駆けた先に見えてきたのは、石を積んだだけの粗末な門柱。
 その向こう側に作られた小さな村からは、明らかに普通ではない騒音が響いていた。
(――襲撃を受けている?)
 ケントがちらりと視線を走らせると、傍らの相棒も同じ事を考えているようだった。そのまま速度を緩めることなく、2人は一気に門とは名ばかりの入口をすり抜ける。

 馬を止めて見回した村の中は、ぴんと張り詰めた空気に満ちていた。肌を刺すような負の瘴気に混じって、金属の打ち合わされる音、獣の唸りにも似た雄叫びなどが彼等の元に届く。
 ――明らかな、争いの気配。
 さっと周囲を一瞥したケントが、どう動くかと相棒に声をかけようとした時。

「嫌! 放して! 誰かっ、だれか助け……!!」
 その悲鳴は、存外近くから聞こえた。反射的に振り向いた騎士2人の目が、横手の家の陰にいくつかの人影を捉える。
 その風体から明らかに賊の類と判る男達に、囚われ組み敷かれた小柄な女性のシルエット。乾いた地面を必死に蹴る細い脚が、肉食獣に喰いつかれた草食動物の断末魔を思わせる。
 躊躇無く馬首を返したセインの後を、一瞬遅れてケントが追った。

 響く蹄の音――その正体を把握する間も無く、女性に覆い被さっていた男は後ろへと弾き飛ばされて転がる。
 何が起きたか判らぬままに、血反吐を吐いて苦悶する男。その姿を見て、周囲の仲間達に動揺が走った。
「女性を腕ずくでどうにかしようなんて、それが男のやることか?
 ――最低だね」
 駆けつけざまに鮮やかな一撃を見舞った碧の青年が、灰緑の双眸を針のように細めて吐き捨てる。
 女性から離れ、賊達は新たに出現した邪魔者を排除すべく得物を構えた。女性を庇うように前に出たセインが、手にした槍でその一撃を受ける。
 最初の一人の得物を難なく弾き飛ばしたセインだったが、続いて残りの2人を同時に相手する段になると、いささか苦戦の色が見え始めた。
 リーチに優れる槍だが、反面懐に飛び込まれると格段に不利になってしまうという弱点がある。小回りが利かない分死角も多く、このように障害物が近くにある場所で、複数の敵を同時に相手するには向いていない武器だ。
「くっ……!」
 小さく舌打ちして、セインは叩きつけられてきた2丁の斧を、穂先と石突き双方を使って器用に弾く。
「セイン、下がれ!」
 相棒の苦戦を見て取って、後ろにいたケントが鋭く告げた。とっさにその声に従い、馬を下げるセイン。
 彼と入れ替わるようにして、素早くケントが前に出た。向かってくる敵の得物を剣で受け弾き、返す刀でその肩口に一撃を見舞う。鮮やかな剣さばきで、紅の青年は瞬く間に残っていた2人を戦闘不能へと追い込んでいた。
 見事な手際に、背後で見ていたセインが口笛を吹く。それを聞きとがめ、刃に付着した血糊を払ったケントは振り返って眉を寄せた。

「……全く、何をやっているんだ貴様は。こんな狭い場所で、しかも斧相手に槍を振り回す奴があるか」
「いやぁ、とにかく女性を一刻も早くお助けしないとって思ってさあ。
 剣じゃ届きそうになかったもんだから、つい……ね」
「つい、じゃない。お前の悪い癖だ。
 目先の事態ばかりに気を取られていては、不利な状況を招くばかりだぞ」
 悪びれないセインの態度に、自然ケントの語調も厳しくなる。
「解ってる、今度からは気つけるからさ。
 ……大丈夫ですか? どこかお怪我は?」
 後半は、地面に座り込んで呆然と事態を見守っていた女性に向けられた台詞だ。
 ケントは深々とため息をつき、こめかみの辺りを指で押し揉んだ。
 口では解ったと言っているが、どうせ喉元過ぎれば忘れるのに違いない――長年の付き合いから、相棒の性格は嫌というほど把握しているケントだ。

