11


 クリミアの片田舎にある小さな街。その中心部から少し外れた所にひっそりと建つ古ぼけた教会には、年老いた神官が一人常駐しているだけであった。
 しかし最近になって、新たにひとり、不定期ながらそこに勤める人物が現れ、住民の密かな関心を呼んでいる。
 今まさに、教会の扉を開けて出てきた人物こそ、件の「新しい司祭」であった。金茶の髪に飴色の瞳を持つ、まだ若い青年。

 彼——キルロイはとある縁で、少し前から手の空いた時にこの教会で手伝いをするようになった。
 いずれは自身の所属する傭兵団の拠点に、小さな教会を建てるのが彼の夢だった。そのための勉強をしながら、わずかに給金も貰えるこの仕事は、彼にとって願っても無い機会であったのだ。

 この日は訪問者も少なく、手持ち無沙汰になった青年は箒を手に教会の前を掃除していた。石畳を千々に彩る落ち葉を掃き集め、一息ついた時。
「あれ? キルロイさん?」
 背後から突然名を呼ばれ、キルロイは振り向く。そこに立っていたのは、薄紅の髪も鮮やかな、天馬騎士の装束をまとった女性。
「やっぱりキルロイさんだ! お久しぶりですね!」
「マーシャ、さん?」
 人懐っこい笑顔が、記憶にあるそれと重なる。わずかに大人びてはいたが、デイン=クリミア戦役で一時グレイル傭兵団に加わっていた少女に間違いなかった。
「でも、どうしてこんなところに? 傭兵団にいるんじゃなかったんですか?」
 青年の背後に建つ教会を見て、マーシャが首を傾げる。
「いえ、傭兵団には今もお世話になっています。こちらには手伝いで、時々来ているんです」
 キルロイが説明すると、彼女は納得したように頷いた。
 それからしばし、お互いの近況を語り合う。マーシャはエリンシア女王の遣いとして、この近くの街に立ち寄った帰りだという。苦労性の彼女も、今や一人前の天馬騎士として、クリミア女王の近衛という重責を立派に果たしているようだった。

「そうそう、聞きましたよー。ボーレとミスト、結婚するんですってね!」
 思い出したように手を打ち合わせ、マーシャが切り出す。
 彼女の言うとおり、二人は間もなくささやかな式を挙げる。特に招待状を送ったわけでもないのに、先の大戦時に交流のあった者達の間では、いつの間にかその話が広まっているようだった。
「結婚式にはエリンシア様もぜひ出席したいっておっしゃってたんですけど、流石に公務がお忙しくて……もしかしたら、名代としてわたしがお邪魔するかも知れないです」
「そうですか。二人もきっと喜びます」
 多忙というのも事実だろうが、一介の傭兵団員の結婚式に国家元首が出向けば、国内外で要らぬ疑惑を招くやも知れない——そう配慮しての事だろうと、キルロイにも容易に想像がついた。すまなそうに語るマーシャに、青年は穏やかに微笑んでみせた。

「ところでキルロイさんは、誰か好い人いないんですかー?」
 からかうような悪戯っぽい口調で、マーシャが問うた。淡紅色の瞳は、抑えきれない好奇心にきらきらと輝いている。
「僕は……」
 キルロイは言い淀む。脳裏に浮かんだ面影——それが誰であるか、言うわけにはいかなかったから。
「神に仕える身なので……そういった事は」
「えー、そうなんですか? 別に司祭様だからって、結婚しちゃいけないなんて事はないのに」
 確かに、その通りだ。聖職者に異性との婚姻を禁じる戒律は無い。特に敬虔な信者が、神と添い遂げる決意の表れとして生涯独り身を貫く例もあるが、その辺りはあくまで個人の自由に任されている。
「やっぱりキルロイさんは信心深いんですねー。立派だなぁ」
 感心したような彼女の言葉に、青年は曖昧に笑った。

 神の教えに背く行いをしておきながら、神に仕える身だからなどと——なんて皮肉な言い訳だろう。キルロイは胸を刺す罪悪感と共に自嘲した。
 けれど、少しだけ……安堵してもいるのだ。
 聖職者であれば、このように伴侶を持たないことへの理由付けも容易い。特に不審がられる事も無く、あの人を想い続けることができるのだから——。

