翌日。
 副長ティアマト率いる一行は、朝早くに砦を発ち、数刻かけてクリミア郊外の山の麓へとやって来ていた。

 この近くに住む村の住人から、傭兵団へ仕事の依頼があったのはつい昨日の事。
 最近、ここの山にならず者の一団が棲みつき、付近の村を襲うようになったので、討伐して欲しいとの内容だった。
 相手はさほど大きな勢力でもなく、ごろつきの寄せ集めといった程度。傭兵にとっては慣れた仕事だ。
「――とは言え、油断は禁物よ。事前調査で得られた情報が全てとは限らないから」
「了解しました」
 副長の言葉に折り目正しく返すオスカーと、面白くも無さそうな顔で弓の弦の張り具合を確かめているシノン。
 そんな対照的な二人の傍らで、キルロイは緊張した面持ちで杖を握りしめていた。

 ――昨日、あれから作戦室に呼ばれたキルロイは、ティアマトに今回の任務に参加するよう告げられた。
 この傭兵団に入ってから一ヶ月、ずっと砦の中で仕事をしてきた青年にとっては、これが初めての戦場であった。

 例え武器を持たぬ癒し手といえど、傭兵団という場所で働く以上、ずっと砦で待機していればいいわけではない。こうして戦いの場に赴くことも、元より覚悟の上だ。
 それでも、いざそれが現実になってみると、不安と緊張で足が竦むのを抑える事は出来なかった。
 気休めと解りつつも、心を落ち着かせようと大きく息を吸って吐き出した、その時。

「――緊張してるかい?」

 降ってきた穏やかな声に、キルロイは顔を上げる。
 すぐ傍らに立ったその人は、これから戦いに赴く者とは思えぬ優しい瞳でこちらを見下ろしていた。
「あ……ううん、大丈夫だよ」
 余計な世話をかけまいと浮かべた笑顔は、微かに口元が引き攣れていたかも知れない。こちらに向けられた理知的な面からは、気遣うような微笑みが浮かんだままだったから。
「君の方には敵を向かわせないよう注意するが……もし何かあれば、すぐに私達を呼ぶんだ。いいね?」
「うん、ありがとう」
 武器を扱えない自分では、もし敵に襲われれば抗する術が無い。申し訳なさや悔しさが無いわけでは無いけれど、キルロイはそれらを押し隠して微笑んだ。
「世話をかけてしまうけど、よろしくね」
「それはお互い様だよ。
 君が居てくれれば、万一傷を負ったとしても、すぐに治療してもらえるからね。とても心強い」
 頼りにしている――そう言外に告げる彼の言葉が、キルロイの心に少なからぬ勇気をもたらす。
 素人同然の新人に過ぎない自分でも、戦力として認めて貰えている。その事が、純粋に嬉しかった。

 その気持ちを伝えようと口を開いた瞬間、背後から無愛想な声がかかる。
「――おい、いつまで暢気に喋ってんだ。さっさと行くぜ」
「ああ、すまない」
 仏頂面で矢筒を担ぎ直すシノンの傍らで、ティアマトが馬首を返す。
「キルロイも、準備は良い?」
「はい、大丈夫です。よろしくお願いします」
 ティアマトに向かって一礼し、続けて赤毛の射手へと向き直る。
「シノンも、面倒をかけると思うけど、よろしくね」
「こちとら、新人のお守りなんざしてるヒマはねぇからな。
 せいぜい怪我しねえよう、大人しく引っ込んどけよ」
 頭を下げたキルロイに、シノンが素っ気ない態度で応じる。
 最初の頃こそ、この青年の乱暴な言動にいささか気後れしていたが、今ではそれが内面とイコールでは無い事を知っている。だから、そのぶっきらぼうな台詞の意図するところを読み取るのは、さほど難しくは無かった。

「では行きましょう。
 皆、進行速度を合わせて遅れないように」
 副長の号令と共に、四人は深い緑の奥へと続く山道を進み始めた。



「――あれが、山賊団の根城ね」
 先頭を進んでいたティアマトが馬の足を止めたのは、そろそろ山の中腹あたりに差し掛かろうかという頃だった。
 生い茂る緑の向こうに、古い石造りの砦とおぼしき建造物。かつては兵達が拠点として使ったのであろうそれも、今となってはあちこち崩れかけ、我が物顔に伸びた蔦が壁面を這い回っている。遠くから見ただけでも、打ち捨てられて相当の時が経っているだろうことは容易に想像できた。