「……あ、私……」
 そんな相棒の内心をよそに、セインは馬を下りて女性を助け起こしている。助かったことが信じられないかのような表情をしていた女性も、青年の愛嬌ある優しげな笑みに、次第に落ち着きを取り戻していった。
「助けて、くださったのですね。あ、ありがとうございます……!」
「礼には及びません。騎士として当然のことをしたまでですから。
 まして、貴女のような美しい女性を……」
 またぞろ得意の口説きを始めそうなセインを遮り、ケントは女性に向かって出来る限り穏やかに声をかける。
「賊に見つからぬよう、家の中に隠れていてください。
 危険が無くなったと報せがあるまでは、絶対に動かないように」
 緊張と恐れを滲ませて首肯する女性に頷き返すと、ケントは相棒に向かって告げる。
「手分けして、村の中を回るぞ。
 とにかく賊を追い払って、村人達の安全を確保するのが先決だ」
「はいはい、了解っと」
 気楽な返事に、一抹どころか束にして背負えるほどの不安を覚えつつ、ケントは馬首を返した。

「くれぐれも、無茶はするなよ」
「その台詞、そのまま返すわ」
 軽口めいた本音の応酬に、垣間見える無条件の信頼。
 女性を傍の家の中へと誘導する相棒の背中を一瞥してから、ケントは馬腹に拍車を当て駆け出した。



 村の空気は、人々が放つ恐怖と混乱に染め上げられている。
 その中を愛馬と共に駆けるケントは、出来る限り目立つルートを取って村の西側を回っていた。賊たちの注意を自分に惹きつけることが出来れば、それだけ村人が受ける被害も減るはずだと計算しての行動だ。
 自身の存在を知らしめるように動きながら、目に付いたならず者と刃を交える。それを繰り返しているうちに、ケントは村の西端に辿り着いた。

 頬を滑り落ちた汗だか返り血だかを拭い、琥珀の双眸で油断無く辺りを探る彼の耳に、その時微かに届いた音。
 ――子供のものと思しき、泣き声。
 聴覚を頼りに、ケントは慎重に周辺を探っていった。次第に大きくなってくるその声に、自身の進む方向が間違っていないと確信する。
 やがて、彼は声の発信源と思われる場所を特定した。しかしそこへ至る、家と家の間にある細い通路は、賊に破壊されたのか瓦礫がいくつも折り重なっていた。馬に乗ったままでは通れそうに無く、さりとて他に通行可能な道も見つからない。
 仕方なく、ケントは馬から下りた。音を立てぬように瓦礫を乗り越えると、抜き身の剣を手に神経を研ぎ澄ませて狭い道を進む。
 角を曲がると、そこには勝手口と思しき開いた扉が見えた。
(……この中か)
 どうやら、声はこの家の中から聞こえてきているようだった。ケントは静かに歩みを進め、扉の陰から中を覗き込む。

「ちっ、うるせえ奴だ」
 その瞬間、泣き声の中に突然別の声が割って入ってきた。
 覗き込んだケントの視界に、床に座り込んで泣く少女と、彼女に近寄るならず者の姿が映る。
「目障りだ、殺っちまえよ」
 奥から別の声。それに応じた賊の得物が、泣き叫ぶしか術のない幼い子供に向かって振り上げられた。薄暗い部屋の中、血に濡れた斧の刃がぬらりと光を照り返し、息を呑んだ青年の双眸を射る。
 まずい――と思った時には、既に身体が動いていた。

 ガキンッ!

 耳障りな金属の悲鳴が上がる。
 間に割って入った青年の剣は、少女の頭蓋をやすやすと断ち割るはずだった斧を辛うじて受け止めていた。
「な、何だてめぇ!?」
 突然の闖入者に驚くならず者に、ケントは答えず容赦なく一撃を見舞う。隙が出来ていた腹部を、彼の振るった刃がざっくりと斬り裂いた。
 血を撒き散らしながら男が倒れると同時に、奥にいたもう一人の賊が怒りの声を上げて襲いかかってくる。
 振り下ろされた斧が、とっさに体を捌いたケントの左腕を掠めて過ぎる。攻撃をかわされてバランスを崩した瞬間を逃さず、翻った青年の剣がその身体を袈裟懸けに斬っていた。
 とっさのことだったため、手加減している余裕は無かった。勢いよく噴き出した血が、ケントの赤銅色の鎧を、赤みがかった金茶の髪をさらに濃い色へと染める。
 頬を濡らす生暖かい感触を手の甲で拭って、ケントは刹那走った痛みに顔をしかめた。視線を走らせると、左の肘と手首の中間あたりの服が裂け、血が滲んでいるのが確認できた。2人目の攻撃をかわした際、斧が掠めて出来た傷だろう。腕が動かなくなるほどではないが、そのまま放置できるほど浅くも無いといった感じだった。
 とりあえず傷の処置は後回しにし、ケントは屈み込んで少女を胸に抱えると、入ってきたのとは逆の入口から外へ出た。安全を確保するためもあるが、何よりもこんな幼い子供に、血に塗れた無残な死体を見せたくは無かった。