「——マーシャさんはどうですか? その後、ケビンさんとは?」
 話題を逸らすため、キルロイはさりげなく矛先を相手へと向ける。
「……ふえっ!?
 な、な、何でキルロイさんがそれを……!?」
 咄嗟に反応してしまってから、語るに落ちたと気づいたのだろう。彼女は露骨に動揺を見せ始めた。
「あの人は無茶ばかりしますから、支えるのは大変でしょう?」
「ま、まあそのえーっと、わっ、わたしの事は別にいいじゃないですか!」
 先程とは一転してしどろもどろになるマーシャに、キルロイは微笑む。そして内心、彼女を羨ましいと思った。



 窓から射し込む午後の日差しが、卓上を一面に占領する布の波打つ様を浮かび上がらせる。
 昼下がりの食堂で、青年はひとり黙々と作業に没頭していた。

「あら、オスカー。非番なのに大変ね」
 食堂の前を通りがかった赤毛の女性が、彼の姿に気づいて声をかけた。
「お疲れ様です、副長」
 顔を上げた青年の傍らまで歩み寄り、彼女はテーブルいっぱいに広げられた布と、縫い物に勤しむ彼とを交互に見る。
「これ、ボーレの衣装ね?」
「ええ」
 首肯するオスカーに、ティアマトが気遣わしげな色を浮かべる。
「当日は料理の準備もするのでしょう? 貴方ひとりでは大変でしょうに……。
 言ってくれれば手伝うわよ?」
「他の事はほぼ任せきりですし、これくらいは大丈夫ですよ」
 花嫁衣装の方は本人が頑張っていますしね、とオスカー。その間にも、手にした針は止まることなく動き続けている。
「本当、貴方も苦労するわね」
「皆が思うほど、大した事はしていませんよ。……それに」
 ぴんと張った糸を二度ほど弾いてから、青年はふと言葉を切り、微笑む。
「おそらく、手間をかけさせられるのも、これで最後でしょうから」
 穏やかな口調に、わずかな感傷を滲ませて、オスカーは呟く。
 伴侶たる女性と生涯を誓い合ったならば、それからはもう一人前の大人として、自立した人生を歩んでいくことになる。今までのように、保護者として世話を焼くことも無くなっていくのだろう。
 親代わりの兄として、晴れの舞台に上る弟を、自身にできる精一杯の心づくしをもって送り出してやりたい——口には出さない彼の本音を、ティアマトは垣間見た気がした。
「そうね。……これで貴方も、少しは肩の荷が下りるかしら」
「ええ。そう願いたいものです」
 もっとも、まだ末の弟が残っている以上、完全にお役御免とはいかないだろうと。
 どこか嬉しそうに、青年は微笑んだ。

 他愛も無い話に興じるうち、そう言えば、とティアマトが苦笑しながら水を向けてくる。
「貴方、また縁談を断ったんですって?」
「……ええ、まあ」
 こちらも苦笑を浮かべて、青年が曖昧に返す。
「カリルが嘆いてたわよ? いくら紹介しても会おうとすらしてくれない、って」
 クリミア城下で酒場を切り盛りする、世話焼きな女主人の顔が浮かんだ。心配してくれるのは有り難いのだが……と、内心独りごちる青年に、ティアマトは意味ありげな視線を投げる。
「誰か、心に決めた人でもいるのかしら」

 心に決めた人。
 そのフレーズを耳にした一瞬、針を操る手が止まった。

 脳裏によぎった面影を、あえて無かったことにして、オスカーはかぶりを振る。
「……いえ、そういうわけではありませんが」
 間を持たせる言葉を口にしながら、青年は考える。どう言えば、不自然にならず相手を納得させられるか。伴侶を持たないことへの、もっともらしい理由を探している自分に気づく。
「私は、あまり結婚というものには向かないように思いますので」
「どの口が言うのかしら? 料理ひとつを取っても、そこらの女性が敵う腕前じゃないでしょうに」
 謙遜と受け取ってか、呆れ顔のティアマト。
「ま、その辺は他人がとやかく言うことでもないわね。
 でも決まった相手がいるのなら、そう言っておいた方が面倒が無いんじゃない?」
「ええ。そうします」
 相手が出来たら、ですが。そう嘯く青年に、女騎士は肩をすくめただけで何も言わなかった。
 こちらを気にかけつつも、必要以上の干渉はしない彼女に、オスカーは内心感謝していた。それはおそらく、彼女自身も人には言えぬ想いに殉じる覚悟を決めているからなのだろう。死人への思慕——決して叶う日の来ない恋。
 自分も、似たようなものかも知れないなと。彼はふと思った。


