2. 兆し



 世界を救った英雄の妹の婚礼とあって、会場には種族問わず多くの賓客が訪れていた。
 その数、到底砦の敷地内に収まる規模ではなく、砦の外にも大勢の客達が詰めかけている。懐かしい顔と談笑する者、芸を披露して場を沸かせる者、料理に舌鼓を打つ者――皆それぞれが思い思いにこのめでたき宴を満喫していた。

 所々に配置されたテーブルには、オスカーが腕を振るった料理が並べられている。それに群がる人垣の合間を縫って砦の外に出たアイクを、力強い声が呼び止めた。
「よう、アイク!」
「――ティバーン?」
 歩み寄ってきた大柄な男――背中にある一対の羽。その姿は紛れもなく、フェニキスの鷹王ティバーンその人に間違いなかった。

「久しぶりだな。妹が結婚だって? めでたい限りじゃねぇか!」
 気さくな調子でばしんとアイクの背を叩き、ティバーンは豪快に笑う。
「鳥翼連合の国王たるあんた自ら、わざわざ出向いてきてくれたのか?」
「おう。俺だけじゃねえぜ?」
 ティバーンが示す方向に目をやると、こちらへ歩いてくる純白の二人組が見えた。

「リュシオン……それにリアーネか?」
 見紛うはずもない美しき白鷺の兄妹は、アイクの前までやって来て丁寧に頭を下げる。
「久しぶりだな、アイク。そしておめでとう。
 何も出来ないが、せめて祝福の歌くらいは贈らせてもらいたいと思い、やって来た次第だ」
「アイク、さま。おめでと、ございます!」
 兄に続き、一年前と比べて格段に流暢な現代語でリアーネが祝福を述べた。
「ラフィエル兄上もぜひ出向きたいと言っていたのだが、父上のお傍に一人はついていないといけなくてな……君によろしく伝えて欲しいとの事だ」
「いや、あんた達三人が来てくれただけで十分すぎるくらいだ。
 わざわざすまんな、有り難う」
 すまなそうな表情のリュシオンに、アイクはかぶりを振ってそう告げる。実際、ラグズの王族が一介の傭兵団員の祝言に三人も訪れること自体、普通ならまずあり得ないことだろう。

「――折角だし、中に入ったらどうだ」
 わざわざ来てくれた彼らをこのまま外野に置いておくのは流石に失礼だろうと、アイクはそう促す。
「別に構わんさ。
 俺もお前と同じく、堅苦しいのは好かんからな。お前に祝いの言葉のひとつもくれてやって、後は美味い酒と食い物にありつけりゃそれで良い」
 ティバーンは己の身分を気にする風も無く、そう言ってからからと豪快に笑った。
 そしてふと笑いを収めると、アイクに訊ねる。

「――なあ、アイク。
 お前最近……何か変わったこととかねえか?」
「――何?」
「いや、どこか体の調子が悪いとか、こう……何となくおかしいってな事は無いか?」
「……別に、何も無いが」
 いきなり何を訊くのかと、アイクは首を傾げ――そこで気づく。
 先程からセリノスの兄妹が、堅い表情でずっと沈黙していることに。

「――俺が、何かおかしいか?」
 三人の顔を交互に見遣って、アイクが問う。
「ああ、いや。そういうわけじゃねぇんだ。
 何しろ久々に会うもんでな。元気でやってんのか、ちょいと心配になっただけだ」
 普段通りの豪放磊落な口調で、ティバーンが言う。しかしその言葉の端々には、彼らしからぬ取り繕ったような感が窺えた。
 どこか妙な空気に、青年がさらに問いを重ねようとした時。

「――アイク、アイク! 何処に居るの?」
 人垣の向こうから、彼を探しているらしきティアマトの声がした。
「……すまん、呼ばれた。行ってくる」
「ああ、気にすんなって。こっちは適当に楽しんでいくからな」
 明らかにほっとしたような表情が引っかかったが、アイクはそれ以上追求せずに踵を返す。
「折角だ、妹にも会ってやってくれ。
 今日の主役はあいつだからな、きっと喜ぶ」
「おう、勿論だ。後で挨拶に行かせてもらうぜ」
 そう言い残し、片手を挙げて去っていく青年。
 その背中を見送って、鷹王は大きく息を吐き出した。

「――リュシオン、どうだ?」
 傍らの青年を振り返る。普段から雪のように白い肌が、今は明らかに紙のような白さだった。
「……はっきりとは説明出来ません……ですが、あれは……」
「ね、にいさま……アイクさま、おかしいの。
 あんな、じゃなかった。どうして? ど、してなの?」
 背後から兄の長衣の袖を引っ張り、白鷺の姫がどこか怯えたような表情で訴える。
「リアーネも感じたか……」
 ふむ、と唸ってティバーンは逞しい腕を組んだ。
「俺とお前と、そしてリアーネ――
 この三人が揃って、何かがおかしいと感じているなら、おそらく間違いはねぇだろうな」
 まして、最も「気」を読む力に長けているという鷺の民――その王族たる兄妹が口を揃えて言う事ならば、尚更。

