愛しのTumble days


 シャン、と涼やかな音が鳴る。

 六弦が奏でる調べに合わせ、舞台の上で紗の薄衣を纏った踊り子が舞う。
 黄金のリングを無数に連ねた手足が、白蛇にも似たしなやかさで宙を撫で、その度に深紅の布が生き物の如く翻った。
 軽やかな中にも情熱を秘めた旋律は、この辺りの土地では馴染みの無いもの――その異国情緒溢れる音楽と舞が、漂うアルコールの香りに艶やかさと微かな淫靡さを加え、一種異様とも思える幻想的な雰囲気を作り上げていた。

 酒と炙り肉と水煙草の匂いで満ちる酒場は、遅い夕食ついでに酒を酌み交わす男達で賑わっていた。
 妖艶な踊り子の舞に目を奪われる者、賭け事に興じる者……行動は様々なれど、皆が退廃の匂いを感じさせる陽気さに包まれている。


「ベットだ。20枚!」
 その一郭のテーブルで、男が勢いよく銀貨の山を指で弾く。
 まとめてあったカードを切りながら、男は野卑な笑いを浮かべて向かいの席に座る相手に問うた。
「さて、お前さんはいくら賭ける?」
 向かいに座って頬杖を突いていた青年が、その言葉を受けて自身の手元にあった銀貨を摘み上げる。
 ぽんと無造作にテーブルの中央へ投げて寄越したコインを見て、男が馬鹿にしたように鼻を鳴らした。周囲からも失笑めいたざわめきが漏れる。
「5枚だとぉ? くくっ、とっとと尻尾巻いて逃げちまった方がいいんじゃねぇのかぁ?」
「いやー、元より稼ぐつもりとか無いし、あんまり景気よく使うと相方がうるさいからさ。
 悪いけど、こっちはリーズナブルにいかせてもらうよ」
 嘲笑う周囲の態度を全く気にした風もなく、彼は軽い口調でそう言った。
 一瞬ごとに色合いを変える翡翠色の瞳と、少年めいた愛嬌を感じさせる笑顔が印象的な青年だ。

 見るからに柄の悪そうな荒くれ、それも複数と対峙しているにも関わらず、青年に臆した様子は微塵も無い。
 その精悍さと愛嬌が無理なく同居した容貌を彩るのは、飄然とした不敵な笑み。

 傍から見れば、普通の若い男が、一人で呑んでいたところを柄の悪い荒くれ達に捕まり、半ば一方的に賭けを吹っかけられたという構図だ。
 だが、周囲にいる人間は横目でその対決を眺めるだけで、誰一人として止めに入ったりとりなしたりしようとする者はいなかった。下手に関われば、次は自分の上に災難が降りかかるのだと皆知っているからだ。
 自分の身は自分で守る、守れなければ自業自得――それが夜の街での暗黙の了解だった。

 全員が賭け金を出し終え、手札の交換をし――勝負の時が訪れる。
 合図とともに、次々と参加者が自分の手札を公開していく。
 ツーペア、スリーカード……そして。

「よっしゃあ、貰ったぜ!! ストレートフラッ……」
 気勢を上げ、勝利を確信した者の笑みで裏返しに置いた手札をめくった瞬間、男の顔が驚きに凍りつく。
「な……何ぃっ!?」
「あららー残念。それじゃハイカードだねぇ」
 まるで、そこにあるべき物が無かったかのように激しく動揺する男に、向かい側からのほほんとした声がかけられる。
 ハートの5、4、3、2……綺麗に揃った赤の中に、ただ一点混じり込む黒。

「さてさて、皆様ご注目――」
 その言葉は、全く別の方向から聞こえたように感じられた。
 酒場の喧騒の中でも、それほどに不思議と通る中性的な声。

「お探しのカードはコレ、かな?」
 にっこり笑って、青年が人差し指と中指で挟んだカードの裏面を示す。
 ――ハートのエース。
「な……て、てめぇいつの間にっ……!?」
「さーて、いつだろうねぇ? どうやったと思う?」
 人にイタズラを仕掛けて喜ぶ子供のような顔で、青年が笑う。
 訳が解らず狐につままれたような顔の男を一瞥して、青年はテーブルに伏せていた自分の手札4枚を表に返し、そこに持っていた1枚を付け加えた。
「で、コレを入れて――と。はい、ストレートフラッシュ一丁上がりっ!」
 青年がばらりとテーブルに並べて見せた5枚は、眩しいほどの赤一色。
 しかも、10からエースまでのスートが綺麗に並ぶ――文句なしの最強役、ロイヤルストレートフラッシュだ。

