〜A month ago today.〜
「ほらあれだ、俺はさ。騎士たるもの女性に礼節を尽くすべしの精神に従ってだね、女性の方々に喜んでいただくため、日々研鑚を積んでるわけなのよ」
「ほう」
「そのおかげで、結構人のココロの機微だとかに詳しくなったわけでさ。まぁほら、これぞ俗に言う経験豊富な紳士ってやつ?」
「そうか」
「でお前さ、リンディス様のこと好きだろ?」
「………………は?」
今日も今日とて、相棒の他愛ない無駄話を気の無い相槌で流していたケントは、会話の脈絡を無視して突然放たれた問いに、思わず彼らしからぬ間の抜けた声を上げた。
「何を寝言を言っているんだこの馬鹿は」ときっちり顔に書いて振り返った青年に、相棒の騎士―セインはにやにやしつつ人差し指を立ててみせる。
「甘いねぇ。何年相棒やってると思ってる? この俺の目は誤魔化せないよ?」
まぁもっとも、とセインは楽しげな笑みをさらに大きくして続ける。
「お前の場合、解り易いから。多分俺でなくとも、気づいちゃうとは思うけどねー」
「……何が解り易いというんだ」
最初の衝撃からようやく立ち直って発した言葉は、しかし反論にも何もなっていなかった。
「大体、何処をどう見たらそんな話になる? 仕えるべき主人に向かって……不謹慎なのも大概にしろ」
不機嫌ここに極まれり、といった表情でケントは相棒の発言を諌めた。現在、修練場の中に自分達以外の者がいなくて良かったと思う。こんな会話を聞かれた日には、どうなることやら解らない。
「不謹慎? ふーんなるほど、不謹慎ねぇ……」
自重のカケラも見られない口調で呟きながら、セインは数歩、相棒へと寄った。右手を腰に当て、心持ち身を屈め、斜め下から上目遣いにケントの顔を覗き込む。
「一番不謹慎なのは自分だ、なーんて思ってたりして……ね?」
ぎくりとした。
「な……何を」
問い返した声が掠れる。
視界の中、口の端を吊り上げてニッと笑った相棒が、からかうように囁いた。
「そんな恋する男の目ぇしちゃって、今更ごまかせるワケないでしょ?」
「なっ」
思わず頬に手を当てる。
自分は一体、どんな目をしてあの方を見ていたというのだろうか?
ケントの心中で、戸惑いと焦りが交錯する。
――確かに最近、無意識に主たる少女の姿を目で追っていることが多くなったと自分でも思う。
最初こそ、それは家臣として主人の身を案じる気持ちからきている行動だと思っていた。しかし先日、戦場で相棒にその行動を指摘されて以来、自分の中にある疑問が生じたのだ。
自身の心情は、主人に対する臣下の忠節の範疇から逸脱してきているのではないか――と。
自分の行動が、純粋に主を敬愛する気持ちから来るものなのか、それとも別の感情に根差したものなのか……その手の経験の浅いケントには、その線引きが全く見えなかった。
「まぁ、無理ないよな。あれだけの器量を持つお方は、この大陸中捜してもそうそういるもんじゃない。
お美しくて、気性も真っ直ぐで、おまけにお強いときてる。お前が惚れたとしても、納得がいくってもんだ」
うんうん、と一人腕組みをして頷くセインに、険しかったケントの目元が心持ち緩む。
「うーん、惜しいな。実に惜しいけども……
相手がお前じゃ、ここは大人しく退くしかないね」
チャンスがあったら口説いちゃおうと思ってたのに、とセインは悪戯っぽく笑いながら肩をすくめた。そんな相棒の様子を見て、ケントの肩からふっと力が抜ける。
――この男は、いつだってこうだ。
悩みの相談だとか、打ち明け話などといったものは、例え親しい間柄であってもなかなか切り出せないものだ。特に、ケントのように生真面目で口の重いタイプの場合、悩んでいても大概自分ひとりの胸に秘めたままにしてしまう。
