リキア同盟とサカ草原。
 この二つの地域を隔てる山地一帯は、ならず者達の巣窟としてその悪名を知られている。
 年々凶悪化する彼らの動向に、民の生活を守るのが勤めであるはずの領主ですら、最近では不干渉を決め込む始末だった。度重なる略奪によって周辺の村は荒れ果て、そこに暮らす人々は新しい住処を探すような余裕も無く、ただ日々を怯えて過ごしている。
 危険を顧みないほど道を急いでいるか、余程腕に覚えがあるならばいざ知らず、大抵の旅人は比較的安全な、山岳を回り込むルートを取るのが普通だった。
 ――そう、普通ならば。

「たった2人でここを通ろうたぁ、大した度胸だな。え、兄ちゃん達?」
 リキア同盟アラフェン領から、3日ほど東に行ったあたりの山岳地帯。
 そこでは目下、旅人の姿を目ざとく見つけた山賊達が、無謀な獲物を狩るべくその周りを取り囲んでいるところだった。リーダー格の男が、手にした斧をちらつかせながら嘲るような声を上げている。
「なぁに、大人しく出すもの出してくれりゃ、痛い目には合わせねぇでおいてやるさ。
 抵抗するってんなら、こっちもそれなりに歓迎させてもらうがなぁ?」
 周囲を囲む手勢は、ざっと10人ほど。対する相手の方は、馬に乗り武器を帯びてはいるものの、たったの2人だけ。例え抵抗されたところで、どうということも無いだろう。
 リーダー格の賊は余裕の表情で、獲物の反応を待った。命乞いの言葉が聞けることを、全く疑いもせず。

 はあぁぁ。
 しかし男の予想を裏切り、2人組の唇から零れたのは、何やらたいそう憂鬱そうなため息だった。

「……何回目かなぁ、これで……」
 うんざりした表情でぼそりと呟いたのは、生き生きと輝く灰緑の双眸が印象的な青年。やや癖のあるブラウンヘアーに縁取られた、甘く愛嬌のある顔立ちが気まぐれな猫を思わせる。
「違うパターンで出てきてくれれば、まだしも退屈しないのに。
 登場の仕方どころか、台詞回しまで一言一句違わないんだから……」
 旅人襲ってる間に、言葉の勉強すべきじゃない?
 やや大袈裟にも見える仕草で首を振り、青年はやれやれと肩をすくめた。

「な、何だとぉ?」
 あまりにも予想とかけ離れた獲物の反応に、男が思わず面食らっていると。
「おい、セイン。余計な軽口は慎めと言っているだろう。敵をわざわざ煽る奴があるか」
 2人組のもう片方――赤みがかった金茶の髪の青年が、直線的に整った眉を寄せて相方をたしなめる。
 年の頃は傍らの青年と同様、20をやや過ぎたあたりと見えるが、外見から受ける印象は随分と違っていた。引き締まった端正な容貌は見るからに生真面目そうで、琥珀の双眸はその冷静な思考を映してか、年に似合わぬ落ち着いた光を宿している。
「そういうケントだって、ずいぶん盛大にため息ついてたじゃないの。
 芸無さ過ぎーって、お前も思ったんだろ?」
「だから、思っていてもこの状況で口に出すなと言っているんだ」
 軽い口調でセインと呼ばれた青年が混ぜ返せば、ケントと呼ばれた青年が律儀に釘を刺す。長年の友人付き合いを思わせる息の合った応酬を、しばし呆気に取られて見ていた賊達は、そこで我に帰ってようやく怒りの声を上げた。

「こ、こいつら、下手に出てりゃあつけ上がりやがって……!」
「……誰が、いつ下手に出たって?」
 呆れたような表情で聞こえよがしに呟く青年に、怖れの色は全く見えない。それは、彼を横目で睨んだ金茶の髪の青年にしても同様だった。
 獲物の余裕めいた態度を目にして、山賊たちはますます色めきたつ。
「この……おいお前たち! 構わねぇから痛い目見せてやれ!!」
 リーダー格の号令一下、賊たちは武器を手に、2人の青年を取り囲んだ包囲網をじりじりと狭め始める。
「あれ、脅しが効かないとなったら実力行使?
 ホント、素敵にパターン通りって感じだなあ……」
「セイン、無駄口を叩いている場合か。応戦するぞ」
 呑気にすら聞こえる台詞を口にする青年をよそに、相方は既に腰の剣を抜いている。
 口元に不敵な笑みを浮かべ、セインはすらりと剣を抜き――
「はいはい。まあ、その方が話早くていいけど……ねっ!」
 身を捻りざま、抜き身のそれを横手の方へと投げ放った。
 直線軌道を描いて、右手にあった灌木の繁みに突き刺さる刃。馬首を返した青年が、その後を追うように駆ける。
「ぐぁっ!」
 悲鳴は、剣が飛び込んだ繁みの中から聞こえた。
 そこに走り込んだセインが、手にした槍を2、3度振るう。さらなる呻き声が上がり、重い物の倒れる音がした。

