聖なる夜が明けぬ間に


 聖誕祭前夜。
 この日、いつもは比較的静かな店内は、和やかな喧噪に満ちていた。

「お兄ちゃん、ケーキまだあるよー。食べる?」
「いや。……」
 妹の問いに、蒼い髪の青年はかぶりを振ったあと、何かを探すように視線をさまよわせる。
 その様子をカウンターの中から見ていたオスカーは、彼の考えを察して声をかけた。
「――ローストチキンも残っているけど、要るかい?」
「ああ、貰う」
 間髪入れずの返事にああやっぱりなと微笑んで、青年は残りのチキンをまとめて皿に盛った。結構な量だが、多分彼なら綺麗に片づけてくれるだろう。

 クリスマスイヴの夜は、毎年近所の懇意にしている者達が集まり、オスカーが切り盛りするこの喫茶店でささやかなパーティーを開く。それがここ数年の通例となっていた。
 店の主が腕を振るった料理を囲み、賑やかにはしゃぐ少年少女。それを後目に、面白くもなさそうな表情でカウンターに座る男が一人。

「おい、もっと強い酒ねぇのかよ」
「うちは純喫茶だからね。アルコールの類は管轄外なんだ」
「ちっ。シャンパン程度じゃ飲んだ気にもならねぇぜ」
 悪態をつきながら、多少気の抜けたグラスの中身を煽るシノン。
「大体よ、酒出さねぇで茶だの珈琲だけ出してて儲かんのか?」
「……まあ、儲けているとは言い難いけれどね。生活していければ十分だから」
 心配してくれて有り難う、と微笑むオスカーに、赤毛の男は顔を歪めてそっぽを向いた。
「ケッ、誰が心配するかよ。酒の飲めねぇ店なんざ興味ねぇからな」
 吐き捨てるように言ってグラスを干したシノンをカウンターから見下ろし、店主たる青年は苦笑する――せめてもう少し素直さを見せれば、他者から誤解されることも減るだろうに。


「あら、もうこんな時間なのね」
 古風な柱時計の文字盤を見上げ、ティアマトが声を上げた。それを潮に、一同にお開きムードが広がっていく。
「さ、あまり遅くなると危ないから、そろそろお暇しましょう」
「ううん、もっと居たいけど……しょうがないよね。
 オスカーさん、ケーキ美味しかったよ!」
「美味かった。ありがとな」
 明るい笑顔で手を振るミスト、無表情なアイク。対照的ながらも揃って礼を述べる兄妹に、オスカーは微笑みを返した。
「どういたしまして。またいつでも来てくれ」
「うん! また今度ね!
 それじゃみんな、お休みなさい!」

 ティアマトに伴われ、ミスト、続いてアイクが店を出ていく。
 それに促されるように他の者も扉をくぐり、店の中は途端に静かになった。残っているのはボーレとヨファ、そして……

「――お疲れ様、オスカー。
 後片付け、手伝うよ」
 歩み寄ってきてふわりと微笑んだ、鳶色の髪の青年。

「キルロイ、大丈夫だよ。
 食器は合間にほとんど片してしまったしね。後は掃除くらいだから」
「うん……でも、人手は多い方が早く終わるし。
 ついでだから、手伝って帰るよ」
 穏やかなその笑顔に、厚意ばかりではない別の感情を見てとって、オスカーはしばし沈黙した後に頷いた。
「――じゃあ、お願いしようか。
 私は残りの洗い物をするから、終わった分をしまってくれるかい?」
「うん、任せて」
 頷き返すその表情は、どこか嬉しそうなもので。

「キルロイが手伝ってくれんなら、俺らやる事なさそうだな。それじゃ……」
「ボーレ、はいこれ」
 いそいそとその場を引き上げようとする次兄の眼前に、末弟のヨファがモップを突き出す。
「キルロイさんが言ってたでしょ、『人数が多い方が早く終わる』って。
 僕はテーブル拭くから、ボーレは床掃除ね」
「……ちっ。わーってるよ。
 ったく、だんだん兄貴と言うことがそっくりになって来やがるな……」
 さっさとテーブル拭きにかかるヨファに、しかめ面でぶつぶつ文句を言いつつも、素直に掃除を始めるボーレ。
 そんな弟達の姿を、オスカーは苦笑混じりの優しげな表情で見守っていた。


 人手が多かったのもあって、後片づけはものの三十分程度で完了した。
 愛用の黒いエプロンを外しながら、オスカーはカウンターを拭き終えた青年に微笑みかける。
「有り難う、キルロイ。明日も仕事だろうに、すまなかったね」
「ううん、いいんだ。僕がやりたくてやったことだから」
「今日は騒いだから疲れたろう。帰ってゆっくり休むと良い」
 その言葉に、部屋の隅で手持ち無沙汰にモップを弄んでいたボーレがぎょっとした表情で振り向いた。続けて何事か言おうとしたその口を、ヨファの手が背後から塞ぐ。

