まだ夜も明け切らぬ早朝から、傭兵団は動き出す。
 朝の鍛錬に出る者、朝食の支度を始める者……いつもと変わらぬ、一日の始まり。

 今朝の食事当番であるオスカーは、独り厨房で下準備をしていた。当番にはもう一人、ミストも当たっているはずだが、まだ起きてくる様子は無い。
 慣れた手つきで芋の皮を次々と剥いては、水を張った桶に浸す。黙々とそんな作業をこなしていた時、ドアの所に誰かが現れる気配がした。
 同じく当番の少女が来たのかと、オスカーは顔を上げて入口の方を見る。
 しかし、そこに立っていたのは予想した少女では無く、トレイを手にした法衣の青年だった。

「……おはよう、オスカー」
「やあ、おはようキルロイ。体の具合はどうだい?」
 作業の手を止め、青年に微笑みかける。オスカーの目からは、その顔色は昨日と比べて明らかに良いように見えた。
「うん。おかげさまでだいぶ良くなったよ」
 そう言いながら、キルロイは静かに厨房の中へと入ってきた。そしてオスカーの傍らまで来ると、手にしていたトレイを作業台の上に置く。
 昨夜、彼が差し入れた夜食の器。パンはほとんど手つかずで残っているものの、スープ皿の方は空になっていた。
「昨日はありがとう。とても美味しかったよ、ご馳走様」
「どういたしまして。口に合ったようで良かったよ」
 和やかに言葉を交わしながら、かたや食材の下拵え、かたや食器の片付けとそれぞれの作業を進める。
 やがて芋を全て剥き終わり、そろそろ竈に火を入れようか思案していたオスカーの耳に、躊躇いがちな声が届いた。

「……昨夜、オスカーが言ってくれた事。
 凄く嬉しかった」
 傍らを振り返り、すぐ右隣に居るその横顔を見る。
 自らが使った食器を洗いながら、彼は手元に視線を落としたまま言葉を続けた。
「オスカーが励ましてくれなかったら、僕はあのまま諦めてたかも知れない。
 自分に傭兵なんて仕事が勤まるのか……そういう不安は、ずっと付きまとっていたから」

「あの後、改めて考えたんだ。僕自身がどうしたいのか。
 ――やっぱり僕は、ここに居たい。夢を諦めたくないっていうのもあるけど……それ以上に、この団のみんなと一緒にやって行きたいって、そう思ったんだ」
 そこでキルロイは顔を上げ、傍らの友人を見てにこりと笑った。
「オスカーの言葉で、違う考え方もあるんだって解ったから。
 体も心も弱い僕だけど……でも、出来る限り頑張る事に決めた」
 明るく穏やかなその笑顔に、もう憂いの陰は見えない。自らの選んだ道を歩み続けると決意した者の、その表情はとても晴れやかだった。
「そう思えるようになったのは、オスカーのおかげだよ。
 本当にありがとう」
 真摯な思いを込めた礼の後、キルロイは照れたような微笑みを浮かべて視線を手元に戻した。
 その横顔を見つめ、オスカーもふっと微笑むと、再び自分の作業に戻る。そして、おもむろに口を開いた。
「……私は、ただ自分の考えを話しただけに過ぎないよ。
 それを受けて、考え、結論を出したのは君自身だ」
 だから、と彼は独り言のように言葉を継ぐ。
「身体は弱いかも知れない。
 けれど、少なくとも心は決して弱くなど無いよ」
「……ありがとう」
 くすぐったそうな笑顔で、キルロイは洗い終わった食器を拭いていく。それらを卓の上にきちんと重ねた後、再び隣に立つ友人に鳶色の瞳を向けた。

「オスカーは、本当に優しいんだね。
 初めて会った時から、そんな感じはしていたけど」
「……」
 その言葉を聞いて、オスカーの手がふと止まる。
 何事かを思案する表情でしばし沈黙した後、彼はおもむろに口を開いた。
「――昨夜、君は私に訊いたね。
 『どうしてここまでしてくれるのか』と」
「え? あ……うん」
 そう言えば、そんな事も訊いた。キルロイは昨夜の記憶を辿りながら頷く。
「あの時、友人を助けるのに理由は無いと言ったが……本当は、全く無いわけじゃないんだ」
「え?」
 きょとんと鳶色の双眸を瞬く青年に、オスカーはやや苦笑じみた微笑みを向けた。

「――君は、どことなく私と似ているからね」
「……僕が……オスカーに?」
 あまりに意外なその言葉に、キルロイは呆気に取られた表情になる。
 万事においてそつなくこなす彼と、助けられてばかりの自分が――似ている?