 戦闘員二名と素早く手順の打ち合わせを済ませると、ティアマトは一人下がった所で待つ青年へと向き直る。
「キルロイ、貴方はこの位置で待機。
 私達が戻って来るまでは、絶対にここを動いては駄目よ」
「は、はい」
 緊張の面持ちで首肯する青年を、彼女は真っ直ぐに見据える。

「……もし、予定の時刻を過ぎて、誰も戻らなかったら。
 貴方は速やかに砦へ帰還し、団長に経緯を伝えるように」
「え……で、でも……」
 静かに告げられたその言葉に、キルロイは息を呑んだ。
 常に命の危険と隣り合わせの仕事である以上、それも想定しておかねばならない事なのは理解できる。けれど感情では、そんな事態は考えたくも無いのが本音だ。
 ――しかも、自分一人だけ逃げる? 安否の解らぬ仲間を見捨てて?
 戸惑う彼に対し、赤毛の女騎士は低く諭すように言葉を続けた。

「貴方の役目は、全滅という最悪のケースを回避すること。
 貴方まで倒れてしまったら、一体誰が団の仲間に状況を知らせるというの?」
 だから、とティアマトは厳しい表情で念を押す。
「私達の事を思うならば、絶対に出てきては駄目。
 癒しの業だけでは無い――貴方の存在そのものが、私達の生命線なのだから」
「……はい、解りました」
 彼女の言葉から、改めて自身が背負う責任の重さを知る。
 仲間を信じ、己の為すべき事を為す――それは、戦を生業とする者が生き残る為の鍵。

「ま、お前の出る幕なんざねぇから安心しな。
 俺様にとっちゃこの程度、朝飯前の運動にすらなんねぇからな」
 不遜な笑みを浮かべながら、シノンが背中の矢筒から矢を引き抜く。
 物言いは相変わらず乱暴そのものだったが、もしかして自分の緊張をほぐそうと気を遣ってくれたのだろうか、とキルロイは思った。

「背後は任せたよ、キルロイ。
 ――私達は、私達の任務を全うする。だから君も、自分に与えられた役目を果たすんだ」
 馬上から穏やかに、そして冷静にオスカーが告げる。
 彼の言葉はいつだって、大地が水を吸うように心へ染み込む。励ましや賞賛は勿論、指摘や苦言であっても。
 それは彼が保護者としての立場に慣れているだけでなく、何より相手の事を思いやって発言しているが故なのだろう――それはキルロイが彼と付き合っていく中で、常々感じていた事だった。

「――そろそろ突入するわ。皆、準備は良い?」
「あの、皆、くれぐれも気をつけて……!」
 戦場へと向かう三人の背中に、キルロイは祈りを込めて言葉をかけた。誰も欠けることなく、無傷で戻ってこられるように――と。
 その言葉に笑みを含んだ一瞥で応え、ティアマトは凛と声を張った。
「グレイル傭兵団、出撃します!」



 突入から、どれくらいの時間が経っただろう。
 樹の陰から仲間達の背中が消えていった方角を見つめ、キルロイは独り不安と戦っていた。

 彼の居る場所は、地形的にちょうど件の廃墟から死角になっている。敵に気づかれず待機するには絶好のポイントだが、同時に向こうの様子を窺い知ることも出来ない。
 耳を澄ませてみても、剣戟の音すら聞こえなかった。ただ微かな葉擦れの音と、鳥の鳴き声が響くだけ。その静けさが、より一層不安を掻き立てる。


 ――もし、誰かが怪我をしていたら?
 ――もし、誰かが戻ってこなかったら?