「あ……うん。
 ――それじゃ、お休み」
 一瞬、何か物言いたげな色を浮かべたように見えたキルロイだが、すぐにいつもの柔和な笑顔に戻る。そして三兄弟に向けて軽く手を振り、静かにその場を後にした。

 カラン、と扉が閉まった拍子に入口上のベルが鳴ったのと、ボーレが弟の手を振り払うのとはほぼ同時だった。
「ちょ、おいおいおい兄貴ぃ! 何やってんだよ!?」
「……何がだ?」
 怪訝な表情の長兄に、苛立ち半分、呆れ半分といった様子のボーレが食ってかかる。
「何でキルロイ帰しちゃったんだよ! 今日、何の日か解ってんのか? クリスマスイヴだぜ!?
 パーティも終わったんだから、これから二人でゆっくりすりゃいいじゃねぇかよ!」
「……仕方が無いだろう。二人とも明日も朝から仕事があるんだし、無理はさせられない」
「無理とか、そういうことじゃなくてだなぁ!
 大体、今年はパーティに参加しなくても良かっただろ? 二人でどっか行ってくれば良かったのに……」
「彼も私も、今日は皆で過ごしたいという意見で一致したんだ。何も問題は無いだろう?」

 あくまで淡々と、冷静そのものの態度で正論を述べるオスカーに、ボーレは苛立ちを爆発させる。
「だーっ、もう!
 兄貴はそういうトコが駄目なんだよ! 兄貴がそんなだから、キルロイが不安がって……」
「ボーレ、言い過ぎ」
 それまで黙って兄達のやり取りを聞いていたヨファが、静かにボーレの言葉を遮る。
「本当の事じゃねぇかよ! お前だってそう……むぐっ」
「いいからちょっと黙って」
 手にした布巾を無造作に次兄の顔に押しつけてから、ヨファは長兄の方へと向き直った。


「――キルロイさん、一瞬だけだけど、寂しそうな顔してたよ。
 きっと、オスカー兄さんともっと一緒に居たかったんじゃないかな?」
「――!」

 兄の肩がぴくりと震えたのを確認して、ヨファは口を噤む。
 これ以上言う必要は無い――自分が気づく程度のことを、この聡明な長兄が解っていないはずがなかったから。


 ――そう、気づいていた。
 けれど、言えなかった。

 この後、夜が更けるまで共に過ごす――あるいは自分達がもっと年若かったならば、それも出来よう。
 しかしお互い、既に良い歳の大人。我侭ばかりを通して、為すべき日々の責務に支障をきたすような真似は出来ない。特に、生まれつき体の弱い彼に負担をかけるような事は、絶対に避けたかった。

 だから、気づかないふりをした。
 寂しさを滲ませた、その鳶色の双眸に。


「……あー、もう!」
 がしがしと髪を掻き毟り、ボーレが叫ぶ。
 そしてつかつかとオスカーに歩み寄ると、腕力に物を言わせてその背をぐいと押した。
「つべこべ言ってねぇで、行って来いよ!
 後は俺達がやっとくからさ!」
「お、おい、ボーレ……!」
 不意を突かれて慌てる青年に、いつの間に取ってきたのか、ヨファが笑顔でコートを差し出す。
「はい。外は寒いから気をつけてね!」
「二人ともちょっと待ってくれ、私は行くとは一言も」
「往生際が悪いぜ、兄貴!
 観念して大人しくキルロイを追っかけな。言っとくけど、戻ってきても今夜は家に入れねぇかんな?」
 次兄の馬鹿力に加え、末弟にまで加わられては、いかな長身のオスカーと言えども為す術は無かった。結局扉から押し出され、背中にばさりとコートを掛けられる。

「こ、こら、二人とも人の話を……!」
「それじゃ兄貴、頑張れよ〜!」
「僕ら冬休みだし、明日の朝は心配しなくて大丈夫だから」
 困惑する兄と、笑顔でひらひら手を振る弟二人。
 両者を隔てるように扉が閉まり、しっかり鍵を掛ける音まで聞こえてきた。どうやら、本気で帰宅させる気は無いらしい。

「……まったく……」
 はぁ、とため息を吐き、オスカーは空を見上げる。
 真冬の澄んだ空気の中、無数の星が冴え冴えと空に輝いていた。



 先程の暖かい空間が嘘のように、夜道は寒い。
 コートの前を掻き合わせ、キルロイは徒歩数分の道のりを自宅へと向かっていた。

 道すがら考えるのは――ついさっきまで傍に居た、想い人のこと。

(ちょっと、しつこ過ぎたかな……)
 少しでも長く、彼と共に居たかった。
 それ故に後片付けの手伝いを申し出たのだが、食い下がりすぎて、彼の弟二人に訝しく思われたのではと、今更ながらに後悔する。


