける。
「僕の用事に付き合ってもらったからね。そのお礼」
「……別に、礼を貰うほどの事はしてないんだが」
そう言いつつも、アイクは受け取った瓶を物珍しげに眺めている。
この青年に渡すには少々可愛らしすぎるかとは思ったけれど、その表情からして気に入らないというわけでは無いようだった。とりあえず興味を示してくれた事に、キルロイは安堵する。
「甘いものは、嫌い?」
「……いや、そんな事は無い。
くれると言うなら、有り難く頂いておく」
瓶を物入れに仕舞おうとして、アイクはふと思いついたようにそのコルク栓に手を掛けた。そしてそのまま封を開け、首を傾げるキルロイの前にそれをずいと突き出す。
「――せっかく買ったんだ。人にやる前に少しくらい食っておけ」
ふわ、と鼻先を擽る甘い香り。
その匂いと共に、彼の気遣いが柔らかく心に染みた。自然、笑顔が浮かんでくる。
「……それじゃ、お言葉に甘えて」
青い帯の入ったそれを一粒、口に含めば。
幼くも優しい甘さがふわり、舌の上で溶けていった。
甘い甘い、砂糖菓子。
その味はまるで恋のようだと、キルロイは思った。
純粋で優しい彼に、きっとよく似合う。
2011年発行の小説本「シュガーキャンディとブラックコーヒー」より。
アイクとの恋愛に対し、シビアに捉えるオスカーと、どこか夢見がちなキルロイという対比を意識しています。