Three sentiments


「もー、ボーレってば、観てるんだからちょくちょくチャンネル変えないでよ」
「どっちも観たいんだから仕方ねぇだろ」
「どっちか録画しとけば良かったじゃないか」
「めんどくせーし、こういうのはリアルタイムで見てこそなんだよ」
「なにそれ意味わかんない」
 テレビのチャンネルを巡って喧々諤々とする弟達の声を背に聞きながら、オスカーはキッチンに立って年越し蕎麦の準備に勤しんでいた。
 日頃は父から受け継いだ喫茶の経営に忙しい彼も、年末年始は店を閉めてしばしの休息を取る。一年最後のこの月、クリスマスには店に集まる知人達と賑やかに過ごし、年越しは家族だけで迎えるというのがここ数年の通例となっていた。

 鍋を火にかけている間に、戸棚から蕎麦用の器を出し、続いて各々が使っているマグカップも取り出す。
 周りの食器が軒並み無くなり、ぽっかり空いたスペースにひとつだけ残ったアイボリーのカップ。それはいかにも寂しげな佇まいで、オスカーの視線を惹いた。
 それは、店に限らずプライベートな生活空間にもよく訪れる人物が、いつも貸してもらうのは申し訳ないからと自身の私物を持ってきたものだ。家族でない他者の食器が何故この家に常備されているのかは……推して知るべし、である。
 ではその持ち主はと言えば、現在両親の暮らす実家に帰省している。年末年始の休みは、離れて生活している家族と水入らずで過ごすのだと、嬉しそうに話す笑顔が鮮明に思い出された。体調を崩していなければいいが、と体の弱いその人のことを慮る。

 ――寂しいと感じたのは、自分がそう思っているからか?
 ふと過る埒も無い考えに独り苦笑して、オスカーは戸棚を閉めた。


「年越しくらい静かに迎えられないのか、お前達は。ほら、出来たよ」
 未だテレビのリモコンを挟んで睨み合いを続けている弟二人を呆れ顔でいなしながら、オスカーが炬燵机の上に出来たての蕎麦を置く。
「お、待ってました!」
 いそいそと箸を取って器を引き寄せるボーレを横目で見ながら、いただきます、と手を合わせるヨファ。
 小振りの鉢に盛られた蕎麦は、刻みねぎと紅白のかまぼこという極めてシンプルなトッピングだが、上品な出汁の香りはその美味しさをうかがわせるに十分なものだった。
 蕎麦をすすり始めた途端に静かになった弟達に、現金なものだと苦笑しつつ、オスカーも自身の分の蕎麦を手にリビングへ戻ってくる。
 そう広くない部屋の真ん中、この季節は我が物顔で面積を占有する炬燵。その西側に次弟が、対面の東側に末弟が座り、二人の間の南側にオスカーが座る、というのが習慣だった。テレビ番組にあまり興味の無い彼にしてみれば、テレビが正面に見えるこの席は弟二人のどちらかが座ればいいと常々思っているのだが、気づけばいつも自然とこの配置になっている。常にチャンネル争いをしている弟達も、長兄がそこに座ることに関しては何ら異を唱えようとはしないのだった。
 そして今日もいつも通り、半ば当然のように空けられたその指定席に座る。テレビ画面には、年明けを待つ人々でごった返す神社の境内が映し出されていた。

『5、4、3、2、1――』
『――ア・ハッピーニューイヤー!』
 カウントダウンの後、テレビから新年の到来を祝う歓声が響く。
「おっ、年明けたな!」
「あけましておめでとう、兄さん」
「って俺は無視かよ!?」
「はい、おめでとう。
 今年もよろしく頼むよ、二人とも」
「お、おう……おめでとさん」
 毒気を抜かれた様子で照れくさそうに頭を掻く次弟と、大人びた表情で挨拶を返してくる末弟と。
 また、大切な家族とこうして新しい年を迎えられたことが、オスカーは何より喜ばしいと思った。


 洗い終えた食器を片付けていた時、テーブルの上に置いていた携帯電話が振動して着信を知らせる。長さからしてメールだろうと予想しながら携帯を開くと、果たして画面の右上にメールの受信を示すアイコンが点滅していた。
 手にしていた布巾を一旦置き、素早くキーを操作する。一瞬の間の後、受信したメールが画面上に表示された。

『あけましておめでとう。今年もよろしくお願いします。
 この一年がオスカーにとって、幸せな年になりますように』

 差出人は、見なくとも解っていた。

(――キルロイ)
 口元が自然に優しい笑みで綻ぶのを自覚しながら、オスカーはすぐに返信を打ち始めた。
 送信完了の画面を確認してから、携帯をテーブルに置く。彼も今時分は家族と過ごしているだろうに、自分への挨拶にわざわざ時間を割いてくれたことが、オスカーは嬉しかった。