「……どうしますか、ティバーン」
「――逆に、俺の方が訊きてぇくらいだ。
 リュシオン、鷺の力を以て捉えたその感覚を、お前はどう考える?」
「…………」
 厳しい表情で問う鷹王に、こちらも同じくらい難しい顔で黙り込む白の王子。そんな二人を、セリノスの美姫がおろおろと交互に見つめる。
 ――陽気な祝福ムード一色の場にあって、彼ら三人の周囲だけが重く沈んだ気に包まれていた。

 青年が消えた方向を見据えながら、ティバーンは苦々しく呟く。
「――これが、神を滅ぼした代償だってのか」



 祝いの宴は、まさに最高潮を迎えようとしていた。
 入れ替わり立ち替わり訪れる客に囲まれ、祝杯を勧められる新郎。その光景を遠巻きに眺めていたアイクの肩を、不意に誰かが後ろから叩く。
「よっ、今日はおめでとさん!」
 肩越しに笑いかける、色違いの瞳。
「――ライか。来てくれたんだな」
 種族を越えて親しくしている友の姿をそこに認め、青年は軽く微笑んで体ごとそちらへ向き直る。
「当然だろ? 親友の妹の結婚式なんだから。
 ま、国王の名代って建前もあるけどな。スクリミルも来たがってたんだが、あいつも王になった以上はおいそれと動けなくてね」
「……そっちを建前にして良いのか?」
「あ、今のガリア関係者には内緒な? お叱り食らっちまう」
 いつも通りの軽妙なやり取り。
 しかし、それを続けるうちに、ライの表情に変化が現れたのを、アイクは見逃さなかった。

 会話が途切れ、しばしの沈黙。
 やがて、親友が真面目な表情で口を開く――強い、既視感。

「――なあ、アイク。
 お前最近、体調とか悪かったりしない?」

 その表情が、口調が、言い回しが。
 どこも似たところなど無いはずの、空の覇者たる男と重なって見えた。
「……同じ事を、ついさっき鷹王にも訊かれたぞ。
 何だ、俺はそんなに調子が悪そうに見えるのか?」
「んー、いや、そういうわけじゃないんだけど、さ。
 そうか、鷹王もそう言ってたかー……」
 がりがりと髪を掻き毟る青年を、アイクは訝しげな中に微かな苛立ちを滲ませながら見据えた。
「……何だ、一体。
 リュシオンもリアーネも妙な顔をして俺を見ていたし、何かおかしいのか、俺は?」
「――そっか。
 や、何かやけに気ぃ張ってるように見えたもんだから。式の準備でいろいろ大変だったのかなーって思っただけだよ」
「……そうか? 別にそんなつもりは無いんだが……
 俺はあくまで外野で、主役じゃないしな」
「……さては、例によってその調子で、今朝も普通に訓練してたんだろ?」
「勿論だ」
「あーあー、もう……他ならぬたった一人の妹の結婚式だぜ?
 大変なのは目に見えてんだから、こんな日くらい訓練は休んでおけば良かったんだよ」
 だからそんな顔になるんだ、と、冗談めかした笑顔のライがついと人差し指で青年の眉間をつつく。
「悪かったな。元々俺はこういう顔だ」
「知ってるよ。お前に愛想笑いなんて期待してないから、安心しろって」
 からかうようにそう言って笑う、人懐っこいその顔は、既にいつも通りの彼のもので。

 けれど、アイクの内にある疑念が払拭されることは無い。
 ――この友人がやたらと饒舌になるのは、大体何か隠したい事がある時だったから。


 その時、不意に歓声が上がり、その場に居た人々がどっと沸いた。自然、二人の視線もそちらを向く。
 席を外していた花嫁が、衣装を替えて再び現れたのだ。

 蒲公英色のドレスを纏ったその姿を、兄である青年は目を細めて見ている。
 本来なら微笑ましく映るはずのその横顔に、ライは何故か不安を覚えずにはいられなかった。
 鷺の民には遠く及ばないが、獣牙族の中にあって、猫に化身する者は特に気を読む力に長けていると言われている。
 その元々の資質に加え、さらに戦士として研ぎ澄まされた鋭い感覚が、彼に「何かが違う」と訴えかけてくるのだ。

 これは――そう、「違和感」?
 かつてエルランのメダリオンが発していた負の気ほどでは無く、しかしそれに限りなく近い……正体不明の気配。
 畏怖と言うにはあまりに希薄――それはまさに、違和感としか呼びようのないものだった。

 数ヶ月前に会った時には、こんなものは全く感じなかった。
 並の人間よりもずっと強い気を纏ってはいるけれど、それでも彼はベオクそのものだった。それ以外の何者でもなかった。

 それなのに。
 今、目の前の彼から感じるこの感覚は――何?


 片方ずつ色の異なる双眸を細め、ライはじっと傍らの横顔を見つめ続ける。
 すぐ隣に居るはずのその姿が、一瞬とても遠く見えたのは――きっと気のせいだと自分に言い聞かせながら。





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