数日が過ぎた。

 試合を終えて控え室に戻ってきたアイクは、肩に担いでいたラグネルを下ろして一息つく。
 いつもなら、試合の後は大体すぐに自室へ戻ってしまうのだが……。
 壁の掲示板に貼られた予定表――次の試合の欄にある名前を見つけ、しばし考える。
 そして再度得物を担ぎ直すと、青年は出てきたばかりのステージへと取って返した。

 熱狂と歓声に満たされたスタジアム。
 その観客席の一番後ろに立ち、アイクは今まさに試合開始の合図が響こうとしている舞台を見下ろした。
 ファイターとしてでは無く、観戦客側としてここに居ること自体は特に珍しくない。
 いつ、誰と当たるか解らないのだから、他の参加者達の戦い方を常に研究しておく必要がある。それに、他者の戦いを客観的に見ることは、自身の技術向上のためには欠かせないとアイクは考えていた。

 ――しかし、ある特定の相手を目的として試合を観に来るのは、彼の中ではあまり前例の無いことだった。

 今回は、二分間のタイム制乱闘。
 試合開始の合図と共に、一斉に動き出す選手達――その四名のうち、アイクの視線はただ一人を追っていた。

 鋭い太刀筋と、流れるような身のこなし。
 一見、その動きは普段と変わらないように見える。
 だがいつもの彼に比べ、それが明らかに精彩を欠いていることに、アイクは気づいていた。

 ――力を込めた剣の一撃をガードされた。
 普段なら、ああも読みやすいタイミングで放つことはしないはず。

 ――脇も甘い。
 今のは十分、カウンターで返せたはずの間合いだ。

 ――読みが周りに追いついていない。
 そんな無防備な体勢で居たら……ほら、撃墜された。

 残り時間が十秒ほどになったあたりで、アイクはカウントが聞こえ始める前に踵を返し、ステージに背を向ける。
 ――結果は、観なくとも解っていた。



 自室に戻って最初にすることは、大概いつも愛剣のメンテナンスだった。
 今日もその習慣に従い、マントを外すなりすぐに手入れを始めた――のだが。
 どうにも、作業は遅々として進まない。
 脳裏にちらつくのは――先刻観覧席から眺めた乱闘。
 刀身を磨いていた手を止めると、アイクは胸の奥から息を吐いて濃青の髪を掻き毟った。

(――俺らしくも無い、な)
 珍しくも、自嘲気味にそう独りごちる。

 数日前――様子のおかしい友人に事情を訊こうとして拒絶されたあの日以降、二人の間には微妙な空気が流れていた。
 干渉を拒んだ向こうは当然として、アイクの方からも積極的に近づくことはしなくなり……自然、二人が共に居る時間は減っていった。
 普段の生活や乱闘時など、必要であれば至って普通に接している。他者から見れば、特に何も変わりないように見えるかも知れない。
 だが、必要の無い時には進んで相手に関わろうとしなくなったことで、彼らの間には、どこかよそよそしい空気が流れるようになっていた。

 ――別に、それで良いはずだった。
 相手が望んでいないのだから、手を差し伸べてもかえって迷惑になる。これ以上の干渉はすべきで無いと、アイクも解っていた。

 なのに。
 ――未だに、彼のことを気にかけている自分が居て。
 それがとても不思議で、らしくないと感じるのだ。

 自身が成長するのに必死で、そんな余裕が無かったというのもあるが、元々他人にはあまり干渉しない質だった。
 人間誰しも、触れられたくないことのひとつやふたつはある――他ならぬ、アイク自身とて。
 近しい者が悩んでいれば、それを取り除くべく手を差し伸べることを躊躇いはしないし、実際にそうしてきた。
 だが、拒絶されてなお――これほど相手を気にかけることなど、今までは無かったはずだ。

 何故だろうと考えても、答えは一向に出なかった。
 ……否、そもそもその理由を求めようとする行為自体、果たして意味があるのかすら解らない。
 それでも、彼を放っておけないという思いは、疑いようも無く自身の内に在って。
 だからこそ、アイクは戸惑っていた――それほどに強い関心を、肉親以外に対して抱いたことなど今まで無かったから。


