幕間 〜In the present .〜


 灯りすらつけない部屋の中、グラスの縁がうす青く光る。
 今宵は、月の無い夜。ただ微かな星明かりのみが、テーブルと椅子と、頬杖を突く彼の影とを床に浮かび上がらせていた。

 何とはなし、ただ手すさびに、卓上に散らばったコインを一枚摘み取ってグラスに放り込む。

 迷路のような波紋を描き、鈍色に光るそれはゆっくりと水底へ落ちてゆく。
 既に何枚か沈んでいたコインの上に、新たに投入された一枚が舞い降りる微かな音。せり上がった液面が、透明な玻璃との境界で今にも零れ落ちそうに揺れた。

 星の紛れを映す波――ゆらめきに誘発され、呼び覚まされる……昔の記憶。



 ――初めて会ったのは、キアラン騎士隊の訓練学校に入学するための試験を受けに行った時。

 最初に見た時は、まるで大人の模造品みたいな奴だと思った。
 真っ直ぐな琥珀の眼差しも、甘さのかけらもなく引き結ばれた口元も、全てが子供らしからぬ……全体的に、ひどく大人びた印象の少年。
この場にいるからには自分と同じ年齢のはずなのに、その落ち着き払った挙措は彼を周囲の者より二、三歳は年上に見せていた。
 見るからにお堅い優等生といった雰囲気に、進んでお近づきにはなりたくないな、とその時の自分は思った。風紀委員あたりがこの上なく似合いそうな、自分みたいな怠け者にとっては居るだけで煙たい存在。

 ――有り体に言ってしまえば、苦手なタイプの人間。
 彼を見た自分は、その時そう判断したのだ。


 だが最終科目の実技にて、修練用の木剣を手にした彼が対戦相手と対峙するのを目にした瞬間――その印象は一変する。

 きちんと誰かに手ほどきを受けてきたのだろう、その構えはすらりと自然で、半ば我流の自分には到底持ち得ぬバランスを保っていた。「始め」の合図に踏み込んで振るった剣の軌跡ひとつを取っても、無駄な動きがほとんど見られない。
 そして何より目に焼きつくのは、研ぎ澄まされた一対の琥珀の輝き。
 ひたむきに前を見つめ、心底から真剣に―全霊を賭けてこの一戦に臨む精神を痛いほどに感じさせる、その瞳。


 ――綺麗だ、と思った。


 同性に、ましてや同年代の少年に対して、そんな風に感じたことなど一度も無かった。異性に対してすら、そんな形容を使った覚えは無い。
 だが、その時視線の先にいた相手に対しては、何故か……とても自然に、そう思えたのだ。
 無駄な修飾など一切つかない、たった一つの形容詞。それ以外の感想は、不思議と思い浮かばなかった。


 かの少年が放つ煌きに、好奇心を強く刺激される。
 自分には無い、どこまでも真っ直ぐな……その輝き。

 まだ14歳だった自分には、何故それほど彼に惹き付けられたのか、その理由は全く解らなかった。
 だがそれでも、決して良くなかったはずの第一印象は、唐突に飛び込んできた輝きに、完全に払拭されてしまっていた。
 心を占めるは少年への興味と、彼に近づいてみたいという、好奇心とも欲求ともつかぬ気持ち。


 実技を終え、非の打ち所の無い礼をする少年の横顔を見ながら、自分は不意に思ったのだ。

(よし、あいつと友達になろう!)
 唐突に――本当に突然に、そう決めていた。


 それからというもの、とにかく彼の傍らに寄り、何くれと無く話しかけるのが日常となった。
 実技試験で彼が見せた輝きに目を留めたのは、どうやら自分だけであったらしい。加えて、この少年が性格的に人付き合いを得手としていないこともあって、彼と積極的に交流を持とうとするのはほぼ自分一人だった。

