1. 幸福な結末



 まだ夜も明け切らぬうちから、グレイル傭兵団の砦は慌ただしさに沸き立っていた。
 今日はこの団の長である青年の妹と、同じくその親友との祝言が執り行われる、来るべき日であったから。

「そのテーブルをそっちへ運んで頂戴。
 椅子が足りないみたいね……後三脚ほど持ってきて!」
 張りのある艶やかな声で矢継ぎ早に指示を飛ばしているのは、この団の副長を勤める女騎士。この手のことに疎いトップに代わり、今日の準備の総指揮を一手に担っていた。

「副長、テーブルの配置完了しました」
「ご苦労様、オスカー。
 こっちはもう大丈夫だから、貴方は厨房へ回って頂戴。
 今日はほぼ一人でやってもらうことになるのだし、早めに動いた方が良いわ」
 いつもは調理を手伝うはずの少女は本日の主役、他に厨房の方へ回せる手があるかも不明――必然的に、料理の方は彼一人に任せざるを得ない。気遣わしげな表情で促すティアマトに、緑の髪の青年は穏やかな微笑みを返した。
「下拵えはある程度済ませてありますから、大丈夫です。
 ……とは言え、量が量ですし、お言葉に甘えて準備にかからせて頂きます」
「頼んだわよ。期待してるから」
 傭兵団一の料理上手で知られる青年のこと、その出来映えに関しては全く不安は無い。ティアマトは笑みを浮かべ、去っていくオスカーの背中を見送る。


「……何だ。皆、随分と早いな」
 そこへやって来たのは、修練用の剣を肩に担いだアイクだった。その姿から察するに、日課の朝練をこなした後といったところだろう。
 あまりにも普段通りなその姿を見て、ティアマトは大きく溜息をつく。
「アイク……のんびり朝練なんてしている場合?
 貴方も早く準備にかからないと、間に合わないわよ」
「いや、別に俺は関係な……」
「何言ってるの! 貴方は花嫁の兄なのよ?
 きちんとしておかないと、ミストが恥をかくんだから」
 さっさと行けとばかりに追い立てられたアイクは、慌ただしく去っていく女騎士の後ろ姿を見送りつつ、蒼髪をがりがりと掻き回した。
「……そうは言われても、な……」
 正直、こういう場においてどんな格好が「きちんとした」ものなのかすらよく解っていないというのに。

「おはようございます、アイク」
 背後からかけられた声に振り返ると、いつもと同じローブ姿のセネリオが立っていた。
「セネリオか。お前も早いな」
「……アイクの準備を手伝うようにと言われましたので」
「……俺の?」
「はい。
 どこに出しても恥ずかしくないよう仕上げろ、との副長の指示です」
 無表情に告げられたその言葉に、アイクは渋面でがりがりと頭を掻く。
「――抜かりは無い、というわけか」
 観念したように息を吐き、青年はセネリオを伴って自室へと向かった。



 どうにかこうにか身支度を終えた後、アイクはティアマトに呼ばれて砦内の一室の前にやって来た。

 ――この扉の向こうには、緊張と幸福の中で出番を待つ本日の主役が控えている。
 軽くノックをして、青年は扉越しに中へ声をかけた。
「――ミスト。入るぞ」
 小さな返事を確認してからドアを開けると、部屋の中央に据えられた椅子に、純白の衣装を纏った少女が座っていた。

「お兄ちゃん……」
 万感の思いを込めた蒼の双眸が、たった一人の肉親である兄を見つめる。
 薄い化粧を施されたその顔は、記憶にある母のそれとよく似ているような気がした。

「……似合ってるな。見違えたぞ」
 無骨な兄の精一杯の賛辞に、少女の表情がくしゃりと歪む。
「お兄ちゃ……っ、おにい、ちゃ……」
「……おい、式も始まってないうちから泣く奴があるか」
 僅かに苦笑めいた表情を浮かべると、青年は妹の前で片膝をついてその顔を覗き込んだ。

「――長かったな。ここまで」
「……」
「親父も、母さんも――きっと、喜んでる」
「……」

 自分の言葉にただ黙って頷くだけの妹を、青年は静かに見守る。
 しばしの沈黙の後、俯いていたミストの唇から、小さく言葉が雫れ落ちた。
「……おにい、ちゃん」
「ん?」
 顔を上げた少女は、未だ泣きながらも口元に精一杯の笑みを浮かべ、言葉を紡ぐ。

「……今まで、本当に、ありが、と……。
 わたし、お兄ちゃんの妹で……ほんとに、良かっ、た……」

 それは花嫁から、たった一人の肉親へと贈られる感謝。
 その言葉を受け、アイクは微笑んで妹の髪をくしゃりと撫でた。


「俺から言うことは、一つだけだ。
 ――幸せになれ。ミスト」


「……お、にいちゃ……、
 ふぇっ……にい、ちゃ……おにいちゃあぁぁん……!!」
 その言葉を聞いた途端、ミストは兄の首にすがりつき、ついに声を上げて泣き出した。


「――これはもう一回、化粧をし直さないといけないみたいね」
 扉の向こうで、ティアマトがそう独りごちる。
 しかしその顔には、我が子の幸せを心から祝福する母にも似た、慈愛に満ちた微笑みが浮かんでいた。



「――汝、健やかなる時も、病める時も。
 永遠に、この者を愛することを誓いますか?」
 聖書を手にし、穏やかな微笑みで問うキルロイの声が響く。
 その背後に設えられた祭壇で、鈍く輝く一振りの斧が静かに儀式を見守っていた。

 さほど広くはない敷地内には、黒山の人だかり。
 幸福な二人の新たなる門出を言祝ぐ声が満ち、蒼い空に色とりどりの花が舞う。

 女神との戦いからちょうど一年が経った、春もまだ浅い日のことであった。





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