しかしセインは、その独特の雰囲気と冗談めかした喋りとで、自然に相手が胸に抱えたものを曝け出してしまいたくなるような空気を作り上げてしまうのだ。加えて、他人の心情を察するのが巧いから、非常な聞き上手でもある。
だから、ケントも彼には隠し事ができない。自分を気遣ってくれているのが解るから、ケントの方も全てを打ち明けようと思えるのだ。
「まだ――解らないのだ」
うん、と相槌を打ってくる親友から目を逸らし、ケントはぽつぽつと言を継ぐ。
「あの方を、主君として敬愛しているのは事実だ。
だが、純粋に忠誠のみかと訊かれれば――私には、頷ける自信が無い……」
俯く青年の表情を、金赤の真っ直ぐな髪が隠す。
「――俺はお前じゃないから、断言はしないけど。
でも、それってやっぱ、恋だと思う」
普段の悪戯っぽい笑いを引っ込め、静かな口調でセインが言う。壁にもたれて座り込んだ姿勢から、緑を含んだ灰褐色の双眸がケントを見上げた。
「ま、焦んないでいいって。そういうのって、ある日突然解っちゃったりするもんだから、さ」
普段の軽さとは微妙に違う、どこか真摯なものを内包したその言葉に、ケントは顔を上げた。そして、ゆっくりと頷く。
「――そうかも、知れないな」
「……よし!」
突然元気な声を上げて、セインが立ち上がった。訝しげにその様子を見るケントに、いつもの悪びれない笑顔を向ける。
「ここはひとつ、この俺がお前に恋愛のコツってものを伝授してやろうじゃないか!」
「……何?」
面食らった表情の相棒をよそに、さらにセインが続ける。
「まぁ任せとけって。リンディス様のお心をバッチリ射止められるよう、特別レッスンしてやるからさ」
「お、おい、待て……」
主君の名を出された途端、目元のあたりを紅くして狼狽えるケント。あまりにも解り易すぎる反応だが、幸か不幸か本人はそのことに気づいていないらしい。
「だってお前、そーいうの苦手だろ? 今まで女性とお付き合いしたことないって言うし」
「いや、それは……そうだが」
歯切れの悪い口調で消極的な肯定を示す友人を見て、セインは悪戯を思いついた子供のような笑みを浮かべる。
「んーでも、ただ教えるんじゃつまんないな。
―そうだ、ひとつ賭けでもしてみるか」
「……賭け?」
柳眉を寄せる青年の眼前に、セインが人差し指をぴっと突き出して見せた。
「お前が見事、リンディス様の心を射止めることができたら、礼として一杯奢ってもらう。OK?」
戸惑ったように見つめてくる琥珀の双眸に、セインは人差し指の陰からニッと笑ってみせる。どこか気まぐれな猫を思わせる、いたずらな眼差し。
「あ、もし万が一ダメだった時も、とりあえずレッスン料として奢ってもらうからよろしくー」
抜け目無く付け加えられた一言に、ケントは呆れた表情で溜息をつく。
「……何だそれは。どちらにしろ私が奢ることになるのなら、賭けとして成立していないではないか?」
「あれ、そう? まあいいじゃないか、教えてやったことには変わり無いんだしさ」
カケラも悪びれたところのないその態度に、渋い表情を浮かべていたケントも思わず苦笑を零す。
「……まったく、お前は……」
友の好意を信じてやまない、素直な心根がその笑顔には表れていた。
そんな親友に、セインも微笑み返して――
微かに、唇の端が引き攣れるのを自覚した。
……少しだけ、胸が痛む。
そう、彼は何も知らない。
自分が、何を思ってその背中を押したかも。
冗談めかして言い出した賭けの裏で、同時にもうひとつ、本気の賭けが行われていたことも。
※
(もし、お前があの方の心を手に入れられたなら)
笑顔の裏で、もう一人の彼が呟く。
その時は、ただ友人として恋の成就を祝福しよう。
けれど、もしもお前がしくじったなら……その時は。
(その時は、俺がお前をいただくよ――?)