昼過ぎに家を発った葬列は、荘厳な静寂を引きずって街外れの墓地へとたどり着いた。
 白い墓標が並ぶ共同墓地——その端に掘られた真新しい穴に、ゆっくりと棺が下ろされる。
 参列者達の黙祷が終わるたびに、棺の上へと花が投げ落とされていった。
 純白の花弁で棺の蓋が見えなくなる頃、遺族である青年と彼の母親とが最期の別れを済ませ——

 そうして死者は、土に還る。
 土が被せられ、白い棺と花の群れが徐々に隠されていくのを見ながら、青年はどこか醒めた意識で離別の祈りを捧げていた。

 晴れていたはずの空には、次第に陽の光を覆う雲が広がり始めていた。




 主を失った部屋は、ひどく閑散としていた。
 祖母はもともと私物を多く持つ人ではなかったから、調度の類も必要最低限しか置かれていない。扉を閉めて部屋に入ったケントは、白い布の掛かった寝台に広げられている遺品に目を留めると、その傍らに腰を下ろした。
 申請した休暇は今日までだったから、明日の朝にはいつも通り訓練に出なければならない。騎士隊の宿舎へ戻る前に、少しでも母の手間を少なくするために片づけをしておきたかった。

 外では、音も無く霧雨が降り出している。

 未だに信じられなかった。
 あの優しかった祖母が、死んでしまったなどと。

 胸の奥にぽっかりと、大きく暗い穴が空いたような感じがする。
 形無いからこその虚無。輪郭は見えなくとも、確かにそこに存在している感情。
 実感は無くとも、祖母の死によって彼の中の何かは確かに喪われ、それは二度と蘇ることは無い。ひとたび死を迎えた人間が、決して甦ることの無いように。
 哀しみとは、きっとこういうことなのだ——ケントはぼんやりと、そんな風に思った。

 ひとつ息を吐き出して、ケントは顔を上げ——琥珀の双眸を見開く。

 彼の視線の先、籐で編んだ椅子にゆったりと座る女性の姿。
 そして、その傍らに立つ、十歳前後と見える少年。


『おばあさま、頼まれていた買い物です』
 子供らしからぬ礼儀正しさで、抱えていた紙袋を差し出した少年に、女性は優しく微笑みかける。
『まあ、ありがとう。一人で大変だったでしょうに』
『いえ、大丈夫です。それでは失礼します』
 一礼して早々に立ち去ろうとする少年を、穏やかに呼び止める声。
『お待ちなさい、疲れたでしょう? お菓子があるから、食べていきなさいな』
 お茶を淹れましょうね、と椅子から立ち上がる祖母の姿に、少年はちらりと困惑の色を刷く。
『あ、いえ……まだ、午後の課題が残っているので……』
 勉強に戻らなければ——。
 律儀にそう告げた少年を、淡いブルーの瞳が見つめる。細かな皺に縁取られた瞼の奥で、案ずるような、愛おしむような光が瞬いた。
『そう……でも量が多くて、私だけでは食べられないの。
 それに、一人で食べるのは寂しいわ。だから、一緒に食べてはくれないかしら?』
 そう言って、彼女はどこか悪戯っ子のような笑顔を浮かべる。どういう言い方をすれば、この生真面目な性格の孫を甘えさせることができるか……彼女はそれをよく知っていた。

 案の定、少年は躊躇いながらも首を縦に振った。
『はい……そういうことであれば……』
『ふふ、ありがとう。さ、そこにお掛けなさい』
 少年を椅子に座らせると、彼女は自ら茶器を手にとって香草茶を淹れた。
 遠慮がちな動作で甘い焼き菓子を頬張る孫に、彼女はゆっくりと歩み寄る。皺の目立つようになった白い手が、赤銅色の髪を優しく撫でた。
『ねえ、不自由はしていない? 何か欲しいものはある?
 私に出来ることならば、何だってしてあげたいの』
 どう答えるべきか戸惑う少年を、柔らかく抱きしめる両の腕。
 だって、と彼女は笑って言った。

『それが、家族というものでしょう——?』


 彼にとって、祖母はこの世でただ一人、自分に甘えることを許してくれた存在だった。
 騎士であった父親は、城勤めのためにほとんど家にいなかった。一家の主の不在は、その跡取りである息子に、早熟な思考と自らの立場の自覚を強いることとなった。
 少年が物心ついた時には、自分が留守がちな父に代わって家を守らねばならないという使命感を既に持っていた。生来の真面目な気性も手伝い、彼は忠実にその役目を果たすべく努力した。
 職務を立派に果たしている父を、心細さを表に出さずその留守を守っている母を、困らせるわけにはいかない——子供心に、彼はそう誓っていた。

 子供にあるまじき分別を備えた少年に注がれるのは、両親の満足げな視線。
 たまに家へ帰ってくると、父は彼に剣術の手ほどきをし、立派な騎士になれと教えた。その光景を、温かい眼差しで母が見守る。
 幸福な家族の理想的な縮図がそこにあると、誰もが信じて疑わなかった。

 幼い子供に付き物の我がままも一切言わず、親に甘えることもなく。
 『親の手を煩わせない、しっかりした子供』
 気がつけば、彼は周囲からそう認識されていた。


 そんな少年の様子を、彼の祖母はいつも気にかけていた。
 子供らしく振舞えない子供が、無理をしていないはずなどない——彼女はそのことを知っていた、唯一の賢明なる大人であった。

 物心ついた時から大人の「レプリカ」だった彼が、唯一本来の子供の姿で居られる場所……それが、祖母の隣だった。
 どんなに少年が断っても、彼女は何やかやと理由をつけて、遊びや休憩の時間を作ろうとした。勉強の途中だろうが家の用事が残っていようがお構いなく、ただ少年を甘やかそうとした。
 彼の方も、そんな祖母の行動に表向きは困惑していたけれど……本当はとても、嬉しかったのだ。
 祖母と過ごしている時だけが、彼にとって唯一、等身大の自分でいられる瞬間だった。

 両親のことは大切だし、愛している。
 この生き方を選んだことを、後悔もしていない。
 それでも。
 自分にとって、祖母の存在が救いであったことだけは、厳然たる事実。

 聖女の慈悲そのもののような腕に抱かれながら、少年はそっと、頭を優しい胸に預けて目を閉じた——


 目の前に在るのは、歪曲した時間が生み出した幻。
 現実ではありえないけれど、過去には確かに現実であったはずの光景。

 ああ、とケントは思う。
 あの少年は、幼かった頃の自分だ——と。





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