 ティアマトがその場を去った後、オスカーは再び針仕事に集中する。
 考え事をする時には、決まって料理や洗濯といった家事をやりながらというのが彼の癖だった。日頃の習慣というのは意図せず染みついているもので、規則正しい針の動きに合わせるように、自然に思考が巡り始める。

 心に決めた人、と訊かれて思い浮かんだのは、本来ならそんな対象にはなり得ないはずの——同性の友人だった。
 何を莫迦なと、自分を笑い飛ばして。それで終わりのはずだった。それで良かった——はず、なのに。

 何故、そう出来ない?
 どうして、これほど心に引っかかる?

 ——否。その理由を、既に彼は知っている。
 なのに気づかない振りをするのは、認めたところで、どうしようも無いと解っているからだ。
 相手が異性であれば、想いを告げることも出来よう。それが受け入れられて、晴れて結ばれたとしたら、周囲の人々は祝福をもって迎えてくれるだろう。
 だが——相手が同性ならば?
 よしんば互いが心を通じ合わせたとして、果たして周囲はどう見るだろう?
 自身が謗られることは恐れない。しかし、世間の白い目は否応なしに相手、ひいては身内にも注がれるはずだ。自身の選択ひとつで、傭兵団の仲間や弟たちまでも、悪し様に罵られることになるやも知れない。青年にとって、それだけは避けたい未来だった。

 それが解っているからこそ。
 オスカーは、その感情に名をつけることを拒んでいる。
 その想いが何と呼ばれるものか——痛いほど理解しながら。

 縫い目が終端にたどり着いた事に気づき、オスカーはひとつ息を吐いた。
 婚礼用の衣装を作っている時に、こんな暗い心持ちでいてどうするのかと、自分を叱咤する。そのひと針ごとに縫い込められる想いは、純粋な祝福でなければならないはずだ。
 今はただ、弟の幸福を願う気持ちだけを。留めた糸を迷いと共に断ち切って、青年は次の箇所へと針を刺した。



 それは、幾度となく繰り返された応酬。

「そろそろ、身を固める気は無いの?」
「生憎と、そういう相手は居なくてね」
「嘘ばっかり。君ほどの人なら引く手数多だろう? 縁談が来てるのも知ってるよ」
「……君の方こそ。好い相手の一人や二人、いてもおかしくないと思うんだが」
「僕は……神に仕える身だから。そういうのは」
「別にご法度ってわけでもないだろう?」
「そう……だけど」

 いつだって、同じ会話。
 次に相手が発する台詞も、自分が応える言葉も。全て、知っている。解っている。
 それはまるで、台本に沿った舞台上の演劇のようで。

「聖職者だって普通に結婚している人が大半だ。何も遠慮することはないさ」
「……別に、遠慮とかじゃなくて。相手も居ないし」
「なんだ、お節介を焼く割には、君も同じということか」
「……」
「……すまない、言い過ぎたな。
 まあ、その辺はお互い様ということにしておこう」
「……うん。ごめん」

 解っていても、同じやり取りを繰り返してしまう——なんて、不毛。
 もしかしたら、と思うこともある。けれど、それはあまりにも自惚れが過ぎる推測で。
 それでも諦めきれず、相手の内心を探ろうとして、踏み込めずに退いて。結局のところ、何も変わらない現実を思い知らされるだけ。