 当初は、申し訳程度の反応しか返してもらえなかったのを覚えている。
 それでも、無駄なことだとは思わなかった。自分に向けられる瞳に浮かぶ感情は、嫌悪ではなく戸惑いだと解っていたから。
 それに、口下手で不器用な彼が返してくる半ばパントマイムのような反応は、口先だけの付き合いに慣れていた自分にはとても新鮮で――楽しかったのだ。
 戸惑いながら、時には呆れながら……それでもそうやって、彼は少しずつ自分に心を開いていってくれた。その様が、何だか無性に嬉しかったことも覚えている。


 ――それが、全ての始まり。


 あれから、十年近い年月を共に過ごしてきた。

 互いに信頼する相棒として、戦場を駆ける中で解ったことがある。
 彼があの時見せた輝き……それは、戦いの中にしか存在しない美しさだ。
 構えや剣の振るい方など、技術的な外面が整っているというだけの話ではない。それならば、彼より優れている者などそれこそいくらでもいるのだから。

 自分が目を奪われたのは、彼を包む空気そのもの。
 己の信ずるもののために戦う時にのみ、炎のごとき輝きを放つ。強い意志を内に秘め、自身の命を賭けるという逆境の中でだけ、立ち表れてくる美しさ。
 それは言わば、その者の持つ魂の色の具現であり、それ故に見る人の心を打つ力に溢れている。


 ――自分の傍らで剣を振るう青年は、今もあの時と変わらず綺麗だ。
 それは、生きるために獲物を狩る肉食獣の姿が、ある種の美しさを感じさせるのに似ている。何ら飾ることのない、ただ自然のままに在る輝き。
 誰よりも騎士に相応しいと評される親友が、本当は誰より争いを嫌い、迷いながらも必死に割り切ろうとしていることを知っている。だが皮肉なことに、彼が戦いを厭えば厭うほど、その魂は戦場に在って精彩を増し、嫌が応にも人の目を惹きつけるのだ。
 悲壮なほどの真摯さで立ち向かうからこそ、その姿は美しいものとなることを、彼自身は知らない。

 足掻いて、迷って、傷ついて。
 それでもただひたむきに、己の信ずるもののために前を見つめることを止めない。不器用なまでに正直な……その在り方。

 思えばあの時、不器用な少年が内に秘めた可能性に気づいてしまった瞬間にも、この未来は決まっていたのかも知れなかった。


幕間 〜yesterday〜


 戦闘後に訪れる、束の間の休息。

 佇む相棒の斜め後ろに立ち、どこか遠くを見る琥珀の瞳を追ってみる。
 その視線の先、家三軒分ほど離れた向こう側には――

 見るからに仲睦まじい様子で言葉を交わす、主と仰ぐ少女とオスティアの候弟たる青年の姿があった。


 無言で視線を動かし、親友の後ろ姿を見る。
 見慣れた背中は、いつもよりも少しだけ小さく……寂しそうに見えた。



 ――誰にも何にも、囚われない自信があったのに。
 気がついた時には、もう捕まってた。

 何でまたよりにもよって、男なんかに惚れちゃったんだろうね。
 ……もしかして俺、真性ヤバいヒトだったりして?


 だけど最近、思うことがある。
 男だとか、女だとか――そんなの本当は、大して重要な問題でもないんじゃないか、って。

 どんなに信じ難くっても、どうやら俺はあいつのことが本気で好きみたいで……だったら否定するだけ労力のムダってもの。好きになっちゃったものは仕方ない、うん。


 自他共に認める「女のコ大好き」なこの俺に、こんな風に思わせちまうなんて。
 ――まったく大した奴だよ、お前は。

 もうさ、自尊心コナゴナって感じ?
 今まで俺がちまちま積み上げてきたもの、あっさり根底から崩してくれちゃって。
 どうしてくれますかねぇ、まったく?


 ――だけど。

 プライドだとか、アイデンティティとか……そーゆう譲れないはずのものを譲ってでも、あいつの一番近くにいたい。
 馬鹿げてると思うけど、自分でもどうしようもないんだから困ったもんだ。


 ――お前が欲しいよ。


 ……病気だね。しかも末期。






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