「そ……そんなはずはねえ!!」
「おやぁ? 何でそんなコト言い切れるのかなー?」
 椅子を蹴倒して立ち上がった男に、青年が首を傾げて問う。
「このエースが自分の手元にあるって、知ってたのかな?
 そー言えばあんた、カード交換するどころか、ほとんど手札を見もしなかったっけね?」
 一瞬言葉に窮した男に、青年がニッと笑いかける。
「――カード切った時、自分の手札にその5枚が揃うように、カードを入れ替えた。
 良くないねー、そういうの。フェアじゃないっていうか?
 ……ってーか、コレってもう完璧にイカサマってヤツ?」
「な、何だと!!」
 男が激昂し、それを合図に周りの仲間も立ち上がる。
 絶対に勝てるはずだったゲームを鮮やかにひっくり返された上、公然とイカサマまでバラされたのだ。男達にしてみれば、このままタダで帰せるはずも無かった。

「あれ? 降りちゃうんだ?
 手札公開してからのフォールドは……反則だよっと!」
 青年は笑みを崩さず立ち上がり――掴みかかって来た一人をひょいとかわすと、明らかに意図的な動作で足を引っ掛けた。
「うおっ!?」
 バランスを崩した男は、頭から隣のテーブルに突っ込み、派手な音をたてて料理やら酒やらを飛び散らせた。
 皿やグラスの割れる音が響き、一瞬静まり返った店内が途端に騒然となる。

「ふざけやがって! おい、皆やっちまえ!!」
「もう、そんなにカリカリしなくたっていいだろ。
 まるで誰かさんみたいだよ……って、一緒にしちゃアイツに悪いか」
 独りごちて独り苦笑する。
 その様子が、また男達には小馬鹿にしているように見えたらしく、さらに激昂して青年へ殺到してきた。

 伸びてきた腕を全て掻い潜り、青年は狙いすまして相手の足を払う。無防備な体勢から足元をすくわれた男は勢いよくすっ飛び、別の一団が呑んでいたテーブルの上に落ちた。
「うおっ! 何だ!?」
「てめぇ何しやがんだ! ケンカ売ってんのか!!」
 宴を邪魔されたことに怒ったその一団が、テーブルをめちゃくちゃにした男へと矛先を向けたことで、また別のところで争いが始まった。音楽が止み、悲鳴が上がる。
「おっ、ちょうどいいや。この隙に抜けさせてもら……おっと!」
「この野郎、逃がさねぇぞ!!」
 もう一人をケンカの始まったテーブルの方へ放り込んでから、青年は騒ぎにまぎれて店を抜けようと動いた。が、その背後からイカサマを見破られたあの男が襲いかかる。
 応戦するため、とっさに振り向く青年。
 だが、その頭上に酒瓶が振り下ろされる直前、男の身体がぐらりと揺れ――そのまま床に倒れた。
「……ありゃ?」
 あっけにとられる青年の頭上から、厳しい声が振ってくる。
「何をしているんだ、セイン!」
 視線を上げると、倒れた男の背後から、赤みがかった金茶色の髪の青年が姿を現した。
「おおケント、我が相棒よ! 遅いから退屈してたんだぞー、これはいわゆる苦肉の策というヤツでだなぁ……」
「戯言はいい! これは一体何の騒ぎだ!」
 親友のフォローを悟った青年――セインが軽い口調で喋り出すのを、ケントと呼ばれた青年が語気荒く遮った。謹厳実直な内面を表すかのような直線的な柳眉は、明らかに険悪そうに吊り上がっている。
「戻ってみればこの騒ぎ……貴様、また何をやらかしたのだ!?」
「人聞きの悪いこと言わないでよ。俺は良心に従って行動したまでですってば」
「貴様の良心など爪の先ほども信用できるか!」
「ひどっ! 俺は非っ常ーに傷ついたぞっ断固として誠意ある謝罪を……っとまあこの件に関しては後でじっくり議論するとして、とにかくここを出るぞ!」
「な、ちょっと待――」
 まるで漫才のようなやり取りを中断し、セインが相棒の腕を引っ張って駆け出した。抗議の声にはとりあえず無視を決め込み、混乱する人々を掻き分けて出口へと走る。しかしこの大乱闘の中でも、しっかりと自分の取り分の銀貨は確保してきているあたりが抜け目無い。