 だから。
 身勝手と知りながら、嘆かずにはいられないのだ。

『いっそ伴侶を得てくれたなら、諦めもつくのに』




 燭台の灯りに照らされた厨房をぐるりと眺め、オスカーは頷いた。
 下拵えは全て完了。あとは、夜が明けてからの仕事だ。
 明日の式に供するために揃えられた、大量の食材。健啖家の揃う傭兵団の食卓に慣れている青年でさえ、少々気後れする量だった。団の支出だけでは、とてもここまでの食材は調達できなかっただろう——ベオクとラグズ、双方の知己の好意で、祝宴のためにと届けられたものだ。
 これも我らが団長の人徳あっての賜物だな、と青年は微笑む。

 少し前までは、数名が酒を酌み交わしていた食堂。しかしオスカーが厨房から出てきた時、そこには既に彼の弟二人を残すのみとなっていた。
 気を遣ってくれたのだろうか——粗野に見えてその実、繊細な配慮のできる仲間達の顔を思い浮かべながら、青年はテーブルへと歩み寄った。
「お前達、まだ戻っていなかったのか」
 主役たる花婿が式に寝坊したのでは冗談にもならない。長年の癖で、つい小言めいた言葉が出てしまう。
「なんだよ、せっかく待っててやったのに、その言い草はねぇだろ」
 卓に頬杖をつきながら、ボーレが唇を尖らせる。前祝いと称して押しつけられた杯のせいか、その顔は傍目にも赤い。
「それは有り難いな。欲を言えば、手伝ってくれていればもっと有り難かったんだが」
 皮肉と冗談が半々といった口調で、オスカーが返す。常に礼儀正しい彼も、弟たちとの会話では、気安い軽口を叩いてみせるのだった。

 椅子を引いて腰を下ろした青年の前に、ヨファがグラスを置く。そこへ間髪入れず、対面から瓶を手にしたボーレが葡萄酒を注いだ。反射的に断りの言葉を口にしかけて——オスカーはそれを呑み込み、赤紫の液体がグラスに満ちるのを黙って待った。
 いつか、こんな風に弟達と酒を酌み交わせる日が来ればと、密かに願っていた。それがこうして現実となった今、オスカーは時の流れを実感せずにはいられなかった。酒に口をつけながら、かつての日々を思い返す。
「月日が経つのは、早いものだな」
 他愛もない感慨をあえて言葉にしたのは、向かいに座る弟から、何か言いたそうな雰囲気を感じ取ったが故だった。沈黙を破って話し始めるというのは、案外勇気の要ることなのだ。

「その、さ……改めて言うのも、なんかおかしいけどよ……」
 果たして、珍しくも歯切れの悪い口調で、ボーレが切り出した。
「兄貴、ヨファ……その、ありがとな。
 二人がいたから、俺は多分、ここまでやってこれたんだ」
 グラスを置き、オスカーはまじまじと弟の顔を見て——くすりと笑う。
「何だ、随分と殊勝なことを。悪酔いでもしたのか?」
「本当、似合わないよね」
「なっ……!」
 長兄と末弟の双方にからかわれ、さらに顔を紅潮させる次弟。
「いや、すまない。真面目な話だな」
 解っていてあえて茶化したのは、自身照れくさかったからだ。おそらくは、末の弟も同じ。

「——本当に、早いものだ」
 父親が亡くなってから十年あまり、陰に陽に二人を見守ってきた。無邪気に駆け寄ってくる幼い弟達の姿を、今でも覚えている。
 母親の違う弟という存在に、戸惑いを覚えたことが無いと言えば嘘になる。それでも、自身を兄と慕う小さな手を取った時に、理屈を越えて思ったのだ——彼らと共に生きていきたい、と。
「二人には苦労させたと思う。至らない兄ですまない。
 本当に……よく、無事に成長してくれた」
「馬鹿言うんじゃねぇよ……一番大変な思いしてきたのは兄貴じゃねえか」
「兄さんが居てくれたから、僕もボーレも、こうして生きていられる。
 大変なことはあったけど……でも、二人の弟で本当に良かったって、そう思うよ」
 しんみりとした空気が流れる。素直になれない年頃の弟達と、本音を包み隠さず交わし合うのは、どれほどぶりの事だろう。もはや彼らは、自身に庇護される子供ではないのだと——オスカーはそう実感した。