「君は、ご両親の生活を助けるためにここで働く事を決めたんだろう?」
「うん。父も母も足腰を悪くしていて、激しい労働は出来ないから。
 僕が働かないと生活していけないけど、故郷の村じゃ、僕みたいに体の弱い人間が働ける所は無くて……」
 僅かに目を伏せながら語った青年に、オスカーは無言のまま頷いた。そしてしばし間を空けた後、静かに口を開く。
「――私は、ここに来る以前、クリミアの王宮騎士団に居た事があってね」
「……!」
 オスカーの言葉に、はっとキルロイは息を呑んだ。
 彼が語ろうとしている事――それはまさに、自分が知りたいと願っていた彼の過去。
「20の歳に家を離れ、騎士団に入った。
 それから一年ほど過ぎた時、病を患っていた父が亡くなってね」
「『母親』も既に居なかったから、家には弟達二人だけが残された。父の訃報を知った私は騎士団を辞め、実家に戻って弟達と生活を始めた。それが、今から三年前の事だ」
 脳裏で過去をなぞりながら語っているのだろう。その細く穏やかな目は、どこか遠くを見ているように感じられた。
「勿論、収入を得なければ生活していけないから、弟達の面倒を見ながら働ける仕事を探した。
 そしてこの傭兵団と出会い、今に至るというわけだ」
「そう、だったんだ……」
 ボーレや周囲の仲間の言葉から、薄々は事情を想像していた。彼が自ら語ってくれた内容は、大体その予想と大きくは違わなかったが、現実にはきっと自分の想像など及びもつかない苦労があったに違いない。キルロイは改めて、この友人が年齢以上に落ち着いている理由を理解した。

「まあ、そういう経緯もあって。
 家族の為に働いていると聞いて、無意識に君に過去の自分を重ねてしまっているんだろうな」
 だから、と青年は言葉を継ぐ。
「君が困っているなら、出来る限り力になりたいと思う。
 それでつい、余計な気を回してしまうんだよ」
 君には迷惑な話だろうが、と苦笑するオスカーに、キルロイはかぶりを振って答えた。
「ううん、そんな事ないよ。
 むしろそういう理由で、僕に親近感を持ってくれているなら、凄く嬉しい」
「……そう言ってもらえると、ありがたいな」
 どこかはにかんだように微笑む彼。その様を眩しげに見つめるキルロイの胸には、喜びの一方でひとつの疑念がわだかまっていた。

 自分とオスカー、互いの境遇によく似た部分がある事。それ自体は嬉しい。
 けれど、自分自身を顧みて、その事にまるで実感が持てないのも事実。

 だって自分は、彼ほどに強くない。
 似て非なる者――重なる部分があるからこそ、いっそう浮き彫りになる互いの差異。

「……僕も、オスカーみたいになれるのかな?」
 ぽつりと呟いた言葉に、オスカーが怪訝な表情を浮かべた。
「別に、私のようになる必要は無いだろう。
 君には君の長所が――君にしか出来ない役目があるんだから」
「うん、そうなんだけど……」
 彼の前で本音を口にするのは憚られて、キルロイがそう語尾を濁した時。

「ごめんなさい、オスカー! うっかり寝過ごしちゃって……!」
 勢いよく扉が開き、栗色の髪の少女が息せききって厨房に飛び込んできた。
「やあ、ミスト。おはよう」
「ごめん、すぐに手伝うね!」
 乱れた髪を手櫛で整えながら顔を上げた彼女は、そこでもう一人の青年の姿に気づき、明るい青の双眸を見張った。
「あっ、キルロイ!
 昨日夕食に出て来なかったけど、体調は大丈夫?」
「うん、平気だよ。心配かけちゃってごめん」
「よかったぁ……。あ、でも、無理はしちゃダメだよ?」
 案じる表情で見上げてくる少女に、キルロイは笑顔でありがとうと頷く。
 ふとその背後を見れば、慈しむような表情でこちらを見守っているオスカーと目が合った。何となく面映い気分になって、何でもない風を装いそっと視線をそらす。


(――僕が、オスカーと似ている、か……)
 再び朝食の準備に戻る青年の背中を見つめて、キルロイはぼんやりと考える。

 自分に似ているから、気にかけるのだと彼は言った。
 境遇に共通点を持つ自分への親近感故に、何くれとなく手を差し伸べてくれるのだと。
 ならば、自分はどうだろう?
(僕が、オスカーの力になれる事はあるのかな……?)
 出来うるならば彼とは、助けて助けられる、対等な間柄でいたい。しかし現状、あまりにも互いの実力が違いすぎて、自身が彼の力になれる事があるとは到底思えなかった。
 一方的に与えられるばかり――果たしてそれで、真に友人同士であると胸を張って言えるのか?


 強くなりたい。
 戦いの場において、彼と肩を並べる事はかなわなくとも。
 せめて、彼が何かに悩んだ時、友人としてその背中を支える事ができるくらいには。

(――強く、なろう)

 この日。
 キルロイの内に、新たなる目標が生まれた。
 それは本当の意味で、彼がこの傭兵団の一員として生きる事を決めた瞬間でもあった。





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