抜けるような青空の下を、人々の列が厳かに進んでゆく。
 先頭に立って歩く、白い法衣の修道士。聖女エリミーヌの祝福を受けた白銀の燭台に、現世を離れ逝く魂を導くための灯火が揺れる。
 整然と並び進む人々――手に神の聖印を握り締める者、祈りの言葉を呟いている者。その行動は様々なれど、白い衣を纏い、俯き加減に歩を進めていることだけは皆同じだった。

 静謐な歩みに、哀しみを滲ませた人の群れ。
 そんな彼らの想いは、ただ一方――前を行く、白い布を被せられた匣(はこ)へと向けられていた。

 不帰路を辿った、親愛なる者へ。
 悲嘆と慟哭を祈りに潜ませ、白い葬列は緩やかに墓地へと進んでゆく。


 街外れへと向かう道の上、ケントは足を止めてその光景に見入っていた。
 眩しく穏やかな蒼穹の下、白く染め抜かれたその群れはあまりにも哀しく、それでいて見る者の心を打つ清廉さに溢れている。
 遠く――いつかどこかで見た懐かしさ。
 きらめく陽光に軽い既視感を覚え、青年は目を細めてかぶりを振った。

「ケント?」
 名を呼ばれ、肩越しに半分振り返る。
 斜めに見た視界で、親友であるセインの見慣れた顔がこちらを見つめていた。開放的な明るさと聡明さを合わせ持つ、灰緑の双眸。
 再び視線を戻したケントが、前を見たまま静かに呟く。
「……少し、思い出していた」
 何を、とは言わなかった。相手の目を見て、既にセインが自身の内心を見通していることを解っていたからだ。
 お喋りな相棒にしては珍しく、返る言葉は無かった。代わりに、ケントの視線を追って彼が見ている光景に目を向けたのが、気配で解る。

 いま現実に見ている景色に、記憶の中の心象風景が重なった。時は融けあい、境界は無くなって、還ってゆく――いつかの過去。
 込み上げる郷愁と淡い痛みを追って、琥珀の瞳がゆっくりと閉じられた。


 白い葬列は、ゆっくりと青空の下を進んでゆく。


 この日の朝は、抜けるような快晴だった。
 数年前から住まなくなった家――その玄関先で、ケントは弔辞を述べに訪れる人々に頭を下げていた。襟の高い黒の礼装を纏ったその姿は、落ち着いた挙措と相まって本来の16歳という年齢よりも大分上に見える。
 また一人、懇意にしていた知人と挨拶を交わし、青年は伏せていた顔を上げた。さらりと流れる、赤みがかった金茶の髪。黒衣の胸で、エリミーヌ教のシンボルを象った銀のペンダントが揺れた。

 訪れる人が途切れた合間に、ケントは街並みの向こうに広がる空へと視線をやった。
 その手が、無意識に胸の聖印へと触れる。


 最期の瞬間を看取ることも、手を握っていてやることも出来ず。
 その死の報せのみが、ただ速やかに彼の元には届けられた。

 キアラン騎士隊で訓練の日々を送っていたケントの元に、祖母が亡くなったとの知らせが入ったのは2日前のことだった。
 事情が事情のため、休暇の許可はすぐに下りた。ケントは城下にある実家へと戻り、現在、悲しみに暮れる間も無く様々な用事に追われている。
 騎士だった父親は既に亡く、祖母が逝去した今、家に残されたのは母ただ一人。
 若くしてこの家の主となった青年は、精神的に大きなショックを受けているであろう母親の内心を慮り、彼女に代わって葬儀に関わる一切の雑事を一手に引き受けていた。祖母の死に衝撃を受けているのは彼自身も同じことだったが、用事に追われていた方が何も考えなくて済むから、むしろ楽だ。
 ――こうして仕事が途切れてしまえば、嫌でも悲しみを自覚せずにはいられないのだから。
 ケントは琥珀の双眸で、暫しぼんやりと遠くの空を眺めていた。

「――ケント」
 横合いから、不意に声がかかったのはその時だった。
 名を呼ばれて我に返る。視線を巡らせると、少し離れた場所に立つ人物に気づいた。
 こちらを見つめている、その見慣れた明るい緑の眼差しは。