 あるいは、最悪の場合――。


 そこまで考えて、キルロイはぶんぶんとかぶりを振った。
 想像は思い込みとなり、やがて現実となる。絶望よりも希望を思え――両親はそう彼に教えた。生まれつき病弱な体というハンデを抱えながらも、彼はそれを実行することで前向きに生きてきたのだ。

 仲間を信じて待つ――それが今の自分のすべき事。
 手にした杖を強く握り締め、覚悟を新たに視線を上げた時。

(……え?)
 視界の端で何かが動いた気がして、キルロイは反射的に視線を巡らせた。
 その目に映る、小さな影。

(あれは……子供?)
 先程彼らが通ってきた山道を、一人の少年が登ってくる。背格好から見て、おそらく十を数えたくらいの年だろう。
 樹の陰に隠れるようにしながら進んできたその少年は、一旦立ち止まると辺りを窺うように視線を巡らせた。そしておもむろに駆け出す――その向かう先には、盗賊団が根城とするあの廃墟。

(――いけない!)
 反射的に飛び出そうとして、キルロイははっと動きを止めた。

『キルロイ、貴方はこの位置で待機。
 私達が戻って来るまでは、絶対にここを動いては駄目よ』
 ティアマトの言葉が脳裏をよぎる。

 今、あの少年を追えば、彼女の指示に背くことになる。
 どこに賊が潜んでいるか解らない以上、最悪この位置から動いた時点で敵に見つかってしまうかも知れない。そうなれば自分だけでなく、今あの砦の中で戦っている仲間達にも危険が及ぶ。

 ――では、少年を捨て置く?
 キルロイは自問自答した。
 この先へ行かせれば、死ぬかも知れないのに?

 あるいは敵より先に仲間達が見つけてくれれば、保護する事も出来るかも知れない。けれど、今まさに敵と戦っている状況で、果たしてそこまでする余裕があるだろうか?


 悩み、迷った末に――青年は選び取った。
 手を差し伸べれば救える命を、むざむざ見殺しになど出来ない。

 後悔はしたくない――その思いが、彼の足を前へと踏み出させた。
 身を潜めていた樹の陰から飛び出すと、小さな背中を追いかけて走る。
「君、ちょっと待って……!」
 お世辞にも体力があるとは言えないキルロイだが、それでも何とか追いつくことができた。精一杯腕を伸ばし、小さな肩を捕まえる。
「な、なんだよおまえ!?」
 いきなり背後から肩を掴まれ、驚いた少年がじたばたと暴れ出した。危うく捕まえていた手を外されかけ、キルロイは必死に小さな体を抱え込むようにして繋ぎ留める。
「だ、駄目だよ! あっちは怖い人達がたくさん居るから……危ないんだ!」
 懸命にそう言い聞かせても、少年は一向に大人しくならなかった。暴れもがき、自身を捕らえた腕を何とかして外そうとする。
 とはいえ、病弱であってもれっきとした成人男性の力に、まだ幼い彼が敵うはずもなかった。その事を悟ったのか、少年は悔しげな表情を浮かべ、声を限りに叫ぶ。
「離せっ、離せよ!
 おれがあいつらをやっつけてやるんだ! 父ちゃんのカタキをとるんだっ!」
「……仇?」
 年端もいかぬ少年の口から飛び出した物騒な単語に、キルロイは思わず訊き返していた。
「君のお父さんが……どうしたの?」
 これ以上刺激せぬように、努めて優しい口調で問いかける。
 その問いに、暴れていた少年が動きを止めた。振り回していた腕をゆっくりと下ろし、一転、力無く頷垂れる。
「父ちゃんは……あいつらにやられたんだ。
 あいつらが村にやってきて……おれたちの家を壊してった。家を守ろうとした父ちゃんも、あいつらに……!」
「……!」
 悔しさに震える声が、キルロイの胸を抉った。


 王侯貴族が何不自由無い生活を享受する一方、決して豊かとは言えぬ暮らしを送る平民が居る。
 国がどれほど精強な騎士団を抱えていようとも、国土の隅々にまでその目を届かせることは不可能であり、故に民達の生活は常に理不尽な暴力と隣り合わせであった。