 傾き始めた陽の下に出て、周囲に敵の気配が無いことを確認すると、ケントは抱えていた少女の身体をそっと下ろした。
 目の前で繰り広げられた戦闘の殺気に呑まれたのか、彼女は泣くのを止めて俯いている。見たところまだ5、6歳だが、こんな年で敵意剥き出しに刃を突きつけられるなど、どれほど恐ろしい体験だろう――少女の心中を思い、ケントは胸が痛んだ。

 危険が無くなったのを本能的に感じてか、少女は恐る恐る顔を上げ――
 突然、その表情が凍りつく。

 ぎこちない笑みを浮かべ、少女へと手を差し伸ばそうとしている青年。
 栗色の瞳を一杯に見開いて彼を見つめていた少女は、まるでそれを拒絶するかの如く、突如火が点いたように泣き出した。


 髪を撫でようと差し伸べた手が、びくりと震えて止まる。
 改めて見たその左手は、手のひらから指先まで――返り血で赤く濡れていて。

 ギュッと拳を握り締めると、ケントはその手をゆっくりと下ろした。
 少女が何に怯えたのか……言われるまでもなく解っている。


 少女の瞳の中に映った自分。
 ――血に塗れた、人殺しの姿。

 無垢な少女から見れば、目の前にいる血塗れの男は、どんなにか恐ろしい悪鬼のように見えただろう。
 どんな大義名分を掲げても、自分が人を殺した事実は変わらない。
 少女にとっては、村を襲った山賊も、その返り血に塗れた自分も、同じように誰かの生命を刈り取った「恐ろしい存在」でしかない。戦場にあっては、敵を多く屠れば屠るほどに英雄と誉めそやされるけれども、それは結局、戦いを生業とする者達の世界でしか通じない理屈だ。
 血に汚れている者と、そうでない者と。
 そう世界を二極化すれば、自分は単なる殺人者に過ぎないのだから――。

 目の前で泣く幼子に触れることも出来ず、かといってその場を離れるわけにもいかず、ケントは途方に暮れる。
 その時、背後から馬の嘶きが聞こえてきた。振り向くと、見覚えのある馬が一騎、こちらに駆けてくるのが見える。
「いたいた。こんな所で何やってんのさ、ケント?」
 馬を止め、その背から降り立ったのは相棒のセインだった。
「……セイン」
「何、どうしたの?」
 無造作に近づいてきた碧の青年は、困惑顔の相棒とその横で泣いている少女とを等分に見比べ、ははあというような表情を浮かべた。
 全てを察した風に笑うと、セインは泣きじゃくる少女の傍らに屈み込み、明るい声で話しかけ始める。

「やあ、可愛いお嬢ちゃん。そんなに泣いてちゃ、せっかくの可愛い顔が台無しだよ?」
 見ていて憎らしくなるほど自然な仕草で、少女の柔らかそうな髪に手を伸ばし、セインはさらに言葉を続ける。
「ほら、もう怖くないよ。
 悪い奴は、お兄ちゃん達がみーんなやっつけてあげたからさ」
 優しく髪を撫でられる感触に、少女がしゃくり上げながらも顔を上げた。目線を同じ高さに合わせ、にこりと人好きのする笑顔を向けるセイン。
「ね? ほら、笑って笑って。
 女のコは、笑ってる方が絶対に素敵なんだから」
 セインの持つ独特の雰囲気には、どこか人の警戒心を和らげて親近感を抱かせる不思議な力がある。言っている内容は理解できなくとも、その愛嬌溢れる笑顔と優しい仕草が、少女の恐怖心を消滅させたようだ。少女の表情が目に見えて緩んでいくのが、傍で見ていたケントにもはっきりと解った。
「よし! じゃ、一緒に行こう。お母さんを探さないとね」
 にっこり笑ってセインが手を伸べると、少女は素直に立ち上がった。そしてあまつさえ、何の躊躇もなくその首もとに抱きついたのだ。
 あれほど怯えていた子供を、こうもあっさりと懐かせてしまうとは――これにはケントも、相棒の才能に感心せざるを得なかった。

 少女をひょいと抱き上げると、セインはケントの方を振り返る。
「賊どもは引き揚げたみたいだよ。村の人たちに報せて回らないとな」
「……ああ、そうだな」
 どこか複雑な響きを宿したその声に、セインは微かに片眉を上げたが、口に出して何かを言うことはしなかった。

 相棒の後に続いて愛馬の方へと歩きながら、ケントは誰にも気付かれないように、そっと左手を服に擦りつけた。





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