「俺たちをここまで育てるために、兄貴はずっと苦労してきたんだろ」
 だからよ、といつになく真剣な瞳で、ボーレは長兄を正面から見据える。
「これからは、自分のことだけを考えて欲しいんだよ」
「……自分の、こと?」
 思いもよらなかった弟からの言葉に、オスカーはしばし呆気に取られる。次兄の言葉を引き継ぐように、ヨファも口を開いた。
「兄さんが僕らの面倒を見るために、いろんな事を諦めざるを得なかったんだって、知ってる。
 だから、これからは兄さん自身の幸せを考えて欲しいんだ」
「兄貴はいっつも、俺達や傭兵団に迷惑がかかるかもって、遠慮してばっかだったからな。
 いい加減、周りのことよりも、自分のやりたい事を優先しろよ!」
「うん。ボーレくらい図々しくなったって、バチは当たらないと思う」
「お前なぁ、いっつも一言多いんだよ!」
 弟たちの言葉を半ば呆然と聞いていたオスカーは、いつものじゃれ合いを始めた二人を前にして、くすりと微笑む。
「……まさか、お前たちにそんな事を諭されるとは、な」
 照れ隠しに酒を呷り、空になったグラスを置くと、青年は静かに言葉を紡いだ。
「——ありがとう。お前たちの気持ちは受け取ったよ。
 すぐには難しいかも知れないが……考えてみようと思う」
 物心ついてからというもの、誰かの為に動くのが当たり前で、自分のことは二の次だった。その生き方を変えることは容易ではないだろう。
 それでも、巣立っていく弟たちの願いであれば、聞き入れないわけにはいかない。それに、今後それが必要になってくるだろうことは、彼自身とうの昔に解っていたのだ。
 いつまでも弟離れできない兄になど、なりたくはない——その本音は笑顔に隠して、オスカーは善処すると弟達に告げた。



 この日、山間の質素な砦は、かつてないほどの活気に満ちていた。
 色とりどりの花を飾った会場。屋外に設置されたテーブルの上には、心尽くしの料理が並び、参列者達の舌を楽しませる。
 豪勢ではないけれど、温かみのこもったパーティーは、まさに宴もたけなわ。来客達は祝杯を手に、代わる代わる新郎新婦を取り囲んではその行く末を寿ぐ。

 そんな主役二人の様子を、オスカーは会場の片隅から静かに見守っていた。
「飲み物、いかがですか?」
 横から不意に出されたグラスに、虚を突かれる。
 いつもより少しだけ豪奢な法衣をまとった青年が、はにかみながらグラスを差し出していた。
「新郎の兄君が、こんな隅っこに居ていいの?」
 澄んだ金色の酒を満たしたグラスを渡しながら、鳶色の髪の青年が悪戯めいて笑う。からかうような物言いに、苦笑いでグラスを受け取るオスカー。
「私は参列者の一人に過ぎないよ。主役はボーレとミストだ」
 料理の準備を完了した時点で、自分の仕事は終わったようなものだ——そう嘯く青年に、キルロイはくすりと微笑んで、その傍らに立つ。
 そのまま、二人並んで会場を眺める。賑やかな空間の中で、ここだけが妙に静かに感じられた。

 思えば、ずっとそうだったのかも知れない。オスカーはふと思う。
 この友人の隣は、居心地が良かった。傭兵団の任務に忙しなく動いていた時も、いつ命を落とすとも知れない戦争の最中も。彼と語らい、ゲームに興じている間は、特に気を張ることなく自然体でいられた。
 この5年余りの間、あまりにも多くの事があった。激流のような変化の中にあってなお、彼は常に穏やかな笑顔で傍らに居た。そう、病める時も、健やかなる時も、いつだって。

『これからは、自分のことだけを考えて欲しいんだよ』
『これからは兄さん自身の幸せを考えて欲しいんだ』

 弟達の言葉が、脳裏に蘇る。


「私自身の幸せ……か」

「えっ、何か言った?」
 不思議そうに見つめてくる琥珀の双眸に、オスカーは笑って頭を振った。
「いや、何でもないよ」

 この良き日を祝福するかのように、純白の鳥が二羽、青空を横切っていった。




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