 賊による略奪、殺戮。それによって親を失う子供達。さして珍しくもない話だ。
 だが、そうやって割り切れるほど、キルロイは達観してもなければ慣れてもいなかった。


「だから、父ちゃんのかわりにおれが母ちゃんや妹を守るんだ。
 あいつらをやっつけて、父ちゃんのかたきをとってやるんだ!」

 ――まして、その慟哭を目の当たりにしたならば。


「そんなの……」
 無意識にぎゅっと胸の辺りを握り締め、キルロイは呟く。

 痛む心。
 湧き上がるのは悲嘆に憐憫――そして一際強く感じる、このままではいけないという危機感。

「駄目――だめだよ!
 そんな事しちゃ駄目だ!」
 そう繰り返しながら、小さな体をぎゅっと掻き抱く。
「お父さんを奪われて、悔しい気持ちは解るよ。
 でも、仇をとろうなんて思っちゃ駄目なんだ。
 憎しみを憎しみで返しても……それは、君をいっそう傷つけるだけだから……」
 その言葉が意味するところは、おそらく幼い子供には理解できないだろう。
 それでも、キルロイは説かずにはいられなかった――血を血で濯ぐ事の虚しさを。

 憎しみを連鎖させてはならない。
 恨みはさらなる憎悪を呼び、さらなる血を流させる。悲劇は繰り返され、同じ悲しみを背負う人が生まれ続ける。例え復讐を遂げようとも、怨嗟は消えずその心が満たされる事も無い。

 神に仕える者の端くれとして、それ以前に一人の人間として。
 幼い少年がそんな負の連鎖に巻き込まれようとしているのを、見過ごすことは出来なかった。

「それに、相手は大人たちがたくさんなんだよ? 君一人でやっつけられる人数じゃない」
「そんなこと……やってみなきゃわかんないだろ!」
「解るよ。
 ……もし、君まで居なくなったら。後に残されたお母さんや妹さんは、どんな気持ちになると思う?」
「……っ!」
 理路整然と諭され、少年は唇を噛みしめて俯く。
 青年に指摘されるまでも無く、自分でも薄々気づいていたのだろう。

 だから、とキルロイは言葉を継ぐ。
「君は、生きなきゃ駄目なんだ。
 仇を取るよりも、生きてお母さんと妹さんを守ってあげなきゃ。
 きっと、お父さんだってそれを望んでいるはずだよ」
「……」
 黙ってしまった少年の体をこちらに向かせ、キルロイは正面から彼の瞳に視線を合わせた。
「大丈夫。
 今、僕の仲間があの盗賊たちと戦ってるんだ。
 みんなすごく強いから、きっと全員やっつけてくれるよ」
 その言葉に、俯いていた少年が反応した。
「……ほんとか?」
 ぼさぼさ髪の奥、希望と疑心を半分ずつ宿して揺れる幼い瞳に、キルロイは優しく笑って頷いてみせた。
「本当だよ。
 必ず、君のお父さんの仇は取ってあげるから。
 だから、君は村に戻るんだ」
 ね? と微笑みかけると、少年は渋々ながらも微かに頷く。
「……ぜったい、ぜったいだからな!」
「うん、絶対。約束する」
 そう言い切ると、少年はようやく安心したような表情を浮かべた。

 負の連鎖が完全に断ち切れたかどうかは解らない。それは、この少年自身がこれから乗り越えていかねばならない事だから。
 自分に出来る事はやった。後は、彼を信じるのみ。
 キルロイは柔らかく微笑み、小さな背中をそっと元来た道へと押し出した。

「――約束したからな!」
 肩越しにそう言い残して、少年は麓の方へと駆け出していく。
 軽く手を振ったが、彼がそれを見ることは無かった。振り向く事無く一目散に走り去る背中は、やがて緑の波間へと呑まれていった。

 少年の姿が見えなくなったのを確認し、キルロイは安堵の息を吐く。


 その瞬間。


「――キルロイ、走るんだ!!」
 突然響いた叫びに、反射的に振り向いて。
 そこで初めて――斧を振りかざした山賊が、自分に向かって来ている事に気づいた。

「……!!」
 逃げなければ。
 そう思うのに、足が竦んで動けない。
 肌を刺す、純粋な殺意――今まで向けられた事の無い、そのどす黒い感情に、キルロイは恐怖すら感じられずただ凍りつく。
 真に危機が迫った時、人は目を閉じることすら出来ないと初めて知った。

 己に向けて振り下ろされんとする凶悪な刃を、呆然と見つめたその瞬間。

「……がっ……!?」
 ひゅ、と風を切る音がしたと同時に、賊が濁った苦鳴を漏らした。
 そのまま斧を取り落とし、ゆっくりと後ろに倒れていく――その眉間の真ん中に突き立った矢を、キルロイはただ目を見開き眺めていた。