 溜息と共に、再び剣を磨き始めたその手が、不意にぴたりと動きを止める。
 訝しげに眉を寄せ、アイクは肩越しに部屋の扉を振り返った。

 ――誰か、居る?
 気配を殺しながら立ち上がり、足音ひとつ立てずにドアへと近づく。
 耳を澄ませると、微かにだが明らかに複数人と思われる話し声が聞こえてきた。

 ――やっぱ……やめよ……
 ――、こまで来て……るわけには……
 ――れなら……先に行っ……

「……」
 しばし無言で扉越しの気配を探っていたアイクだったが、おもむろにノブに手をかけ、一気に引き開ける。

「うわぁ!?」
「えっ!?」
「ひゃっ……」

 いきなり開いたドアに引きずられるように、ばたばたっと折り重なって倒れ込んだ三つの人影――ネスにリュカ、そしてポケモントレーナー。
「……何をやっているんだ、お前達」
「あ……え、えへへ……」
 疑問と呆れが半々といった顔で仁王立ちする青年を見上げ、ネスが照れ笑いを浮かべる。
 立ち上がろうとする三人に手を貸してやりながら、アイクは彼らに向かって尋ねた。
「それで、俺に何か用があるのか?」
「えっと……その……」
 問われた三人はちらちらと目を見合わせ、催促するようにお互いをつつき合う。
 そんなやり取りをしばらく続けた後、埒が明かないと思ったのだろう。ネスが思い切ったように一歩前へ出て、アイクを見上げた。

「ねぇ、アイクさん。
 マルスさんと……何かあったの?」
「……何?」
 予想外の質問に面食らう青年に、ネスは真剣な表情で言い募る。
「だって最近、二人が一緒に居るところ、見なくなったから。
 もしかして、ケンカでもしたんじゃないかなぁって」
「……」
 微かに困った表情を浮かべ、アイクはがりがりと硬質の髪を掻き回す。
 喧嘩と言えるかどうかは微妙なところだが……ある意味仲違いのような状態にあることは確かだ。
 皆の前では、こちらも向こうも今まで通りに振る舞っていると思っていたのだが、彼らはその微妙な空気の変化を敏感に察知していたらしい。
 ――考えてみれば、何かとよく行動を共にしていた者が突然そうしなくなれば、不審に思うのも当然か。
 子供達にまで気を遣わせてしまって、申し訳ないことをしたと思いつつ、アイクが返す言葉を模索していた時。

「……あのっ」
 それまでじっと黙っていたリュカが、思い切ったように口を開いた。
「余計なこと言っちゃって、ごめんなさい。
 でも……僕達、アイクさんもマルスさんも、二人とも大好きだから。
 だから、仲良くしていて欲しいんです」
「……!」
 遠慮がちな、しかしどこか決意を秘めたリュカの言葉に、アイクは濃藍の双眸を見張った。
「そうですよ。
 二人がよそよそしくしてるのを見てたら、僕らまで寂しくなります」
 そうポケモントレーナーが言えば。
「マルスさんも最近、あまり遊んでくれなくなったし……
 それに全然笑ってないから、すごく心配で」
 いつも元気な笑顔のネスも、表情を曇らせながら肩を落とす。

「――そうか。
 皆、ありがとな。心配してくれて」
 紫藍の双眸を柔らかく細め、アイクは床に片膝をついて少年達と目線を合わせた。
「大丈夫だ。俺達は別に喧嘩したわけじゃない。
 少し……すれ違いがあっただけだ」
 諭すような口調でそう告げて、三人の頭を順番にくしゃりと撫でる。
「安心しろ。ちゃんとマルスと話して、全部元通りにする」
 その言葉に、子供達は不安と期待が入り交じった表情で視線を交わし合った。
「……ホント?」
「ああ、約束する」
 もう一度三人の頭を撫でてから、アイクは立ち上がり、そして決意する。

 ――もう一度、彼と話をしてみよう。

 このままでは、結局何も変わらない。
 マルスは独り悩みを抱え続けるだろうし、そして自分はそんな彼を気にせずにはいられないだろう。
 過干渉を恐れて遠巻きに眺めていても、何ひとつ解決せず、誰ひとり幸せにならぬ。それが明白である以上、ただ座して待つ気にはなれなかった。
 それに、自分達が中途半端な状態にあるせいで、周囲の者に心配をかけていることも解ったから。
 それはアイクの本意では無かったし、おそらくマルスとて思いは同じはずだ。

 白黒はっきりつけぬままに日和見など、おおよそ自分の柄では無い。
 迷うのならば――行動あるのみ。


 子供達を帰らせた後、青年は再び己が剣に相対する。
 念入りに刀身を磨き上げるその手つきに、もはや迷いは見えなかった。





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