「何っ!?」
 まともに動揺を浮かべるリーダー格の男。
「やはり、伏兵がいたか」
 対して、相棒の行動に驚きもせず、小さく呟いたのはケント。

「周囲の敵に気を取られたところを、弓で不意打ち。
 悪くない策だけど……殺気丸出しだったから、すぐに解っちまったよ」
 苦笑すら浮かべ、セインが槍を一振りして構え直す。彼の攻撃によって、繁みに潜んでいた3人の賊は一瞬にして無力化されていた。
「確かに、素人なら騙せただろうな。
 まあ、俺達リキア騎士を相手取るには、ちょっと役者不足だったってトコか?」
 格別気負う風も無く、セインはそう言ってのけた。
 一口にリキア騎士と言っても、その内実にはかなりの差がある。精鋭と呼ばれるに相応しい実力を備えた者もいれば、騎士とは名ばかりの者もいる。この2人が、そのどちらの部類に属するか――それは、先刻の攻防を見れば明らかであった。
 無意識に後ろへ下がりながら、リーダー格の山賊はとんだ獲物を引き当ててしまった我が身の不運を嘆く。

 浮き足立った山賊たちを、たった2人の騎士が蹴散らすのに、さほど時間はかからなかった。


「噂には聞いてたけど……本っ気で治安が悪いところだな、この辺は」
 本日何度目かの山賊の襲撃を退け、セインとケント、2人のリキア騎士は再び山道を進んでいた。
「ここ一帯の山には、複数の山賊団が根城を築いていて、諸侯もおいそれとは手が出せないと聞いている。
 リキアの諸侯が協力し合い、本格的な掃討を行うなどということになれば、話はまた違ってくるのだろうが……」
 セインの感想に、目元に微かな憂いを刷いたケントが答える。
「そりゃあ無理ってもんじゃない? ただでさえリキアは一枚岩とは程遠い状態なんだから。諸侯のほとんどは、自分の領内守れれば御の字だと思ってるさ」
 肩をすくめつつ、セインが甘いマスクに似合わぬシビアな意見を述べる。他人事のような物言いに眉を顰めるが、その言が真実を突いていると解っていたから、ケントには返す言葉が無かった。

「に、してもさぁ……さっき倒した奴等で何度目だっけ? 山賊に襲われたのって」
 指折り数えるセインの仕草を、冷静なケントの声が止める。
「確か、今日は3度目だったか。この山に入ってからなら、ちょうど7度目になるな」
「……お前、よく覚えてるな……」
 相方の記憶力に舌を巻きつつ、セインはふうとため息をついた。
「しかし、こんな調子じゃ夜もおちおち休んでられないよな。
 ここらの村に、余所者を泊める余裕なんてあるとは思えないし……」
 風に遊ぶ前髪を指で払い、周囲に目をやりながら言う相棒に、ケントは生真面目な口調で言葉を返す。
「仕方あるまい。適当な廃屋でも見つけて、警戒を怠らぬように休むしか無いだろう」
 出来る限り早く、ここを抜けるのが最善なのだろうが――。
 その言葉に、セインががくりと肩を落とす。
「マジかよー……はあ、早く街に辿り着きたい……」
「何をだらしの無いことを言っている。任務はまだ始まったばかり――」
 ケントの小言めいた台詞が不意に途切れた。疑問に思うまでも無く、セインはその原因を既に悟っている。
 遠くから、微かに聞こえた声。

「――悲鳴?」
 セインが呟くと、ケントも沈黙のままに頷いて同意を示す。
 そして次の瞬間、再び響く音。先刻聞いたときには風鳴りかも知れないと思ったが、今度のそれは確かに人の声と判別がついた。
 2人の青年は無言で視線を交わし頷き合うと、躊躇うことなく馬腹に拍車を当てる。
 黒みがかった鹿毛の馬は、主人の意を即座に汲んで撓うように駆け出した。耳元で風が唸りを増し、彼等の対照的な色の髪をばらばらと掻き乱していった。





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