 約十分後。
 テーブルを拭く彼のすぐ傍で、再び携帯が振動する。先程とは違い、一定のリズムで続くそれで、今度は電話だと解った。
 大半の知り合いが年始の挨拶をメールで済ます昨今、こんな時間に電話とは――怪訝な顔で携帯を取り上げ、片手だけで器用に開く。そして画面に表示された名前に、その表情が驚きと納得と疑問の入り混じったものへと変わった。
「――はい、もしもし」
『――あっ、もしもし。オスカー?』
 緊張からか、その第一声は少し上擦っていた。ノイズの乗った通話口越しでも間違えるはずの無い、聞き慣れた声。
「やあ、こんばんは」
 先程メールで年始の挨拶を済ませていた手前、ごく普通の挨拶を選んだ。芸が無いな、と自分でも思うが、今更この性格は変えようが無い。
『こんばんは……ごめんね、こんな時間に』
「いや、別に構わないけれど……何かあったかい?」
 一抹の不安を覚えつつ問いかければ、躊躇するような間があって。
『返してくれたメール見てたら――
 やっぱり、声が聞きたくなっちゃって』
 恥ずかしげに小さく告げられた言葉は、どんな直接的な睦言よりもオスカーの心を揺り動かす。
「……そうか。私も、君の声が聞けて嬉しいよ」
 可能な限り素直な言葉を選び、答える。電話口の向こうで、照れたように笑う声がした。

「そちらの気候はどうだい。体調は大丈夫かな?」
『うん。雪は時々降ってるけど、積もるほどじゃないかな。
 身体の方も平気だよ』
「そうか。くれぐれも風邪には気をつけて」
『ふふ、解ってる。ありがとう』
 他愛もない話をしばし交わした後、愛しい声が名残惜しげに暇を告げる。
『――時間も遅いし、そろそろ切るね。
 4日にはそっちに戻る予定だから』
「ああ、わかった。
 こっちも4日から仕事始めだよ。落ち着いたらまた店にも顔を出してくれ」
『うん。そうする』
 それじゃあまたね、の言葉におやすみと返して、そのまま通話が途切れるのを待つ。互いに相手が切るのを待って、延々切らずに沈黙が続いたこともあったな、などと少し昔の話に思いを馳せながら。

 通話が切れたのを確認してから、電源ボタンを押す。ふと視線を感じて顔を上げると、重ねた腕に顎を乗せ、ニヤニヤ笑顔でこちらを見ているボーレと目が合った。
「……何だ」
「やー、べっつにぃ?」
 ぱちんと携帯を閉じながら、どこか決まり悪げな表情で視線を逸らす長兄に、ボーレは楽しそうに追い打ちをかける。
「こんな時間に、誰からだろなーってさ?」
 まあ訊かなくても予想はつくけどな、とニヤニヤする弟に対し、オスカーの反応はいつになく歯切れが悪かった。
「……なら、訊かなくてもいいだろう」
「そりゃなー。兄貴があんな嬉しそうな顔してりゃあなー」
 日頃は常に冷静沈着な長兄が、珍しく動揺しているのが面白いのだろう。普段やり込められている意趣返しとばかりに、ボーレのからかいは続く。
「いやー、あの堅物兄貴がそんな顔するようになるなんてなー。弟として安心したぜ、うん」
「……何を言っているんだ、お前は」
 したり顔でそんな感想を述べられて、オスカーはただ頬に朱を上らせながらそう返すしか出来ない。電話の間に自分がどんな顔をしていたのか、それを弟達がずっと見ていたのかと考えると、正直居た堪れない気分だった。
「なーんか顔赤いぜーあにきー?」
「……無駄口を叩いていないで、飲まないなら片付けないか」
 炬燵の上のカップを指してから、オスカーがそっぽを向く。そんな二人の兄のやり取りを、マグカップに注いだ緑茶をちびちび飲みながら眺めていたヨファが口を開いた。
「ボーレは嬉しいんだよ。オスカー兄さんにはいい加減自分自身の幸せを考えて欲しいって、ずっとやきもきしてたんだから」
「おまっ、このバカ! それは絶対言うなって……!!」
 先程までの余裕から一転、真っ赤になって狼狽えるボーレの怒号もどこ吹く風で、ヨファはもちろん僕も同じ気持ちだけどね、と涼しい顔で付け加える。
「……」
 新年早々喧嘩を始めそうな二人を諌めるのも忘れ、オスカーは照れたような嬉しそうな、あるいは申し訳無さそうな苦笑するような、何とも複雑な表情で弟達を交互に見遣った。
 ――子供だと思っていた彼らも、自分の与り知らぬところでいつの間にか成長していたらしい。
 こうして3人で正月を迎えることも、もはやそう何回も無いのかも知れない。二人が自立して個々の人生を歩み始める時、彼らに心配されることの無いよう、自分も今から考えておかねばとオスカーは思った。半分しか血の繋がらない自分を兄と慕い、信頼と愛情を向けてくれる弟達へ、改めて感謝と慈愛の念を深くしながら。


 年を新たにして最初の夜が、静かに更けていく。
 二階の窓に灯るオレンジの光は、幸せに満ちた一年を予感させる温かさを湛えていた。



三兄弟の年末年始(現パロ)。
時節ネタは思いつきやすい&気軽に書けるので好きです。



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