「――馬鹿か! 出てくんなっつったろうが!!」
 やや離れた場所から、弓を構えたシノンが怒声を上げる。
 彼が矢を放ち、自分を襲おうとしていた賊を倒した――ただそれだけの単純な事実を、青年が理解するまでにはしばしの時を要した。

「キルロイ、大丈夫か!?」
 駆けつけたオスカーが馬上から呼びかける。
 その声に応えることなく、キルロイはぼんやりと足下に倒れた賊の死体を見つめていた。


 ――目の前で、人が死んだ。

 病気や寿命で死んだのではない。
 それは紛れもない、人同士の殺し合い。


 先程まで生きていたはずの人間が、今は物言わぬ躯となって転がっている現実。
 見開いた目が、恨めしげにこちらを見ている。
 一つ間違えば、こうなっていたのは自分だったかも知れない。
 脳裏にフラッシュバックする光景――殺意、鈍色の凶刃、肉を抉る音、苦悶の声、断末魔の喘鳴。

 そして、死体。


「…………っ!!」
 喉の奥から熱い塊がせり上がってくるのを感じ、キルロイは反射的に手で口元を押さえた。そのまま崩折れるように屈み込み、きつく目を閉じる。
 辛うじて吐くことだけは耐えたが、目眩がしてまともに立っていられなかった。


 ――甘く見ていた。
 これが、戦場に出るということなのだ。


 自分を呼ぶ声に顔を上げると、涙で霞んだ視界に差し伸べられた手が映った。
「――私の鞍へ。その状態では危険だ」
 霞がかかったような意識の隅、このままではいけないという危機感と、こちらを案じる声に促されて立ち上がる。半ばすがるように伸ばした手を、温かい掌がしっかりと捕まえた。
 足元すらおぼつかない青年の体を、オスカーは槍を持つ方の手も添え素早く馬上に引き上げる。
「振り落とされないように、しっかり掴まっていてくれ」
 肩越しの指示に従って、キルロイは騎手の腰に腕を回した。ろくに力のこもらない指を叱咤して、必死にその背中へしがみつく。
 その行為に躊躇いを感じる余裕すら、今の青年には無かった。


「――キルロイ! 何故出てきたの!?
 動かず待機しておくようにと指示したはずでしょう!?」
 賊達の掃討を終え、残党が居ないことを確認した後。
 ティアマトは厳しい口調で、自らの命に背いた青年を叱責した。
「オスカーが貴方の姿に気づいたから助けられたけれど……もし誰からも見えない位置だったなら、今頃貴方の命は無かった。
 貴方一人が指示に従わなかった為に、最悪他の仲間にも被害が出る恐れもあった。それをわかっているの?」
「……はい……すみません、でした……」
 叱責を受けた青年は、指示に背いた言い訳を口にする様子も無く、ただ小さく謝罪を述べて頭を下げた。

 そんな二人の様子を傍らで見ていた騎士が、静かに口を開く。
「……副長。どうかそれくらいに。
 今は速やかに帰還し、休息を取らせるのが先決と判断します」
 それは、常に上司の命に忠実な彼には珍しく、差し出がましいとも言える行為だった。
「――そうね。任務の報告もしなければならないし。
 キルロイ、この件については後日改めて事情を訊く事にします」
 そしてティアマトもまた、それを咎めることはせずあっさりと受け入れる。
 おそらくは、彼女も気づいていたからだろう――先程から俯き加減で佇んでいる青年の顔色が、まるで紙のように白いことに。
 毒舌が持ち味の射撃手ですら、小さく舌打ちしたのみでそれ以上言葉を発しようとはしない。それほどに、今の彼は明らかに憔悴していた。

「……キルロイ。歩けるかい?」
 小さく気遣う言葉をかけるオスカーに、青年は微かに首肯して見せた。
「無理はしない方が良い。こっちへ」
 先にキルロイを馬へ乗せ、続いて自らもその後ろに跨る。芯の無い人形のように不安定な体を背後から支え、オスカーは右手で手綱を取った。

「……ごめ、ん……」

 耳に届く、か細い謝罪。
 オスカーは悼ましげに眉を寄せ、返事の代わりにそっとその肩を叩いた。





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