「セイン……!?」
 驚愕に目を見開くケント。本来ならこの場に居るはずのない、よく知った顔が笑いかけてくるのを意外な心地で見つめる。
 立っていた扉の前を離れ、ケントは親友と呼べる間柄の青年に早足で歩み寄った。
「来てくれたのか」
「ん、まあね。ちょうど休暇も余ってたしさ」
 一日だけ、抜けることにした――そう言って、セインは事も無げに笑った。
 今日は休日ではないから、騎士見習いの立場にある彼らは本来ならこの日も訓練のはずである。よって、ここへ来るためには休暇を申請して受理される以外に方法は無い。ケントは納得すると同時に、自分のために貴重な休みを使わせてしまったことを申し訳なく思った。
「そうか……わざわざすまない」
「いいってこと。俺が来たかっただけなんだから」
 訓練サボる、格好の大義名分だしね。
 そんな風に言ってふざけて見せるセインに、ケントは我知らずあえかな苦笑を口元に刻む。その言い草が本心からのもので無いことは、柔らかく細められた灰緑の双眸を見れば明らかだった。

 葬送の儀の際には、死者の親族は黒い衣を、参列する者たちは白いそれを身につけるのが慣例となっている。亡くなった人物に近しい者は黒衣で哀悼の意を表し、周りの人間はエリミーヌの慈悲を象徴する白を纏ってその哀しみを包む――そういう意味が、その慣わしには込められているのだという。
 その慣習に則り、この日セインは白い上衣を身に着けてきていた。膝上辺りまである、丈の長いサーコートに、下は黒い細身のスラックス。ただ一度だけ、キアラン騎士隊に入る際の従騎士位の叙勲式で使った典礼用の装束だ。
 見慣れない装いのせいか、普段の悪戯小僧のような明るさはなりを潜め、一転してどこか大人びた雰囲気さえ漂っている。その様は、日頃彼の気紛れな言動に慣れているケントを少し戸惑わせた。
 そんな親友を見て、セインは猫を思わせる瞳に笑みを刷く。
「なんか、見慣れなくて妙な感じだけど……悪くない」
 その台詞が自分の喪服のことを指しているのだと気づき、ケントはまた読まれたな、と思った。
 この青年は、たびたびこんな風にケントの思考を読み取ったような発言をすることがあった。ケントがあまり表情が豊かな方とは言えず、感情が表に出にくい性質であるにも関わらず、である。
 単なる当て推量なのか、本当に聡いのかはまだ判断しかねるところだが、セインがただ軽薄なだけの人間でないことだけは確かだ――ケントは内心でそう思っていた。

「はい、これ」
 友人を家の中へ導こうとしていたケントに、前振りも無く突然ぽんと渡されたのは、純白の花弁が眩しい小さな花束。細い茎を束ねた根元に、純白と漆黒、2本の飾り紐が結んである。
「ホントはお前じゃなくて、お前のお母様に直接お渡ししたいところなんだけどね。
 はあ、あのお美しい顔が悲しみに曇っているかと思うと……全身全霊を込めてお慰めして差し上げたいねぇ、うん」
 大袈裟な仕草で首を振る親友を、ケントは呆れた表情で見やる。
「お前は……友人の親までそうやって口説く気か?」
「まぁ、今なら問題ないかな? ……って、冗談だよ。
 確かにお前の母上はお美しくて素敵だけど、いくら俺でも、お前に父親呼ばわりされるのはちょっと勘弁だから」
 どこまで本気なのか、冗談と本音の境界が見えにくい言い回しはこの親友の特徴だ。
 ニッと笑って肩をすくめるセインに、ケントは眉を寄せてため息をつく。
「言っていろ。全く……相変わらず不謹慎な奴だ」
 お決まりの反応に、セインは声を立てて笑い――ふと突然それを収めた。

「なあ。俺、来ない方が良かった?」
「……何?」
 唐突な質問に、ケントは少なからず面食らう。
 目の前には、つい先刻まで下らない冗談を言って笑っていたとは思えないほどに真面目な瞳があった。

「ほら、俺って存在自体が不謹慎って感じだし、あんまりこういう場が似合わない自覚あるから。
 来られても、お前はいい迷惑かなって。そう思ってさ」
 神妙な表情で言い出した親友に、ケントは驚きを禁じえなかった。
 セインは明朗快活を絵に描いたような性格の持ち主で、人懐こく親しみやすい印象を周囲に与える。華があるとでも言うのだろうか、生まれながらにして人を惹きつける魅力があり、その軽薄な言動さえ慎めば女性の人気も容易に勝ち得るだろう。少なくとも、ケントはそう思っている。
 ――そんな彼が、笑顔の裏でそのようなことを考えていたとは。
 あまりそういったことで悩んだりするようには見えなかったため、ケントは意外に思うと同時に、自分とは正反対だと思っていた彼に、少しだけ親近感を覚えた。

「――いや、そんなことはない」
 ケントは小さく、しかしはっきりとした声で否定した。
「来てくれて、感謝している」
「そっか。そう言って貰えると嬉しいな」
 どこか照れた風な表情で笑ったセインを見て、ケントもここ暫くの間浮かべていなかった、穏やかな微笑みを僅かに垣間見せていた。





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