「お嬢さん、素敵な踊りをどうも! 怖がらせてすみませんでしたね。
 マスターお代っ! 修理費も含めといたから取っといてー!」
 カウンターの陰で身を潜めている踊り子と主人に金貨の入った小袋を投げ渡すと、セインは親友の手を引いてそそくさと大混乱の店を後にした。


「――で、だ。
 要するに、また貴様が元凶だったわけだな?」
 あの騒ぎから脱出し、速攻で街を出た後。
 次の町へと続く街道を進みながら、ケントがこれ以上は無いほど険悪な口調で言った。
「だぁってさー、面白いんだよ。ああやってちまちまイカサマやってる奴らをからかうのって」
「この馬鹿! そのおかげでどれだけの人が迷惑を被ったと思っている!」
 きりきりと吊り上がる眉を目の当たりにしても、セインのへらへらした笑顔は全く崩れる気配が無い。
「まあまあ、これであいつらのイカサマ賭博に引っ掛かる人も減ったことだし、結果オーライってことでひとつ」
「そういう台詞は周りが言うものであって、騒ぎを起こした張本人に言う権利は無い!」
 ひとしきり叱責してから、ケントははあ、と深い溜息をついた。
「まったく……お前などについてきたのが、間違いだった……」
 額に手を当ててかぶりを振る親友に、セインは悪びれた風もなく笑いながら言った。

「でもさ。楽しいだろ?」
「……」
 沈黙するケントに、先刻までとはわずかに違う口調でセインが言う。
「こうやって外に出て、自分の足でいろんなトコ回ってみなきゃ、経験できないことがたくさんある。
 ずっと城の中で書類と睨めっこしてるだけじゃ、解らないこともあるんだよ。
 それを――お前にも、知って欲しかったんだ」
 それとも、とセインが首を傾げて親友の顔を覗き込む。
「お前は、あのままキアランに残ってた方が良かったか?」
 冗談めかした口調でありながら、その瞳の奥には真剣な色がよぎる。
 表には決して出さないが、この親友が自分を故郷から連れ出したことを存外気にしているのはケントも知っていた。


 ――突然キアランを去ったと思ったら、ある日突然戻ってきて。
「迎えに来たよ」
 そう言われた時には、確かにあ然としたし腹立たしくも感じたのは事実だ。

 それでも、その手を取ったことを後悔はしていない。
 彼の傍らで同じ時間を過ごす日々は、トラブル続きで騒々しくて……それでも、平板で無味乾燥な生活に比べれば、ずっと幸せに思えたから。

 彼に出会っていなければ、自分の人生はどれほどつまらないものになっていただろう――と、今になってそんな風に思う。
 出会った時から、その奔放な行動に振り回されどおしだった。
 いつだって、強引に手を引っ張られて、彼の気晴らしに付き合わされた。
 戸惑いながら、呆れながら――いつしかそれが、戦と隣り合わせの張り詰めた生活の中で、かけがえの無い安らぎになっていたことに気づいた時。
 この手を離したくはないと、そう思ったのだ。


 ケントが口を開きかけた途端、何を思ったか突然セインが走り出す。
 呆気に取られて見つめる先で、駆け出したときと同様、唐突に立ち止まる背中。

「俺はさ!
 お前と一緒で、良かったと思ってる!
 お前が居てくれて、心底楽しいって――そう思ってるよ!」

 唐突に振り返り、遠くから叫ぶ声。
 瞠目するケントの視線を避けるように、言いたいことだけ言ってまた駆け出す。柔らかな朽葉色の髪が、一瞬吹いた突風に舞い踊った。
 もしかして、照れ隠しなのか――と、珍しくも半ば意地の悪い考えがケントの脳裏をよぎる。

「まったく……。
 訊くだけ訊いておいて、私の答えは聞かないつもりか?」
 独りごちて、ケントが苦笑する。
 おそらくはこの後――宿に入って眠りに就く直前くらいに、再び同じことを訊いてくるだろうことが、彼には容易に想像できた。
 読み取れる行動パターンが、自身たちの付き合いの長さを物語る証拠なのだと、今更ながらに実感しつつ。


 そしてまた、慌しくも幸福な一日は始まるのだ。




だから何でこの二人にペアEDが無いのかと小一時間(ry



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