君との時間
夜空の中心に浮かぶ月が、穏やかな光を地上に投げかけている。
一直目と交代して野営の見張りに出たケントは、不意に肩にかかってきた重みに、空を見上げていた視線を外して眉を寄せた。
「おい、何を……」
「ん、ちょっと肩借して」
いつの間にか傍らに腰を下ろしたセインが、了解を得るまでもなく頭を彼の肩にもたせかけている。
「今は見張り中だぞ」
咎めるようなケントの声にも、相棒たる青年は全く頓着する様子も無い。
相変わらずマイペースな親友の行動に、ケントは大きくため息をついた。
「はぁ、今日はさすがに疲れたなぁ……」
「毎回考えなしに突っ込むからだ。少しはペース配分というものを身に着けろ」
「んー、そぉかもねぇ」
律儀にケントが苦言を呈すれば、どこか眠たげな声でセインが答える。苦笑混じりのその言葉が、振動となって肩に伝わってきた。
「……大体、お前は無謀な行動が多過ぎるんだ」
しばしの間をおいて、再びケントが説教めいた台詞を口にする。しかし、今度はそれに返る声は無い。
視線だけ動かして隣を見ると、なだらかな丘陵を描いて閉じている瞼が見えた。
「見張りの最中だと言うのが――」
きりりと直線的な眉を吊り上げ、ケントは寝ている相棒を問答無用で叩き起こそうと右の拳を掲げる。
……だが、ふっと目元を和らげると、彼は無言で上げた手を下ろしていた。
セインはいつも、一見無茶と思える戦い方ばかりする。
戦端が開かれたと同時に、先陣を切って突っ込んで行っては縦横無尽に敵中を駆け回る。そして、毎回数箇所は傷を負って帰ってくるのが常だった。
相棒として、一歩退いた位置で状況を見極めながらそのフォローに回っているケントにしてみれば、危なっかしくて到底黙って見てはいられない。同じことを口うるさく説教するのも、相棒の身が心配だからこそに他ならなかった。
だが、それが彼の戦い方であり、強さでもある。
戦場において、常に攻めの姿勢を保てる強靭さ――当人は常日頃、女性にいいところを見せたいのだと嘯いているばかりだが、生半可な覚悟で自らの命を張ることなど出来はしない。ケントはそれを、身に染みて解っている。
だからこそ、彼はセインの行動に対して苦言を呈しつつも、その背後を守る役目を務め続けているのだ。
疎ましいばかりなら、相棒という位置を退いてしまえば済むことなのだから。
肩にもたれかかっているセインは、彼の首もとに鼻先を埋めるようにして寝息を立てていた。
こうしていると、まるでなりだけ大きい子供だ。
息子でも持つ身になったなら、こういう気持ちなのだろうか――そんなことをふと思う。
今日の戦闘でも、彼はいつも通りに先頭に立って武器を振るっていた。
加えて、敵側に闇魔道を使う者が混じっていて、セインはその攻撃を何度かまともに受けたことも知っている。
命ある者の生気を削り取ると言われる、暗黒の力――それを複数回にわたって食らったのだから、平気でいられるはずがなかった。
負った傷そのものは、司祭たちの使う癒しの杖できれいに塞がっても、身体の芯にはまだ澱のような疲労が残っているに違いない。
異様な寝つきの早さと、その無防備な寝姿とが、それを裏付ける証拠だった。
拳を解いた右手で、淡い草色の髪を起こさぬようにそっと梳く。
指に絡まる柔らかい感触に、さながら生まれたばかりの雛鳥を撫でているような気分になった。
顔にかかる髪を掬い上げた拍子に、指が愛嬌のある目元を掠めた。
それがくすぐったかったのか、セインは小さく鼻にかかった呻き声を漏らして顔をしかめ、嫌々をするような仕草で彼の鎖骨あたりに鼻先を擦りつけてくる。それが妙に小動物じみていて、ケントは思わず苦笑を零した。
相棒が起きている時にはついぞ見せない、穏やかで優しい微笑み。
琥珀の眼差しに浮かぶのは、無条件の信頼と、愛しい者を慈しむ感情。
明日からは、また多くの戦いが待っている。
だから――せめて今だけは、疲れを知らないこの青年を静かに休ませてやりたかった。
『お前は、俺に甘すぎるんだよ』
いつだったか、相棒から苦笑混じりに言われた台詞をふと思い出す。
仕方が無い。
――惚れられてしまった弱み、とでも言うべきか。
静かに、緩やかに時は流れ、夢のような刹那が過ぎてゆく。
いつの日か、彼が遠く離れた地へ去ってしまったとしても、自分はこの瞬間を決して忘れないだろう。
柔らかく触れる髪に頬を寄せ、ケントは傍らにある確かな存在を感じながら目を閉じた。
たまには優しく。