 今日、この日を二人きりで過ごせなかったことは、全く気にしていない。
 元より皆で集まって過ごすクリスマスの夜を、キルロイは楽しみにしていたし、それは彼も同じだった。恋人と二人きりで過ごすことと、親しい者達と賑やかに過ごすこと、それらに価値の差があるとは思えないから。

 ――それでも。
 彼と二人の時間が欲しくなかったと言ったら、嘘になる。


 それを彼に告げれば、きっと二つ返事で受け入れてくれた事だろう。
 けれど、告げなかった。
 自分達はもう良い大人だ。自身の望みの為に、彼に負担を強いるのは本意ではない。
 それに――ただでさえ自分は彼に釣り合っていないと自覚があるが故に、これ以上の我侭は言えない。余計に、彼との器の差が開いてしまうような気がして、悔しかったから。

 同性である自分を恋人として認めてくれただけで、もう十分我侭は聞いてもらっている――。
 そう自分に言い聞かせ、キルロイは思考に没頭して遅くなっていた歩みを早めた。


 その時。

「――イ。キルロイ!」


「……え?」
 一瞬、幻聴かと思った。
 振り返った彼に見えたものは――夜の闇と、それを照らす街灯の下、こちらに向かって駆けてくる長身の青年の姿だった。

「――お、オスカー?」
 驚いた表情で立ち尽くすキルロイ。その前までやって来て、彼は足を止めた。
 先程の店からここまで、せいぜい二百メートル程度しか離れていない。大した距離ではなかったはずだが、相当急いで走ってきたのか、その息は微かに弾んでいた。

「どうしたの? 何かあったのかな……?」
 首を傾げる青年の前で、オスカーはしばし息を整えてから、苦笑めいた表情で口を開いた。

「――弟達に、家を追い出されてしまってね。
 すまないが、匿ってくれないか」
「…………ええっ?」
 目を丸くするキルロイに、緑の髪の青年が微苦笑のまま告げる。
「今夜は戻ってきても、家には入れない、だそうだ。
 弟達が寝静まる頃まで居させてもらえれば、助かるんだが」
 その言葉を聞いて、キルロイは考え――そして、ある事に思い至る。
 まさか、もしかして、ひょっとして?

「…………あの、オスカー。
 ボーレとヨファは、その、僕達の事……」
「――二人とも、既に承知している」
「!!」
 思わず絶句するキルロイを見つめ、オスカーがすまなそうに眉を下げる。
「上手く隠していたつもりだったんだが、いつの間にか気づかれていたらしくてね。
 やはり、家族に隠し事は出来ないということなのかな」
「……そう……だったんだ……」
「君に黙っているつもりは無かった。ちゃんと話さなければと思っていたが、なかなか機会が無くてね。すまなかった」
 頭を下げるオスカーに、鳶色の髪の青年はかぶりを振る。
「ううん、それは構わないんだ。だけど……」
「うん?」
「……二人は……その、嫌じゃないのかな、と……」

 父親が亡くなって以降、一人で弟達の面倒を見てきたオスカー。
 そんな立派で大好きな兄の恋人が、まさか男だなんて。
 多感な時期の二人に、その事実は一体どう受け止められたのだろう――キルロイは後ろめたさで胸が締め付けられる思いだった。


 そんなキルロイを正面から見つめ、ふ、とオスカーが微笑む。
「――大丈夫。
 全て正直に話したら、二人ともちゃんと解ってくれたよ」
 それに、と青年が続ける。
「こうも言っていたよ。
 ――キルロイが相手なら、安心して兄を任せられる、とね」
「……!」

 その言葉を聞いた瞬間。
 心を縛っていた見えない鎖が、するりと外れた気がした。

「……そう、なんだ。
 ……良かった……」
 安心したように呟いて、キルロイは目を閉じ、天を仰ぐ。
 それはまるで、神への祈りを捧げる姿にも似て。

「最初から、包み隠さず話しておくべきだったかも知れないな。
 あの二人も、もう幼い子供じゃないんだから」
「――そうだね。
 後で、謝っておかないといけないね」
 そして、きちんと自身の口から告げよう。
 オスカーが好きだと――だから、共に歩むことを許して欲しい、と。


「とりあえず、このままだと風邪をひきかねない。
 君の所へお邪魔させてもらっても構わないかい?」
「うん。…………あの、オスカー」
「ん?」


「――もし良かったら、その。
 今晩、泊まっていってくれない、かな……」


 それは、付き合い始めて以来、キルロイが初めてオスカーに願った我侭。

 オスカーは一瞬瞠目し――やがてふわりと優しく微笑む。
「……君さえ良ければ、そうさせてもらおうかな」
 今晩は帰っても家に入れてもらえそうにないからね、と肩をすくめる青年に、キルロイはくすくすと笑った。




ブログにて公開していたクリスマス小話。
長兄に自分の幸せを掴んで欲しいと願う弟二人、という構図が好きすぎる。



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